浦添市
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浦添市(うらそえし)は、沖縄本島の南部地域、中部地域のちょうど境目にあり、南は那覇市、北は宜野湾市、東は西原町に隣接する都市である。那覇市、沖縄市、うるま市に次ぐ沖縄県第四の規模を持つ。全国でも高い出生率を誇り、那覇市と隣接するため人口増加が著しく、人口密度は県内では那覇市に次いで2番目に高く、政令指定都市であるさいたま市よりも高い。県内でも有数の商業、工業が活発な市である。
12世紀~14世紀には、浦添城(現在は浦添城址)を中心に琉球王国の首都として栄えた。その時の王「英祖王」の父が太陽であったという伝説があり、それにちなんで沖縄の方言で太陽を意味する「てぃだ」と、その太陽の子どもを意味する「こ」がくっつき「てだこ」と呼ばれる。それにより別名「てだこの街」とも呼ばれることもあり、行事などにもその文字をつけることが多い。
沖縄戦では同市から宜野湾市にかけて、中央司令部であった首里城を守るため攻防戦がはられたため激戦地となった。戦後、西海岸地区は米軍基地となっている。
また、全国でも有数のハンドボールの実績があり、2004年1月にはハンドボール王国都市宣言を行っている。
目次 |
[編集] 地理
沖縄本島の南側に位置し、東シナ海に面する西海岸沿いにあって、南は那覇市、北は宜野湾市、東は西原町と2市1町と接している。市域(飛び地を含む)は、東西8.4km、南北4.6kmで、北を頂点として南西と南東に広がった扇状の形をしている。総面積は、平成12年9月に西洲二丁目のふ頭用地の埋立(0.06km²)が、告示編入されたため19.09km²となった。市の中央部に多くの森林がある。西側の東シナ海と接しているところには米軍基地「牧港補給基地」が置かれている。また伊奈武瀬地区は飛び地である。
[編集] 隣接する自治体
[編集] 歴史
歴史は古く、13世紀ごろに登場する英祖王統の中心地として栄え、14世紀末に察度王統が尚巴志によって滅ぼされるまで中山の首都であった。
太平洋戦争中の昭和19年に日本陸軍沖縄南飛行場(仲西飛行場又は城間飛行場)が建設されるが、米軍の攻撃と上陸に合い飛行機が一機も飛び立つ事も無く放置されて沖縄戦を終えた。 その後、米軍が同飛行場を占拠後、「牧港補給基地」(通称、キャンプキンザー)を建設して、21世紀の現在も基地として使用している。
戦後、那覇市のベッドタウンとなり人口が急激に増加。1970年に浦添村から浦添市となり、1998年1月には人口10万人目達成となる。
[編集] 年表
- 1887年 浦添小学校が開校。
- 1896年 中頭郡に編入。
- 1908年 浦添間切から浦添村へ改名。
- 1922年 沖縄県営鉄道が開通。内間駅、城間駅を設置。
- 1935年 伊祖神社を建設。
- 1945年 沖縄戦により市民(当時は村民)の約半分(44.6%)が犠牲。
- 1946年 市民(当時は村民)の大半が米軍の捕虜として仲間の収容所へ移動。
- 1947年 戦争遺骨を納めた浦和の塔の建設。
- 1950年 米軍基地「牧港補給基地」(キャンプ・キンザー)の建設開始。
- 1970年 浦添村から浦添市へ改名。
- 1972年 沖縄本土復帰。沖縄県の設立。
- 1978年 第1回てだこまつり開催。
- 1984年 沖縄国際センターが完成。
- 1990年 浦添市美術館が開館。
- 1998年 人口10万人達成。
- 2000年 プロ野球東京ヤクルトスワローズ(当時はヤクルトスワローズ)が春季キャンプ開始。
- 2002年 市内をエリアとするコミュニティFM局・FM21が開局
- 2004年 国立劇場おきなわが完成。
- 2006年4月1日 市内全小中学校で2学期制が始まる。
- 2006年4月29日 大型ショッピングセンター「浦添ショッピングセンター」が元ダイエー浦添店跡地に開店。
[編集] 行政
[編集] 産業
[編集] 商業
- 同市の主な商域圏には、自動車販売会社やショッピングセンター、ファーストフード店などが連なる国道58号沿線、各地域にある昔ながらの商店街、そして1991年には西海岸埋立地の西洲に形成された沖縄県卸商業団地がある。特に卸商業団地は県内の有力企業63社が集結し、県内の一大物流拠点となる。
- 1995年国勢調査の第3次産業就業者数も80.2%と高い率を占めている。さらに西海岸第2次埋立事業を推進し、運輸業等を加えた総合物流ターミナルの形成をめざしている。
- 同市に本社を置く企業には沖縄電力 [4]、オリオンビール [5]、沖縄明治乳業 [6]、沖縄コカ・コーラボトリング [7]、琉球セメント [8]などがある。
[編集] 農業
- 同市の1998年12月末における作付面積は4,053aで全市域面積の約2%にあたり、その約5割が市東部の西原、前田、沢岻地域に集中している。
- 作付面積の51.2%をさとうきびが占め、23%が野菜類となっている。農家戸数は222戸で、このうち専業は13戸、兼業が209戸と9割以上が兼業農家となっている。
[編集] 水産業
- 同市の漁家個数は1998年12月末現在で87戸。そのうち64戸(73.5%)が専業漁家。漁業従事者は87名で漁船は64隻、総漁獲高は120トンで1億2,996万円となっている。
- 近年は捕獲漁業から養殖漁業への転換を図るため、1986年に操業を開始したクルマエビの養殖は、毎年順調な伸びを見せ、1998年12月末には水揚げ量38トンで1億9,800万円を計上するまでになった。
[編集] 工業
- 同市の工業は1997年末現在、167の事業所(県内4位)があり、従業員数が1,988人(県内2位)、製造品出荷額は495億円(県内3位)と、那覇市に次ぐものとなっている。
- 業種別では金属製品製造業が31事業所、食料品製造業が37事業所、出版・印刷関連産業、32事業所で全体の6割近くを占め、従業員数でも食料品製造業の813人(全体の41%)、出版・印刷等関連産業228人(11%)、金属製品製造業188人(9%)の順になっている。
[編集] 姉妹都市・提携都市
[編集] 国内
[編集] 海外
[編集] 地域
[編集] 教育
2004年(平成16年)1月に英語教育特区の認定を受け、同年4月より小学校に英語科を特設し小学校1年生から9年間を見据えた英語教育を推進している。
同市では1979年のハンドボール九州大会で中学男子の優勝を皮切りに、小中学校の全国制覇を約40回、準優勝を合わせると60回近くに上る。これを機に2004年(平成16年)1月に浦添市ハンドボール王国都市宣言を行い、世界で活躍できる選手育成に力を入れ、今後更なる活躍に市民の期待が高まっている。宣言碑が浦添運動公園に設置されている。
また、2006年4月より市内一部小中学校で実施されていた、二学期制が全小中学校で導入された。
現在、当市には市立幼稚園が11園、小学校が11校、中学校が6校、高等学校が6校、養護学校が3校、専修学校が4校ある。
[編集] 高等学校
- 沖縄県立浦添高等学校 [10]
- 沖縄県立浦添商業高等学校 [11]
- 沖縄県立浦添工業高等学校 [12]
- 沖縄県立那覇工業高等学校 [13]
- 沖縄県立陽明高等学校 [14]
- 私立昭和薬科大学附属高等学校 [15]
[編集] 中学校
[編集] 小学校
- 浦添市立浦添小学校 [22]
- 浦添市立仲西小学校 [23]
- 浦添市立神森小学校 [24]
- 浦添市立浦城小学校 [25]
- 浦添市立牧港小学校 [26]
- 浦添市立当山小学校 [27]
- 浦添市立内間小学校 [28]
- 浦添市立港川小学校 [29]
- 浦添市立宮城小学校 [30]
- 浦添市立沢岻小学校 [31]
- 浦添市立前田小学校 [32]
[編集] 幼稚園(市立のみ)
- 浦添市立浦添幼稚園[33]
- 浦添市立仲西幼稚園[34]
- 浦添市立神森幼稚園[35]
- 浦添市立浦城幼稚園[36]
- 浦添市立牧港幼稚園[37]
- 浦添市立当山幼稚園[38]
- 浦添市立内間幼稚園[39]
- 浦添市立港川幼稚園[40]
- 浦添市立宮城幼稚園[41]
- 浦添市立沢岻幼稚園[42]
- 浦添市立前田幼稚園[43]
[編集] 養護学校
[編集] 専修学校
[編集] 地名・町名一覧
- 安波茶(あはちゃ) 1~3丁目
- 伊祖(いそ) 1~5丁目・字伊祖
- 伊奈武瀬(いなんせ) 1丁目
- 西洲(いりじま) 1・2丁目
- 内間(うちま) 1~5丁目
- 大平(おおひら) 1~3丁目・字大平
- 経塚(きょうづか) 字経塚
- 城間(ぐすくま) 2~4丁目・字城間
- 小湾(こわん) 字小湾
牧港補給基地内にあった集落。戦後軍用地として土地が接収され、小湾住民は宮城に移住した。
- 勢理客(じっちゃく) 1~4丁目
- 沢岻(たくし) 字沢岻
- 当山(とうやま) 字当山
- 仲西(なかにし) 1~3丁目・字仲西
- 仲間(なかま) 1~3丁目・字仲間
- 西原(にしはら) 1~6丁目・字西原
- 前田(まえだ) 1~4丁目・字前田
- 牧港(まきみなと) 1~5丁目・字牧港
- 港川(みなとがわ) 1・2丁目・字港川
- 宮城(みやぎ) 1~6丁目・字宮城
昭和24年に小湾住民が移住してきた。宮城に「小湾」というバス停があるのはそのため。
- 屋富祖(やふそ) 1~3丁目・字屋富祖
[編集] 交通
[編集] 路線バス
那覇市と隣接するため多くの路線が通る。但し、市街地(市役所周辺)を通る路線はあまりなく、ほとんどの路線は国道58号、国道330号(バイパス)を通る。
また、同市内でバスレーンがあるところは国道58号のみである。
沖縄自動車道の西原ICがあるが、バス停がないため高速道路経由路線は停車しない。
現在沖縄本島内民営バス会社4社全てが市内へ乗入れている。主に市街地を運行するバス会社は琉球バス交通、東陽バス。沖縄バスは国道58号のみ。那覇バスは県道241号と伊奈武瀬地区のみを運行している。
各路線の詳細は琉球バス交通営業路線、沖縄バス営業路線、那覇バス営業路線、東陽バス営業路線、又は各路線項目を参照。
- 国道58号を経由
- 20番 (名護西線) 琉球バス交通 沖縄バス
- 22番 (こどもの国宮里線) 琉球バス交通
- 23番 (具志川線) 琉球バス交通
- 27番 (屋慶名(大謝名)線) 琉球バス交通 沖縄バス
- 28番 (読谷(楚辺)線) 琉球バス交通 沖縄バス
- 29番 (読谷(喜名)線) 琉球バス交通 沖縄バス
- 31番 (泡瀬西線) 東陽バス
- 32番 (コンベンションセンター線) 沖縄バス
- 52番 (与勝線) 沖縄バス
- 63番 (謝苅線) 琉球バス交通
- 77番 (名護東(辺野古)線) 沖縄バス
- 80番 (与那城線) 沖縄バス
- 120番 (名護西空港線) 琉球バス交通 沖縄バス
- 223番 (具志川おもろまち線) 琉球バス交通
- 227番 (屋慶名おもろまち線) 琉球バス交通 沖縄バス
- 228番 (読谷おもろまち線) 琉球バス交通 沖縄バス
- 263番 (謝苅おもろまち線) 琉球バス交通
- 国道330号(バイパス)を経由
- 88番 (宜野湾線) 琉球バス交通
- 90番 (知花(バイパス)線) 琉球バス交通
- 98番 (琉大(バイパス)線) 琉球バス交通
- 110番 (長田具志川線) 琉球バス交通
- 112番 (国体道路線) 琉球バス交通
- 288番 (宜野湾おもろまち線) 琉球バス交通
- 290番 (知花おもろまち線) 琉球バス交通
- 298番 (琉大おもろまち線) 琉球バス交通
- 県道38号(浦添西原線)、県道251号(那覇宜野湾線)(通称パイプライン通り)を経由
- 55番 (牧港線) 琉球バス交通
- 56番 (浦添線) 琉球バス交通
- 91番 (城間(南風原)線) 東陽バス
- 99番 (天久新都心線) 琉球バス交通
- 191番 (城間(一日橋)線) 東陽バス
- 県道241号(宜野湾南風原線)を経由
- 25番 (普天間空港線) 那覇バス
- 33番 (糸満西原(末吉)線) 那覇バス
- 97番 (琉大(首里)線) 那覇バス
33番 (糸満西原(末吉)線)、97番 (琉大(首里)線)は、西原入口交差点で坂田方面へ曲がるため市内では2箇所のバス停(西原入口、幸地入口)のみしか通過しない。なお25番 (普天間空港線)はそのまま直進し西原(浦添市)へ行く。
- 沖縄自動車道を経由(※浦添市内には停車しない)
- 111番 (高速バス) 琉球バス交通 沖縄バス 那覇バス 東陽バス
- 113番 (具志川空港線) 琉球バス交通
- 123番 (石川空港線) 琉球バス交通
- 180番 (屋慶名(首里駅・国場経由)線) 沖縄バス
- 伊奈武瀬地区へ乗り入れ
- 101番 (平和台安謝線) 那覇バス
[編集] 鉄道
昔沖縄県営鉄道嘉手納線が通っていたが、太平洋戦争で破壊され、今は残っていない。 1945年に消滅。通称「ケービン(軽便)」。浦添市内には「牧港駅」・「城間駅」・「内間駅」があった。
大平養護学校前バス停の近くに当時使用されていた線路の一部が残っている。
現在那覇市内に敷設されている沖縄都市モノレールが同市に延長する計画がある。
[編集] 道路
面積が小さいため主要道路の数は少ないが、その数少ない道路は那覇市と沖縄市、名護市などをつなぐ道路のため交通量が多く(1日に通過する交通量は那覇市よりも多い)、渋滞もたびたび起こる。
- 沖縄自動車道
- 国道58号
- 国道330号(バイパス・西原バイパス(ここでさす"西原"も沖縄自動車道西原ICと同じ意味でつけられている))
- 沖縄県道38号浦添西原線(主要地方道・ここでの"西原"は西原町をさす)
- 沖縄県道153号線
- 沖縄県道241号宜野湾南風原線
- 沖縄県道251号那覇宜野湾線
[編集] 健康
[編集] 医療
- 特定医療法人仁愛会 浦添総合病院(西原4-16-1)
- 医療法人太平会
- 嶺井第一病院(字大平446)
- 嶺井第二病院(西原3-20-10)
- 嶺井リハビリ病院(牧港3-1-10)
- 医療法人博愛会 牧港中央病院(字牧港1199)
- 医療法人八重瀬会 同仁病院(字城間2606)
- 医療法人球陽会 浦添海邦病院(港川2-24-2)
[編集] 福祉
[編集] 保健
[編集] 衛生
[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集] 祭り
[編集] 旧跡
- 浦添城址
- 浦添ようどれ
- 伊波普猷霊園
- 当山の石畳道
- 安波茶橋と石畳道
- 浦添貝塚
- 伊祖城跡
- 経塚の碑
- 伊祖の高御墓
- 牧港ティランガマ(洞窟)
- 上記の旧跡についてはホームページ[51]を参照。
[編集] 施設
[編集] 催事
- 1月:浦添市成人式
- 2月:てだこウォーク、沖縄青少年科学作品展、浦添市小中学校音楽祭
- 3月:沖展、おきぎんカップバレーボールビッグリーグ
- 4月:
- 5月:
- 6月:
- 7月:てだこまつり
- 8月:
- 9月:
- 10月:プロ野球教育リ-グ
- 11月:浦添市文化祭、サントピア沖縄バレーボール大会
- 12月:
[編集] 浦添市出身の有名人
[編集] その他
[編集] 郵便
郵便は浦添郵便局が市内全域受け持っているが、2006年9月よりこれまで西原郵便局が受け持っていた西原町も浦添郵便局が受け持つようになった。郵便番号は以下の通り。
- 浦添郵便局:901-21xx(浦添市一般)、901-25xx、901-26xx(以上浦添市の大口事業者用)、903-01xx(西原町一般)、903-02xx(西原町の大口事業者用)
[編集] 電話
市外局番は復帰前、もともと宜野湾市と同じ大謝名局の09で市内局番が7だったが、加入者数が多くなったため1971年にこれまでの大謝名局から那覇局の08に移り、市内局番の頭に7をつけて77となった。翌年1972年の本土復帰とともに市外局番が0988となった(市内局番の77はそのまま)。以降市内局番70番台は浦添市内に割り当てられていた。その後1990年に現在の098となり、市内局番は頭に8が加わり870番台が浦添市内に割り当てられていた。さらに1990年代末には942と9から始まる市内局番も登場し、現在市内では870~879と942が市内局番として割り当てられている。なお、那覇市に近い沿岸部の一部では那覇市中心地で使用されている860~869と941と951が使用されている。