藤原朝忠
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藤原 朝忠(ふじわら の あさただ、延喜10年(910年) - 康保3年12月2日(967年1月19日))は平安時代中期の公家・歌人。父は三条右大臣藤原定方(朝忠は五男)、母は中納言藤原山蔭の娘。三十六歌仙の一人。通称・土御門中納言。
左中将・参議を経て、961年(応和元年)従三位に叙され、963年(応和3年)中納言に任命された。960年(天徳4年)内裏歌合などに出詠している。また、和歌のほかに笙(しょう)に秀でていた。
「後撰和歌集」以下の勅撰和歌集に入集。家集に「朝忠集」がある。
なお、娘藤原穆子は左大臣源雅信の正室となり、摂政藤原道長の正室となった源倫子を生んだ。つまり、関白藤原頼通は朝忠の曾孫、後一条・後朱雀の両天皇は朝忠の玄孫(孫の孫)にあたることになる。
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