日活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日活株式会社(にっかつ、Nikkatsu Corporation)は、映画制作会社。この社名は創立時の名称である「日本活動写真株式会社」の略称に由来する。最近の製作作品は「デスノート」(ワーナーブラザース配給)、2007年には日活アクション50周年として邦画の配給も再開する。
本社は東京都文京区本郷3-28-12。調布市に日活撮影所を有する。また、この日活撮影所内には日活芸術学院という映画学校がある。ミニシアターのシネ・リーブル池袋、シネ・リーブル梅田、シネ・リーブル神戸(三宮)、シネ・リーブル博多駅(福岡県)を所有し、千葉県印西市にシネマコンプレックスのシネリーブル千葉ニュータウンを、成人映画上映映画館としてシネロマン池袋、シネロマン千葉、ロッポニカ高松、シネロマン名古屋の4館を所有する。 また、スカイパーフェクTV!やケーブルテレビ局向けにチャンネルNECO、レインボーチャンネル、CINEMA-Rを放送している。
目次 |
[編集] 沿革
1912年(大正元年)創立。尾上松之助主演の映画でその名を知られる。大河内傳次郎、片岡千恵蔵、阪東妻三郎、入江たか子らも活躍し戦前は時代劇の名門映画会社だったが、昭和初期より業績が下降し、経営権を巡る争奪戦が勃発。東宝・松竹両社の関連会社となっていた。さらに1942年には戦時企業統合により、製作部門は大映(大日本映画製作株式会社)に吸収され、映画製作から一旦撤退。
戦中戦後は映画興行および配給で凌ぐが、1954年に活動再開した後は、石原裕次郎、小林旭、浅丘ルリ子、赤木圭一郎、宍戸錠、二谷英明、岡田真澄、川地民夫、待田京介、和田浩治らを輩出し、若年層向けのアクション映画を多数製作·配給した。興行収益が好調な上に事業多角化を推進したため、業績は堅調であった。
しかし、本格的なテレビ時代の到来と日本の映画産業全体の斜陽化のあおりを受けた上に、アクション映画のマンネリ化、企画不足、石原裕次郎&小林旭の二大スターの肥満等による人気低下、堀久作社長のワンマン体質からくる放漫経営などが次々に災いして1960年代半ばから業績は急激に悪化。その1960年代には吉永小百合、浜田光夫、高橋英樹、渡哲也、山本陽子、和泉雅子、松原智恵子、梶芽衣子、藤竜也、杉良太郎といった錚々たる新人スター達も生み出したが、退潮を食い止めることは出来ず、とうとう1970年に同じ不採算で同根の大映と配給部門を合体して「ダイニチ映配」を設立する。しかし、この弱者連合はすぐに行き詰まる。
1971年暮れ、大映と袂を分かった後は、採算面から低予算で利益が上がる成人映画を主体に変え、「日活ロマンポルノ」路線を推し進めた。白川和子、宮下順子、田中真理、泉じゅん、美保純、山本奈津子、高倉美貴らをスターにした。その後1978年に、社名を株式会社にっかつと改称する。(ただしにっかつの名前がスクリーンに登場するのは1979年以降。)
ビデオデッキが普及した1980年代後半には成人映画の劇場に足を運ぶ人は減る一方であった。ポルノに見切りを付け、「ロッポニカ」と題した一般向け映画の製作を再開、ケーブルテレビ(CATV)のコンテンツ·チャンネルNECOを設立したが、バブル景気に乗じて過剰投資に走りすぎ、バブル崩壊後経営状況は悪化の一途をたどる。なお、「ロッポニカ」の名称は当時六本木に本社があったことに由来している。現在、「ロッポニカ」の名は高松市の成人館にのみ名前を留めている。
1993年会社更生法を申請し事実上倒産。ゲーム会社のナムコが支援するようになったのをきっかけに社名を元の日活株式会社に戻しナムコの子会社となった。(社長の中村雅哉はナムコ会長と兼任)
2005年4月21日、ナムコが日活株式のUSENへの譲渡を検討していることを発表するが、USENの企業体質に対して日活労働組合が難色を示し、USENは買収を断念する。その後同年9月7日にインデックスがナムコ保有の日活株式の取得を発表、インデックスが労働条件の維持を表明した事から日活労働組合も同意した事により、9月中にインデックス傘下の子会社となった。同年11月1日をもってインデックスの会長・落合正美が日活会長に、ナムコの中村雅哉は非常勤の名誉顧問になった。社長は元角川大映映画(現角川映画)の佐藤直樹。
[編集] 年譜
- 1912年 エム・パテー商会、横田商会、福宝堂、吉沢商会の4社が合併し日本活動写真株式会社(日活)が誕生。
- 1913年 東京府南葛飾郡隅田村(現・墨田区北東部、堤小学校所在地)に向島撮影所が開所。
- 1920年 溝口健二入社。
- 1922年 当時の日活の看板監督・牧野省三退社。
- 1923年 向島撮影所が震災により機能停止。京都の大将軍撮影所に製作機能を集中させる。
- 1926年 後の名脇役・菅井一郎が日活に入社。
-
- 当時の日活の看板俳優であり、国民的スター・尾上松之助が心臓病のため死去。享年52。社葬が執り行われる。
- 1935年 山王ホテル社長の堀久作が常務に就任し、経営に乗り出す。
堀は莫大な社債を前に東宝の小林一三を頼みとし、業務提携へ動く。 - 1936年 日活と東宝の業務提携締結直後に、堀久作は蛸配当の容疑で逮捕され一年間拘留。
- 1938年 債権者と和議が成立。これにより東宝・松竹両社による日活株式争奪戦に発展。森田は暴力団を連れて多摩川で根岸所長の排斥へ動く(森田は野田卯太郎ら大物をバックにつけた右翼団体の幹部でもある)。根岸寛一は職を辞しマキノ満男と満映へ移籍。
(根岸・マキノは戦後に東宝、松竹、大映と対抗する第四系統の東映に満映から人材を送り込む。) - 1939年 東宝・松竹両社の関連会社となる。
- 1942年 製作部門一切を大日本映画製作株式会社(大映)へ現物出資。映画興行会社となる。
- 1945年 社名を日活株式会社に変更。
- 1946年 洋画を主体に映画配給を再開。
- 1947年 東宝・松竹両社が所有していた日活株式が経営陣に譲渡され、両属状態から開放。独立会社となる。
-
- 一方、逆に大映株式については大映経営陣他へ譲渡を余儀なくされる。
- 1949年 東京芝に日活スポーツセンターを開設。アイススケート場を運営。経営多角化を推進。
- 1951年 静岡県中伊豆地区の天城湯ヶ島に天城日活ホテル(現在は独立)を建設。ホテル業に進出。
- 1952年 映画製作復活を目指し、経営難に陥っていた新東宝の株式を購入。同社の救済合併を画策。
-
- (結局、東宝の横槍が入って失敗に終わり、日活は自力で映画製作再開を目指す事になる。)
- 東京日比谷交差点角に日活国際会館が竣工。本社を移転し、日活国際ホテルを併設。賃貸ビル業を開始。
(後の日比谷パークビル。現在は解体され、2007年~ペニンシュラホテル東京)
- (結局、東宝の横槍が入って失敗に終わり、日活は自力で映画製作再開を目指す事になる。)
-
- 神奈川県片瀬海岸に江ノ島水族館を開館。
-
- 日本テレビに対する映画貸出を中止。
-
- 天城日活カントリークラブを開設。ゴルフ事業に進出。
- 1964年 基幹劇場であった丸の内日活劇場を三菱地所に売却。(現・新有楽町ビルヂング北東角)。日活ホテルの総料理長である馬場久が東京オリンピック男子選手村の料理長に就任する。女子選手村が帝国ホテルの村上信夫。
- 1965年 映画「黒い雪」(監督・武智鉄二)が摘発され、裁判沙汰に。
- 1967年 映画「殺しの烙印」の作品内容を理由に、監督した鈴木清順を解雇。
- 1969年 日活国際会館を三菱地所に、日活撮影所を電気通信共済会にそれぞれ売却。
- 1970年 大映と配給網を統合し、ダイニチ映配を設立。
- 1971年 8月ダイニチ映配を離脱し、映画制作を中断。12月成人映画に転向し、「日活ロマンポルノ」がスタート。
- 1972年 成人映画4作品が警視庁に摘発され、翌年日活ロマンポルノ裁判に発展。
- 1973年 日活撮影所を電気通信共済会から買い戻す和解が成立。
- 1974年 「日活児童映画」スタート。
- 1975年 日活芸術学院開校。
-
- 堀雅彦社長、ボウリング事業の拡大策が裏目に出た経営責任を取って辞任。堀一族は退陣し、江ノ島水族館を分離する。
- 1978年 株式会社日活撮影所、日活児童映画株式会社等7社を分社する。
-
- 東証一部上場廃止を回避すべく増減資を行う一方、株式会社流通卸センター(ROC)との提携話等で一連の株価操作を行い、問題となる。
- 株式会社にっかつと改称。
- 東証一部上場廃止を回避すべく増減資を行う一方、株式会社流通卸センター(ROC)との提携話等で一連の株価操作を行い、問題となる。
- 1988年 「にっかつロマンポルノ」打ち切り。一般映画製作を再開し「ロッポニカ」ブランドでの活動をスタート。
- 1989年 「ロッポニカ」終了。
- 1992年 にっかつ80周年記念超大作『落陽』制作。巨額の制作費にかかわらず記録的な不入りで、にっかつ倒産のトリガーともなったと言われる。
- 1993年 会社更生法を申請し、倒産。ナムコの中村雅哉社長が事業管財人となり、再建活動に入る。
- 1996年 事業管財人の中村雅哉が社長に就任。名実共にナムコグループ入りする。社名を日活株式会社に戻す。
- 2005年 ナムコ保有の日活株式が一部を除き売却され、インデックスグループに入る。その後スカイパーフェクト・コミュニケーションズが発行済株式の15%をインデックスから取得、スカパーの出資を受けることとなる。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 映画関連のスタブ項目 | 日本の映画制作会社 | 東京都の企業 | インデックス