インドネシア
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- インドネシア共和国
- Republik Indonesia(インドネシア語)
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(国旗) (国章) - 国の標語 : Bhinneka Tunggal lka
(古ジャワ語: 多様性の中の統一) - 国歌 : 大インドネシア
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公用語 インドネシア語 首都 ジャカルタ 最大の都市 ジャカルタ 大統領 スシロ・バンバン・ユドヨノ 首相 なし 面積
- 総計
- 水面積率世界第15位
1,919,440km²
4.8%人口
- 総計(2004年)
- 人口密度世界第4位
238,452,952人
124人/km²GDP(自国通貨表示)
- 合計(2005年)
2,576兆6,879億ルピアGDP(MER)
- 合計(2005年)世界第26位
2,840億ドルGDP(PPP)
- 合計(2003年)
- 1人当り世界第15位
7,581億ドル
3,200ドル独立
> - 宣言
- 承認イギリスより
オランダより
1945年8月17日
1949年12月27日通貨 ルピア (IDR) 時間帯 UTC (+7 ~ +9)(DST: なし) ccTLD .ID 国際電話番号 62
インドネシア共和国(―きょうわこく)は東南アジアの国。首都はジャワ島に位置するジャカルタ。5000km以上と東西に非常に長く、赤道をまたがる1万3700もの大小の島により構成される。
島々によって構成されている国家であるためその広大な領域に対して陸上の国境線で面しているのは、ティモール島の東ティモール、カリマンタン島のマレーシア、ニューギニア島のパプアニューギニアの3国だけである。
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[編集] 国名
正式名称は、Republik Indonesia(インドネシア語: レプブリク・インドネシア)、略称は、RI(インドネシア語: エル・イー)。
日本語表記は、インドネシア共和国、通称は、インドネシア。
公式の英語表記は、Republic of Indonesia (リパブリック・オヴ・インドニージャ)、略称は、Indonesia 。
[編集] 歴史
詳細はインドネシアの歴史を参照
のちにインドネシアとなる地域に住んでいたマレー系の人々は、紀元前1世紀頃から来航するインド商人の影響を受けてヒンドゥー教文化を取り入れ、5世紀頃から王国を建国していった。諸王国はインドと中国をつなぐ中継貿易の拠点として栄え、シュリーヴィジャヤ王国、クディリ王国、シンガサリ王国、マジャパヒト王国などの大国が興亡した。12世紀以降はムスリム商人がもたらしたイスラム教が広まり、人々のイスラム化が進んだ。
16世紀になると香辛料貿易の利を求めてポルトガル、イギリス、オランダが相次いで来航し、17世紀にはバタヴィア(ジャカルタ)を本拠地としたオランダ東インド会社による覇権が確立された。19世紀には東インド会社が解散されてオランダの直接統治下に入るが、オランダ人は18世紀のマタラム王国の分割支配によりジャワ島、19世紀のアチェ戦争によりスマトラ島をほとんど支配するようになる。この結果、20世紀初頭にはポルトガル領東ティモールを除く東インド諸島のすべてがオランダ領となり、現在のインドネシアの領域がひとつにまとまった。
しかし20世紀には東インド諸島の住民によるインドネシア独立運動もめばえ、スカルノ、ハッタがこれを指導したが投獄された。オランダの植民地支配は1942年の日本軍侵攻で瓦解し日本が東インドを占領、大東亜政略指導大綱で大日本帝国領土とする方針が決定された。日本は独立の指導者である彼等を獄中から救出し祖国防衛義勇軍(ペタ)を編成させ独立戦士を養成させ、高度の軍事教育を施した。1945年、日本が降伏すると独立派は独立宣言(なおこの独立宣言の日付には西暦ではなく、日本の皇紀が採用されている。)を行い、独立宣言を黙殺し再植民地化を狙いインドネシアに舞い戻ってきたオランダ軍とインドネシア独立戦争を戦った。戦前の峻烈な搾取を排除し独立を目指す人々の戦意は高く、刀剣、竹槍、棍棒、毒矢などの武器の他、降伏後に日本軍兵器庫から奪ったり、降伏を潔しとしない日本軍人の一部がばら撒いたり横流ししたりした武器・弾薬で武装し、様々の手段でオランダ軍を苦しめた。日本人も加わって独立に貢献した。この戦争の結果、1949年12月のハーグ円卓会議によりオランダは正式にインドネシア独立を承認した。 初代大統領スカルノと、1966年にスカルノから大統領権限を譲られたスハルトは、ともに独裁的な権力を行使して近代国家形成を進めたが、もともと国民にインドネシアという概念はなく、独立に際して人工的に造られた国家であるためアチェ、イリアンジャヤなど国内に多くの独立運動を抱えることにもなった。1998年、アジア通貨危機に端を発するインドネシア経済崩壊のなかでスハルト独裁体制は打倒され、民主主義的な体制が形成され始めている。
大統領は、初代スカルノ(Soekarno 1945~1966)、第二代スハルト(Soeharto 1966~1998)、第三代ハビビ(Habibie 1998~1999)、第四代ワヒド(Wahid 1999~2001)、第五代メガワティ(Megawati 2001~2004)、第六代ユドヨノ。(Yudhoyono 2004~)(インドネシアの大統領一覧)
[編集] 政治
詳細はインドネシアの政治を参照
インドネシアは多民族国家であり、言語、宗教をはじめとする文化的な幅が大きい。そのため、スカルノは国家を一つにまとめるイデオロギーが必要と考えた。1945年6月1日の演説でパンチャシラと呼ばれる建国5原則を発表。国是となった。パンチャシラは (1) 唯一神への信仰(イスラム教の神でなくてもよい)、(2) 人道主義、(3) インドネシアの統一、(4) 民主主義、(5) インドネシア全国民への社会正義という内容を備える。さらに1950年には「ナサコム(NASAKOM)」を発表。これは「ナショナリズム(Nasionalisme)、宗教(Agama)、共産主義(Komunisme)」という内容を備える。その後も原則の表現は変化したが、基本的な内容は21世紀の今日においても残されている。開発統一党など例外はあるが、ゴルカル党や闘争民主党など主要政党はパンチャシラを党是としている。
国家元首の大統領は、行政府の長を兼ねる。その下に副大統領が置かれる。首相職はなく、閣僚は大統領が指名する。第五代まで大統領と副大統領は、国民協議会 (MPR:Majelis Permusyawaratan Rakyat:People's Consultative Assembly) の決議により選出されていたが、第六代大統領からは国民の直接選挙で選ばれている。任期は5年。
1999年6月、総選挙が実施され、同年10月、最大のイスラム団体ナフダトゥル・ウラマ(NU)議長のワヒドが新大統領に就任。2001年7月解任、メガワティ政権へと続く。
議会は、二院制の国民協議会である。下院たる国民代表院(Dewan Perwakilan Rakyat:DPR:Peoples Representative Council:定数550)と上院である地方代表院(Dewan Perwakilan Daerah:DPD:Regional Representatives Council:定数128)で構成される。
2001年、2002年の憲法改正以前は、国民協議会は一院制立法府である国民代表院とは別の会議体にして国家意思最高決定機関であった。メンバーは、国民代表院の議員と、各州議会で選出された代表195人とで構成される。その権能は、5年ごとに大統領と副大統領を選出し、大統領が提示する国の施策方針を承認すること、1年に1度、憲法と重要な法律の改正を検討すること、そして場合により大統領を罷免することである。しかし、2001年と2002年の憲法改正により、国民協議会自身のあり方が大きく変わることになった。まず、国民協議会は大統領選任権を国民に譲渡し、大統領と副大統領の直接選挙制を導入した。国民協議会を構成する国民代表評議会の議員がすべて民選となり、また、各州の直接選挙によって選ばれる議員で構成される地方代表院(Dewan Perwakilan Daerah:DPD:Regional Representatives Council)が新設され、国民協議会は国民代表院と地方代表院で構成される二院制議会になり、国民協議会の議員はすべて直接選挙で選ばれる者になった。
メガワティは2004年4月、総選挙でゴルカルに敗れる。
- 9月30日事件
- インドネシア共産党
- インドネシア国民党
- マシュミ
- ナフダトゥル・ウラマー
- ムルバ党
- サレカット・イスラム(イスラム同盟)
- スカルノ
- モハマッド・ハッタ
- シャフリル
- サストロアミジョヨ
- ナッシール
- タン・マラカ
- スハルト
[編集] 外交
東南アジア諸国連合の創設メンバーであり、加盟国との連帯を旨とし、非同盟・自主積極外交、日本をはじめとする西側諸国との協力関係を維持を基本としている。また、インドネシア支援国会合による援助体制の確立を掲げている。
[編集] 軍事
兵力は2003年に30万2000人(陸軍23万人、海軍5万5000人、空軍2万7000人)で、志願制と選抜式の徴兵制を併用している。そのほかに予備役が40万人。軍事予算は2002年に12兆7,549億ルピアで、国家予算に占める割合は3.71パーセントである。
[編集] 地方区分
詳細はインドネシアの地方区分を参照
33の第1級地方自治体(30の州、2の特別地域(特別州)、1の首都特別区域(特別市))に分かれる。
第1級地方自治体は、
- (便宜上4区域に分ける)
- スマトラ島: ナングロ・アチェ・ダルサラーム*、北スマトラ、西スマトラ、リアウ、リアウ諸島、ブンクル、ジャンビ、南スマトラ、ランプン、バンカ=ブリトゥン
- ジャワ島~ティモール島: ジャカルタ首都特別区域*、ジョグジャカルタ*、バンテン、西ジャワ、中部ジャワ、東ジャワ、バリ、西ヌサ・トゥンガラ、東ヌサ・トゥンガラ
- カリマンタン島: 西カリマンタン、中部カリマンタン、東カリマンタン、南カリマンタン
- スラウェシ島~パプア: 西スラウェシ、南東スラウェシ、中部スラウェシ、南スラウェシ、ゴロンタロ、北スラウェシ、マルク、北マルク、西イリアン・ジャヤ、パプア。
*は特別州。特別市は、ジャカルタ。 現在、州の再編を進めている最中であるため、上記の州区分に変更が加えられている可能性が極めて高い。
[編集] 地理
地震国であり、2004年のスマトラ島沖地震、および2006年のジャワ島中部地震で甚大な被害を被った。
[編集] 主な島
- ジャワ島 - 首都ジャカルタのある島。
- スマトラ島 - マレー半島の南西に横たわる島。特に北部は天然資源が豊富。
- スラウェシ島(セレベス島)
- カリマンタン島(「ボルネオ島」はマレーシア側の呼称。)
- バリ島 - 観光で有名な島。住民の大半はヒンドゥー教徒。
- ロンボク島 - バリ島の東隣の島。近年になって、観光開発が進み始めた。
- スンバワ島 - 1815年に、島内のタンボラ山が有史上最大の噴火を起こしている。
- コモド島 - コモドオオトカゲ(コモドドラゴン)が生息する島。
- フローレス島- 住民の多くはカトリック教徒。
- ハルマヘラ島-
- テルナテ島- 香料産出地として南隣のティドーレ島とともに、大航海時代に西洋列強の収奪の拠点となった。
- ティモール島 - 西側半分がインドネシア領。
- マルク諸島(モルッカ諸島)
- クラカタウ島 - 1883年に大爆発した火山島。ジャワ島とスマトラ島の中間に位置する。
- ニューギニア島- 西側半分がインドネシア領。天然資源が豊富。インドネシア国内では「パプア」「イリアン」などと呼ばれている。
[編集] 経済
農業国である。農林水産業ではカカオ、キャッサバ、キャベツ、ココナッツ、米、コーヒー豆、サツマイモ、大豆、タバコ、茶、天然ゴム、トウモロコシ、パイナップル、バナナ、落花生の生産量が多い。特にココナッツの生産量は2003年時点で世界一である。鉱業資源にも恵まれ、金、スズ、石炭、天然ガス、銅、ニッケルの採掘量が多い。OPEC(石油輸出国機構)に加盟する産油国でもある。
工業では軽工業、食品工業が盛ん。コプラパーム油のほか、化学繊維、パルプ、窒素肥料などの工業が確立している。 松下電子工業・オムロン・ブリヂストンをはじめとした日系企業が現地に子会社・あるいは合弁などの形態で、多数進出している。
[編集] 国民
- 人口増加率:1.52%(2003年)
[編集] 言語
公用語はインドネシア語でインドネシアの国語となっている。会話言語ではそれぞれの地域で語彙も文法規則も異なる583以上の言葉が日常生活で使われている。インドネシア語が国語と言っても、日常で話す人は多くて3,000万人程度で国の人口比にすると意外と少ないが、国語になっているため第2言語として話せる人の数はかなり多い。また、首都ジャカルタに出稼ぎにでる人も多い為、地方の人でもインドネシア語は必須であり、話せないと出稼ぎにも影響が出てくる。
- 識字率:88.5%(2003年)
[編集] 人種
大多数がマレー系、他に約300の民族、中国系約5%。
ジャワ人 45%、 スンダ人 14%、 マドゥラ人 7.5%、 沿岸マレー人 7.5%、 その他 26%
[編集] 宗教
インドネシアは憲法29条で信教の自由を保障している。パンチャシラでは唯一神への信仰を第一原則としているものの、これはイスラム教を国教としているという意味ではない。インドネシアは多民族国家であるため、言語と同様、宗教にも地理的な分布が存在する。バリ島ではヒンドゥー教が、スラウェシ島北部ではキリスト教(カトリック)が優位にある。
2000年におけるインドネシア政府の統計によると、イスラム教徒88.2%、キリスト教(プロテスタント)5.9%、キリスト教(カトリック)3.1%、ヒンドゥー教 1.8%、仏教 0.8%、その他 0.2%となっている。イスラム教徒の人口は、1億7000万人を超え、世界最大のイスラーム教徒(ムスリム)人口を抱える国となっている(インドネシアは世俗国家であり、イスラーム国家ではない)。
- イスラーム
- ナフダトゥル・ウラマー
- ムハマディア
- ジュマア・イスラミア
- プサントレン
[編集] 文化
インドネシアの宗教・文化は島ごとに特色をもつが、日本ではバリ島のガムランなどのインドネシアの音楽や舞踊が知られる。またワヤン・クリと呼ばれる影絵芝居や、バティックと呼ばれるろうけつ染めも有名である。
[編集] 教育
- インドネシア大学(UI)
- ガジャ・マダ大学(UGM)
- バンドゥン工科大学(ITB)
- パジャジャラン大学(UNPAD)
- ボゴール農科大学(IPB)
- インドネシア教育大学(UPI,旧IKIP)
- インドネシア国立芸術大学
- ウダヤナ大学(UNUD)
- マハサラスワティ大学
- トリサクティ大学
- スラバヤ工科大学
- ディポネゴロ大学 - 中部ジャワのスマランにある国立大学。
- ハサヌディン大学(UNHAS) - 南スラウェシ州都のマカッサル(旧名ウジュン・パンダン)にある国立大学。
- チャンドラワシ大学 - パプア州都のジャヤプラにある国立大学。
[編集] 文学
- プラムディヤ・アナンタ・トゥール
- モフタル・ルビス
- ハイリル・アンワル
- セノ・グミラ・アジダルマ
- グナワン・モハマド
- Y.B.マングンウイジャヤ
- ユディスティラ・ANM・マサルディ
- プトゥ ウィジャヤ
- アイプ・ロシディ
[編集] 世界遺産
インドネシア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が3件、自然遺産が4件ある。詳細は、インドネシアの世界遺産を参照。
[編集] 祭日
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
[編集] 関連項目
- インドネシア関係記事の一覧
- インドネシアの野鳥一覧
- アチェ独立運動
- デヴィ・スカルノ
- 笠戸島(台風で遭難し犠牲になった乗組員22人の慰霊碑がある。山口県下松市)
- インドネシア時間
- シドアルジョの泥噴出事故
- 味の素インドネシア追放事件
[編集] 外部リンク
[編集] 公式
- 在東京インドネシア共和国大使館 (日本語、インドネシア語、英語)
- 在大阪インドネシア共和国総領事館 (日本語、インドネシア語)
[編集] その他
- 世界の国々 > アジア
-
東アジア: 大韓民国 | 朝鮮民主主義人民共和国 | 中華民国 | 中華人民共和国 | 日本 | モンゴル国 東南アジア: インドネシア | カンボジア | シンガポール | タイ | 東ティモール | フィリピン | ブルネイ | ベトナム | マレーシア | ミャンマー | ラオス 南アジア: インド | スリランカ | ネパール | パキスタン | バングラデシュ | ブータン | モルディブ 中央アジア: ウズベキスタン | カザフスタン | キルギスタン | タジキスタン | トルクメニスタン 西アジア: アゼルバイジャン | アフガニスタン | アラブ首長国連邦 | アルメニア | イエメン | イスラエル | イラク | イラン | オマーン | カタール | 北キプロス | キプロス | クウェート | グルジア | サウジアラビア | シリア | トルコ | バーレーン | パレスチナ | ヨルダン | レバノン
- イスラム諸国会議機構加盟国
- アルジェリア | アルバニア | イエメン | イラク | イラン | インドネシア | ウガンダ | ウズベキスタン | エジプト | オマーン | ガイアナ | カザフスタン | カタール | ガボン | カメルーン | ガンビア | ギニア | ギニアビサウ | キルギスタン | クウェート | コートジボワール | コモロ | サウジアラビア | シエラレオネ | ジブチ | シリア | スーダン | スリナム | セネガル | ソマリア | タジキスタン | チャド | チュニジア | トーゴ | トルクメニスタン | トルコ | ナイジェリア | ニジェール | パキスタン | パレスチナ | バーレーン | バングラデシュ | ブルキナファソ | ブルネイ | ベナン | マリ | マレーシア | モザンビーク | モーリタニア | モルディブ | モロッコ | ヨルダン | リビア | レバノン
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