東急バス
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東急バス(とうきゅうバス)株式会社は、東京都城南地域・川崎市・横浜市北部を中心にバスを運行する東急グループの会社である。東京急行電鉄のバス部門を分社化することにより1991年5月に設立され、同年10月より営業を開始した。本社は東京都目黒区大橋一丁目にある。
路線バス事業としては、一般路線バスのほか、深夜急行バス、空港直通バスなどを運行している。都市間高速路線に参入していた時期もあったが、収支状況の悪化により1998年までに全線から撤退した。貸切バス事業は、1994年より順次縮小を進めた結果、小規模なものとなっている。このほか、外食・流通・生活関連・不動産などの部門で付帯事業を営む。
他社に先立ってバスナビゲーションシステムを導入したり、ハイグレード中型車を使用したデマンドバス「東急コーチ」を運行(ただしデマンド運行は2001年3月に廃止)したりするなど、旅客サービスの向上に積極的なことでも知られる。
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[編集] 沿革
ここでは、東京急行電鉄時代とその前身事業者のバス事業を含めた沿革について記述する。東京急行電鉄は1922年、目黒蒲田電鉄として設立された。
[編集] 目黒蒲田電鉄のバス事業
目黒蒲田電鉄がバス事業を開始したのは1929年のことであり、最初の路線は同年6月25日に開通した大井町線である。大井町線は、大井町駅を起点に西へと向かう路線であるが、当初の終点については荏原町車庫前と東洗足の2つの説がある。これは東急が発行した2つの社史においても食い違っているため、どちらが正しいのかの判断が困難であるが、いずれにしても鉄道の大井町線に並行する道路に路線を設けることで、その営業を防衛する意味合いを持つ路線であったことは間違いない。
目黒蒲田電鉄はその後、小山・自由ヶ丘・等々力・下丸子などに路線を拡張したのち、1933年に子会社・目蒲乗合を設立し、バス事業を同社に譲渡して分社化した。この間、1932年に大森乗合自動車を傘下におさめ開業させているが、同社もまもなく目蒲乗合が吸収合併した。
[編集] 池上電気鉄道および周辺事業者の合併・買収
1934年、目黒蒲田電鉄は池上電気鉄道を合併し、同社のバス事業を引き継いだ。池上電気鉄道のバスは1927年に中原街道の五反田駅~中延間で始まり、その後両端部を丸子渡および品川駅まで延長、さらにいくつかの支線を開通した。1930年には池上通りの大森~池上間を新たに開業し、1932年に池上~雪ヶ谷間を開通して中原街道と池上通りの連絡をつけた。これらの路線を、池上・中延の2車庫にて運営していた。
目黒蒲田電鉄は旧・池上電気鉄道のバスを継承後、直営で経営していたが、競合区間のある旧・池上路線と目蒲乗合を別会社で経営することは不合理であったため、3年後の1937年に目蒲乗合の路線を目黒蒲田電鉄に戻し、バス事業を直営に統合した。
その後、目黒蒲田電鉄は、玉川電気鉄道傘下にあった2つのバス事業者を1937年に合併する。すなわち、目黒通り周辺に路線を持つ目黒自動車運輸、田町・芝浦周辺を営業区域とする芝浦乗合自動車である。また、1939年には、大井周辺に路線を有する城南乗合自動車を傘下におさめている。
[編集] 旧・東京横浜電鉄のバス事業
旧・東京横浜電鉄も目黒蒲田電鉄と同じく、1929年にバス事業を開始した。最初の路線は東神奈川~六角橋~綱島間、東神奈川~六角橋~川和間の系統であるが、これらは神奈川自動車より譲受したもので、前者は現在の東横線に並行する旧・綱島街道を通るものであった。しかし、営業成績は芳しくなく、わずか3ヶ月足らずで子会社・東横タクシーを設立し、事業を同社に譲渡してしまっている。
また都内では、大橋~大鳥神社前間の免許を得ていたが、これも傘下の東横乗合に譲渡したうえで運行させることとした。東横乗合は、恵比寿・田町方面を運行していたヱビス乗合自動車に、同社の姉妹会社で渋谷・中野方面で営業していた代々木乗合自動車を合併のうえ、改称したものである。東横乗合はその後、世界恐慌の影響により業績が悪化しながらも積極的に路線の拡張を進め、1932年には杉並の大宮八幡から井の頭・武蔵小金井方面の人見街道周辺に路線を有する城西自動車商会を買収した。ただし、この線は不調に終わり、のちに帝都電鉄に譲渡している。
このように2つの子会社により経営されてきた旧・東横のバスであるが、バスの交通機関としての認知度が高まり、業界の活性化が進んだことを受け、段階的に直営化が進められることとなった。1933年には、東横タクシーに譲渡していた路線と同年買収した溝ノ口乗合自動車(鶴屋商会)などの路線を東京横浜電鉄が吸収し、神奈川県内で直営バス事業を再開した。続いて1936年に、貸切バス・タクシー業のみとなっていた東横タクシー、および東京横浜電鉄の子会社で中野・練馬方面に路線を有する大正自動車の2社を東横乗合が合併し、さらに東京横浜電鉄が東横乗合を吸収したことにより、直営化による統合が完了した。
[編集] 日本興業の路線継承と玉川電気軌道の合併
その後、東京横浜電鉄は、傘下にあった玉川電気鉄道を合併することとなる。その前段階として1937年、同社の子会社である日本興業のバス路線を吸収した。この路線は、「山手バス」の通称で呼ばれ、渋谷駅南口から代官山・恵比寿を経て赤十字病院(現・日赤医療センター)前に至るものであった。
そして、翌1938年に玉川電気鉄道を合併し、同社のバス事業を継承した。玉川電気鉄道のバス事業への進出は早く、1927年に軌道線に並行する渋谷~新町間を開通したのが始まりである。その後、1929年に淡島通り周辺に路線を持つ日東乗合自動車を合併、さらに1931年に八木哲から世田谷通り上の三軒茶屋~調布(国領付近)間を譲り受け、翌32年には同個人より神奈川県内の路線も継承した。東京横浜電鉄による合併時の路線網は、渋谷・広尾から世田谷・調布方面、さらには神奈川県の柿生・中山・勝田周辺にまでおよぶ広大なものであった。
[編集] 東横・目蒲の合併~大東急へ
1939年10月1日、目黒蒲田電鉄は東京横浜電鉄を合併し、同月16日、東京横浜電鉄に商号変更した。これにより、現在の東急バスにつながる路線の経営が一元化されたわけであるが、この時点では山手線内や芝浦地区のほか、中野・練馬方面にも路線を有していた。
その後、戦時下に公布された陸上交通事業調整法により、旧東京市内のバス路線に対する調整が命じられ、 1942年に一部路線を東京市に譲渡した。このとき対象となった路線は、右図の通りである。
戦時の統制下では、一方で東京横浜電鉄による周辺事業者の統合も進み、1942年には京浜電気鉄道・小田急電鉄を合併、社名を東京急行電鉄に変更した。これにより、両社のバス事業を継承したほか、同日には城南乗合自動車のバス事業を吸収、その後まもなく梅屋敷・蒲田周辺で営業していた旧・京浜電鉄系の梅森蒲田自動車も吸収した。また、1944年には京王電気軌道を合併し、「大東急」と呼ばれる時代を迎えることとなる。しかし、この頃にはすでに物資不足のため、路線休止や代燃車での運行を余儀なくされる状態であった。
[編集] 戦後の復旧と発展
終戦時において休止バス路線は実に7割近くにも及び、戦後数年間は依然として車両や燃料の不足が続いていた。このため、大森駅~池上駅間に電気自動車を導入したり、神奈川県内の一部路線の運行を横浜市に委託したりするなどの措置がとられ、復旧が急がれた。一方、路線の新設も徐々に始まり、1947年にはGHQの指導により、東京都交通局との相互乗り入れによる都心直通路線の運行が始まった。都心直通路線は、駒沢・都立高校・洗足池の自社鉄道線3駅を起点とするものに始まり、のちに小田急線や京王線の駅にも拡大した。
1948年には、小田急電鉄・京浜急行電鉄・京王帝都電鉄(現・京王電鉄)が分離され、「大東急」の時代が終焉を告げた。これにより、バス事業の一部が京浜急行、京王帝都に譲渡されることとなったが、都内では両社との境界が戦前の旧・京浜電気鉄道、京王電気軌道時代とは異なるものとなった。すなわち、京浜急行とは東海道線周辺において若干の路線調整が行われたにとどまったが、経営が不安定だった京王帝都には京王線以北の中野営業所・大正営業所と管轄下の多数の路線が譲渡されることとなった。一方、旧・京王電気軌道の路線のうち、京王線以南に大きく入り込んでいた千歳烏山~祖師ヶ谷大蔵間は東急が継承したが、この線は1952年に小田急バスに譲渡されている。
その後、東京駅~横浜駅間、渋谷駅~江ノ島間の長距離路線が相次いで開業し、1953年には休止路線の復旧を完了した。
昭和30年代には、郊外の世田谷区、目黒区、横浜市などで路線の伸びが著しく、営業所の新設も相次いだ。昭和40年代に入ると東急田園都市線が延長され、多摩田園都市における住宅路線の整備が進められた。また、都内では都心への新たな通勤手段として、首都高速道路経由路線が開通するなど、この時期は各地でめまぐるしい発展が見られた。
しかし、昭和40年代半ばころを境に輸送量は減少に転じることとなり、特に都内では新たな鉄道の開通や渋滞の悪化によりバス離れが急速に進んだ。このため、都心直通路線をはじめとする大幅な路線整理が行われ、昭和50年代以降は都内の営業所を一部廃止して、発展の余地のある神奈川県のニュータウン側の輸送に力を傾けた。
[編集] 東急バスの設立
その後、東急電鉄はバス事業の自立と経営の安定化を図るべく、1991年に東急バス株式会社を設立、事業を移譲した。これにより、収支はまもなく黒字に転じている。同じく東急バスのほうも、黒字を維持している。さらに、バス事業の規制緩和を前にした1998年には東急トランセを設立、代官山地区での運行を開始するとともに、翌年より東急バスの路線の受託運行を開始し、現在に至る。
[編集] 年譜
- 1929年3月17日 東京横浜電鉄、神奈川自動車より東神奈川~川和間、六角橋~綱島を譲受し、バス事業を開業。
- 1929年6月1日 東京横浜電鉄、バス事業を東横タクシー(5月に東京横浜電鉄の全額出資で設立)へ譲渡。
- 1929年6月25日 目黒蒲田電鉄、大井町駅~荏原町車庫前(東洗足との説もある)間を開業。
- 1929年8月 東京横浜電鉄、ヱビス乗合自動車(1923年設立。田町駅~白金三光町~恵比寿駅間。現在の都営バス路線。)および代々木乗合自動車(1920年設立。渋谷駅~幡ヶ谷~中野駅間他)を傘下におさめる。
- 1929年11月21日 ヱビス乗合自動車、代々木乗合自動車を合併し、東横乗合と改称。
- 1932年2月 目黒蒲田電鉄、大森乗合自動車(未開業。大森駅~梅屋敷通り間。現在の京浜急行バスの路線。)を傘下におさめ、4月25日に開業させる。
- 1932年12月8日 東横乗合、城西乗合自動車商会(大宮八幡公園~牟礼~武蔵小金井間。現在の京王バス東の路線)を買収。
- 1933年2月 東京横浜電鉄、溝ノ口乗合自動車(古家達三経営。川崎駅~溝ノ口間他)を買収。
- 1933年6月1日 目黒蒲田電鉄、バス事業を目蒲乗合(2月に目黒蒲田電鉄の全額出資で設立)へ譲渡。
- 1933年6月1日 東京横浜電鉄、東横タクシーよりバス事業を譲受し、直営を再開。
- 1933年8月1日 目蒲乗合、大森乗合自動車を合併。
- 1934年10月1日 目黒蒲田電鉄、池上電気鉄道を合併し、同社バス路線(1927年9月開業。品川駅~五反田駅~中延間他)を承継。
- 1935年4月8日 東横乗合、旧城西乗合自動車商会の路線を帝都電鉄へ譲渡。
- 1935年7月26日 東京横浜電鉄、大正自動車(1929年5月設立。児玉衛一経営。中野坂上~中野駅~沼袋~練馬駅間他。現在の京王バス東の路線。)を傘下におさめる。
- 1935年6月1日 東横乗合、大正自動車と東横タクシーを合併。東横タクシーからは観光バス事業を承継。
- 1936年11月1日 東京横浜電鉄、東横乗合を合併し、バス事業を一本化。
- 1937年6月1日 目黒蒲田電鉄、目蒲乗合からバス事業を譲受し、バス事業を一本化。
- 1937年12月1日 目黒蒲田電鉄、目黒自動車運輸(1923年4月開業。玉川電気鉄道傘下。田町駅~高輪警察署前~日吉坂上~目黒駅~自由ヶ丘間他)および芝浦乗合自動車(1930年1月設立。玉川電気鉄道傘下。田町駅~天王洲橋間他)を合併。
- 1937年6月1日 東京横浜電鉄、日本興業(通称・山手バス。玉川電気鉄道傘下。渋谷駅南口~赤十字病院前間他)の路線を譲受。
- 1938年4月1日 東京横浜電鉄、玉川電気鉄道を合併し、同社バス路線(渋谷駅~溝ノ口~荏田~長津田間他)を承継。
- 1939年6月16日 目黒蒲田電鉄、城南乗合自動車(大井町駅~立会川~現在の西大井駅周辺)を傘下におさめる。
- 1939年10月1日 目黒蒲田電鉄、東京横浜電鉄を合併。
- 1939年10月16日 目黒蒲田電鉄、東京横浜電鉄と改称。
- 1942年2月1日 陸上交通事業調整法に基づく戦時統合のため、山手線以内を中心とする路線を東京市へ譲渡。
- 1942年5月1日 京浜電気鉄道、小田急電鉄を合併し、東京急行電鉄に改称。両社のバス事業を承継。
- 1942年5月1日 城南乗合自動車のバス事業を吸収。
- 1942年12月 梅森蒲田自動車(旧京浜電気鉄道系。蒲田駅~六郷土手間他)のバス事業を吸収。
- 1944年5月31日 京王電気軌道を合併し、同社バス事業を承継。
- 1944年8月1日 府中乗合自動車商会(現在の京王バス中央の路線)を傘下におさめ、同時にバス事業を吸収。
- 1947年6月25日 東京都交通局と協定し、駒沢~築地間、洗足~東京駅間、都立高校(現在の都立大学駅)~東京駅間の三路線で都心相互乗り入れを実施。
- 1947年7月11日 横浜市交通局と臨時運転契約を結び、8月1日から東神奈川~川和間、8月16日から横浜駅~杉田間(現在の横浜京急バスの路線)でそれぞれ横浜市営バスによる代理運行が行われる。
- 1947年9月13日 大森駅~池上駅間で電気自動車を導入。
- 1948年5月26日 日本遊覧自動車(現在の日本交通観光バス)に観光バスの営業権を譲渡。
- 1948年6月1日 京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)、小田急電鉄、京浜急行電鉄を設立して分離。京王線以北のバス路線を京王に、東海道線以南のバス路線を京急にそれぞれ譲渡。
- 1953年7月22日 観光バス事業に再進出。
- 1954年6月26日 江ノ島鎌倉観光(現在の江ノ島電鉄)との共同運行による、渋谷駅~江の島間の江の島線運行開始。
- 1961年4月15日 大森駅~馬込循環線でワンマンカーの運行を開始。
- 1961年7月1日 渋谷駅~長野駅間の長距離バス長野線、運行開始。
- 1966年4月 第三京浜道路経由の渋谷駅~横浜駅西口間運行開始。江の島線も第三京浜経由に変更。
- 1967年12月25日 首都高速道路3号渋谷線経由の高速通勤バス、桜新町~東京駅南口間運行開始。
- 1971年6月30日 長野線廃止。
- 1973年6月 乗合バスが全車ワンマン化。
- 1974年 江の島線廃止。
- 1975年12月24日 デマンドバス「東急コーチ」自由が丘駅~駒沢間運行開始。路線は貸切バスの扱い。
- 1982年 第三京浜経由の京浜線(二子玉川園駅~横浜駅西口間)廃止。
- 1987年5月16日 高速通勤バスの運行を取り止め。
- 1988年10月25日 夜間高速バス「ミルキーウェイ」渋谷駅~和歌山駅間(和歌山線)および渋谷駅から鶴岡・酒田間(酒田線)運行開始。
- 1989年7月3日 深夜急行バス「ミッドナイトアロー」渋谷駅~青葉台駅間運行開始。
- 1991年5月21日 東急バス株式会社設立。東京急行電鉄のバス事業を継承。
- 1991年10月1日 東急バスが営業開始。
- 1998年4月1日 東急トランセを設立。
- 1998年9月30日 夜間高速バスから撤退。
- 1998年10月1日 羽田空港連絡バス・たまプラーザ駅~羽田空港間運行開始。
- 2001年3月1日 東急コーチのデマンド運行を廃止。一般路線バスに転換。(東急コーチの呼称は継続使用。)
- 2003年4月16日 成田空港連絡バス・新百合ヶ丘駅~たまプラーザ駅~成田空港間運行開始。
- 2005年12月1日 パソコン・携帯電話から閲覧可能な東急バスナビが(一部路線を除く)路線バス全線に導入される。
- 2006年11月16日 川和線市03系統(市が尾駅~横浜駅西口)区間廃止(又口橋~横浜駅西口が廃止)に伴い東急バスの横浜駅西口乗入れがなくなる。
[編集] 営業所
営業所は、都内に7箇所、神奈川県内に6箇所があり、各営業所とも敷地内または直近に車庫を有している。数だけを見れば都内のほうが多いが、多くのニュータウンを抱える神奈川県内のほうが、1営業所あたりの規模が大きい。東急バスには、支所、分車庫等は存在せず、規模の小さい車庫も営業所として独立している。以下、所名の後に掲げるアルファベットは、所属車両の判別等のために設けられている各営業所の略記号である。
- 淡島営業所 (A)
- 下馬営業所 (SI)
- 弦巻営業所 (T)
- 瀬田営業所 (S)
- 目黒営業所 (M)
- 荏原営業所 (E)
- 池上営業所 (I)
- 川崎営業所 (KA)
- 高津営業所 (TA)
- 新羽営業所 (NI)
- 青葉台営業所 (AO)
- 虹が丘営業所 (NJ)
- 東山田営業所 (H)
[編集] 営業所の変遷
1939年の目蒲・東横合併による新・東京横浜電鉄成立時において、営業所は東京13箇所、神奈川県2箇所の計15箇所があった。すなわち、エビス、代々木、中目黒、中野、大正、世田谷、淡島、新丸子、神奈川(以上、旧東横より継承)、池上、中延、神明、大森、下目黒、芝浦(以上目蒲より継続)である。その後、1940年に運用の効率化を図るべく、下目黒営業所(権之輔坂)を目黒営業所(清水)に、中目黒営業所を不動前営業所に、新丸子営業所を小杉営業所に、それぞれ移転・改称した。また同年には、代々木営業所も三角橋から代々木本町へ移転している。1942年に山手線内の路線を東京都に譲渡した際には、芝浦営業所が廃止され、他の営業所も編成替えが行われた。
終戦を経て、1948年にはいわゆる大東急が解体された。この際、旧・京浜電気鉄道、京王電気軌道のバス事業がそれぞれ京浜急行電鉄、京王帝都電鉄に引き継がれたのに加え、両社との新たなエリア境界を京王線、東海道線とすることが定められ、両線の外側を走る路線も両社に譲渡された。これに伴い、これらの地域を担当していた中野、大正、大森の各営業所がそれぞれ譲渡、または廃止された。
さらに、戦中・戦後の混乱の中で、エビス、代々木、世田谷、神奈川の各営業所が休廃止され、それぞれ近隣の営業所に統合された。その結果、淡島、目黒、不動前、中延、神明、池上、川崎(小杉から改称)の7営業所体制で再スタートが切られることとなった。
戦後は、休止路線の復旧や新線の開通が進められ、昭和30年代から営業所数は再び増加するようになる。世田谷区内では、1956年に瀬田営業所が開設され、多摩川流域を走る路線が移管された。続いて1959年には弦巻営業所が開設され、世田谷通りの路線などが移管された。1964年には、東京オリンピックの輸送等に対応するため、駒沢営業所が開設され、神奈川県内でも路線数の増加に伴い、1962年に日吉営業所、高津営業所が相次いで新設されている。
1966年には田園都市線が長津田へと延伸されたのを受け、新羽営業所が開設され、延伸後の各駅を結ぶ路線の運行を開始した。1969年に玉川線が廃止されると、その大橋車庫跡地に大橋営業所が開設され、玉川線代替路線の運行を開始するとともに、同時に廃止された不動前営業所の路線を引き継いだ。
昭和40年代から50年代にかけて、多摩田園都市ではニュータウンと田園都市線各駅を結ぶ路線が急速に発達した。これらの多くは、高津営業所が長い回送距離を伴って担当しており、非効率であったため、田園都市内の新たな拠点として、1981年に青葉台営業所が、1986年に虹が丘営業所が開設された。なお、都内では同時期に路線の整理が行われ、青葉台営業所開設と引き換えに中延営業所が、1984年に駒沢営業所が廃止されている。
また、1993年には日吉営業所が廃止され、東山田営業所が新設された。これは、日吉営業所の敷地が東横線の拡張工事のため収容されることとなったのに加え、輸送拠点を宅地造成の進む港北ニュータウン側に移したほうが有利との判断からである。
その後、1999年に全線の運行を東急トランセに委託する下馬営業所が開設され、2002年に大橋営業所が廃止されたため、現在は13の営業所体制となっている。
[編集] 廃止営業所
- 駒沢営業所 (K)
- 駒沢営業所は、世田谷区駒沢の現・駒沢公園西口停留所前に置かれた営業所で、東京オリンピック輸送を主な目的として1964年10月1日に開設された。後に宿91(新宿駅~大森駅)やコーチ自由が丘線等を受け持ったのち、1984年3月16日に廃止となっている。跡地は折返所として使われたのち、現在は他企業に賃貸している。
- 中延営業所 (N)
- 都営バスと共管路線である雪が谷線(東90)丸子橋~東京駅八重洲口をはじめ、中原街道周辺路線を受け持っていた営業所である。戦前の池上電気鉄道の乗合自動車をルーツとする営業所であるが、「東急バス10年のあゆみ」によれば、開設日は1947年6月25日となっている。所在地は、品川区旗の台の中原街道沿いで、1981年6月21日に廃止され、跡地には現在、フランチャイズとして参加しているTSUTAYA旗の台店が建っている。
- 不動前営業所
- 不動前営業所は、東横乗合をルーツとする中目黒営業所の移転により1940年7月9日に開設された。所在地は、山手通り沿いの目黒区下目黒である。1969年5月7日、大橋営業所の開設とともに廃止され、跡地は東名急行バスの車庫として使われたのち、現在は東急不動前ビルが建っている。
- 大橋営業所 (O)
- 東急玉川線(玉電)の廃止に伴い代替輸送を受け持つため、1969年5月7日、玉川線大橋車庫跡地に開設された。2002年9月15日に廃止され、跡地は首都高速道路中央環状新宿線のジャンクションとなる予定である。
- 日吉営業所 (H)
- 神奈川県内2番目の営業所として、1962年4月1日に港北区日吉に開設。日吉駅再開発に伴い1993年10月31日に廃止され、跡地は折返所およびニッポンレンタカーの営業所となっている。
[編集] 車両
車両は、日産ディーゼル工業、日野自動車、いすゞ自動車、三菱ふそうトラック・バスの4メーカーより導入している。車両規模は2005年現在、880両強である。
[編集] 路線車
一般路線車は、ホイールベース5メートル未満のいわゆる短尺車が多くを占めているが、田園都市線沿線の営業所には、大量の通勤・通学輸送に対応した長尺車も配置されており、中にはオールロングシートとなった車両もある。このほか、狭隘路線用の中型車・小型車、貸切輸送や高速走行に適したロマンス車、東急コーチ専用車両などがある。いずれも、ワンステップ車・ノンステップ車の導入により、低床化が進められているところである。都内の営業所で導入される新車は一部を除き全てノンステップ車であるのに対し、県内の営業所で導入される新車はワンステップ車が中心であり、特に虹が丘営業所の場合ノンステップ車が全く導入されていない。また、環境に配慮したハイブリッド車、CNG(圧縮天然ガス)車も使用されているほか、高速車、企業・学校輸送用の特定車、観光車などが少数ある。
一般路線車の塗装は、銀色に赤色の帯を配するデザインが基本である。このコンセプトは長らく変わっておらず、昭和20年代にはすでに銀と赤を基調とした塗装が施されていた。初期の車両には車体裾部に水色が配されていたが、1968年に塗装作業の簡略化のため、赤帯を窓下に1本回すだけのシンプルなデザインとなり、東急のステンレス電車のイメージとも一致するこの銀と赤2色塗りの時代が長く続くこととなった。
その後、1985年に導入された目黒通り新交通システム対応車(109車)、1986年に導入された初代ロマンス車をきっかけとして、再び塗装の一部にアクセントを加えた車両が導入されるようになった。これらの車両は幹線路線を走る機会の多い優等車両であることから、設備の向上だけでなく外観においても差別化が図られており、ロマンス車には金色が、109車には窓上と裾部に赤帯が、ノンステップ車には側面中ドア付近の裾と窓上に青帯がそれぞれ追加された。
また、東急バスでは全ての車内広告を一定期間1つの顧客に統一する車両を「TOQ-BOX」として運行している。現在は2002年度導入車の一部がTOQ-BOXとして運用されており、過去には1993年度導入車、1987年度導入車のいずれも一部において運用例がある。
[編集] 高速車・貸切車
高速車は銀色にマゼンタとピンクの帯が斜めに入り、TOKYU Limousineのロゴが加わる。このデザインはかつて運行していた夜行高速バス専用車「ミルキーウェイ」で採用されていたものがベースで、この場合は帯が青と水色だった。三菱エアロバスが中心だが、僅かに日野セレガが加わる。運行初期には貸切からの転用車や他社からの中古車もあった。
貸切車は白地に赤と金帯を採用していたが、1980年代後半のスーパーハイデッカー"SSマーキュリー109"(三菱エアロクイーン)投入後は現在の白地に青・赤・橙の帯となった。現在は観光貸切バスの運行は東急トランセが行っている。
[編集] 使用年数と再使用
東急バスの車両は、首都圏の排出ガス規制の関係から、原則として新車導入後12年間使用されたのち除籍となる。2005年度までは、15年間の使用を原則とし、この間6年目に車内外再生、10年目に車体再々生と呼ばれるリニューアル工事が実施されていた。しかし、8都県市ディーゼル規制の開始等による規制強化を受け12年使用が原則化したことにより、再生時期が見直され、10年目の車体再々生に関しては2006年7月現在、同年度再々生対象であるはずの1500番台車に1台も施されておらず、2005年度の1400番台を最後に廃止となった模様である。2006年度は元来再生対象である導入6年目の1900番台車だけでなく、5年目の車両である200番台車も車内外再生を受けている。これは、今年度車内外再生対象の1900番台車が、全体で10台しかないことと、今後再生が施される300番台車以降が各番台100台近くの大所帯であるためと思われる。なお、これらのリニューアル工事は、川崎市中原区今井上町にある東横車輛電設で実施される。これにより、東急バスの車体は、廃車時まで非常に綺麗な状態を保っていることも特徴である。
一方、東急バスを除籍となった車両は、一部の付属機器をはずした上で、排出ガス規制の及んでいない地方のバス事業者等に送られ、引き続き使用されることがある。これまでの譲渡先には、函館バス、宗谷バス、北見バス、美鉄バス(2002年解散)、くしろバス、宮城交通、越後交通グループ、新潟交通グループ、草軽交通、伊豆バイオパークなどがある。なお、東急バスの場合、国内流通はグループ間譲渡が大半で、東武バスや神奈川中央交通、小田急バスなどのように北海道から沖縄までとのように広々とは流通しない。近年では、海外への輸出例も多く見受けられるようになってきている。
[編集] 社番
東急バスの車両には、1台ごとに社番と呼ばれる独自の車両管理番号が付与されている。社番は車体側面、車内前部等に表示されており、数字部分は原則として、車両導入より廃車まで変わることがない。
[編集] 一般路線車の社番
一般路線車の社番は、所属営業所の略号(上記参照)+1~4桁の数字で構成され、営業所記号は転属のたびに書き換えられる。番号部分は、1984年度以前は年度を問わず連番方式となっており、1980年度からの5年間に導入された車両の番号は以下の通りであった。
- 旧300番台315~384:1980年度(1994年全廃)
- 旧400番台前期385~441:1981年度(1995年全廃)
- 旧400番台後期443~500:1982年度(1996年全廃)
- 旧500番台前期501~555:1983年度(1996年全廃)
- 旧500番台後期556~603:1984年度(1996年全廃)
しかし、1985年度からは、数字のうち上2桁が導入年度を表す現行の方式となった。以後、上2桁は以下のように割り振られている。なお、現行方式では、下2桁はメーカーごとにまとめて割り振られている。付番ルールは以下のとおりであるが、導入年度により若干の差異がある。
- 旧600番台:1985年度(1997年全廃)
- 旧700番台:1986年度(1998年全廃)
- 800番台:1987年度(2002年全廃)
- 900番台:1988年度(2003年全廃)
- 1000番台:1989年度(2003年全廃)
- 1100番台:1990年度(2003年全廃)
- 0番台(1~2桁):1991年度(一部特定車・リムジン車を除き廃車)
- 100番台:1992年度(全車廃車)
- 1200番台:1993年度(全車廃車)
- 1300番台:1994年度(一部廃車)
- 1400番台:1995年度
- 1500番台:1996年度
- 1600番台:1997年度
- 1700番台:1998年度
- 1800番台:1999年度
- 1900番台:2000年度
- 200番台:2001年度
- 300番台:2002年度
- 400番台:2003年度
- 500番台:2004年度
- 600番台、6600番台:2005年度
- 700番台、7700番台:2006年度
[編集] その他の車両の社番
その他の車両の社番は以下の通りである。空港路線車の3000番台、特定輸送車の4000・5000番台は2003年度より使用されており、それ以前は一般路線車と同様の方式であった。また、東急コーチは6000・7000番台であったが、デマンド運行の終了した2001年度より一般路線車と共通となっている。尚、コーチ車の上2桁は営業所コードが付番されており、淡島営業所:60、大橋営業所:61、弦巻営業所:62、瀬田営業所:63と順になっている。
日野ポンチョのP1~の社番は便宜上使用されているものであり、正しく(社内管理上)は2701からの付番である。(例えばP9なら2709になる)
- 2000番台:貸切車
- 2700番台:日野ポンチョ用
- 3000番台:空港路線車(2003年度以降)
- 3200番台:夜行路線車(全廃)
- 4000,5000番台:特定輸送専用車(2003年度以降)・事業用車
- 6000,7000番台:東急コーチ(2000年度まで、車体には下2桁のみ表示)
[編集] 車両仕様の推移
車両の細部仕様は、年を経るごとに変化している。1980年代に入ってまず行われたのが、冷房車の導入である。東急バスにおける冷房車の登場は、周辺他社に比べると遅く、1981年度のことであった。但し、これは一部の新製車両に試験的に冷房が設置されたもので、新製の全車が冷房を装備するようになるのは1983年度である。その後、非冷房車のうちエンジン出力の高い車両において冷房の後付け改造(+パワーステアリング化)も実施された。
車両仕様の推移
- 旧300番台315~384:1980年度 1986年再生
- 旧200番台より再生時に木張り床からロンリューム床に変更される。
- 旧200番台より冷房改造並びパワステが装備される。
- 旧200番台より再生時にシート柄が1600番台まで継承された青色に黒のストライプの入った通称「スイカ柄」に変更される。
- 旧400番台前期385~441:1981年度 1987年再生
- 前扉の窓が4枚式から2枚式となる。
- 新製冷房車が試験的に登場。
- 旧400番台後期443~500:1982年度 1988年再生
- UD車はスケルトン型の15型Eボディとなる。
- この年代より再生時に前向きだった優先席が通路向きに変更されるようになる。
- いすゞの川崎車体車は前面の顔つきが変更される。
- 旧500番台前期501~555:1983年度 1989年再生
- 全車が新製冷房車となる。
- いすゞ車は中扉の窓が拡大される。
- 旧500番台後期556~603 1990年再生
- 全メーカーが58年規制適合を機にスケルトンボディに移行する。
- この年代より1994年の再々生時にバンパーがアイボリーからダークブラウンになる。
- 三菱車に初めてフィンガーコントロールミッションが採用される
- 日野車の大橋所属車に中扉の座席を廃したラッシュ対策車が登場し、その後の日吉(東山田)車に波及する。
- 旧600番台:1985年度 1991年再生
- 目黒に新交通システム路線用ハイグレード車登場。
- 三菱車のみ109車の絡みで中4枚折戸を採用する。
- 三菱車は方向幕周りがアクリル板になる。
- いすゞ車・三菱車はシートが天龍工業製に変更される。
- 日野車の各シート裏にグリップが装備される。
- 旧700番台:1986年度 1992年再生
- ワンロマ車が目黒を除く都内各営業所に登場。
- 全車が中4枚折戸・フィンガーコントロールミッションを採用する。
- UD車の各シート裏にグリップが装備される。
- 池上に三菱製機械式AT・3方ロングシート(後に虹が丘・青葉台の長尺3扉車に反映)試験導入車が登場する。
- 800番台:1987年度 1993年再生
- 貸切車に限りなく近い本格的な貸切向け装備を携えた長尺ロマンス車が登場する。
- 全車入口出口表記が直接記載に、ワンマン表記が廃止される。
- 虹が丘・青葉台の団地路線に初の長尺3扉車が登場する
- ギャラリー車「TOQBOX」が一部車両に1988~1994年まで施工される。
- 降車ボタンが変更される。
- 全車・補助ブレーキランプが装備される。
- 日野車のみ降車ボタンのブザーがチャイムに変更される。
- 吊革が東京メトロ等と同形状の3角形に変更される。
- 900番台:1988年度 1994年再生
- ロマンス車を除く全車が前中扉間通路向き優先席を採用する。
- 降車ボタンの書体が500番台まで続く書体に変更される。
- 降車ボタンのブザーがチャイムに変更される。
- UD車は17型Eボディに変更される。
- 全車が黒サッシとなる。
- 900番台より1994年の車内外再生時にバンパーがアイボリーからダークブラウンに変更される。
- 長尺3扉車は中後扉が引戸に変更。
- 日野車はFFシフトの形状が通称フェラーリ型からシフトブーツ型に変更される。
- 1000番台:1989年度 1995年再生
- いすゞ車と三菱車はシート裏の化粧板が変更される。三菱車はシートサイドグリップの位置が横に変更される。
- 三菱車は、クーラー吹き出し口の形状が変更される。
- 1100番台:1990年度 1996年再生
- 全車中4枚折戸から引戸に変更される。
- ルーフ換気口の廃止
- スタンションポールが増える。
- 2000年の再々生時にスタンションポールラバーも0番台まで交換されるようになる。
- 日野車はブロンズガラスを採用するようになる。
- 1100番台で長尺3扉車の増備を一旦うち切る。
- いすゞ車はリアビュースタイルを始め、車体構造が大幅に変更されるビッグマイナーチェンジを受ける。
- 0番台(1~2桁):1991年度 1997年再生
- 床ロンリュームの柄が再生時に100番台と共通のものとなる。
- 三菱車は側窓周りをブラックアウト化。
- いすゞ車は、前扉がシルバーとなり、後部ナンバー枠位置が変更された。
- UD車(ポ~!)・日野車(三菱車などと同音色)はこの年代のみ異なる中ドアブザー音を採用。
- 100番台:1992年度 1998年再生
- 前扉直後の前向きシートが復活。
- 三菱車は方向幕周りが全てブラックになる。
- 1993年に一部車両が800番台に変わりTOQBOXとなり、1998年まで施工される。
- 床ロンリュームの柄が変更される。
- 1200番台:1993年度 1999年再生
- バンパーが全車アイボリーからダークブラウンとなる。
- 車内にLEDインフォメーション機器が搭載される。
- 大橋車の独自装備だった運転席直後の表示器は1200番台以降廃止され、この表示器の廃車車両からの流用の絡みで当時大橋には古参車が数多く転入してきた経緯がある。
- UD車は、GSシートの形状が変更される。
- この年代より、再生時に1700番台以後2ステップ車の標準となった水色基調のシートクロスに変更される。
- 長尺3扉車が再度増備される。
- シルバーシート部のみ降車ボタン形状が変更される。
- 日野車は前部換気口が大型化。
- 1300番台:1994年度 2000年再生
- UD車のシートが天龍工業製に変更される。
- 日野車はこの年代のみホイールハウスにまでロンリュームパターンを配するようになる。(AO1347・T1348をのぞく)
- 再生時にスムージングタイプのスタンションポールラバーに変更される。
- 吊革の形状が変更される。
- ステップのピロティ部がステンレスとなる。
- 1400番台:1995年度 2001年再生
- 特に大きな変更はない。
- 1500番台:1996年度 2002年再生
- リアテールランプが全車角形に変更される。
- 東山田車を除きマーカーランプを廃止。
- チャイム音色を変更。
- いすゞ車にV型8気筒エンジン搭載のLV380系登場。
- またしてもシルバーシート部の降車ボタン形状が変更される。
- 1600番台:1997年度 2003年再生
- 初のノンステップバスが109車の代替で目黒に大量に配置される。
- この年代より再生時に一部のスタンションポールラバーにイエローを配するようになる。
- ノンステップ車は再生時に200番台以降ノンステ・ワンステ車の標準となるシートクロス、床ロンリュームは300番台以降のもので再生される。
- 川崎横浜市内所属車のみ再生時に方向幕がLED電子方向幕に変更される。
- 1700番台:1998年度 2004年再生
- アイドリングストップ装置を搭載。
- シートクロスの柄が水色基調に変更される。
- 都内車も全車再生時に方向幕がLED電子方向幕に変更される。
- 1800番台:1999年度 2005年再生
- 三菱の2ステップ車は窓サッシがアルミ材むき出しとなった。
- この年代より再生時に全車スタンションポールラバーが全てオレンジ色となる。
- この年代より再生時に全車床ロンリュームがダークグレーになる。
- UD車以外の3メーカー車種でステップのピロティ部だけでなく踏み面もステンレスとなる。
- 1900番台:2000年度 2006年度再生
- 降車チャイムの音色が変更される。
- UD車のみが現在以後標準となる青基調のシートクロスになる。三菱車はダークグレー基調の独自のものを採用していたが、車内外再生が2006年10月までに全車施され、ノンステ標準の青基調のクロスに張り替えられた。
- 同じクロスを採用していたM283は、すでに再生を完了しており、M284も11月現在再生中で、現在は見られなくなった。
- 再生時に屋根上に社名・車番が記載されるようになる。
- 再生時に入口出口表記にピクトグラム表記を採用。
- 床ロンリュームが変更される。
- 中扉がグライドドアから引戸に変更される。
- 三菱車は中扉以後のシート配列がすべて前向きシートとなる。
- つり革が三角型から丸型に変更されるが、車内外再生時に東京メトロ形の三角形に変更される。
- 200番台:2001年度 2006年度より一部車両再生
- 三菱車は下期配属車よりシートクロスが水色基調の標準柄に変更。
- 三菱車を除き、フォグランプが装備される。
- UD車は、下期配属車のみクーラーダクトがメッキとなっている。
- 三菱車は、シートグリップの位置が変更される。
- 瀬田に自由が丘線用に沿線に見合ったハイソ感を打ち出したノンステ車(日野・レインボーHR)が導入される。なお、この車両は2006年度の車内外再生も新製時からの外国製高級シートクロスで再生され、継承している。
- 青葉台のコーチ車(275~282)は、専用のシートクロスを採用しているが、2006年度の車内外再生を機に全車がノンステップ車標準の青基調のクロスに交換される予定。
- 300番台:2002年度
- 床ロンリュームがラメ入りとなる。
- 全車にフォグランプが装備される。
- 運転席上に換気扇が装備される。
- いすゞ車は、コーナリングランプを追加。リア補助テールランプを廃止した。
- エルガミオの冷房キセに関しては、弦巻配属車がサーモキング製、荏原配属車がデンソー製を採用。
- 400番台:2003年度
- 降車ボタンチャイムの音色が変更される。(いすゞ車は500番台以降)
- いすゞ車は、窓のサッシが省略される。
- 虹が丘・青葉台にロングワンステップ車が登場する。
- LED電子方向幕が全車に搭載される。
- 500番台:2004年度
- LEDインフォメーション機器が二段式に変更される(実際下段は使用されていない)。
- いすゞ車は、シートバックパネルの素材が変更される。
- 三菱大型ワンステ車は、通路側肘おきの幅が広がる(500番台のみ)
- ワンロマ車は、リクライニングシートに変更される。
- いすゞ車は後期配属車両よりエンジンがV型8気筒から直列6気筒のターボエンジンに換装される。
- 600番台
- スタンションポールラバーが全てオレンジになる。
- 床ロンリュームがダークグレーになる。
- 降車ボタンが変更される。
- 三菱大型ワンステ車に最後部席両サイドにアームレストが採用される。
- 後期配属車のスーパーロング・セミロング車は、ロングシートが廃止され、シート配列がすべて前向きに変更される。
- 6600番台
- 三菱車のみスモークガラスが装備される。
- 700番台(三菱車は7700番台)
- 6月納車車両からスモークガラスが標準化される。リア窓はJ-BUS車を除き熱線反射型ガラス。J-BUS車はスモーク。
- 6月納車車両からつり革が丸型から1200番台以前と同形状の三角型つり革が装備される。
- 一部車両でLEDインフォメーション機器と料金箱が廃車車両からの使い回しとなる車両が出始める。
- 6月納車車両より屋根上に社名・車番が表記されるようになる。
- 6月納車車両より出入口表示にピクトグラムが採用されるようになる。
- 秋季導入車両からシルバーシート部のモケット柄が変更される。
- 秋季導入車両から内装色が4メーカー全てグレイのモノトーン色になる。
- 秋季導入車両から三菱大型ワンステ車の最後部席両サイドのアームレストが廃止される。(NJ7718・NJ7719)
- 各営業所でイレギュラー配属が多発。(例:荏原・高津のUD、池上の三菱中型、新羽のいすゞ中型)
- なお、700番台では小型車(リエッセ)を除けばDPR装着車がPK-JP360NANのSI700の1台のみとなっており、東急のDPR車敬遠を露呈する車両選定となった。過去に三菱が存在したとはいえUD車オンリーの池上に三菱中型を導入してきたのが、それを証明している(PB-RM360GANはDPR付)
[編集] 外部リンク
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