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黒船来航 - Wikipedia

黒船来航

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

黒船来航(くろふねらいこう)とは、1853年アメリカ合衆国海軍東インド艦隊が、日本江戸湾浦賀に来航した事件。マシュー・ペリー提督によって米大統領国書が江戸幕府に渡され、日米和親条約締結に至った。日本では一般に、この事件から明治維新までを「幕末」と呼んでいる。

マシュー・ペリー
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マシュー・ペリー


目次

[編集] 事件概要

ミシシッピ号
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ミシシッピ号
サスクェハンナ号
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サスクェハンナ号
サラトガ号
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サラトガ号
ポーハタン号
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ポーハタン号

[編集] 背景

産業革命を迎えた西ヨーロッパ各国は、大量生産された工業品の輸出拡大の必要性から、インドを中心に東南アジア中国大陸への市場拡大に急いでいたが、後にそれは熾烈な植民地獲得競争となる。競争にはイギリス優勢のもとフランスなどが先んじており、インドや東南アジアに拠点を持たないアメリカ合衆国は、西欧との競争のためには、清を目指すうえで太平洋航路の確立が必要であった。また同時に、産業革命によって捕鯨が盛んに行われるようになっていた。これは、夜間も稼動を続ける工場やオフィスのランプの灯火として、鯨油を使用していたからで、太平洋で盛んに捕鯨を操業していたアメリカは、太平洋での航海・捕鯨の拠点(薪、水、食料の補給点)の必要に駆られていた。

[編集] ペリー艦隊出航

1852年11月24日、58歳のマシュー・カルブレース・ペリー司令長官兼遣日大使を乗せた巡洋艦「ミシシッピー」を旗艦とする東インド艦隊は、一路アジアへと向かった。ぺリーはタカ派のフィルモア大統領(共和党)から、琉球の占領もやむなしと言われていた。艦隊は大西洋を渡ってマデイラ島(12月11日15日)、セントヘレナ島1853年1月10日11日)、南アフリカケープタウン1月24日2月3日)、インド洋モーリシャス2月18日28日)、セイロン3月10日15日)、マラッカ海峡からシンガポール3月25日29日)、マカオ香港4月7日28日)を経て、上海5月4日に到着した。このとき、すでに大統領は民主党ピアースに変わっていて、彼の下でドッピン長官は侵略目的の武力行使を禁止したが、航海途上のペリーには届いていなかった。

[編集] 琉球来航

上海で巡洋艦「サスクェハンナ(サスケハナ)」に旗艦を移したペリー艦隊は5月17日に出航し、5月26日琉球王国薩摩藩影響下にある)の那覇沖に停泊して、首里城への訪問を打診したが、王国側はこれを拒否した。しかし、ペリーはこれを無視して、武装した兵員を率いて上陸し、市内を行進しながら首里城まで進軍した。王国は仕方なく、武具の持込と兵の入城だけは拒否するとして、ペリーは武装解除した士官数名と共に入城した。ペリー一行は北殿で茶と菓子程度でもてなされ、開国を促す大統領親書を手渡した。さらに場所を城外の大美御殿に移し、酒と料理でもてなされた。ペリーは感謝して、返礼に王国高官を「サスクェハンナ」に招待し、同行のフランス人シェフの料理を振舞った。しかし、王国が用意したもてなしは、来客への慣例として行ったものに過ぎず、からの冊封使に対するもてなしよりも下位の料理を出すことで、暗黙の内にペリーへの拒否(親書の返答)を示していた。現在でも多くの国が来客に対して使う手法である。友好的に振舞ったことで武力制圧を免れたものの、王国はこの後もペリーの日本への中継点として活用された。この当時の記録は琉球側がまとめた『琉球王国評定所文書』に詳細に記されている。

[編集] 小笠原探検

ペリーは艦隊の一部を那覇に駐屯させ、自らは6月9日に出航、6月14日から6月18日にかけて、まだ領有のはっきりしない小笠原諸島を探検した。このとき、ペリーは小笠原の領有を宣言したが、即座に英国から抗議を受け、ロシア船も抗議の為に小笠原近海へ南下したため、宣言はうやむやになった。後に日本は八丈島住民などを積極的に移住させることで、列強から領有権を承認されることになる。6月23日に一度琉球へ帰還し、再び艦隊の一部を残したまま、7月2日に3隻を率いて日本へ出航した。

[編集] 嘉永6年来航

嘉永5年(1852年)、オランダ商館長のクルチウスは日本に対して、翌年に米艦隊が来航するであろう事を通告していたが、幕府がとった対応は、三浦半島の防備を強化する為に彦根藩の兵を増やした程度であった。米国の東インド艦隊はかつて来航したことがあったが、そのときは英国ロシアのように帰ったため、今回も同じだろう考えていた。

しかし、嘉永6年6月3日(新暦1853年7月8日)に浦賀沖で日本人が初めて見た米艦は、それまで訪れていたロシアや英国の帆船とは全く違うものであった。黒塗りの船体の外輪船は、蒸気エネルギーで航行し、煙突からはもうもうと煙を上げていた。その様子から、日本人は「黒船」と呼んだ。

浦賀沖に投錨した艦隊は旗艦「サスクェハンナ」(蒸気外輪フリゲート)、「ミシシッピー」(同)、「サラトガ」(帆船)、「プリマス」(同)の巡洋艦四隻からなっていた。大砲は計100門あり、臨戦態勢をとりながら、勝手に江戸湾の測量などを行い始めた。さらに、独立記念の祝砲や、号令や合図を目的として、湾内で数十発の空砲を発射した。無論、日本を脅す為に意図的に行ったものであり、最初の砲撃によって江戸は大混乱となったが、やがて空砲だとわかると、町民は砲撃音が響くたびに、花火の感覚で喜んでいたようだ。

浦賀は見物人でいっぱいになり、勝手に小船で近くまで繰り出すものもあったが、幕府より武士や町民に対して、十分に警戒するようにとのお触れが出ると、実弾砲撃の噂と共に、次第に不安が広がるようになった。このときの様子は「太平の眠りをさます上喜撰 たった四はいで夜も寝られず」(蒸気船と茶の上喜撰、4隻を4杯、茶で眠れなくなる様子を、黒船の騒ぎとかけた皮肉)という川柳に詠まれている(ただし、同時代史料においては類似した句が見られるのみで、主に明治11年(1878年)の『武江年表』や大正3年(1914年)『江戸時代落書類聚』など、明治以降に出典が見られることから、後世に喧伝された歌であることも指摘されている。)。

幕府からは、まず浦賀奉行所与力中島三郎助が訪れて、親書を渡すことが目的だと知るが、ペリーはあまりに身分が低いとして親書を預けることを拒否した。続いて同じく香山栄左衛門がたずねたが、対応は変わらず、親書は上位のものにしか渡さないとはねつけた。香山は上司と相談する為に4日の猶予をくれるように頼んだが、ペリーは3日なら待とうと答え、さらに国書を受け取らなければ、江戸湾を北上して、兵を率いて上陸し、将軍に直接手渡しすると脅しをかけた。

このとき第12代将軍徳川家慶は病床に伏せていて、国家の重大事を決定できる状態には無かった。老中首座阿部正弘は、6月6日(新暦7月11日)に国書を受け取るぐらいは仕方ないだろうとの結論に至ったため、幕府使節を持ってペリーと謁見した。ペリーは開国を促すフィルモア大統領親書、提督の信任状、覚書などを手渡すことに成功したものの、幕府は将軍が病気であって決定できないとして、返答に1年の猶予を要求したため、ペリーは返事を聞く為、1年後に再来航すると告げた。艦隊は6月12日(新暦7月17日)に江戸湾を離れ、琉球に残した艦隊に合流して香港へ帰った。

それからわずか10日後の6月22日に将軍家慶は死去すると、13代将軍に家定が就いたが、彼は病弱で国政を担えるような人物ではなかった。しかし老中等にも名案は無く、国内は異国排斥を唱える攘夷論が高まっていたこともあって、老中首座の阿部は開国要求に頭を悩ませた。そこで彼は、広く各大名から旗本、さらには庶民に至るまで、幕政参加の権利を持たない人々にも、外交についての意見を聞こうと考えたが、これは幕府開闢以来初めての出来事であった。国政に発言権の無かった外様大名は狂喜したが、それらにも特出した名案は無かった。それにもかかわらず、これ以降は国政を幕府独裁ではなく合議制で決定しようという「公議輿論」の考えだけが広がり、一見すると民主的だが、幕府の指導力の低下を天下にさらすもので、権威をいたずらに下げるものであった。

阿部はとりあえず、諸大名へ江戸湾警備を増強すべく、砲撃用の台場造営を命じたほか、旧暦11月14日に持ち場の変更を行わせた。

[編集] 嘉永7年来航

嘉永7年1月(1854年)、ペリーは琉球を経由して再び浦賀に来航した。幕府との取り決めで、1年間の猶予を与えるはずであったところを、あえて半年で決断を迫ったもので、幕府は大いに焦った。ペリーは香港で将軍家慶の死を知り、国政の混乱の隙を突こうと考えたのである。ここに彼の外交手腕を見て取ることもできる。

1月14日(新暦2月11日)に輸送艦「サザンプトン」(帆船)が現れ、1月16日(2月13日)までに旗艦「サスクェハンナ」、「ミシシッピー」、「ポーハタン」(以上、蒸気外輪フリゲート)、「マセドニアン」、「ヴァンダリア」、「レキシントン」(以上、帆船)の巡洋艦六隻が到着した。なお、江戸湾到着後に旗艦は「ポーハタン」に移った。2月6日に「サラトガ」、2月21日に「サプライ」(両帆船)が到着して計九隻の大艦隊が江戸湾に集結し、江戸はパニックに陥った(一方で、やはり浦賀には見物人が多数詰め掛け、観光地のようになっていた。また、勝手に舟を出してアメリカ人と接触する市民もいた。)。

約1ヶ月にわたる協議の末、幕府は返答を出し、アメリカの開国要求を受け入れた。3月3日(新暦3月31日)、ペリーは約500名の兵員を以って武蔵国神奈川の横浜村(現神奈川県横浜市)に上陸し、全12箇条に及ぶ日米和親条約(神奈川条約)が締結されて日米合意は正式なものとなり、徳川家光以来200年以上続いてきた、いわゆる鎖国が解かれた。その後、伊豆国下田(現静岡県下田市)の了仙寺へ交渉の場を移し、5月25日に和親条約の細則を定めた全13箇条からなる下田条約を締結した。

ペリー艦隊は6月1日に下田を去り、帰路に立ち寄った琉球王国とも正式に通商条約を締結させた。ペリーは米国へ帰国後、これらの航海記『日本遠征記』(現在でもこの事件の一級資料となっている)をまとめて議会に提出したが、条約締結の大役を果たしたわずか4年後の1858年に64歳で死去した。その後、米国は熾烈な南北戦争に突入して日本や清に対する影響力を失い、これらの国は結局、英国やフランス、ロシアが勢力を拡大してしまった(日本と沖縄は第二次世界大戦によって、ようやく米国の勢力下におかれた。)。ちなみに、1945年9月2日、東京湾の戦艦ミズーリ艦上で日本の降伏文書調印式が行われた際、この時のペリー艦隊の旗艦「ポーハタン」号に掲げられていた米国旗が本国より持ち込まれ、その旗の前で調印式が行われた。

ペリー一行の上陸
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ペリー一行の上陸

[編集] 白旗

嘉永6年の来航のとき、ペリーは国書と共に「白旗」2本と「もし開国要求を拒否するなら武力を行使するが、そのときは米国が勝つであろうから、この白旗を掲げて降伏せよ。」と書かれた手紙を渡して幕府を脅した話があり、白旗は源氏の印としか考えていなかった日本人の意識を変えるとともに、砲艦外交の典型として広がっている。しかし、手紙についてはペリー等が書いたのではないという偽書説もある。

[編集] 砲撃戦

ペリーの『日本遠征記』によると、2度の来航で100発以上の空砲を祝砲、礼砲、号砲の名目で撃っており、日本側史料には、これが大混乱を巻き起こしたことが記録されているが、いずれも被害は無く、実戦は行っていないはずである。ところが、1月16日に結集した「ポーハタン」以下七隻の内、蒸気船二隻と帆船三隻が安房国千葉県)洲崎を砲撃した、と日本側の古文書にある。

事件は嘉永7年1月23日(新暦1854年2月21日)丑の下刻、洲崎を警護する備前岡山藩陣地への砲撃であった。艦船の砲弾は陣地の手前10メートルほどの海中に落下した。備前藩は非常召集を行って大砲5門を以って砲撃、蒸気船二隻は逃走したが、帆船三隻に命中した。備前の守備隊は舟艇で帆船への乗船を試み、反撃を受けて300名ほどが死傷したが、三隻を「御取り上げ」(拿捕)した。しかし、この事件は2月1日(新暦2月27日)の記録を最後に途絶えている。また、他に一切の情報が無い為に、文章の信憑性が疑われている。

[編集] 関連項目

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