田中真紀子
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田中 眞紀子(たなか まきこ、昭和19年(1944年)1月14日 ‐ )は、平成期における日本の政治家。衆議院議員(5期)。
生年月日 | 昭和19年(1944年)1月14日 |
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出生地 | 出生地:東京都 本籍地:新潟県柏崎市 |
出身校 | 早稲田大学第一商学部卒業 |
学位・資格 | 商学士 |
前職・院外役職(現在) | 会社役員 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
衆・懲罰委員会委員 |
世襲の有無 | 2世 父・田中角榮(元首相) |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
新潟5区 |
当選回数 | 5回 |
所属党派(現在) | 無所属 (院内会派は民主党・無所属クラブ) |
党役職(現在) | ‐ |
会館部屋番号 | 衆・第1議員会館302号室 |
ウェブサイト | [‐] |
目次 |
[編集] 概要
[編集] 生い立ち
- 昭和19年(1944年)1月14日、東京都に父・角榮、母・はなの長女として生まれる(本籍地は新潟県柏崎市)。東京都千代田区立富士見小学校、日本女子大学附属中学校・高等学校を経て早稲田大学第一商学部を卒業。在学中には大学の演劇サークルに所属、同期に久米宏や長塚京三がいる。卒業後は劇団雲に所属し、女優として舞台に出演するが、結婚を機に演劇をやめる。母が病弱であった事もあり、角栄が首相在任中は事実上のファーストレディーの役目を担った。高校時代はアメリカ留学をしているが、英語は苦手とされる。血液型はAB型。
[編集] 政界入り
- 1994年6月、村山富市内閣の科学技術庁長官に就任。2001年4月26日、第1次小泉純一郎内閣の外務大臣に就任。北方領土返還を巡る政策や外務省改革などを巡る、鈴木宗男衆議院議院運営委員長(当時)との抗争や外務省・外務官僚との対立が政治報道のみならずワイドショーでもしばしば取り上げられた。
- 外務大臣就任後、アーミテージとの会談で閣議に図らずにミサイル防衛構想への批判を公言した。しかし、彼女の発言は日本の政策転換とは受け止められなかった。
- 2001年5月1日、北朝鮮の金正日の長男、金正男が出入国管理法違反で逮捕されるが、「そんな人を置いておいてミサイルが飛んで来たら大変なことになる。すぐ帰さないとだめ」と発言した。その為、(平壌宣言調印や拉致被害者問題などで北朝鮮との関係に火種を抱えていた小泉首相・官邸の意思が介在していたかはともかく)法務省・入国管理局の管理下に置かれた後にすぐに出国させられた金正男の処遇を、外務大臣の彼女の差し金だと主張している人も一部にいる。直後、機密情報であるアメリカ国務省職員の避難先を記者団に喋ってしまう。当時圧倒的な人気を誇る外相の罷免を避けた小泉は、とりわけ対米外交において外相の頭越しに外交を行わせるようになる。このことが田中の外務省や官邸への不信と怒りを呼んだ。
- 2001年11月1日、指輪騒動が起こる(指輪を紛失したことを上月豊久秘書官の責任にして、買いに行かせ、その結果イランのハラジ外相との会談に遅刻した事件)
- 非常に好悪の分かれる政治家で多くの熱烈な支持者を有し、民主党の長谷川清議員が指輪騒動について追求したときには、議員会館の長谷川議員の部屋の電話が、多数の抗議申し入れで鳴り続ける騒ぎになった。
- 2002年1月29日、アフガニスタン復興会議へのNGO参加問題を発端として、鈴木議員及び外務官僚との対立・摩擦を再び起こす。NGO擁護の立場をとるが、外交の停滞を要因に小泉首相から更迭される(鈴木、野上義二外務次官らも同時に)。圧倒的人気を誇る彼女を更迭したことで、小泉内閣の支持率は30%前後急落した。もっとも田中は「外務省改革」を唱えていたが、田中は改革の思想や方向性をはっきりと打ち出してはおらず、対立していた鈴木議員や特定官僚の排除の他にどのような改革案を有していたのかは不明である。また当時田中が言った「外務省は伏魔殿」という表現は、閉鎖的な外務省を表す言葉としてマスコミで度々使われた。
- 2004年3月、長女の記事に関し、長女がプライバシー侵害を理由に記事の差し止めの仮処分を申請し認められる(田中真紀子長女記事出版差し止め事件)。仮処分は後に東京高裁で取り消される。
- 秘書給与横領で元秘書より告発され、自民党の党員資格を停止される。次々に横領の証拠が挙がり、議員辞職。その後、復活当選し、民主党会派(民主党・無所属クラブ)に入会した。以降、選挙の際に民主党公認の立候補者の選挙支援に重用される。ただし、民主党員ではなく、あくまで無所属である。従来どおり自民党公認議員である夫の支援も行っている。父親と同様脱税が発覚(ちなみに真紀子の長男は公認会計士である)し、目白邸の一部を分納したことがある。
- 2005年4月より、文化放送の昼のワイド番組「寺島尚正のラジオパンチ!」で水曜日のパートナー役でラジオパーソナリティーとして出演していたが、公務との関係で3ヶ月で一時番組のコメンテーターを降板した。
- 小林興起とは同い年である。
[編集] 人物評
- 外相時代、アーミテージ米国務副長官はじめ、外国要人との会談で度々土壇場での中止や遅刻をして批判を受けた。
- 「主婦感覚」「庶民派」と評価されるが、実態は違うとの批判もある。田中自身は新潟県中越地方の企業越後交通グループのオーナーである。選挙においてはバス会社である越後交通の各営業所は情報収集や票固めと言った役割を果たすことになる。これらは父の角栄が築いたものであり真紀子はそれを継承した。
- こうした批判も多い一方で、彼女への評価も高いものがある。例えば、閣僚時代(特に科技庁長官に)には内閣及び自らの方針に抵抗する官僚を更迭し、政治主導の動きを作ろうとした。また、自ら得心しなければ気が済まなかったため、原子力政策などを中心に、官僚からのブリーフィングを積極的に受けたという。さらに、彼女が持つ幼児性とも取れる一種の「異能ぶり」は、外務省及び官僚世界全体の非常識ぶりを暴露していくことにもなる。
- 選挙区では、父・角栄の古くからの支持者との軋轢もある。2004年から05年にかけて起こったJR浦佐駅前に立つ銅像を巡って発生した管理団体との対立がその一例として挙げられる。この銅像に屋根をつけるべきと2004年11月に管理団体「角友会」(会長・須佐昭三、越山会元幹事長)に申し入れるも難色を示されたため、2005年2月に「田中角栄記念館」を通じて六日町簡易裁判所に調停を申し立てた。話し合いの末、像の管理は田中家がすることとなり「角友会」は解散。(銅像そのものは、支持者が田中角栄の地元発展への尽力に感謝し、約2億円をかけて1985年に建立したもの)
- 依然として主婦層に人気は高いが、外相時代の評価や同様に人気のある小泉純一郎首相への痛烈な批判により、一時期上位に食い込んでいたマスコミによる「次の首相候補」のアンケートでは名前が見られなくなった。田中の応援演説は観衆こそ集まるが、演説時に肝心の候補者を貶めるかのような態度を示すこともあり、候補者の勝利にはあまり奏功していないとの見方もある。
- 彼女の人の好き嫌いは父角栄の存在の影響が非常に大きく、父を裏切った竹下登の旧経世会に連なる人間を憎んでいるとされる。統一会派を組んでいる民主党の議員すら時に舌鋒するどくコケにするが、父との関係が比較的悪くなかった小沢一郎にだけはそれなりに敬意を払っている。また全てを「家族」「使用人」「敵」に分類する人間観を持つと言われているためか敵味方・上下関係の峻別が厳しく、平沢勝栄や小林節など彼女から離れていく人間も少なくない。秘書が次々と辞めていくことでも有名で、中には告訴した上記の秘書のように辞めた後に徹底的に彼女を批判するものもいる。
- 唐家旋(中国外相)に「やめなさいと厳命しました」と言われた為、小泉首相の靖国参拝を批判する所は批判が多い。
- 政治家に必要な確固たる理念・政策や、組織をまとめながらひっぱていくリーダー性、説得をして自己の政策に賛同させていく力量に欠ける。
[編集] 主な発言録
そして何より、彼女が世論の支持を集める理由に、彼女が発する「言葉」である。感性と機知と迫力に富む発言はまさに父親・角栄に”瓜二つ”で、政治の動きをわかりやすく、面白おかしくズバリと言い放つ。選挙民を前に自分の言葉で率直に話す姿が女性を中心に人気を集め、また父の面影を見る有権者も多い。しかし、論理的な政策批判や自己の信念に基づく理念・政策がなく、単なる誹謗中傷であるとの批判も多い。テレビプロデューサーのテリー伊藤は、彼女のことを政治漫談家と呼んだことがある。 マスコミでもしばしば取り上げられた発言例はこちら。
- 「凡人」「軍人」「変人」:1998年7月の自民党総裁選挙に立候補した小渕恵三、梶山静六、小泉純一郎を評した言葉(梶山は旧陸軍士官学校出身。小泉は自民党の支持基盤の1つを解体すると目されていた「郵政民営化」を自身の政策の根幹に据えていたため、”自民党の異端児”と評されていた。そして小渕は官房長官当時に「平成」の改元を発表した「平成おじさん」の印象程度しかなく、国民からの認知度が低かったため。
- 「パックン首相」:小渕首相がこれまで処理できなかった法案(ガイドライン法案、国旗国歌法案、改正住民基本台帳法案、年金制度改正法案など)を次々呑み込んで成立させてしまった様。また、金融再生関連法案の立法過程に関して、野党・民主党の案をほぼ丸呑みしたこと、公明党の主張した地域振興金券-商品券-法案の実施なども含まれよう。
- 「蜃気楼」:森喜朗前首相(当時・自民党幹事長)の音読み。どこか茫洋としていて、切れ味が鈍く乏しい様。ただしこれは真紀子のオリジナルというわけでもなく、浜田幸一も著書で同様の批判を行っていた。
- 「触らないで下さいよ!」:選挙応援における舌禍事件。よく知らない候補への応援で、「候補者がどの方かも分かりません」と暴露。それに対しておどけて肩を持った候補にかぶせたギャグのつもりだったようだ。ちなみにその候補は落選している。
- 「伏魔殿」:外交機密費問題や自身の進めようとした外務省改革・人事で対立した外務官僚及び官僚の様子を鋭く表現した様。
- 「ダイエットになっちゃうわね」:2004年10月に発生した新潟県中越地震で被災者を慰問した際、「食事がおにぎり一個しかない」と発言した被災者に対して返した言葉。「ダイエットになっていいじゃない」と言ったという説もあるが、それは間違い。
- 「何ですか! あの甘ったれた話し方」:北朝鮮の拉致問題で、懸命に取り組んでいた中山恭子参与への非難。その際、参与の口調(非常に上品なトーンで知られる)を物まね。
[編集] その他の発言録
- 「人間には、敵か、家族か、使用人の3種類しかいない」:田中の人間観を象徴する発言と見られている。
- 「そんな家柄の悪いのはダメ!」:公認会計士の長男が恋人と会ってほしいと頼んだとき。結局長男は反対を押し切り結婚した。
- 「スカートを踏んづけられていたので、後ろを振り返ってみると、言っている本人(小泉)だった」:自身の外務省改革を妨害した小泉首相を批判
- 「小渕の恵三さんとか言う人は『私は日本一の借金王だ』と言ってカブを持ち上げて「ガハハ!!」と笑ったら頭がバチッ!!と切れて、コロっと逝ったじゃないですか。あれを「お陀仏さん」というんです。」:小渕首相の死去を揶揄したもの。
- 「(NGO団体の案内状は届いたというのは)官房長官のお得意の、勘違いをなさっておられるのではないでしょうか」
- 「私は変人の生みの親でございますから、生むだけじゃなくて育てていかないと。うふふ」外務大臣就任に対して記者に話す。小泉首相と共に、改革への決意を語っていたのだが、現在では対立。
- 「小泉首相はいつまでもリチャード・ギアとダンスでも踊ってりゃいいのよ。」
- 「本当にあの人(小泉首相)はアメリカ大好き」
- 「『もなか』だか『おなか』だか」「静かじゃない人」「うらなりのさくらんぼ」いずれも天敵である野中広務、亀井静香、加藤紘一を指している。
- 「かんぞうだか、しんぞうだか」「カレー食って下痢して顔が細くなったような人」これは安倍晋三、細田博之を指している。
- 「小泉がはいと言えば『はい』と言う人間たち」:小泉チルドレン(※ 主な人物は猪口邦子、井脇ノブ子、片山さつき、杉村太蔵、佐藤ゆかり)を批判した発言。
- 「ヅラ被ったおっさん」:与謝野馨を指している。
- 「大風呂敷おばさん」:小池百合子を批判した発言。
- 「ポマードを(べったり)頭につけたおっちゃん」:首相辞任後の橋本龍太郎をこき下ろした発言。
また、外務大臣時代、部下に対して以下の命令を出したと言われる。
- 「ホットカーラーを買ってきて!」
- 「大臣室で履くスリッパ買ってきて!」
- 「この幅の罫線が引かれたノート買ってきて!」
- 「使用人はハイハイと言ってればいいの!」
- 「役立たず!」
(いずれも大臣室で外務省職員に対して発せられたもの。)
- 「拉致家族の子供は北朝鮮で生まれたから本来なら北朝鮮に返すべきじゃないですか?その辺のところを蓮池何とか(=透、被害者の薫さんの兄)さんはよく考えてください。」:北朝鮮による拉致被害者家族連絡会・北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会を批判
- 「(被害者に)耳触りのいいことを言うべきではない」「(帰国した5人の拉致被害者の)家族の国籍は国際法上は北朝鮮籍。外務省も知っているはず。(日本帰国は)難しいとはっきり言うべき」
どちらも2003年10月31日、佐渡において行った藤島正之候補の応援演説にて。北朝鮮による拉致被害者家族連絡会と北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会は田中真紀子事務所に抗議したが、一切回答していない。 - 「安倍晋三さんは種無し南瓜じゃないですか。種無し南瓜に何がわかるというのですか!」
子供がいないことを理由に安倍晋三を批判(安倍は既婚者)。この発言は不妊に悩んでいる女性への侮蔑以外の何者でもないとの批判が挙がった。 - 「種無し南瓜」「かんぞうだかしんぞう」。最近の「51歳のコピー人間」でわかる通り過去の発言録には安倍晋三を槍玉に挙げたものが結構(と言うほどではないが)多い。これは政治的スタンスが真逆であるのに加え、父・田中角栄の政敵福田赳夫の愛弟子安倍晋太郎の息子だからではなかろうか。
- 「69歳のコピー人間」「もうじき70、老人ホーム行きになる人間」:福田康夫を指している。今まで政敵の息子という理由であだ名をつけないほど嫌っていたが、これは心境が変化した表れだとか。(※ 福田は政治スタンスが田中眞紀子に近い。)
- 石原慎太郎をこき下ろす発言をしていないが、これは父・田中角栄の天敵である立花隆が石原とかかわりが深い文藝春秋をホームグラウンドとしていて石原は影で立花を操っていると考えたのだろう。発言にしたくないほど石原とは完璧に仲が悪いようである。しかし2006年10月6日の衆議院予算委員会代表質問で1972年に当時自由民主党内に存在していた青嵐会が父・田中角栄が日中共同声明を結ぶために訪中しようとしたら(もちろん結局行った)血判状を突きつけて阻止しようとしたという例をあげて日本と東アジアの関係悪化は石原慎太郎におもねった結果であると実名をあげて批判している。
- 「今の中国を見てください。株やって儲けて、ロールスロイスやベンツに乗っている若い人がいる一方で、年収数千円という貧しい人がいる。そうやって国内の不満が爆発しそうなところに、小泉さんが靖国神社へ参拝するからデモが起こるんです。あの人は、日本の国益とか世界平和なんて考えていないのです」
- 「東シナ海の油田開発をめぐって日中が争っていますが、王さんは『眞紀子さんが外務大臣だったら、こんなことは起こらなかった。眞紀子さんが辞めたからこうなった』といっていました。そりゃそうですよ。小泉さんが総理になってから、日中関係は荒れ始めたんだから。今度だって、小泉さんの意向を受けて意地悪そうなメガネかけた奴(町村信孝外相(当時))が中国を訪れるみたいですが、どうせケンカになるだけでしょう」
- 小泉さんが、煮干しの出がらしみたいな顔して『俺は靖国行く』っていうからおかしくなった。あの人はホントにタチが悪い」
- 小泉政権を「大きな花火が上がって家が振動するくらいだったけど、外に出たら消えている」とし、次期首相となった安倍晋三官房長官(当時)についても「(安倍の総理総裁就任は)課長がいきなり代表取締役社長になるようなもの」「ぱちぱちとちっちゃな線香花火をもって『これも花火には違いない』みたいに言ってるなあと。すぐに落ちてしまう」と徹底的に批判を加えている。
- 2006年10月6日の衆院予算委員会代表質問で安倍晋三首相の政治姿勢を厳しい言葉で非難した。「お父さんの靴を履いて飛び出していったら右に右に歩いていった(=安倍が政治家一家の出であることを揶揄。また、政治スタンスが「極右」であると批判)。」「聞いたところによると中西輝政先生におもねっているのではないでしょうか?(=ブレーン・アドバイザーすべてが保守論客である事を肴に歴史認識が欠如しているのではないか、と質した。)」「2002年に(内閣官房副長官として)訪朝したのですから拉致問題に関して連帯責任を負うべきですよ。」「どうも貧相な朝食を食べているそうですから安倍さんの政治は筋肉質とはいえません。」「反対に我が家にはしっかりとした朝食がありますからどうか食べにこられたら如何でしょうか?(=前者の発言を受けた皮肉)」。
- このように政治家としてレベルの低い皮肉中傷は得意だが、北朝鮮拉致に関する質疑は、田中自身が外務大臣時代は全く解決に消極的・後ろ向きであったことから真面目に拉致問題解決に向けての言動ではないとの批判を浴びている。
- 第一次小泉内閣組閣時、夫である田中直紀の処遇を心配し、マスコミに「パパ、大丈夫?何になった?」など、夫の処遇ばかり気にしての発言が放映された。
[編集] 文献
[編集] 関連文献
- 『田中真紀子研究』立花隆著、文藝春秋
- 『裸の女王様―田中真紀子秘書日記 』穂苅英嗣著、文藝春秋
- 『田中真紀子は復讐する』佐野眞一著、文藝春秋2003年12月号、2003年
- 『週刊文春「検閲」事件 「角栄・真紀子」の血と判事の暴走』桜井よしこ・小林節著、文藝春秋2004年5月号、2004年
[編集] 一族
[編集] 家庭・親族
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 田中眞紀子を応援する会(ファンサイト)
- 『日経新聞』 関連特集
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