新興キネマ
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新興キネマ(しんこう-)は、第二次世界大戦前の映画製作会社。
前身は大阪にあった帝国キネマ(帝国キネマ演芸)。1931年、現在の東京都中央区八丁堀に本社を構え、営業を開始した。大谷竹次郎や白井信太郎らが設立に深く関わっており、事実上松竹の傍系会社であった。監督には伊丹万作、溝口健二、新藤兼人、俳優には片岡千恵蔵、市川右太衛門、大友柳太朗、山田五十鈴らが在籍した。子役時代の森光子も同社に籍を置いている。初期には嵐寛寿郎プロとも提携し、彼の主演作を配給した。また、後の大映社長となる永田雅一が京都撮影所長を務めていた。
1939年3月29日には演芸部が発足、吉本興業からミスワカナ・玉松一郎、香島ラッキー・御園セブン、益田喜頓、坊屋三郎らを引き抜き一時は大騒動に発展するが、同年5月22日に両社の間で和解が成立し、正式に芸人の移籍が認められた。さらに1941年には、漫才作者として有名な秋田實が吉本興業から同社に移籍し文芸部長に就任している。
1942年、戦時統合によって、日活の製作部門、大都映画と合併して「大日本映画(戦後の大映 →現在の角川映画)」となる。
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