ナイジェリア
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- ナイジェリア連邦共和国
- Federal Republic of Nigeria
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(国旗) (国章) - 国の標語 : Unity and Faith, Peace and Progress
(英語: 統一と信頼、平和と前進) - 国歌 : 国歌
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公用語 英語 首都 アブジャ 最大の都市 ラゴス 大統領 オルシェグン・オバサンジョ 首相 なし 面積
- 総計
- 水面積率世界第31位
923,768km²
1.4%人口
- 総計(2004年)
- 人口密度世界第9位
137,253,133人
149人/km²GDP(自国通貨表示)
- 合計(2005年)
12兆1,819億ナイラ (₦)GDP(MER)
- 合計(2005年)世界第50位
915億ドルGDP(PPP)
- 合計(2003年)
- 1人当り世界第53位
1,108億ドル
800ドル独立
- 日付イギリスより
1960年10月1日通貨 ナイラ (₦) (NGN) 時間帯 UTC +1(DST: なし) ccTLD .NG 国際電話番号 234
ナイジェリア連邦共和国(ナイジェリアれんぽうきょうわこく)、通称ナイジェリアは、アフリカ中西部に位置し、北にニジェール、北東にチャド湖を挟みチャド、東にカメルーン、西にベナンと隣接する。南はギニア湾に面し、かつては「奴隷海岸」と呼ばれた。
乾燥地帯でキャラバン貿易を通じてイスラム教を受容した北部と、熱帯雨林地帯でアニミズムを信仰し後にヨーロッパの影響を受けキリスト教が広がった南部との間に大きな違いがある。また、南部のニジェール川デルタでは豊富に石油を産出するが、これをめぐり内戦や内紛が繰り返されるなど国内対立のもととなっている。イギリス連邦加盟国。
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[編集] 国名
正式名称は、Federal Republic of Nigeria (英語: フェドラル・リパブリック・オブ・ナイジアリア)。通称、Nigeria 。
日本語による表記は、ナイジェリア連邦共和国。通称、ナイジェリア。
国名・周辺の地域名はラテン語で「黒」を意味するnigerに由来している。ニジェール(Niger)とナイジェリア(Nigeria)は本来は同じ地域を指しているが、旧宗主国を異にする両地域が別々に独立した際に現在のように別の国を指すこととなった。
[編集] 歴史
紀元前5世紀から2世紀にかけて、国土の中央部のジョス高原において土偶で知られる初期鉄器文化であるノク文化が繁栄した。
9世紀頃、国土の南東部、ニジェール川の三角州の付け根付近にあたるイボ=ウクゥにおいて青銅器製品を多量に伴うすばらしい王墓が造られた。この地方では、イボ族その他イビビオ族のように指導者のない集団による人口の多い村々のネットワークが、アフリカ固有の平等主義と民主主義の概念によって管理されていた。10世紀~15世紀頃に、国土の南西部には、青銅製などのすばらしい彫刻で知られるイフェ王国と、ソープストーンの塑像で知られるエシエ文化が栄えた。これらの大胆なフォルムの彫刻は後に19世紀ヨーロッパに紹介され、20世紀美術に多大な影響を与えた。14世紀から18世紀にわたって南部にベニン王国が繁栄した。彼らは15世紀末に来航したポルトガル人から銃を取り入れ軍事力と王権を強化した。
密林によって外部の文化から阻まれた南部と異なり、北部ではキャラバン交易を通じ北アフリカから物資や文化の伝播があり、イスラム教を受容した。チャド湖周辺には12世紀から13世紀ごろアフリカのキャラバン交易路の利益と軍事力でカネム・ボルヌ帝国が全盛を迎えた。この王家は19世紀まで続いた。また同じくチャド湖の西方にハウサ諸王国・都市国家群が繁栄し、なかでも19世紀にはフラニ族のイスラム神学者ウスマン・ダン・フォディオが都市国家ゴビールで改革運動を開始したが、国から追い出されると遊牧生活のフラニ族たちと協力して聖戦を起こし、ソコトの街を首都に、北部一帯にフラニ帝国(ソコト・カリフ国)を建国した。
17世紀 - 19世紀を通じて、ヨーロッパの貿易商人たちが、アメリカ大陸へ送る奴隷の増加に伴い海岸に多くの港を建設し、彼らはナイジェリアの海岸部を「奴隷海岸」と呼んだ。19世紀にはイギリス軍が奴隷売買を禁止し、商品貿易に取ってかわられた。1886年にイギリス政府はジョージ・トーブマン・ゴールディー卿らによる貿易会社を「王立ニジェール会社」とし諸特権を与え、ナイジェリア一帯の支配を開始した。19世紀末にベニン王国は周囲のハウサ、ヨルバの王国もろともイギリスに滅ぼされて、ナイジェリアは植民地化された。1903年にはフラニ帝国も滅亡し、イギリスとフランスに分割された。1901年ニジェール会社は北ナイジェリアと南ナイジェリアの二つの保護領に再編成され、1914年一つの保護領に統合された。
留学生たちを中心に第二次世界大戦前から独立への動きはあったが、第2次大戦後民族主義運動が高まり、1960年、それぞれが広範な自治権を有する3地域の連邦制国家として、完全独立を果たす。このときは、イギリス女王を国家元首として戴く君主国(コモンウェルス)であったが、1963年に連邦共和国憲法を制定し、大統領制に移行した。それと同時に、1地域を2分割し、全4地域になる。
1966年、軍部によるクーデターが勃発、軍事政権樹立。連邦政府への中央集権化を図るため、地方を12州に再編。1967年、東部地域の有力民族であるイボ族がビアフラ共和国を建国し独立を宣言したことを受け内戦(ビアフラ戦争)になるが、1970年、イボ族の敗北で終結。
1975年、軍の民政移行派(現大統領オルシェグン・オバサンジョらを含む)によるクーデターが成功し、1977年、オバサンジョは新憲法を制定、1979年、大統領選挙でシェフ・シャガリが当選し文民大統領が誕生した。しかし、多くの国民は民政化後かえって汚職や経済が悪化したと感じた。1983年の次回選挙でオバフェミ・アウォロウォが勝ったにもかかわらず、ムハンマド・ブハリ将軍ら軍政派によるクーデターで再び軍政に戻る。彼は経済再生を約束したが、強圧的な体制を敷きかえって経済は悪化した。1985年再度クーデターが起きイブラヒム・ババンギダ将軍が実権を掌握。彼は最初人権を重視すると約束したが次第に圧制に移行した。また為替自由化などの経済改革はナイジェリアの通貨暴落を招き、何度もクーデター未遂を引き起こした。1990年の新憲法で1992年の大統領選挙が約束され、疑問視されつつも実現したが、ババンギダは不正があったと主張しやり直させた。1993年6月の再選挙で実業家モシュード・アビオラが勝利しまたもババンギダは不正を主張したが、8月引退し一旦文民出身の側近に政権を任せた後、その3ヵ月後の1993年11月1980年代の2回のクーデターにもかかわったとみられるサニ・アバチャ将軍が実権を掌握した。
サニ・アバチャは民政移管を約束したが、その一方で政党や集会、出版を弾圧し、多くの政治家や民主運動家や政敵を牢獄に送り、ナイジェリアに圧政を敷き新憲法制定を延ばし続けた。彼はアフリカ随一の地域大国らしく振舞うべく、リベリアの長い内戦を終わらせ民政移管するプロセスに助力し、軍によるクーデターが起こった際はただちにリベリアに軍を派遣し文民政権を守った。これによってアバチャにナイジェリアの民政移管を期待したものもいたが、1998年やっと約束どおり告示された大統領選挙では候補者はアバチャ一人だけであった。しかし選挙直前にアバチャは心臓麻痺で死去した。後を継いだアブドゥルサラミ・アブバカールの政権のもと、1999年新憲法が制定され、民政へ移行。かつてのクーデター軍人オルシェグン・オバサンジョが大統領に当選した。2003年の選挙でも再選した。しかし彼は民主派の希望でもあった司法長官ボラ・イゲが2001年に暗殺された件にかかわったといわれるほか、ナイジェリアの汚職と腐敗が彼の時代になって最悪になったといわれ、国民の感情は好悪半ばしている。オバサンジョは腐敗政治家を次々逮捕しているが依然政府の腐敗は深刻で、多くの頭脳流出を招いている。
[編集] 政治
国家元首である大統領は、行政府の長として実権を有する。民選で、任期4年。三選禁止。
議会は、二院制。上院は、全109議席。各州3議席、連邦首都地域から1議席。代表議院(下院)は、346議席。任期はいずれも4年で、両院同日選挙。
アフリカでは南アフリカ共和国に並ぶ軍事大国であり、現在では平和維持軍等に期待が寄せられている。
[編集] 地方行政区分
詳細はナイジェリアの州を参照
ナイジェリアは、連邦制をとっており、36の州 (state) と連邦首都地区(Federal Capital Territory) によって構成される。
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[編集] 地理
[編集] 経済
ブラックアフリカで唯一OPECに加盟している。 経済規模はアフリカ有数である。
世界有数の産油国であり、肥沃な土壌ではトロピカルフルーツや野菜の生産が盛んだったが、総歳入の71%を石油に頼る過度の石油依存により、カカオを除く在来の農業は衰退。さらに政治の腐敗、放漫財政とオイルブーム後の巨額の累積債務のため、経済は低迷を続けている。
国内の市場そのものは大きいのだが、国民の大多数が貧困に苦しんでいるため、購買力が低く市場を生かしきれない。最大都市ラゴスはアフリカ最大級の大都市だが、集まる人口に既存の都市機能が追いつかず、渋滞によりバス・タクシーなど交通機能は麻痺寸前になっている。
高度な英語教育がなされ、また電子機器やプログラミングなどに関する高等教育も盛んであるが、高い教育を受けた卒業生たちの多く(4分の1以上)は失業状態にある。そのため、多くの若者が不法移民輸送や麻薬密輸ほか、インターネットカフェから世界中に迷惑メールを配信するインターネット詐欺(いわゆる「ナイジェリアの手紙」詐欺)など犯罪にかかわる状態があるという。その他、暴力犯罪でもヨハネスブルグ、ナイロビ等とならび評判が悪い。オバサンジョ政権は、詐欺・経済犯罪や暴力組織の壊滅にむけ、世界各国の捜査機関と協力しながら努力している。
[編集] 国民
イスラム教が5割、キリスト教が4割、土地固有の伝統信仰が1割。北部はムスリム地区。
ナイジェリアは西アフリカ最大の国で総人口の1/4がナイジェリアに居住する。250以上の民族/部族が居住する。北部のハウサ族およびフラニ族が全人口の29%、南西部のヨルバ族が21%、南東部のイボ族が18%。以下、イジョ 10%、カヌリ 4%、イビビオ 3.5%、チヴ 2.5%など。民族紛争が相次いできたため現在では州が細分化されている。少数民族には苦難が続いている。
ナイジェリアでは方言を含め521の言語が確認されているが、現存するのは510であると考えられている。議会や官庁で使用される公用語は旧支配者の言語である英語であり、多数派であるハウサ語、イボ語、ヨルバ語の使用のみが認められている。初等教育では各部族の母語によって授業が行われるが、高等教育においては英語のみを使用。言語の面でも少数民族の権利が侵される事態となっている。
[編集] 文化
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
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[編集] 関連項目
- ナイジェリア関係記事の一覧
- ナイジェリアの通信
- ナイジェリアの交通
- ナイジェリアの軍事
- ナイジェリアの国際関係
- ボビー・オロゴン
- バティーン王
- バカシ半島領有権問題
- ナイジェリアの手紙
[編集] 外部リンク
[編集] 公式
- 連邦政府 (英語)
[編集] その他
- 世界の国々 > アフリカ
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