平成教育委員会
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平成教育委員会(へいせいきょういくいいんかい)は、1991年10月19日から1997年9月27日までレギュラー番組として、2000年1月3日からは年数回の特別番組としてフジテレビ系列で放送されているクイズ番組、教育バラエティ番組である。一部では「平教委(へいきょうい)」とも呼ばれている。
スタートから1994年9月までは、『たけし・逸見の平成教育委員会』がタイトルであったが、1994年10月より、『平成教育委員会』と改題された。
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番組概要
全220回放送され、平均視聴率は16.2%を誇る。予備校の日能研が問題作成の協力も行っていた。2000年からは期末期首や正月の特別番組として復活を遂げている。レギュラー放送では、当初は冒頭30分程度に限りツムラの1社提供だった(製薬会社は業界の取り決めにより30分番組でしか一社提供が許されないため)が、土曜19時後半のスポンサー(ツムラも含まれる)を統合され、ツムラを含め複数社の提供だった。
土曜19時台前半には、裏番組に「まんが日本昔ばなし」が、後半には「クイズダービー」、「おぼっちゃまくん」があり、土曜19時台のフジテレビの番組は「ハイスクール!奇面組」などを除けば長続きしなかった(特に1980年代前半の土曜19時台後半はどの番組も半年以内で打ち切られる暗黒時代だった)が、この番組でようやく冬の時代を脱し、ついにはクイズダービー(1992年12月)、おぼっちゃまくん(同年9月)を終了に追い込んだ。さらに約2年後の1994年9月には「まんが日本昔ばなし」もローカル枠への格下げに追い込んでいる。
2005年1月16日から、兄弟番組の『平成教育予備校(現:熱血!平成教育学院)』が放送され、平成教育委員会シリーズとしては約7年ぶりにレギュラー番組として復活。
又、2006年12月にはニンテンドーDS用ソフト「平成教育委員会DS」が発売予定。
内容
『たけし・逸見』時代
- 初期の『たけし・逸見』時代には、「学級委員長」役の故・逸見政孝も問題に解答者として参加していた。つまり、各教科の例題などでは「北野先生」役の北野武と共に進行を務め、問題に移ると他の生徒と共に解答に専念するという、他のクイズ番組では類を見ない役割を担っていた。出題内容は、実際に使用された中学校入試問題から一般企業入社試験、番組オリジナルの問題まで多岐にわたる。
- 逸見が次の問題の解答をうっかり言ってしまったことがある。
- 各時間の授業で優秀生徒になると「たけしおとし」という、天神様(菅原道真)を模した北野の人形(恐らく天神様→北野天満宮→北野→北野武の連想)を、ダルマおとしのように横に輪切りしたパーツを下部より獲得。このパーツを下より重ね、10枚全て集めて人形を完成させると、海外留学を獲得することができた。しかし、完成間近の生徒が現れると少しずつパーツを増やす(ホクロを書き加えるなど)ということが起こった(北野特有のギャグの一種)。なお、最初に「たけしおとし」を獲得した生徒は藤原弘達である。
- その日の授業で成績がトップの生徒には、「最優秀生徒」としてブレザーが授与された。
- 当時のフジテレビの看板番組となり、遂には1992年と1993年のFNSの日を平成教育委員会メインで『平成教育テレビ』として放送された。またその後1996年まで、平成教育委員会の雰囲気を残し放送されていた。
- 当時のフジテレビの番組対抗特番だったFNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャルのBブロックの全問題の出題を1992年春~1994年春まで担当した。また、1996年春・秋に放送されたFNS超テレビの祭典も、この番組をメインとして放送された。
- 第1回の放送のあと、バレーボール・ワールドカップ中継のため第2回の放送が12月にずれ込み、視聴者から「『平成教育委員会』は1回限りの番組ですか?」という問い合わせが来た事がある。また、たけしは、周辺の人から「あれは面白かったのにな~」と言っていた。
- 国語な逸見が国語の問題で不正解であると、生徒である高田文夫・渡嘉敷勝男・太平サブロー等に突っ込まれると言う「図式」で、笑いを誘い番組を盛り上げていた。(逸見は国語と社会が得意で、算数が相当苦手であったらしい)
- アグネス・チャンや浜田マキ子が生徒として出演すると、北野が「今回も又何かモメそうな問題が出る」と言い、それも定番の笑いの1つとなっていた。
逸見政孝降板
- 逸見政孝は1993年10月に癌治療のために降板し、当時同局アナウンサーだった中井美穂が学級委員長代理として登場。逸見の没後に、正式に学級委員長に就くこととなる。また、逸見の没後の放送日に彼の追悼番組を行った。ただ、しばらくの間は番組名が『たけし・逸見の平成教育委員会』のままであった(ただし、CM入りの際のタイトルテロップからは「たけし・逸見の」という文字は外されていた)。
- 1994年8月に北野が交通事故で入院し一時降板したことにより、10月より遂に番組名が『平成教育委員会』となる。この時(1994年10月~1995年2月)は『平成教育委員会・毎回がスペシャル』と題し、杉本高文、所ジョージ、大橋巨泉などが週替わりで先生をし、教育実習生として福井謙二などがサポートするというスタイルになった。また授業も国語や数学といったものではなく、ゼミやコースなど大学のような授業タイトルとなった。この間には平成教育委員会としては、番組史上1回だけの生放送も行われた(全国○×王、司会は所ジョージ)。その後、1995年3月4日放送分から北野が復帰した(この回の視聴率は35.6%(ビデオリサーチ 関東地区調べ)で、ビデオリサーチ「クイズ・ゲーム」部門の史上高視聴率番組・第6位に記録し、1990年代のクイズ番組では最高視聴率である)。
- 1995年春のスペシャルからは、現在の特番でも恒例の「給食」の時間が始まった。
- 1995年秋頃から97年1月までは独創力テスト、ひらめきパズルなど授業よりもクイズがメインになっていた。またこの時期に一時、ハンデ制も導入され(この時期は得点制だったため)、過去の成績などを元にハンデを設定していた。そのため渡嘉敷は常に500点からのスタートだったが、優勝は出来ず。
- 1996年10月に3チームの対抗戦になり、1997年1月に、新たに助手(小島奈津子、現在は高島彩)が登場。これに伴い、中井は司会兼業から解答者専任となり、授業も国語や数学といったものに戻され、初期に近い形となる。しかし、因果は巡るかの如く、裏番組の筋肉番付(TBS)の追い上げに屈し、1997年9月にレギュラー放送は終了を迎え、一旦幕を降ろすこととなる。
- 1997年9月27日の最終回では、ラサール石井や清水圭などの優秀な生徒32人が総出演。これまで出題した難問を総復習し、優等生と成績最不良の生徒を決定した。最後に生徒の田代まさしとラサール石井が謝辞を読み上げた。北野もこの番組に対して想いが深かったこともあって感極まり号泣した。そして最後には第1回放送の放課後が流れ、北野と逸見が語り合い、そしてお互いに肩を組み合いながら教室を去っていく感動的なシーンで番組を締めくくった。
- 最終回の直後の記者会見で北野は、初代学級委員長であり友人でもあった逸見政孝の名を出し「最後まで一緒にやりたかった・・・それが心残りです」という言葉で締めくくっている。
復活・改編期特番
- 2000年1月3日、主に毎年1月2日に放送された「オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦」を年末特番に切り替え、代わって視聴者の復活の要望が大きかった「平成教育委員会」が特番として復活。2000年を記念して再び開講されたのである。これが20%近い数字をたたき出し、毎年1月3日前後には特番が放送されることとなる。この時、シンキング中の音楽、CMアイキャッチ音、エンディング曲などは「初期」のものを再現されたが、唯一オープニングのみ別のものとなっている。また、2003年からは8月最終日曜日にも、2004年からは5月のゴールデンウィークと11月3日にも放送されるようになった。「平成教育2005予備校」と連動する形で、季節ごとの特番として放送する予定。
- 現在の特番では、各授業の優秀生徒になると豪華商品を獲得できる。そして、最優秀生徒には旅行がもらえるようになった。また、正解しないと高級料理が食べられない「給食の時間」も恒例となっている。
- 夏休みスペシャルは、北野と高島が課外授業を行うコーナーが毎年恒例となっている。北野扮するおじさんの家に高島が遊びに行くというコント仕立てだが、必ず北野が高島に風呂入ろうと誘うものの逃げられてしまうというオチがある。
- 2004年新春スペシャルの冒頭で年2回の後、特番を年4回に増やし、その後にレギュラーを復活する宣言があり、のちに宣言通りのこととなった。
兄弟番組「平成教育2005予備校」の誕生
- 2005年1月3日のスペシャルの放送の際、北野先生が「余りに生徒(解答者)の成績の出来が悪いので、いっそのこと予備校を設立して、そこで優秀な生徒に委員会に出席してもらいたい」ということから、2005年1月16日から「平成教育2005予備校」(現・「熱血!平成教育学院」)をスタートさせ、専任講師(司会)としてユースケ先生を招くこととなった。
授業(特番)
- 必ず、1時間目は国語になっている。問題は漢字や慣用句に関するものが多い。
- 基本的には入試問題から出題するものの、番組オリジナル問題も多い。
- 理科の授業は、「理科」といってもほとんど物理学の分野から問題が出題され、化学や生物学の分野が問題になる事は滅多にない。科学的論拠がなくても結果的に正解であればよいので、偶然当たるということも多い。中学程度の物理知識がないと解けない問題もある。地学の問題は化学・生物学に比べ多い。
- 2005年からは通常の書き問題の他にも、国語で早押し形式の問題、社会で3つのヒントから連想される人物や場所を当てる問題といった特殊な問題が出題される事が多くなった(なお、予備校の方でも同様の問題が出題される)
- 改編期特番は、国語→理科→給食→社会の順に行われることが多い。
- お正月スペシャルの社会の時間は去年を振り返る「○○年重大ニュース」がお決まり。
- お正月スペシャルは実力テストという筆記試験があるが、生徒の実力を示すテストであり、本授業の成績には影響しないが、この後に述べる「給食・団体戦」でのスタッフによるチーム編成の資料となる。この結果を基に各チームの力が公平になるように編成する。なお、このテストはスタッフも受験しており、最後のエンドロールで点数も表示される。
- 給食は個人戦と4人1チームで計4チームの団体戦の2種類。どちらも早抜け制となっている。個人戦は正解した生徒が過半数の8人正解で終了。団体戦は3チームが正解した時点で終了。正解できないと“おあずけ”になる。知識を問う問題は少なく、パズル的な問題が多い。
- 2005年正月スペシャルの給食では、「新春カルタ取り」と「リレーおみくじ」の団体戦となっていた。「新春カルタ取り」では、ことわざと歴史上人物の写真の2回戦で勝負する。お手つき・誤答はその問題の解答権を失う。合計枚数の最も少ないチームが“おあずけ”となった。「リレーおみくじ」では、1~50の問題から一枚だけ選んでそれに答えるルール。正解すれば次の人に襷を渡すことができる。なお、3枚だけ「大吉」があり、無条件で次の人に襷を渡すことができる。4人全員が正解すれば勝ち抜けで給食獲得。最後に残った1チームは“おあずけ”となった。
- 各授業で成績トップになった生徒は優等生となる。トップが複数の場合は基本的にジャンケンで決定されるが、北野の独断によって決定されることもある。2004年正月SPでは、目黒祐樹と水野真紀が同点となったが、レディファーストという北野の独断で水野に決定されたことがある。
- 5時間目に算数が行われることがあるが、1問しか出題されないため、北野の独断で優等生を決定することが多い。その際、論拠がより正確であるかは余り考慮していない(もちろん、その問題に正解している事は絶対である)。
- 優等生の商品は、授業にちなんだものになる。また、温泉などの旅行が、どれか一つの授業に入っている。
- 総合成績でトップになった生徒は最優秀生徒になる。トップが複数の場合はプレーオフのジャンケンで決定される。
- 2006年新学年SPでは、勝谷誠彦と村主章枝が同点優勝となった。ジャンケンの末、勝谷氏が勝利したが、またも北野のレディファーストにより再戦の運びとなる。しかし勝谷氏が再度勝利し、見事優勝を物にした。
夏の課外授業
- 夏休みスペシャルでは総合学習の授業が設けられ、北野と高島が課外授業に行った場所にちなんだ問題が出題される。1日目と2日目に分かれて出題し成績の合計数で優等生を決める。
- 総合授業であるが、問題の内容は社会と理科がベースとなっている。
- 課外授業はコント仕立てになっており、北野が扮するおじさんの家に高島が遊びに行くという設定。
- 最近の番組では珍しく北野が下ネタやエッチなネタを連発している。しかし、北野本人は「やってて情けないよ…。俺、もう60歳だよ!!」などと言っていることから、スタッフの意向が反映されているようである。
- お約束として、北野がドラム缶風呂に入り、高島に一緒に混浴しようと誘うも、必ず高島が「ママがお風呂に誘われたら帰りなさいと言われているから」と言って逃げてしまうシーンが定番となっている。
- オープニングは、高島が自転車で走るシーンがあり、その後、北野がコマネチしているところをズームアップする構成になっている。使用されているBGMは、北野映画「菊次郎の夏」の「SUMMER」である。
- スタジオでは、VTR前後に北野がロケに関しての裏話や愚痴を言うのも恒例。
- 課外授業のロケ地はほとんど関東近辺が多く、特に静岡県で行われることが多い。
- 2006年の夏休みSPでは群馬県でロケが行われる予定だったが、静岡県の大井川に変更した。北野は「当日、ドタキャンを食らわしまして、スタッフはずっと群馬県でずっと待ってたんですけど、俺は家でお湯飲んで寝てました。それで、ロケが無くなるかなと思ったら、今度は片道4時間かかる山の中で頑張りながら…。」と番組内で発言している。
歴代最優秀生徒(特番)
- 2000年正月SP:内田有紀
- 2001年正月SP:ラサール石井
- 2003年正月SP:片山晋呉
- 2004年正月SP:水野真紀
- 2004年1年生SP:ミムラ
- 2004年夏休みSP:水道橋博士(白眞勲とのプレーオフで勝利)
- 2004年学問の秋SP:江川達也
- 2005年正月SP:永田寿康
- 2005年1年生SP:笹岡隆甫
- 2005年夏休みSP:八代英輝
- 2005年学ぶ角には福来るSP:清水圭
- 2006年正月SP:黒田知永子
- 2006年祝!新学年 学問の道一直線SP:勝谷誠彦(村主章枝とのプレーオフで勝利)
- 2006年夏休みSP:宇治原史規
- 2006年学問の道SP:京本政樹(麻木久仁子、東ちづるとのプレーオフで勝利)
主な出演者
司会
(逸見が永久学級委員長で、中井は「学級委員」という肩書きであった。)
- 臨時学級委員長:須田哲夫
- 教育実習生:川端健嗣(1994年10月-1996年10月)
- 教育実習生:福井謙二(1994年10月-1996年10月)
- 初代助手:小島奈津子(1997年1月-2003年1月)
- 2代目助手:高島彩(2003年8月-)
- 北野不在時の代理講師
生徒
※生徒は、学級委員を含め、男女を問わず全て「○○君」と呼ばれる。
予備校代表生徒
※SPではその時期に丁度放送されているフジテレビの連続ドラマの出演者が1-2人、番組の宣伝目的で登場している。
※磯野貴理子に対し番組中でカンニング疑惑が浮上した為に全席にカンニング防止のフィルターが貼られることに。その後も未だにカンニング疑惑が持たれてしまう。
たけし軍団
※たけし軍団の出演枠は事実上、2人分確保されている。
国会議員
※国会議員の出演枠が1人か2人確保されている。
卒業生
- 天本英世
- 石黒賢
- うじきつよし
- 岡本夏生
- 奥山佳恵
- 河合美智子
- 北野大
- 寿美花代
- 高田文夫
- 高田万由子
- 田代まさし
- 辰巳琢郎
- 田中康夫
- どんと
- ピーター・フランクル
- 藤田敏八
- 藤原弘達
- 舛添要一
- 三谷幸喜
- 柳生博
- 太平サブロー
- 太平シロー
- ラサール石井
- 福井敏雄
- 内田有紀
- 若林正人
ラサール・辰巳・田中は正解率が高く、とくに辰巳はパーフェクトを達成することもあった。逆に渡嘉敷と岡本夏生は珍解答を続出していた。 レギュラー時代中期では寿美・ラサール・田代の3人が班長を務めるグループ戦にもなった。
ナレーション
勉強小僧のセリフ
番組のマスコットは、勉強小僧(べんきょうこぞう)であり、様々な語彙をもって、番組の進行をフォローする。セリフにはいろいろなパターンがあるため、独立項目として列挙する。
なお、この勉強小僧、発音がはっきりしており、たとえば「必要」の「う」は、通常では「0(オ)」に近い音になるが、「U(ウ)」と発音する。
- 「問題。」(問題提示時に)
- 「考え中」 (シンキングタイムのジングルとともに)
- 「終わり。」(シンキングタイムの終了と同時に)
- 「CM、だよ。」(シンキングタイム終了時にCMに入る場合。最近はあまり使われない。)
- 「正解は、CMの後で。」(上と同じ。最近はあまり使われず、問題のヒントを言ってCMに入ることが多い。)
- 「○○君の答え。」(個別の生徒の解答を画面に出す場合)
- 「ちがうよ」(生徒の解答が間違っている時)
- 「正解者に拍手。よくできました。よくできました。」(正解者が居た場合、または生徒の解答をオープンして正解が確定した場合。このときの「よくできました」は必ず二回繰り返す。)
- 「(○○君、)お見事~」(正解者が単独である場合)
- 「全員はずれ。」(全員不正解だった場合)
- 「よくわかる、解説!」(理科・算数などの解答の解説VTRを流す際に使われる)
- 「おめでとう、おめでとう」(各時間の授業での最多正解者または優等生になった場合)
- 「諦めてください。」(不正解を書いた生徒が先生に食い下がっているときに使われることがある)
- 「何を言ってもダメ!諦めなさい。」(不正解を書いた生徒が先生に食い下がっているときに使われることがある)
- 「豪華な賞品、あた~り~。」(生徒が賞品を獲得したときに使われる)
- 「美味しい料理を、召し上がれ。」(給食で正解者が出たときに使われる)
- 「間違い、間違い。席に戻って、やり直し!」(個別に解答を提示する場面で誤答となった場合に使われる)
- 「もう一度考えてみてください。」(上に同じ)
- 「惜しい」(生徒の解答が惜しいときに使われる・繰り返す場合あり)
- 「そろそろ終わりましょう」(算数など時間がかかる問題の解答中に使われる)
- 「おまけかな」(おまけで正解にする場合に使われる)
- 「○○君、分かったかな?」(生徒が解説を見・聞いて、理解したか確認するために使われる)
- 「○○君、すごい!」または「おみごと~!」(生徒の解答が見事である時)
グッズ
スタッフ
- 企画 : 北野武(特番以降からかは定かではないが、2006年11月に放送された際には「ビートたけし」名義で表記されていた。)
- 構成 : 原すすむ、川崎良、下尾雅美、恒川省三
- 音楽 : 大島ミチル
- 美術 : 丸山覚、金子俊彦
- 演出 : 上川伸廣(開始初期はディレクター、途中抜けるが末期には総合演出)、上西浩之
- プロデューサー : 角井英之(1995年から担当)、小竹美千代
- 技術協力 : 東通、ニューテレス、アックス
- 企画協力 : オフィス北野
- 制作 : フジテレビ、イースト
関連項目
備考
この番組をきっかけに、北野武と逸見政孝は唯一無二の親友として交友を深め、逸見と北野が家族ぐるみで付き合っていたのも少なくは無かった。逸見が亡くなる直前に家族以外で面談を許したのは北野のみであったという(また、親友の山城新伍も面会を許可されていたという話もある。)。1994年に制作されたフジテレビ系「金曜エンタテイメント」枠・ドラマ「逸見政孝物語」では、北野本人の出演でこのシーンが再現される予定であったが、制作直前の同年8月の北野のバイク事故により幻となった(シーンそのものはイメージ映像とナレーションで処理された)。
生徒役の出演者を君付けで呼ぶ事に対し、『たけし・逸見』時代に日本の宇宙工学の権威である故・糸川英夫が生徒役で出演し、北野らが糸川を君付けで呼んだ際、糸川の関係者から(糸川本人からではない)「糸川先生を君付けで呼ぶとは何事だ!!」という抗議を受けた。しかし番組側は「特別扱いはできない。」とその抗議は受け付けず、他の生徒と差別せずに「糸川君」と呼び続けた。
外部リンク
前後番組の変遷
フジテレビ系 土曜日19時(1991年10月 - 1997年9月) | ||
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前番組 | たけし・逸見の平成教育委員会 ↓ 平成教育委員会 |
次番組 |
19:00 所さんのただものではない! 19:30 やっぱり猫が好き |
奇跡体験!アンビリバボー |