世界ラリー選手権
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世界ラリー選手権 (World Rally Championship, 通称:WRC) は、世界各国で行われるラリーの世界選手権。 1973年、それまで世界各地で別開催されていたラリーを組織化し、世界選手権としてスタートした。
現在、国際自動車連盟 (FIA) が主催する四輪モータースポーツで世界選手権がかけられているのはF1とこのWRC、そして世界ツーリングカー選手権 (WTCC) の3つである。
2006年のドライバーズタイトルは3年連続でセバスティアン・ローブ(フランス)が獲得した。ローブはキプロス・ラリー優勝後のオフにマウンテンバイクで転倒、腕を骨折して以後全戦を欠場したが、ラリー・オーストラリア終了時点で彼のポイントを超える可能性のある者はいなくなり、タイトルが決定した。マニュファクチャラーズタイトルは、ラリー・ニュージーランド終了時点で、1979年以来、27年振りにフォードが獲得した。
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[編集] 概要
市販車をベースに改造したレース用車両を用い、公道を閉鎖してつくられたスペシャルステージ(SS)と特設されたスーパーSS(SSS)を走り、合計タイムを競う。
レース車にはドライバー(運転者)とコ・ドライバー(ナビゲーター)の2名が乗車し、ドライバーはコ・ドライバーが読み上げるペースノート(道路のカーブ状況などを記載したノート)に従い運転操作を行う。ペースノートは定められた期間中に下見走行(レッキ)をし、ドライバーがコ・ドライバーと共に作成する。
開催地ごとに使用されるステージは千差万別であり、ターマック(舗装路)・グラベル(未舗装路)・スノー(積雪路)・アイス(凍結路)など、ヨーロッパを中心としたあらゆる路面状況で競技が行われる。そして、それぞれの環境や路面にあった仕様にマシンが改造される点も見所の1つである。例えばターマックでは地上高を低くし、ホイールも大径に、タイヤもスリックに近い状態になる。対してグラベルでは、地上高を高くし、ホイールは小径、タイヤも厚く、ゴツゴツとしたラジアルタイヤ(WRカーのみ、少しのパンクに対応出来るようムース仕様となっている)を装着するといった点が見受けられる。
各ラリーの順位に応じてポイント(現在では1位から8位まで順に10-8-6-5-4-3-2-1)が与えられ、シーズンを通じて最も多くのポイントを獲得した者がドライバーズチャンピオンとなる。
マニュファクチャラー(製造者)としてエントリーできるのは自動車メーカーごとに1チームとなっており、現在では各イベント毎に、マニュファクチャラーズ選手権対象として1チームから2台までのエントリーが認められている。マニュファクチャラーズタイトルは最も多くのポイントを獲得したメーカーに対して与えられる。
F1のコンストラクターズタイトルがシャシーの製造者に対して与えられるのに対し、WRCのマニュファクチャラーズタイトルはメーカー自身に対して与えられるため、タイトル獲得時の宣伝効果を期待して各メーカーとも力を入れている。
WRCはサーキットで行われるモータースポーツとは違い、SSとSSの間の区間(リエゾンという)では公道を一般車両と一緒に走る姿を見ることができる。リエゾンを走行することも競技の一部であり、主催者から示されるコマ図に従って走行するという、ラリー競技当初の姿は現在も残っている。現代でも優勝を争うような選手がコマ図を読み違え、道に迷いガス欠で棄権する、などということが起こる。また、公道を一般車両に混じって走行するため、現地の交通法規に従わなくてはならない。スピード違反や一時停止義務違反で検挙されることもある。RACラリー改めラリー・グレートブリテンでは「お約束」ですらある。
WRCはサーキットレースに比べ身近に感じられることが人気の理由と言える。公道で競技が行われ、中身は別物といえどワークスチームも市販車によく似たマシンを使う。さらに、比較的簡単に取れる競技ライセンスを取得し、規定に合致した車両を用意し、抽選に通れば実際に出場することもできる。
観戦者はコースを間近で見られるので非常にエキサイトし、熱心なファンは足繁く絶好の観戦ポイントに出向く。しかし、マシンがコースオフし客席に突っ込んでくる恐れもあるために観戦に危険も伴うが、それもまた観客を興奮させる要素である。また、広大なステージでは観客も時折プロに取って代わって「カメラマン」として活躍することもあり、たとえば2005年前半期の衝撃的な出来事である、キプロスにおいてフランソワ・デュバルのコースオフ、マシン炎上のシーンは観客が撮影したもので、このような観客が撮影したクラッシュシーンが国際的に放映されることもしばしある。日本のプライベーターは、古くはRACラリーと呼ばれたラリー・グレートブリテン、最近ではラリー・ニュージーランドやオーストラリアラリーなど、英語が通じ、日本と同じ左側通行の国でのラリーに参加することが多い。2004年に日本で初めて行われたラリージャパンには、全国から多数のプライベーターが参戦した。
[編集] クラス
現在WRCは3つのクラスで構成されている。
- ワールドラリーカー(WRカー)
- グループA・クラス8、頂点に位置するクラスで、ここでタイトル争いを行う。上記されている様に1770mmまで(2005年シーズンからは全長4200mm以上の車両については1800mmまで)車幅拡大、四輪駆動化、リヤサスペンション形式変更が認められている。エンジンには34Φリストリクターの装着が義務付けられているため、最大出力は220kW(≒300BHP)ほどだが、最大トルクでは590N・m(≒60kgf・m)以上と、グループB時代を超えてしまっている。
- ジュニアWRC (JWRC)
- グループA・クラス6、1600ccNA FF車をベースに車幅拡大などが施されている。
- グループN
- 市販車に安全装備を付けた程度のマシンで戦うクラス。ベース車本来の能力が試される。PCWRC(プロダクションカー世界ラリー選手権)もこのクラスの車両を使って行われる。
現在、最高クラスであるグループA・クラス8に、WRカーでない車両で参戦しているワークスチームはない。しかしホモロゲーション期間が残っている限りにおいては、ワークス放出車などの旧グループA車両でも、当然、出場が可能である。
[編集] 2006年シーズン
2006年シーズンを通してタイトル争いするマニュファクチャラー(自動車メーカー)は、2つのグループに分かれる。
まず、マニュファクチャラー1(M1)はフランスのシトロエン(2005年シーズン限りで撤退を表明、今シーズンはクロノス・レーシングからプライベートチームとして参戦、シトロエン本体のワークス活動はしない。ただ、2007年復帰の為に車の開発は怠らない)、アメリカのフォード、そして日本のスバルの合計3チーム。
そして、マニュファクチャラー2(M2)は、フランスのプジョー(ワークスとしては2005年シーズンを最後に撤退、今シーズンからはOMV・プジョーとして参戦、運営はプジョー・サテライトチームのボジアン・レーシング)、チェコのシュコーダ(レッドブル・シュコーダ)、フォードのサテライトチームであるストバート・VK・Mスポーツ・フォードの3チームがエントリーしている。
これ以外にシトロエン・スバル・シュコーダの3台目(シュコーダとシトロエンは4台目もあり)、元ワークス所有のプジョー307を使うアストラ・レーシングとピレリ、そして三菱(ワークス活動はしないがプライベーターを支援)などが参戦する予定。(三菱は経営再建のため2006~2007年は活動を休止し、2008年以降に復帰する予定)
因みにタイヤはミシュラン系のBFグッドリッチとピレリのものが使用されており、F1のミシュラン、ブリヂストンと同じく両者の間で熾烈な「タイヤ戦争」が起きている。前年度まではピレリ勢がスバル・三菱・プジョーであったが、今シーズンはスバルのみがピレリを使用し、BFグッドリッチ勢はシトロエン・シュコーダ・フォード(ストバート含む)とOMV・プジョー。(しかし、ピレリは来シーズンからの撤退が発表されている)
[編集] 2006年の主な参戦ドライバー
- クロノス・レーシング(シトロエン)
- セバスティアン・ローブ、チェビー・ポンズ、ダニエル・ソルド
- BP-フォード
- スバル
- ペター・ソルベルグ、ステファン・サラザン、クリス・アトキンソン
- OMV・プジョー
- マンフレッド・ストール、へニング・ソルベルク
- シュコーダ
- アンドレアス・アイグナー、ジル・パニッツィ、マティアス・エクストローム
- ストバート・VK・Mスポーツ・フォード
- マシュー・ウィルソン、ルイス-ペレス・コンパンク、コスティ・カタヤマキ、ヤリ-マティ・ラトバラ、ピーテル・チョーエン
- その他、参戦ドライバー(PCWRC)
(各コ・ドライバー及び、JWRC・その他PCWRCの参戦ドライバーは省略)
[編集] ラリー車両の変遷
[編集] WRC草創期からグループB時代(1973年 - 1986年)
1973年のWRC創設から1980年代初頭までは、グループ2やグループ4といった規定で競技が行われていた。 各メーカーは、市販車を強化した特別仕様車を販売し、その車両をベースに競技用車両を開発していた。グループ4の当時の生産義務が「連続する24ヶ月間に500台」と少ないことを利用し、ラリーのためだけに開発したスーパーカー、ランチア・ストラトスHFは例外的存在である。
当時のラリー車はほとんどが二輪駆動であったが、1981年、フルタイム4WDとターボエンジンを採用したアウディ・クワトロが登場してラリーを席巻し、その後のラリーカーの方向性を決定づけた。
それまでのグループ規定を廃止し、1983年シーズンから新規定に移行することが発表される。1982年は新旧両規定に基づいた車両が使える移行期間であった。
グループ1~6と複雑になっていた規定がグループN、A、B、Cに簡素化され、このうちラリーの世界選手権はグループBにかけられることとなった。グループBは、連続した12ヶ月間に20台の競技用車両を含む200台を生産すればよいというもので、名目上はより幅広いメーカーの参戦をうながすものだったが、実際はより高性能なラリー専用車の製作が可能となった。
グループBマシンのほとんどは外見こそベースとされた量販車の面影を残すものの、外側はFRPなどで製作され中身はパイプフレームに高出力のターボエンジンをミッドシップに搭載してフルタイム4WDで駆動するといった全くの別物であり、(NASCARと同様、外側は市販車に似せている)メーカー各社は先鋭化したモンスターマシンを競って生み出していく。
グループBによりラリー車のスピードは劇的に向上したが、安全面がその進化に追いつかず、多くの事故と犠牲者を生み出すこととなった。
1985年ツール・ド・コルスでのランチアのアッティリオ・ベッテガの事故死、同年アルゼンチンラリーでのプジョーのアリ・バタネンの大事故、1986年ポルトガルラリーでフォードからワークスエントリーしていたヨアキム・サントスが多数の観客を死傷させるなど、ワークスドライバーが絡む事故が多発。そして決定打となったのは1986年のツール・ド・コルスで発生したランチアのヘンリ・トイボネン / セルジオ・クレスト組の事故死だった。FIAは事故の翌日には以後のグループB車両のホモロゲーション申請の却下を声明し、その後1986年シーズンをもってグループBを廃止することを決定、翌年から世界選手権は下位クラスであったグループA規定で行われることを発表した。また、その結果としてグループS構想も空中分解した。
ただし、グループB車両の全てが出場できなくなったわけではなく、小排気量の下位クラス車両はポイント対象外ながらホモロゲーションの切れる90年代初頭まで、プライベートチームが走らせる姿を見ることができた。
[編集] グループA時代(1987年 - 1996年)
1987年に世界選手権はグループA規定に移行し、ベース車両は継続した12ヶ月間に5000台(後に2500台に変更)以上の生産を義務づけられたほか、さまざまな改造規制が加えられ、ラリー車は市販車に近いものとなった。 ラリーで勝利するためにはフルタイム4WDと2000ccのターボエンジンはもはや必須の装備であったが、そのような高性能なスポーツ車両を生産し販売できるメーカーは少なく、参戦メーカー数は非常に少なくなった。 ランチアはいち早く小型車デルタをベースにラリー車を製作してグループAに対応し、グループA時代を牽引していくことになる。
しかしそのランチアに対し真っ向から勝負を挑んだのが日本車勢である。日本の自動車市場は4WDスポーツ車が順調に売れる世界的に見て珍しい市場であり、日本車メーカーはこぞって高性能な4WDスポーツ車を販売し、WRCに参戦していった。 特にトヨタはランチアの厚い壁に挑み続け、1990年にはドライバーズタイトルを奪取。1992年シーズン終了とともにランチアがワークス活動を休止し、競争力が次第に低下したこともあり、1993年には念願のマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。
1990年代中盤には、それまでWRCの中心を担ってきたヨーロッパの自動車メーカーに代わり、トヨタ、スバル、三菱といった日本車メーカーがWRCを席巻したが、一方ではグループAの2500台という最低生産台数がネックとなり、参戦メーカー数は減少の一途を辿っていた。
そこで、より参戦の門戸を広げるため、新たにワールドラリーカー(WRカー)の規定が導入されることとなる。
[編集] WRカー時代(1997年 - 現在)
グループAの特例として1997年シーズンから導入されたWRカーは、継続した12ヶ月間に25,000台以上生産された車種の「ファミリー」をベースに、ワイドボディ化、四輪駆動への改造、サスペンション形状の変更、同一メーカー車に搭載されているエンジンへの換装やターボの付加など、大幅な改造を認められたものである。
このWRカー規定により、グループAの生産台数規定に参戦を妨げられていたヨーロッパの自動車メーカーが相次いでWRCに参戦し、メーカー数が増加してラリーは活況を呈することとなる。
1999年にはフォード・フォーカスWRC、プジョー206WRCといったヨーロッパ車メーカーによる第二世代のWRカーが登場し、2000年からはプジョーがマニュファクチャラーズタイトルを3連覇、2003年には本格参戦1年目にしてシトロエンがマニュファクチャラーズタイトルを奪取するなど、最近ではWRCの中心は日本車メーカーからフランスの自動車メーカーへと移っている。
日本車メーカーにおいても、いち早くWRカーに移行したスバルとは対照的に、三菱は当初グループA規定にこだわりを見せていたが、改造範囲がより幅広いWRカーが競争力を獲得すると、次第にグループAの枠内では抗しきれなくなり、2001年シーズン途中にWRカーへの移行を余儀なくされた。
[編集] 歴代タイトルの一覧
開催年 | ドライバー(出身国 / チーム) | マニュファクチャラー |
---|---|---|
1973年 |
|
ルノー |
1974年 |
|
ランチア |
1975年 |
|
ランチア |
1976年 |
|
ランチア |
1977年 |
|
フィアット |
1978年 |
|
フィアット |
1979年 | ビヨン・ワルデガルド(スウェーデン / フォード) | フォード |
1980年 | ワルター・ロール(ドイツ / フィアット) | フィアット |
1981年 | アリ・バタネン(フィンランド / フォード) | タルボ |
1982年 | ワルター・ロール(ドイツ / オペル) | アウディ |
1983年 | ハンヌ・ミッコラ(フィンランド / アウディ) | ランチア |
1984年 | スティグ・ブロンクヴィスト(スウェーデン / アウディ) | アウディ |
1985年 | ティモ・サロネン(フィンランド / プジョー) | プジョー |
1986年 | ユハ・カンクネン(フィンランド / プジョー) | プジョー |
1987年 | ユハ・カンクネン(フィンランド / ランチア) | ランチア |
1988年 | ミキ・ビアシオン(イタリア / ランチア) | ランチア |
1989年 | ミキ・ビアシオン(イタリア / ランチア) | ランチア |
1990年 | カルロス・サインツ(スペイン / トヨタ) | ランチア |
1991年 | ユハ・カンクネン(フィンランド / ランチア) | ランチア |
1992年 | カルロス・サインツ(スペイン / トヨタ) | ランチア |
1993年 | ユハ・カンクネン(フィンランド / トヨタ) | トヨタ |
1994年 | ディディエ・オリオール(フランス / トヨタ) | トヨタ |
1995年 | コリン・マクレー(イギリス / スバル) | スバル |
1996年 | トミ・マキネン(フィンランド / 三菱) | スバル |
1997年 | トミ・マキネン(フィンランド / 三菱) | スバル |
1998年 | トミ・マキネン(フィンランド / 三菱) | 三菱 |
1999年 | トミ・マキネン(フィンランド / 三菱) | トヨタ |
2000年 | マーカス・グロンホルム(フィンランド / プジョー) | プジョー |
2001年 | リチャード・バーンズ(イギリス / スバル) | プジョー |
2002年 | マーカス・グロンホルム(フィンランド / プジョー) | プジョー |
2003年 | ペター・ソルベルグ(ノルウェー / スバル) | シトロエン |
2004年 | セバスティアン・ローブ(フランス / シトロエン) | シトロエン |
2005年 | セバスティアン・ローブ(フランス / シトロエン) | シトロエン |
2006年 | セバスティアン・ローブ(フランス / シトロエン) | フォード |
[編集] 通算勝利数ランキング
※2006年第16戦終了現在
[編集] ドライバー
- 28 – セバスティアン・ローブ
- 26 – カルロス・サインツ
- 25 – コリン・マクレー / マーカス・グロンホルム
- 24 – トミ・マキネン
- 23 – ユハ・カンクネン
- 20 – ディディエ・オリオール
- 19 – マルク・アレン
- 18 – ハンヌ・ミッコラ
- 17 – ミキ・ビアシオン
- 16 – ビヨン・ワルデガルド
- 14 – ワルター・ロール
- 13 – ペター・ソルベルグ
- 11 – ティモ・サロネン / スティグ・ブロンクヴィスト
- 10 – リチャード・バーンズ
- 7 – ベルナール・ダルニッシュ / ジル・パニッツィ / サンドロ・ムナーリ
- 6 – ケネス・エリクソン
- (太字は2006年参戦ドライバー)
[編集] コ・ドライバー
- 28 – ダニエル・エレナ withローブ
- 25 – ティモ・ラウティアイネン withグロンホルム
- 24 – ルイス・モヤ withサインツ
- 16 – ベルナール・オチェッリ withオリオール
- 14 – ユハ・ピロネン withカンクネン
- 13 – フィル・ミルズ withペター/ リスト・マニセンマキ withマキネン
- 10 – セッポ・ハルヤンヌ withマキネン/ ロバート・レイド withバーンズ
- 7 – エルベ・パニッツィ withジル
- 5 – ステファン・パーマンダー withエリクソン
- (太字は2006年参戦コ・ドライバー)
[編集] マニュファクチャラー
- (太字は2006年参戦マニュファクチャラー)
[編集] イベント
1990年代中頃まで、年間の開催イベント数は8~10戦程度であったが、イベント数の増加を望むFIAの意向により、各ラリーの開催日数・走行距離の短縮やサービス(車両整備)回数の制限等、イベントの簡素化が進められ、それに対応するように開催イベント数が増やされてきた。
2004年シーズンからは開催国に新たに日本とメキシコが加えられ、全16戦となっている。
映画の題材となるなど、日本でよく知られているサファリラリー(ケニア)は、イベント自体の特殊性や開催地の遠さが敬遠され、2002年の開催を最後にWRCからは外されている。
なお、2007年シーズンは8~9戦の開催とし、翌2008年シーズンを2007年8月から2008年5月の期間で開催するウインターリーグ制の導入を検討していたが、2006年7月にこの案を白紙撤回、2007年はこれまでどおり全16戦で行われることになった。
[編集] 2005年シーズンのWRCイベントと勝者
開催日 | イベント名 | 勝者 | チーム | |
---|---|---|---|---|
1 | 1月21日 - 1月23日 | ラリー・モンテカルロ | セバスティアン・ローブ | シトロエン |
2 | 2月11日 - 2月13日 | スウェディッシュラリー | ペター・ソルベルグ | スバル |
3 | 3月11日 - 3月13日 | ラリー・メキシコ | ペター・ソルベルグ | スバル |
4 | 4月8日 - 4月10日 | ラリー・ニュージーランド | セバスティアン・ローブ | シトロエン |
5 | 4月29日 - 5月1日 | ラリー・イタリア・サルディニア | セバスティアン・ローブ | シトロエン |
6 | 5月13日 - 5月15日 | キプロスラリー | セバスティアン・ローブ | シトロエン |
7 | 6月3日 - 6月5日 | ラリー・オブ・ターキー | セバスティアン・ローブ | シトロエン |
8 | 6月24日 - 6月26日 | アクロポリスラリー | セバスティアン・ローブ | シトロエン |
9 | 7月15日 - 7月17日 | ラリー・アルゼンチン | セバスティアン・ローブ | シトロエン |
10 | 8月5日 - 8月7日 | ラリー・フィンランド | マーカス・グロンホルム | プジョー |
11 | 8月26日 - 8月28日 | ラリー・ドイチェランド | セバスティアン・ローブ | シトロエン |
12 | 9月16日 - 9月18日 | ラリー・グレートブリテン | ペター・ソルベルグ | スバル |
13 | 9月30日 - 10月2日 | ラリージャパン | マーカス・グロンホルム | プジョー |
14 | 10月21日 - 10月23日 | ツール・ド・コルス | セバスティアン・ローブ | シトロエン |
15 | 10月28日 - 10月30日 | カタルニアラリー | セバスティアン・ローブ | シトロエン |
16 | 11月11日 - 11月13日 | ラリー・オーストラリア | フランソワ・デュバル | シトロエン |
[編集] 2006年シーズンのWRCイベントと勝者
開催日 | イベント名 | 勝者 | チーム | |
---|---|---|---|---|
1 | 1月20日 - 1月22日 | ラリー・モンテカルロ | マーカス・グロンホルム | フォード |
2 | 2月3日 - 2月5日 | スウェディッシュラリー | マーカス・グロンホルム | フォード |
3 | 3月3日 - 3月5日 | ラリー・メキシコ | セバスティアン・ローブ | シトロエン |
4 | 3月24日 - 3月26日 | カタルニアラリー | セバスティアン・ローブ | シトロエン |
5 | 4月7日 - 4月9日 | ツール・ド・コルス | セバスティアン・ローブ | シトロエン |
6 | 4月28日 - 4月30日 | ラリー・アルゼンチン | セバスティアン・ローブ | シトロエン |
7 | 5月18日 - 5月21日 | ラリー・イタリア・サルディニア | セバスティアン・ローブ | シトロエン |
8 | 6月2日 - 6月4日 | アクロポリスラリー | マーカス・グロンホルム | フォード |
9 | 8月11日 - 8月13日 | ラリー・ドイチェランド | セバスティアン・ローブ | シトロエン |
10 | 8月18日 - 8月20日 | ラリー・フィンランド | マーカス・グロンホルム | フォード |
11 | 9月1日 - 9月3日 | ラリージャパン | セバスティアン・ローブ | シトロエン |
12 | 9月22日 - 9月24日 | キプロスラリー | セバスティアン・ローブ | シトロエン |
13 | 10月13日 - 10月15日 | ラリー・オブ・ターキー | マーカス・グロンホルム | フォード |
14 | 10月27日 - 10月29日 | オーストラリアラリー | ミッコ・ヒルボネン | フォード |
15 | 11月17日 - 11月19日 | ラリー・ニュージーランド | マーカス・グロンホルム | フォード |
16 | 12月1日 - 12月3日 | ラリー・グレートブリテン | マーカス・グロンホルム | フォード |
[編集] 2007年シーズンのWRCイベントと勝者
開催日 | イベント名 | 勝者 | チーム | |
---|---|---|---|---|
1 | 1月19日 - 1月21日 | ラリー・モンテカルロ | ||
2 | 2月9日 - 2月11日 | スウェディッシュラリー | ||
3 | 2月16日 - 2月18日 | ラリー・ノルウェー | ||
4 | 3月9日 - 3月11日 | ラリー・メキシコ | ||
5 | 3月30日 - 4月1日 | ラリー・デ・ポルトガル | ||
6 | 5月4日 - 5月6日 | ラリー・アルゼンチン | ||
7 | 5月18日 - 5月20日 | ラリー・イタリア・サルディニア | ||
8 | 6月1日 - 6月3日 | アクロポリスラリー | ||
9 | 8月18日 - 8月20日 | ラリー・フィンランド | ||
10 | 8月17日 - 8月19日 | ラリー・ドイチェランド | ||
11 | 8月31日 - 9月2日 | ラリー・ニュージーランド | ||
12 | 10月5日 - 10月7日 | ツール・ド・コルス | ||
13 | 10月12日 - 10月14日 | カタルニアラリー | ||
14 | 10月26日 - 10月28日 | ラリージャパン | ||
15 | 11月16日 - 11月18日 | ラリー・アイルランド | ||
16 | 11月30日 - 12月1日 | ラリー・グレートブリテン |
[編集] テレビ中継
現在、CS放送J SPORTS ESPNが全クラス完全放送を行っている。地上波ではテレビ東京系列でダイジェスト放送が行われている他、BSデジタル放送BS日テレとインターネット放送GyaOでも放送中。
テレビ東京系列では、2005年までは2、3戦単位でダイジェスト放送を行っていたが、スポンサーである三菱自動車がWRCから撤退したため、2006年以降の放送は打ち切られた。しかしファンからの熱望が強く、スポンサーにSUBARUを取り付け結果として2006年5月からダイジェスト番組の放送を再開することとなった。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
世界ラリー選手権 |
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1973 | 1974 | 1975 | 1976 | 1977 | 1978 | 1979 | 1980 | 1981 | 1982 | 1983 | 1984 | 1985 | 1986 | 1987 | 1988 | 1989 | 1990 | 1991 | 1992 | 1993 | 1994 | 1995 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 編集 |