永田寿康
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永田寿康(ながた ひさやす、昭和44年(1969年)9月2日 - )は、平成期における日本の政治家。元衆議院議員(3期)。愛知県名古屋市出身。
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人物
経歴
- 平成7年(1995年)
- 平成11年(1999年)
- 大蔵省退官
政歴
- 第42回衆議院議員総選挙(千葉2区・民主党公認)当選 - 82,074票(6月25日)
- 第43回衆議院議員総選挙(千葉2区・民主党公認)2期目当選 - 111,539票(11月9日)
- 第44回衆議院議員総選挙(千葉2区・民主党公認)3期目当選(比例南関東) - 112,943票(9月11日)
- 国会でライブドアの堀江貴文被告のメールを取り上げたものの、そのメールが偽装だったことが判明。2月28日に民主党から半年間の党員資格停止処分を受けた。また、この件で懲罰動議が衆議院懲罰委員会に付託されたが、最終的には処分が決定する前の3月31日に衆議院議長に辞職願を提出。4月4日の衆議院本会議で承認され、議員辞職した。
平成の爆弾男
- 2000年11月20日、国会壇上の松浪健四郎議員(当時)から水を浴びせかけられている。一部では永田が松浪議員に「(扇千景と)何発やったんだ?」と野次を飛ばしたことが原因との情報(情報源は高市早苗議員)が流れたが、永田自身は「最前列で森喜朗首相ではだめだと何度かやじり、そのたびに松浪議員からにらまれた」という。
- 2001年4月5日、衆議院本会議で原稿なしで質疑を行った。本会議となると質問側も答弁側も朗読し形式的なやりとりに終わるのが常で、若手の新たな試みとして注目された。
- 2002年7月、田中真紀子元外相の公設秘書の給与流用疑惑をめぐり、衆議院政治倫理審査会で質問した永田と大野功統自民党代議士の議員宿舎などに、白い粉が入った封筒が郵送された。警視庁は同一人物による悪質ないたずらとみて捜査。
- 2002年11月4日、名古屋刑務所に受刑者が高圧放水によって死亡した事件について、山花郁夫議員とともに2003年3月消防ホースで「再現」実験を行った。しかし実際の水圧は実験のものの10分の1程度にすぎないことが判明し、民主党は謝罪に追い込まれた。
- 2004年3月11日、衆院本会議の発言で、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎の歴代3内閣に言及した発言について、自民党が抗議し、「不適切な発言」として議事録から削除されることとなった。
- 2004年10月5日、自民党旧橋本派をめぐる1億円献金隠し事件で、東京地検が橋本龍太郎元首相ら3人を不起訴処分としたことについて、「不起訴は不当」として、検察審査会に審査を申し立てた。
- 2005年7月8日衆院・倫理選挙特別委員会で、出所不明の風聞を根拠に「(都議選の際に)公明党の支持団体の住民票が東京都に移されている疑念がある」等と発言。河野衆議院議長から注意を受け、与党から懲罰動議が出された。永田が2000年の初当選以来受けた懲罰動議は4回。民主党は公明党に謝罪した。
- 2005年8月28日、習志野市内の事務所開きにおいて、「公明党支持団体」の固有名詞を挙げて再び7月同様の発言。さらに「創価学会は宗教団体として認められておらず、都の認可(※実際には認証)をもらうために学会系の都議を増やして圧力をかけなければならない」等と発言した。しかし、創価学会は1952年には宗教法人の認証を得ており(さらに平成11年の宗教法人法改正によって所轄庁は文部科学省になっていることから)、悪質な虚偽の流布として同30日、創価学会本部は永田を名誉毀損で刑事告訴。
- 2005年12月18日、八千代市内での国政報告会で耐震強度偽装問題に触れ、「住民は火をつけたくてしょうがない、阪神大震災では激甚災害指定欲しさに被災者が火をつけてまわった」等と発言。発言内容を完全録音したCD-ROMを入手した東京スポーツの取材に対し、事実を認め謝罪した(東京スポーツ2006年1月8日付1面)。
- 2006年1月17日、衆院国土交通委員会(小嶋進ヒューザー社長の証人喚問)で、公明党佐藤茂樹議員の質疑の中で、12月18日の永田の不適切発言が取り上げられた。
- 社民党議員の質疑が始まった途端、手元にあった紙で折り紙を始め出す(2005年7月22日の外務委員会にて)他、小学生以下とも揶揄されるほどに集中力を欠く、あまりに落ち着きの無い行動により失笑を買った。
- 片山さつきは大蔵省の先輩に当たるが、永田が入省後まもなく国費留学→退職・議員立候補とわずかな期間しか同省に在籍していなかったので「憶えていない」とのこと。
- 2006年2月16日を機にライブドア送金指示メール騒動が起こる。この騒動で永田は発言を二転三転させるなどし、国民から民主党への非難が集中することになった。結果、前原誠司代表ら民主党執行部が責任を取り総辞職することになった。