モンキーズ
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The Monkees ザ・モンキーズ(1966年 - 1970年)は、アメリカのロックバンド。
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[編集] 概要
結成経緯がオーディションによるものであることと、同名テレビ番組とレコード販売を連動させて売出すという当時としては珍しいメディアミックス戦略をとった。そのため活動中『作られたグループ』というレッテルがついて回ることとなった。解散後の1986年、MTVで『ザ・モンキーズ・ショー』が再放送されたことがきっかけとなりマイク・ネスミスを除く3人で再結成された。以後1986年 - 1989年、1996年 - 1997年、2001年と再結成された。
日本でも1980年にコダックフィルムのCMに「デイドリーム・ビリーバー」が採用されたり、TBSでの『ザ・モンキーズ・ショー』の再放送がきっかけでリバイバルブームが起こり1968年当時日本では公開されなかった映画『HEAD』の公開、マイク・ネスミスを除くメンバーが単独でそれぞれ来日するといった大きなムーブメントとなった。2006年4月現在、スカイパーフェクTVのミュージック・エア・ネットワークにて『ザ・モンキーズ・ショー』が再放送中。
[編集] メンバー
- デイビー・ジョーンズ Davy Jones (David Thomas Jones) (ボーカル/タンバリン)
- マイク・ネスミス Mike Nesmith (Robert Michael Nesmith)(ボーカル/ギター)
- ピーター・トーク Peter Tork (Peter Halsten Thorkelson) (ボーカル/ベース/キーボード)
- ミッキー・ドレンツ Micky Dolenz (George Michael Dolenz,Jr) (ボーカル/ドラムス)
[編集] 来歴
[編集] 結成から第1次解散まで
1964年、イギリスのビートルズの成功を目の当たりにしたスクリーン・ジェムス・コロンビアのバート・シュナイダーとボブ・ラフェルソンはアメリカ国内のスターを作り出そうとビートルズ主演の『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! - A Hard Day's Night』をヒントに同様な番組を作成することを思いつく。1965年9月8日、カルフォルニア州ロサンゼルスで音楽業界紙「デイリー・ヴァラエティ」に載ったオーディション広告に集まった若者約400人からデイヴィー・ジョーンズ、マイク・ネスミス、ピーター・トーク、ミッキー・ドレンツが選出された。
実際にはオーディション以前に、バート・シュナイダーとボブ・ラフェルソンはめぼしいアーティスト達に声をかけていた。デイビーはその時点で、すでに参加が決定していた。 後年、ザル・ヤノフスキーの代わりにラヴィン・スプーンフルに参加する事になったジェリー・イェスターも台本を渡され打診されていたが、当時参加していたモダン・フォーク・カルテットの全員が参加するのでなければ参加出来ないと断った。
なお、このオーディション参加者の中にはポール・ウィリアムス、のちのクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングのスティーブン・スティルス(歯並びが悪いとの理由で不採用になったが幼馴染で自分に似た雰囲気のピーターを推薦)、同じくスリー・ドッグ・ナイトのダニー・ハットン、ラヴィン・スプーンフルのジョン・セバスチャン、ヴァン・ダイク・パークスなどがいたといわれている。
選出当時、マイク・ネスミスはマイケル・ブレッシング名義でミュージシャンとしてソロ活動、デイヴィー・ジョーンズは俳優、歌手(ビートルズがエド・サリヴァン・ショウに初登場した回には番組に端役として出演していた)、かつてミッキー・ブラドックという名前で子役スターとして活躍していたミッキー・ドレンツは大学生、ピーター・トークはグリニッジ・ヴィレッジでインディーズ活動をしていた。 選考は非常に難航し、最終的にオーディションの合格者が決まったのはTVシリーズのパイロット版制作に入るぎりぎりのデッド・ラインである1966年1月であった。
1966年9月12日、NBC系列で『ザ・モンキーズ・ショー』が始まる。翌10月に発売されたデビューアルバム『恋の終列車(The Monkees)』はテレビとの相乗効果により500万枚を売上げるヒットとなった。ここから4人はレコーディングとTVシリーズの撮影に追われる日々となる。
1967年1月『アイム・ア・ビリーバー(More Of The Monkees)』をリリース。この頃から制作者サイドとメンバー間の軋轢が目立つようになる。当初2作目以降はメンバー自身もアルバム制作に関われるという話しであったが、モンキーズの音楽部門の責任者であるドン・カーシュナー(Don_Kirshner)はこれを一切認めず、ファーストアルバムまでの時点に収録が終わっていながら未発表になっていた、自分の音楽出版社所属の楽曲を使用しスタジオミュージシャンのバッキングトラックにボーカルを乗せた音源を使用して制作したアルバムをメンバーの知らないうちに発売。 さらにカーシュナーはニール・ダイヤモンド(Neil_Diamond)の提供曲「恋はちょっぴり(A Little Bit me,A little Bit you)」を3枚目のシングルとして発売することにしていたが、B面に使用する曲を当初予定していたマイク作詞作曲の「どこかで知った娘(The girl I knew somewhere)」ではなくジェフ・バリーの手による「シー・ハングズ・アウト(She hangs out)」に無断で差し替えて発表。この暴挙にマイクが激怒、当初どおりの「恋はちょっぴり/どこかで知った娘」のシングル盤を独自に制作、「これこそが本物のサード・シングルだ」として記者会見を開くという、マスコミを巻き込んだクーデターを決行する。 その結果ドン・カーシュナーは更迭、彼が発表しようとしたシングルは業界関係者に配られたサンプル盤の段階で全て回収され、マイクの主張した盤が正式な3枚目のシングルとして発売される。なお、このサンプル盤はその後「幻のシングル」としてコレクターズ・アイテムとなり、高値が付けられている。 カーシュナーを追い出したマイクは、代わりに当時「ハッピー・トゥギャザー」のヒットを飛ばしたタートルズのチップ・ダグラス(Chip Douglas)(当時はDouglas Farthing Hatlelid名義)をプロデューサーに迎え3作目の『灰色の影(Headquarters)』を1967年5月にリリースした。
前2作と違いチップ・ダグラスとメンバー自身によるプロデュース、楽曲も自分たちの選曲と自作曲を収録、演奏もホーン・セクションを除いては全て自分自身で行ったこのアルバムはテクニックが稚拙なためにガレージパンクのような荒さがあり、レコーディング中のお遊び等も収められ当時4人の等身大の作品に仕上がるが売り上げは前作を若干下回った。なおこのアルバムの次にチャート・トップに立ったのは『サージェント・ペパー』。その後撮影、レコーディング、ツアー等の時間的な制約から演奏はスタジオミュージシャンを使用する方法に戻った。
1967年4月頃からカナダ、全米ツアーをスタート。メンバーはその合間にレコーディング、TV撮影という殺人的なスケジュールをこなす。なお、この67年8月のライブレコーディングが1987年に『Live 1967』としてリリースされた。
1967年11月、『スター・コレクター(Pisces,Aquarius,Capricorn & Jones Ltd)』をリリース。なお、この頃から次作のレコーディングに取り掛かる。
1968年3月TVシリーズ終了。その直後の4月に『小鳥と蜂とモンキーズ(The Birds,The Bees and The Monkees)』がリリースされた。この作品と前作の『スター・コレクター』でモンキーズは作品的にひとつの頂点を極めたが、前作ほどのわかりやすさはなく、直後にTVシリーズが終了したこともあり売上げは前作の『スター・コレクター』に及ばなかった。なお、モンキーズのアルバムで初めてアルバムチャートの1位を逃した作品でもある。
また1968年2月から5月まで映画『HEAD』の撮影が行われた。「これまでに作り上げたアイドルしてのモンキーズをぶち壊す」というボブ・ラフェルソンの意図により、出来上がった作品は細切れのシーンをつなげたパッチワークのような難解な作品となり、同年11月に公開されたが興行的には失敗に終わる。なお、この作品の脚本はジャック・ニコルソンが手がけた。
1968年9月から10月にかけて太平洋ツアー開始。9月中オーストラリアで7公演後、来日。羽田空港にファンの少女達が殺到し大騒ぎになる。1968年10月3日、4日、日本武道館、10月5日、京都国際ホール、10月7日、8日大阪フェスティバルホールにて公演を行った。なお、武道館公演の模様は当時日本で放送されていたモンキーズ・ショーの特別版として放送された。(この回はマスターが紛失しその後の再放送では放送されていない)
太平洋ツアーの後、1968年11月に放送されたNBCのスペシャル番組『33 1/3レボリューションズ・パー・モンキー』の出演後、ピーター・トークがグループを脱退。その後モンキーズは3人で活動を行う。
1969年2月、『インスタント・リプレイ(Instant Replay)』をリリース。この時点でTVシリーズが終わってからほぼ1年が経っており、その後CBS、ABCでTVシリーズの再放送はされてはいたがアルバムセールスは最高32位に終わる。
このあとも3人でのツアー及びTVでのゲスト出演、レコーディングをこなして行く。1969年10月、『プレゼント(Present)』をリリース。この作品が3人での最後の作品となった。この後マイク・ネスミスは莫大な違約金を払ってモンキーズを脱退しファースト・ナショナル・バンドを結成しソロ活動に入る。なお現在ではマイク・ネスミスはグラム・パーソンズらと並んでカントリー・ロックのパイオニアとしての評価が定着している。
1970年6月『チェンジズ(Changes)』をリリース。最終的にミッキー・ドレンツとデイヴィー・ジョーンズの2名だけのモンキーズ名義の最後のアルバム。この発表をもって実質モンキーズは解散した。
[編集] ニュー・モンキーズの結成
1975年、最後まで残ったモンキーズのメンバー、ミッキー・ドレンツ、デイヴィー・ジョーンズに作曲家チームであったボイス&ハートが加わりドレンツ、ジョーンズ、ボイス&ハート(日本ではニューモンキーズとして紹介された)を結成。キャピトルレコードと契約し1976年アルバム『すばらしき門出』をリリース。日本でも静岡、東京でコンサートを行なった。後の1982年、当時東京郵便貯金ホールで行なったコンサートが『ニューモンキーズ・ライブ・イン・ジャパン』としてリリースされている。
[編集] 日本でのリバイバル・ブーム
1980年9月、60年代ポップスのリバイバルブームを受け、コダックフィルムがCMに60年代ソングを使用したCMシリーズを流した。第1弾はママス&パパスの「夢のカルフォルニア」、同年10月、第2弾がモンキーズの「デイドリーム・ビリーヴァー」だった。その頃期を同じくして10月24日よりTBSで平日17:30から「ザ・モンキーズ・ショー」の再放送が始まる。これをきっかけに関東地方を中心にモンキーズ・ブームが起こった。翌1981年1月14日の再放送終了後も東京12チャンネル(現テレビ東京)にて再放送された。
なお、このブームでは当時東京12チャンネルにて放送されていたおはようスタジオが果たした役割が大きい。番組で積極的にモンキーズを取り上げ、マイクを除くメンバー、デイヴィー、ピーター、ミッキーの来日を実現した。デイヴィー・ジョーンズはコンサートも行い、湯川れい子作詞による「魔法でダンス(Dance Gypsy)」、「恋するデイヴィー(It's Now)」をリリースしている。
オリジナルアルバムも「恋の終列車」から「インスタント・リプレイ」まで再発され、シングルも「デイドリーム・ビリーヴァー」、「自由になりたい」、「アイム・ア・ビリーヴァー」等のシングルが発売されオリコンアルバムチャートトップ100にオリジナルアルバム7枚同時ランクインという記録を残している。
また1981年1月東急文化会館で『HEAD』が公開された。
[編集] アメリカでのリバイバル・ブーム
1986年、MTVにて『ザ・モンキーズ・ショー』の再放送をきっかけにアメリカでリバイバルブームが起こる。『Now & then... The Monkees Best』、1987年にマイクを除くメンバーによるオリジナルアルバム「Pool It!」をリリース。このアルバムから「That's Was Then...This Is Now」、「Heart And Soul」がリリースされた。 さらに1996年には結成30周年を祝い、マイク・デイヴィー・ミッキー・ピーターの4人が揃ってスタジオに入り、オリジナル・アルバム「JUSTUS」を制作。仲良く並んでジャケット写真に納まっている。 またモンキーズの楽曲の全版権を所有する米ライノ社は膨大な数のマスター・テープを丹念に発掘、未発表曲や別テイク版を多数収録したスペシャル・アルバムを度々発売。丁寧なライナー・ノーツや秘蔵写真の数々は今でも10代から60代まで幅広い層のファンを熱狂させている。 また2006年からオリジナル・アルバムを2枚組に拡大しデラックス・エディションとして順次発売される予定。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] アルバム(1966-1970)
- 『恋の終列車』(The Monkees)
- 『アイム・ア・ビリーバー』(More Of The Monkees)
- 『ヘッドクォーターズ』(Headquarters)
- 『スターコレクター』(Pisces,Aquarius,Capricorn & Jones Ltd)
- 『鳥と蜂とモンキーズ』(The Birds,The Bees and The Monkees)
- 『インスタント・リプレイ』(Instant Replay)
- 『プレゼント』(Present)
- 『チェンジズ』(Changes)
[編集] サウンドトラック
- 『ヘッド』(Head)
[編集] シングル
- 『恋の終列車/希望を胸に』(Last Train to Clarksviile / Take A Giant Step)
- 『アイム・ア・ビリーバー/ステッピンストーン』(I'm A Believer / (I'm Not Your)Stepping Stone)
- 『恋はちょっぴり/どこかで知った娘』(A Little Bit Me,A Little Bit You / The Girl I Knew Somewhere)
- 『プリーザント・ヴァレー・サンデー/あの娘を忘れろ』(Pleasant Valley Sunday / Forget That Girl)
- 『デイドリーム・ビリーバー/ゴーイン・ダウン』(Daydream Believer / Goin' Down)
- 『すてきなバレリ/タピオカ・ツンドラ』(Valleri / Tapioca Tundra)
- 『D・W・ウォッシュバーン/君と一緒に』(D.W.Washburn / It's Nice To Be With You)
- 『ポーパス・ソング/アズ・ウィ・ゴー・アロング』(Porpoise Song / As We Go Along)
- 『涙の街角/夢のない男』(Tear Drop City / A Man Without A Dream)
- 『サムディ・マン/リッスン・トゥ・ザ・バンド』(Someday Man / Listen To The Band)
- 『すてきなブルーグラス/マミー・アンド・ダディ』(Good Clean Fun / Mammy And Daddy)
- 『オー・マイ・マイ/アイ・ラブ・ユー・ベター』(Oh My My / I Love You Better)
[編集] 主な曲の提供者
- トミー・ボイス&ボビー・ハート
- ジェリー・ゴフィン&キャロル・キング
- ニール・ダイアモンド
- ジョン・ステュアート
- バリー・マン&シンシア・ウェイル
- ハリー・ニルソン
- ビル・チャドウィック
- ポール・ウィリアムズ
- ジェフ・バリー
- キャロル・セイガー・ベイヤー
- ニール・セダカ
[編集] フィルモグラフィー
[編集] TV
- ザ・モンキーズ・ショー
- 33 1/3 レボリューション・パー・モンキー(33 1/3 Revolution per Monkee)
[編集] 映画
- 『ヘッド』(HEAD)
[編集] 外部リンク
- The Monkees home Page公式サイト(英語)