馬場鉄志
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馬場 鉄志(ばば てつし、1950年9月27日 - )は関西テレビのアナウンサー。東京都西多摩郡日の出町出身。既婚。
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[編集] 経歴
1974年に早稲田大学卒業後、関西テレビへ入社(同期入社は岡本栄がいる)。以来、スポーツ実況アナウンサーとして活躍。『大阪国際女子マラソン』の第一移動車での実況(1992年から)や『ドリーム競馬』の競馬実況などを担当。競馬実況では「ものかは」が口癖。
1990年4月から1991年3月までに1年間『FNNアタック600』(夕方の関西ローカルニュース)のメインキャスターを務めたが、視聴率は落ちてしまった。
それ以外では、1996年7月から1997年3月までに島田紳助司会の全国ネット番組『カジノザウルス』でも実況を務めた。
なお、憲法問題についても異例の発言をしていて、「日本が普通の国家として軍隊を持った方が良い」との見解を示している。
[編集] エピソード
[編集] 競馬実況
杉本清の後を継いで2001年から菊花賞の実況の担当も始めたが、ただの偶然か「馬場アナ」のせいか、それ以降菊花賞は波乱の決着が続いている(これは天皇賞・春も同じことが言える。さすがに最初はテイエムオペラオーの連覇達成でさほど荒れなかったが)。面白いことに、馬場が実況を担当していた頃は波乱が多かった秋華賞は平穏なレースとなり、2003年のスティルインラブの牝馬三冠達成で後輩の石巻ゆうすけに「三冠実況アナウンサー」を先んじられた(1週間後の菊花賞ではネオユニヴァースの三冠がかかっていたが、3着に終わった)。
しかし、2005年菊花賞にて、ようやくディープインパクトの三冠実況を果たした。この時に残した実況は高く評価されて、2006年のFNSアナウンス大賞を受賞している。関西テレビのアナウンサーが同大賞を取るのは2002年の第18回大会の山本浩之以来である。
- 「1865年、我が国の近代競馬が横浜で誕生しました。以降、血の淘汰を繰り返し今、将に新しい歴史の扉が開かれ様としています。ディープインパクト、三冠物語・フィナーレの幕開けです。(中略)日本中の競馬ファンが、あるいは世界のホースマンが、池のスワンまでもが注目する、第66回、歴史に残る菊花賞のゲートインが始まります。(中略)3000m先に栄光の瞬間が待っています。新しい歴史の扉が開かれようとしています。テレビの前の貴方も歴史の目撃者です!(中略)お互いを信じ切ってさあ、どっから行くか?(中略)一番外からディープインパクト、捉えた、捉えた、捉えました!あと100m!アドマイヤジャパン、粘る!しかし先頭はディープインパクトだ!世界のホースマンよ見てくれ!これが日本近代競馬の結晶だ!ディープインパクト!!大外から足音も軽やかにディープインパクトと武豊、三冠達成!!」
その他の名実況としては、以下のものがある。
- 「雨曇りの空に一等星輝きました!ベガ優勝です!」(1993年桜花賞、優勝馬ベガ)
- 「ベガはベガでもホクトベガ!!」(1993年エリザベス女王杯、優勝馬ホクトベガ。牝馬三冠がかかっていたベガがホクトベガに敗れたときの実況。馬場アナウンサーの最初の名フレーズ)
- 「またまた田原~!また田原~!今年も田原だ~!投げキッスがよく似合います!田原成貴~!」(1996年桜花賞、優勝馬ファイトガリバー)
- 「ヒシアマゾン先頭!外からエリモシック!大外からフェアダンス! 内からダンスダンスダンス!ダンスパートナー!内からダンスパートナー!大外からフェアダンス!真ん中ヒシアマゾン!ダンスパートナーー!!ダンスパートナー!四位洋文が左手を挙げました!ダンスパートナーです!!」(1996年エリザベス女王杯、優勝馬ダンスパートナー ちなみに2着ヒシアマゾンは8着に降着となった)
- 「皐月賞馬の意地!イシノサンデーです! 平成9年の幕開けは皐月賞馬イシノサンデーから!」(1997年、京都金杯、優勝馬イシノサンデー)
- 「さながら花明かりのように薄っすらと霞む3コーナーから4コーナーの桜街道であります。」(1997年桜花賞、優勝馬キョウエイマーチ 当時不利とされていた大外枠から逃げ切り、後の二冠牝馬メジロドーベルを破っている)
- 「ここに5番。怖い、エリモシックと的場均。(中略)ようやくダンスがやってきたが外からエリモ!エリモシック!エリモシックかダンスパートナーか!京都は的場均!!…京都の坂越えは的場均!エリモシックです!ダンスパートナー2連覇なりません!」(1997年エリザベス女王杯、優勝馬エリモシック)
- 「ロンドン逃げる、ロンドン逃げる!夢の架け橋ロンドンブリッジ!」(1998年桜花賞、優勝馬ファレノプシス ロンドンブリッジ(ダイワエルシエーロの母)は2着惜敗。)
- 「ファレノプシスです!秋の京都でも胡蝶蘭満開!ファレノプシスであります!ナリタブライアンよ見てくれ!ファレノプシス!見事に秋華賞を制しました!(1998年秋華賞、優勝馬ファレノプシス このひと月前に三冠馬ナリタブライアンが胃破裂により死亡したことから)
- 「しかしただ一頭、これはケタが違うっ! これが世界の実力!これが世界の実力だっ!タイキシャトルです!重賞8連勝~!524キロの馬体、休養明けもものかは、海外遠征帰りも全く問題なし!これが世界の実力です!タイキシャトルです!」(1998年マイルチャンピオンシップ、優勝馬タイキシャトル 仏ジャック・ル・マロワ賞制覇から3か月ぶりのレースにも関わらず、5馬身差の圧勝劇。)
- 「咲けば散る、咲かねば恋し18頭のオンナ馬(中略)。プリモディーネ!福永祐一です!福永祐一、初のGI制覇!父が果たした、父がインターグロリアで、オヤマテスコで果たした桜花賞制覇を今、福永祐一が果たしました!父よ見てくれ!福永祐一、プリモディーネであります!」(1999年桜花賞、優勝馬プリモディーネ)
- 「2000年の桜を夢見て、赤いシャドウロール、マイケル・キネーンとヤマカツスズランです!師走の阪神はヤマカツスズラン!」(1999年、阪神3歳牝馬S、優勝馬ヤマカツスズラン)
- 「今年もまた大波乱になるぞ~!今年もまた大波乱!」(2000年秋華賞、優勝馬ティコティコタック)
- 「京都競馬場に見事に胡蝶蘭花開きました!桜花賞、秋華賞に続いて三度、胡蝶蘭花開く!さすが、さすがファレノプシス!そして松永幹夫やりました! 」(2000年、エリザベス女王杯、優勝馬ファレノプシス)
- 「エイプリルフールではありません!本当にオペラオーが敗れました!!」(2001年産経大阪杯、優勝馬トーホウドリーム。テイエムオペラオーは4着)
- 「さあ、ナリタトップロード、桜咲く北海道浦河でテイエムオペラオーがトップロードの勝ち鬨を待っています。」(2002年天皇賞・春、優勝馬マンハッタンカフェ)
- 「外からきたのはなんとファストタテヤマだー!!今年も大波乱になるぞ!」(2002年菊花賞、優勝馬ヒシミラクル、スタート直後一番人気ノーリーズンの鞍上武豊が落馬し、悲鳴とともにレースが始まった)
- 「俺は菊花賞馬だ、ヒシミラクルだ!」(2003年天皇賞・春、優勝馬ヒシミラクル)
- 「菊の季節に桜が花開いて早16年 天才武豊を鞍上にサクラプレジデントです」(2003年菊花賞本馬場入場、優勝馬ザッツザプレンティ)
- 「ハーツクライよ、ハリケーンランよ待っていろ!!」(2006年天皇賞・春、優勝馬ディープインパクト。海外遠征への希望をのせたレコードタイムでの圧勝劇)
その他、有名なせりふとして「大外から○○~!」という力強い実況があるが、さほど外側を通らない馬でも一番外であれば「大外」というようである。滅多に無いことではあるが、「大外から○○~」のさらに外側から馬が突っ込んできたこともある。
[編集] モータースポーツ実況
1987年から1998年まで担当していたF1の実況においてもアイルトン・セナとの相性が悪いことで知られ、「馬場アナが実況するとセナが勝てない」というジンクスが長らく存在した。1991年にはセナが日本GP直前に開催されたスペインGPでシリーズチャンピオンを決めそうになったため、日本GPまでチャンピオン争いをもつれ込ませたいフジテレビが馬場アナを実況に送り込み、見事その狙いが当たってセナが5位に沈んだというエピソードを、後にF1実況仲間だった古舘伊知郎が暴露している(馬場アナ自身は当時大のセナファン。何とも皮肉な話である)。
当然の事ながら、馬場アナの存在とセナの不成績には何ら因果関係は無い。1991年のモナコグランプリで上記のジンクスは崩れセナが優勝している他、その後1992年のハンガリーグランプリ等、馬場アナの実況の下、セナが優勝を飾ったレースも多く存在する。
[編集] 大阪国際女子マラソン実況
毎年1月末の日曜日に開催される大阪国際女子マラソンで、馬場は1992年からの第11回大会から、第一移動車での実況中継の担当となる。特に、シドニーオリンピックの選考会を兼ねた2000年の第19回大会、リディア・シモン(ルーマニア)と弘山晴美が長居陸上競技場へ入るゴール直前、二人の死闘ぶりを絶叫した実況は、マラソンFANならずとも大変有名である(下記の実況の太字部分が、馬場が特に大声で叫んだ箇所である)。
「...一昨年、(カトリン・)ドーレ(ドイツ)を競り落としたシモン、そして昨年は(テグラ・)ロルーペ(ケニア)を競り落としたシモン。ヒタヒタと迫っているぅ~!!さぁ!サァ!いま、弘山、気づいたかどうか、うしろ!後ろ!うしろにシモンがせまっているぞぉ!ひろやまぁ~!!後ろからシモンが迫っている!にげろ!逃げろ弘山!!さはさんびょうだ!差は三秒です!!せまっているぞぉ~!ひろやま!!タイムもそうですが、シモンに勝つこと!これも一つの大きな条件となります!...(中略)...もう弘山にシモンの足音が聞こえているでしょう!あしおとはきこえたでしょう!弘山が逃げ切るか?シモンがかわすか?ならんだぁ!並びましたぁ!!さあ弘山ここからついていけるか?こっからつけるか?ここからの余力がどれだけあるのか、ひろやまはるみぃ~!トラックで再び、逆転が叶うかどうか!?...」
弘山晴美は、レース終盤の37Km過ぎでリディア・シモンらを突き放しスパート、その後弘山の独走となる。長居陸上競技場の周回道路入口となる40Km地点、一時はシモンと11秒差をつけた。弘山が優勝確実かと思われたが、そこからシモンが驚異的な追い上げを見せる。その後TVではっきりと、シモンと弘山の差が縮まっているのが映し出された。そして長居陸上競技場へ入る直前、周回道路途中のゴール手前500m付近、ついにシモンが弘山に追いついて逆転。そのまま競技場へ入るとシモンがリードを奪い、2時間22分54秒の当時大会新記録でシモンが優勝。弘山はシモンとわずか2秒差の2位で、2時間22分56秒の好タイム(当時日本女子歴代3位)をマークしたが、シモンに敗れた事などにより、弘山のシドニー五輪女子マラソン代表選出はならなかった。
[編集] 競馬G1実況歴
- 桜花賞 - 1988年、1992年~
- 天皇賞・春 - 1991年、2001年~
- 宝塚記念 - 1985年~1986年
- 秋華賞 - 1998年~2000年
- 菊花賞 - 2001年~
- エリザベス女王杯 - 1991年~
- マイルチャンピオンシップ - 1997年~
- 阪神3歳牝馬ステークス - 1993年~2000年
[編集] 現在の出演番組
- ドリーム競馬
- BASEBALL L!VE (阪神タイガース オリックスバファローズ戦)他スポーツ中継(大阪国際女子マラソン、三菱ダイヤモンドカップゴルフなど)
[編集] 過去の出演番組
- FNNアタック600(関西ローカルニュース)
- FNNスーパータイム(全国ニュース) - 上田昭夫、黒岩祐治の代行として
- カジノザウルス - 実況
- 名古屋国際女子マラソン(東海テレビ放送) - 1990年大会の第2放送車の実況担当
- プロ野球ニュース(全国スポーツ)- 大阪キャスター
- 北海道マラソン(北海道文化放送) - 中島公園ゴール実況
- FISワールドカップスキー
[編集] 外部リンク
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