中井美穂
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中井 美穂(なかい みほ、本名:古田美穂(旧姓中井)1965年3月11日 - )は、東京都出身(アメリカロサンゼルス生まれ)の元フジテレビアナウンサー、現:フリーアナウンサー。血液型O型。ブルーミングエージェンシー所属。中井の夫、古田敦也の恩師野村克也が第2代監督就任した東北楽天ゴールデンイーグルスのオーナー三木谷浩史は、中井と生年月日が一緒である。
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[編集] 来歴・人物
小学校時代には、放送研究会に入る。中学校は、公立学校に通う。私立 目黒星美学園高等学校卒業。中学・高校時代は、演劇部に所属。日本大学芸術学部放送学科卒業。
1987年フジテレビ入社。入社面接の際化粧をしないで出席した事は有名。1988年、深夜のスポーツニュース番組「プロ野球ニュース」の番組初の女性メインキャスターとして週末を担当。1989年には「同・級・生」で局アナながら役者デビューを果たす。
1992年から平日メインとなり、八木亜希子、小島奈津子、西山喜久恵ら後輩アナと共にフジを代表する看板アナに成長した。他にも「平成教育委員会」、「FNNスーパータイム」(スポーツキャスター)等に出演。
1995年、ヤクルトスワローズ捕手·古田敦也(2006年より監督兼任)と結婚。退社しフリーアナウンサーとなる。
フジテレビ入社同期に笠井信輔·塩原恒夫·青木美枝、日大芸術学部の同級生に仁多田まゆみ(RNC西日本放送アナウンサー)、大神政敏(北海道放送元アナ、現同社ラジオ営業部)がいる。
フリーアナに転向後は司会だけでなく、バラエティー番組のゲスト出演やコメンテーターとしての登場が比較的多い。平成教育委員会も逸見政孝のガン闘病による降板(その後1993年12月25日死去)後、学級委員長として解答者兼任で番組進行を務めていたが、その後番組のリニューアルに伴い解答者に専任した事もある。
2002年8月に子宮筋腫のため入院。筋腫部分を摘出した。将来的な妊娠に影響はないと発表された。ただし、手術の際に腸に穴が開き、再度手術を行った。(東大病院にて)
たまにオーバーニーソックスを着用する時もある。
[編集] 出演番組
[編集] 現在の出演番組
- 旅の香り(テレビ朝日)
- タカラヅカ・カフェブレーク(東京MXテレビ)
- いま、会いにゆきます(TBS 日曜劇場 2005年7月~9月)
- 世界陸上選手権(TBS)
[編集] 過去の出演番組
- プロ野球ニュース
- FNNスーパータイム(スポーツ)
- どうーなってるの?!内「夕食バンザイ!」
- 同・級・生(ドラマ アナウンサーながらレギュラー出演した)
- たけし・逸見の平成教育委員会(逸見代理、2代目学級委員)
- FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島(第1回から1994年まで出演)
- さんまの天国と地獄
- 笑っていいとも増刊号
[編集] コマーシャル
[編集] エピソード
- 1988年入社2年目でプロ野球ニュース初の女性キャスターとして大抜擢される。会見では「サッカーは好きだけど野球のことは全く分からない」と発言したことで注目を浴びた。
- 担当した第1回目のラテ欄には「中井美穂」ではなく、当時人気絶頂だった「中山美穂」と間違えて印刷された。
- 担当したばかりの頃は野球に関する知識がまるでない上に、毎回のトチリ、選手名・チーム名・野球用語の間違いはおてのもの。汗をダラダラかき謝りながら原稿を読み上げる姿には、当初苦情が殺到したようだが、徐々に視聴者の大多数である男性から絶大な人気を誇ることになり「ミポリン」と呼ばれ、人気女子アナの1人となる。
- そんな彼女も勉強を重ね、のちには試合の実況も任されるようになり、フジテレビが扱うスポーツの第一人者となった。その技術と心意気は、松井みどり、西山喜久恵、木佐彩子ら後輩アナにも引き継がれていった。
- プロ野球ニュースのキャスターを卒業した後は「笑っていいとも!増刊号」の増刊号アナ第1号として活躍。増刊号アナは、フジの女子アナの中でもお茶の間の好感度が高く嫌味じゃないキャラのアナが選ばれる。(2代目西山喜久恵、3代目中野美奈子)
- その実力を買われ、1997年にTBSが放映権を獲得した世界陸上選手権のメインキャスターに選ばれた。中井にとってはフジテレビ以外で初の大きな仕事で、以後5回の大会では全て俳優の織田裕二とともにメインキャスターを努め、ハイテンションになりがちな織田をうまくコントロールする進行役となっている。
- 学生時代から熱心なサッカーファンである。特に1974 FIFAワールドカップで活躍したヨハン・クライフや1978 FIFAワールドカップで得点王のマリオ・ケンペスのファンで、プロ野球ニュースに抜擢された際の記者会見では「サッカーなら好きだけど野球は全然分からない」とこぼし、前任者でこの番組の礎を築いた佐々木信也の不興を買った。フリー後にようやく担当したサッカー番組の「さんまの天国と地獄」では明石家さんまのアシスタント役となり、2002 FIFAワールドカップ欧州予選の現地レポートなども行った。
- ロッカーの片付けを忘れたままフジテレビを退職し、(当時は新宿区の河田町に本社があった)フジテレビが台場(港区台場)本社に移転する際、持主不明のロッカーとして社内で大騒ぎになった。このエピソードは、後輩の八木が退職する際のインタビューの中で明らかにされている。
- 結婚するまで料理は全くといっていいほど作れなかった。古田監督もそれを承知で結婚したのだが、さすがにインスタントの焼きそばを作れなかった(失敗した)時は「美穂(中井の下の名前)、こんなのも作れないのか!!」と激怒されたとか。そんな彼女も料理学校に通う等して今ではそれなりに料理できるようになったようである。しかし現在でも、夫に「今夜は外で食べてきて」と頼むことが時々あるようである。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
カテゴリ: フリーアナウンサー | フジテレビのアナウンサー | 1965年生