日産・シルビア
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シルビア(SILVIA)は、日産自動車で生産されていた2ドアノッチバックタイプのクーペ(3代目、4代目にはハッチバックが存在する)。名前の由来はギリシャ神話に登場する清楚な乙女の名前から。その語源はラテン語で「森」を意味する。なお、この「シルビア」という名前は元々ホンダが特許を持っていた。日産はプレリュードという特許名を持っており、ホンダと日産はお互いの特許名を交換したという説がある。
2005年の北米(デトロイト)モーターショーでFFの「アズィール」を発表し後継車だと噂されたが、同年東京モーターショーではFRの「フォーリア」が発表され、現在ではこちらが後継車との説が多い。
尚、レース用やドリフト用の車としてレーサーや走り屋にも人気は高いが、とりわけ走り屋と呼ばれる人たちが公道で無謀な走行をして事故を起こすことが多かったために、任意自動車保険の保険料率が国産車の中では一番高い(2006年現在)。
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[編集] 歴史
[編集] 初代(CSP311型 1965-1968年)
1964年第11回東京モーターショーに「ダットサン クーペ1500」として出品された後、1965年4月発売。ダットサンフェアレディ(SP310型)のシャーシに、SUツインキャブ付R型1600cc OHVエンジンを載せ、クーペボディを架装して作られた。日本車初採用の4速フルシンクロのトランスミッション、ドイツ人デザイナー、アルブレヒト・ゲルツによるクリスプカットと呼ばれた美しいデザイン(実際には当時日産デザイン室に在籍した木村一男がゲルツの指導の下にデザインしたもの)、継ぎ目を極力減らしたボディパネルなど意欲作であったが、美しいルックスには不釣合いなタフな乗り心地や、相対的な割高感に加え、兄貴分のスカイラインやオープン版のフェアレディの影に隠れて、商業的には成功したとは言えなかった。そのため1968年6月に554台のみで生産を終了、一旦は絶版となった。
[編集] 2代目(S10型 1975-1979年)
1975年10月発売。プラットフォームはB210型サニーをベースとしており、ハードウエアとして初代との繋がりは全く無い。
開発に当たっては北米市場狙いのスタイリングとされ、ロータリーエンジンの搭載も検討されていたが、オイルショックの影響により見送られ、当時日産・ブルーバードUに搭載されていた、1800ccの4気筒SOHCエンジンであるL18型(105ps)を搭載した。
直線的な美しいデザインを持つ初代とは対照的に曲線を多用した2代目のデザインは、日本の顧客には理解不能で、国内販売は不振だった。ちなみに、この世代の北米向けモデルで初めて現在でも引き継がれるSXの名が使われた。
[編集] 3代目(S110型 1979-1983年)
1979年3月発売。プラットフォームは先代と同じくサニー(310型)がベース。初代SXの手応えからさらにアメニティーに振ったコンセプトとなり、日本初のドライブコンピュータや、アメリカ車並みのムーディーな室内イルミネーションで、夜のドライブが楽しいデートカーとして人気を博すことになった。
エンジンはZ18型・1800cc、Z20型・2000cc、FJ20型・2000ccの3種類が設定された。FJ20型はスカイラインRSに搭載されたDOHCエンジンである。ボディ形状はハッチバックに加えてクーペが追加。また、このモデルと次のS12型にはモーター店扱いとなる、姉妹車のガゼールが設定された。
1980年11月にはマカオグランプリ・スーパーサルーンおよびギア100に参戦。スーパーサルーンでは優勝を飾り、ギア100では5位を記録する。共にドライバーは星野一義。1981年には富士GCの併催レースであるスーパーシルエットに参戦。星野一義が操るスーパーシルエットフォーミュラ・シルビアターボが好戦績を残した。1982年のモデルはハッチバック(KS110型)をベースに車体の一部をパイプフレームとするノバ・エンジニアリング製のシャシーに、大型のフロントスポイラー、およびリアウイングを備えるムーンクラフト製のカウルをまとう。
なお、シルエットフォーミュラのエンジンは1981年度は直列4気筒DOHC・L20B型ターボ、1982年度はサファリラリー等で活躍した「バイオレット」に搭載されていた直列4気筒DOHC・LZ20B型(2082cc 570ps/7600rpm、55kgm/6400rpm)にエアリサーチ製T05Bターボチャージャー、およびルーカス製メカニカルインジェクションシステムを組合わせたものだった。日産の意向により同様のレーシングカーがスカイライン(KDR30型)及びブルーバード(KY910型)でも製作され、それぞれ長谷見正弘や柳田春人がドライブした。スカイラインのメインスポンサーはトミー、ブルーバードのメインスポンサーは1982年度および1984年度はコカ・コーラ、1983年度はオートバックスであった。
- 1981年3月 富士GC 第1戦 富士300キロスピードレース大会 優勝
- 1982年3月 富士300kmスピードレース GCクラス 優勝
- 1982年5月 富士グラン250kmレース GCクラス 2位
- 1983年5月 富士グラン250kmレース 優勝
1982年、生産拠点を九州工場へ移す。この年の第30回サファリラリーでは、LZ20B型(215ps)を搭載したグループ4仕様車が総合3位を獲得した。1983年にはラリー向けに「240RS(BS110)」というホモロゲーションモデルが登場し、当時グループBで争われていたWRCに参戦した。240RS標準車に使われたのは2400ccのFJ24型(240ps)である。さらに240RSにはFJ24改(275ps)を搭載するエボリューションモデルが存在した。
[編集] 4代目(S12型 1983-1988年)
1983年8月発売。このモデルからリアサスペンションがセミトレーリングアームの独立式となる。また、リトラクタブル・ヘッドライトが採用された、日本初のチルトアップ機構付電動ガラスサンルーフが搭載された。
エンジンは1800cc・CA18型3種(キャブレター/EGI/EGIターボ)と2000ccの自然吸気エンジンであるFJ20E型(150ps)、ターボを搭載したFJ20ET型(190ps)が設定された。同じくFJ20ET型を搭載していたDR30型スカイラインでは、空冷インタークーラーを追加した205ps仕様が設定されたが、S12型には採用が見送られた。
1984年2月、1800ターボR-L FISCO追加。中級グレードのR-LにFJ20車と同じタイヤ、アルミホイール等を装備したもの。1986年2月にマイナーチェンジが行われ、エンジンがそれまでのCA型からFJ型エンジンに替わり、CA18DET型DOHCターボエンジンが搭載された。同時に兄弟車のガゼールが廃止となる。北米向けの200SX(RVS12型)にはV6・3000ccのVG30E型を搭載するモデルも存在した。
1987年、第35回サファリラリーに北米向け200SXをベースとするグループA仕様車が参戦。1988年の第36回サファリラリーでは総合2位・A4クラス優勝および総合3位を獲得した。
シルエットフォーミュラにも引続き参戦したが、車両自体は先代のS110仕様のボディパネルをS12仕様に変更したモデルである。
- 1983年9月 富士GC 第3戦 富士インター200マイルレース大会 2位
- 1983年10月 スーパーカップレース SSクラス 優勝
CMは上記の様なラリー車としての位置付けに相反し、いたって地味で(キャラクターの起用は一切無し)男女が歌うスキャット調の曲に、雨上がりの朝の家庭で日差しが射す窓際に(人は映らない)雨の水しぶきを上げるカナリヤのいる鳥かご(スタンド式)があるという情景で「シルビアの朝です」というファミリカーを連想させる様なソフトに仕上げてある。ただナレーションでは「FRの力強い走り」とも謳っており、類稀なFR駆動車を強調していた。
[編集] 5代目(S13型 1988-1993年)
1988年5月発売。このモデルで当時大人気だったホンダ・プレリュードの牙城を崩し、若者を中心に爆発的に売れた。当時としては未来的なデザインで、CMでも「アートフォース・シルビア(ART FORCE SILVIA)」と語っていた。足回りには新開発のリアマルチリンクサスペンションが採用された。CMソングは前期型にはプロコル・ハルムの「青い影」、後期型にはクライズラー&カンパニーの「動物の謝肉祭・水族館」が起用された。
日産はこのS13シルビアをデートカーとして位置づけていたが、当時すでに少なくなっていたFR駆動であり、ターボ搭載グレードなどのスポーツ走行も可能な設計であったため様々な改造パーツが開発され、現在でもサーキットや峠などで走るための車として使用されることも多い。これはS13だけに限った話ではなく、その後のS14やS15にも受け継がれた。
当初は1800ccエンジンのみで、自然吸気エンジンのCA18DE型(135ps)とターボのCA18DET型(175ps)が搭載されていたが、1991年1月のマイナーチェンジで2000ccのSR20DE型(140ps)とSR20DET型(205ps)に変更された。グレードは、J's、Q's、K'sとトランプを意識した構成になっていた。 オプション装備では、プロジェクターヘッドランプ、四輪操舵装置のHICAS IIや、HUDであるフロントウインドウディスプレイなどが未来的なイメージを後押しした。
また、オーテックジャパン製の「コンバーチブル」(1988年7月追加。K'sを改造。製造はオープン構造の車の生産を得意とする高田工業に委託されていた。)や、輸出版240SXハッチバックボディの日本仕様である姉妹車180SX(RS13型 1989年4月発売)などが派生した。この180SXはS13シルビア同様に人気が高く、S13シルビアの販売終了後もS14シルビアと共に販売が続けられた。そのほかにも光岡自動車がシルビアをベースにクラッシックカーのようなボディの初代ラ・セードを発表している。
マイナーチェンジ前の型式がS13、マイナーチェンジ後はPS13となっているが、通称としてどちらもS13と呼ばれることが多い。マイナーチェンジでの変更点はエンジンだけではなく、トランクリッドのキーホールカバーなどの細かい点も変更が行われている。なお、PS13の「P」はヘッドライトがプロジェクター式に変更されている事を表している。
バリエーションとしては上記の180SX他にも、輸出用として欧州仕様の200SX(日本仕様同様)や北米仕様の日産系トラック用の2.4リッターエンジン(前期・KA24E、後期・KA24DE)搭載の240SXがあるが、北米のヘッドライト位置の法規に対応するため、フロントのデザインは180SXである(日本でも、シルビアのフロントを180SXのものに換装した改造車「ワンビア」が少数ながら存在する)。また、180SXベースであるが、ユーザーによる改造された(後に一部の日産系ディーラーで正式に販売された)シルエイティも存在する。
モデル末期にはそのころ発足した全日本GT選手権のGT2クラス(後のGT300クラス)に参戦した。
弱点としては極端に燃料系のキャパシティが少ない為に、ブーストアップから強化燃料ポンプ(R33,R32GT-R用のポンプを加工流用するのが定番)とインジェクター(ブーストアップ止まりならS15用、それ以上まで視野に入れるのなら社外品(550cc~)が定番)に交換する必要がある。その他にも左側のメインフレームが何故か途中で切れている為、その部分に補強するパーツなどある。横Gが強く掛かる運転を続けていると燃料タンク内の仕切り板が外れ、燃料を吸えなくなってエンジンブローするなど、なかなか癖の強い車であることに注意が必要である。S14、S15ではそうは行かないが、PS13はNA車とターボ車間のコンバートが非常に楽に出来る設計になっている。
[編集] 6代目(S14型 1993-1998年)
1993年10月発売。S14ではボディサイズを大きくして3ナンバーボディとなった事や、この年の前後に発売されたC34ローレル、W30ラルゴ、R33スカイライン、B14サニーなど一連の日産車に共通して外観デザインが不評であった事、4ドアスペシャリティー車の台頭により人気が低下。エンジンは自然吸気、ターボ共に改良され、SR20DE型は160ps、SR20DET型は220psとなった。北米では180SXの北米仕様である240SXが1996年にS14型の北米仕様へモデルチェンジし、エンジンは引き続きKA24DE(155ps)が搭載。欧州では180SXの欧州仕様が「200SX」として販売されていたが、それに代わりS14型の欧州仕様が200SXのモデルチェンジ版として販売された。
キャッチコピーは「アイ・ハント・シルビア(eye hunte SILVIA)」。CMソングはティアーズ・フォー・フィアーズの「シーズ・オブ・ラヴ」が起用された。マイナーチェンジ後は「Ready Go FR」。宝生舞が出演している。CMソングはザ・ハイロウズの「相談天国」と「Happy Go lucky」が起用された。
1996年6月のマイナーチェンジでは、曲線の多かった前期型と変わって全体的にシャープなデザインに変更。ヘッドライトを角ばった、いわゆる「ツリ目」の形状にするなど主にフロント周りのデザインを一新したが、前モデルと比べて肥大化したボディサイズが不評だったため、人気回復には至らなかった。しかし、現在では珍しくなったターボエンジン搭載、マニュアルミッション設定のあるFRクーペモデルであり、登場から10年以上経過していることにより中古車価格も下がっているといった理由から走り屋層には人気で、走り屋や愛好家には未だに支持されている。
しかし当時はやはりハチロク→180SXと5ナンバー車が主流だった為に「デカい、カッコ悪い」とのイメージが前期から続いていたが、織戸学のイカ天統一戦を豪快なドリフト走行で勝利した事から、速い上にドリフトアングルが付けられる車として、デザインはさておきブームとなり「ハチロクや180SX、4ドア車のポテンシャルを全て引き出してもS14に勝つのは難しい」と言われるほどになっていた。批判の根源であった大柄なボディも、裏を反せば車体の安定感が高いということであり、一部からは次期モデルのS15以上に重宝されている。
1997年10月には「オーテックバージョン K's MF-T」が追加された。
ターボの潜在ポテンシャルはS13に比べて上がったものの、過給圧をノーマルの設定から上げると、そのような改造を想定していない為か、S13と同様に燃料系が弱いのでPS13のように燃料系強化を行わないと簡単にエンジンブローする。しかし、S13と比べてボディ剛性と燃料タンクの問題は解消されている。
[編集] 7代目(S15型 1999-2002年)
1999年1月発売。S15型と呼ばれる7代目は、車幅を再び5ナンバー枠に戻した。エンジンはさらに改良され、MT車でSR20DE型は165ps、SR20DET型は250psとなった(AT車では、それぞれ160ps、220ps)。また、ターボモデルであるスペックRにはトヨタ系列部品会社、アイシン精機が製造した6速MTが装備され、更にタービンにはS14から引き続きボールベアリングタービンが採用され(ただし、生産終了間際のモデルにおいてはボールベアリングではなくメタルタービンが採用されている)、レスポンスアップを図りつつ、下からストレスなく回る仕上がりになっている。スタイルも洗練された物となり、ブースト計または油圧計が右Aピラーに配置されたり、
エアロ仕様には運転席中央部にホップアップ式5.8インチ液晶モニターを採用するなどの装備で登場。スタイル、機能共に好評で、S14の不評を払拭し、人気を回復している。S14後期で生まれたシルビアブームのおかげもあり、走り屋層にはヒットではあったが、一部のユーザーからは「フロントライトやリアのコンビネーションランプがかっこ悪いが、性能がいいから仕方なく乗る」「ヘッドライトが瓢箪みたいだ」等の声があった。S13、S14同様ドリ車の代名詞としても有名になり、全日本プロドリフト選手権でも人気車種の一つに挙がる。
しかし、新搭載された6速ミッションがノーマル馬力にしか対応していない事が走り屋の間では問題となってしまった。全国各地で3速ギアが壊れるというトラブルが相次いだ。しかも、S14系列までのミッションと違い、ギアが壊れると3速から抜けなくなってしまい、自走不可能になってしまうという非常に深刻なトラブルであった。そのため、対策としてS14の5速ミッションをベースにクロスミッションを組み込むという、ある種デチューンとも言える改造がチューニングとして行われていた。その他にHKSやTRUSTのドグ6速ミッションへと積み替えるという手段もあったが、これは価格が相当高い物である。安価な値段でNISMOが強化6速ミッションを販売しているが、これも許容馬力は350psと言われている。
そして、新デザインのピラーメーターは視認性こそ良かったものの、ブースト1.0Kg/cm以降針が動かないため、インタークーラーやアクチュエーターのトラブルで予期しないブーストが掛かってしまっても気付かず、タービンやエンジンをブローさせるというトラブルも相次いだ。結局、安全のためには社外品のブーストメーターを取り付けるしかなく、無意味にブースト計が2つ装着されている車両も多い。
燃料系は、SRエンジン3代目にしてやっと強化されたため、ブーストアップレベルでは強化の必要はなくなった。
7代目シルビア登場と共に180SXが廃止され、レッドステージで販売された。
1999年10月 オーテックジャパンが手がけた「オーテックバージョン」が追加。spec-Sをベースとし、自然吸気エンジンで最高出力200ps、最大トルク21.8kgmにチューンされている。ボディ補強、ブレーキなどはspec-Rと共通である。
2000年5月 国産初のフルオープンタイプ電動メタルルーフのオープンカー(クーペカブリオレ)の「ヴァリエッタ」が発表。7月に発売開始。1999年第33回東京モーターショーに出品された、オーテックジャパンと高田工業の共同開発車である。搭載エンジンはSR20DE型のみ。特色として、フロントシートに、帝人、および田中貴金属工業と共同開発した、モルフォチョウの鱗粉の発色原理を応用する繊維「モルフォテックス」を織り込んだ、帝人、および川島織物と共同開発した布地「モルフォトーンクロス」を採用した。
2000年10月 オーテックジャパンにより内外装に手を加えた「style-A」を追加。
2000年に光岡自動車がS15シルビアをベースに2代目ラ・セードを発表している。
2002年8月 生産終了。2ドアクーペ受難の時代において、希少な小型FRスポーツとしてそれなりの人気を得たが、排気ガス規制や衝突安全基準の強化に対応せず、自動車ファンから惜しまれつつも生産終了となった。二度目の絶版となった。
S15型は全日本GT選手権(JGTC)のほか、2001年、2002年には全日本ラリー選手権2WD部門にも参戦し、GT、ラリー共に年間タイトルを獲得している。
- 2003年 JGTC GT300クラスに参戦。
- 2003年8月 第5戦 富士スピードウェイ GT300クラス2位、8位
[編集] シルビアのモータースポーツ活動
- シルエットフォーミュラ(Gr.5)
- JSS
- 世界ラリー選手権
- 全日本GT選手権
- 全日本ラリー選手権
- 全日本プロドリフト選手権