三遊亭好楽
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三遊亭 好楽(さんゆうてい こうらく、1946年8月6日 - )は、落語家。東京都荒川区出身。B型。本名は家入 信夫(いえいり のぶお)。出囃子は『ずぼらん』(或いは師匠圓楽と同じ『元禄花見踊り』)。人気演芸番組『笑点』(日本テレビ)の大喜利メンバーとして知られる。前名は林家九蔵。
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[編集] 人物
競馬ファンとしても知られており、報知新聞に予想記事を掲載していたが、まったく当たらずクビになったことが何度かある。
息子も落語家で、弟弟子にあたる。高座名は三遊亭王楽。
『笑点』の共演者である林家木久蔵は、8代目林家正蔵(後の彦六)一門にいた当時の兄弟子でもある。(木久蔵は兄弟弟子当時の1969年から現在まで笑点に出演している)
『笑点』40周年を記念して発売したオフィシャル本では、『笑点』の前身番組『金曜寄席』のファンだったので、いずれは『笑点』に出演したいと勝手に思い込んでいたと語っている。
師匠8代目林家正蔵(後の彦六)の早逝した息子の名前は、自身と同じ読みの“信男”であった。
[編集] 略歴
- 1962年 - 京華商業高等学校入学。
- 1966年 - 8代目林家正蔵(後の彦六)入門。林家九蔵を名乗る。
- 1971年 - 二つ目昇進。
- 1979年 - 『笑点』のメンバーになる。
- 1980年 - 三遊亭小圓遊死去により高座着がピンクから水色に変更。(新加入の古今亭朝次がピンクの高座着を引き継ぐ)
- 1981年 - 真打昇進。
- 1983年 - 彦六の死に伴い、三遊亭圓楽門下に移籍。"好楽"への改名はこの時。同時に落語協会から大日本落語すみれ会(現在は円楽一門会)へ移籍。
- 同年 -『笑点』卒業。(入れ替わりに加入したのが三遊亭小遊三で水色の高座着を引き継ぐ。)
- 1988年 - 桂才賀の卒業に伴い『笑点』に復帰。(ピンクの高座着が復活。)
- 2005年 - 荒川区で始まった無料落語会(席亭は区長、西川太一)を協力、支援。
- 2006年 - 芸暦40周年、還暦祝いも含めたゲスト多数の落語会を数日開催(※企画は王楽)。
[編集] TVなどの出演歴
[編集] 過去
- 『パネルクイズ アタック25』(朝日放送制作・テレビ朝日系列、2006年9月3日放送分の芸能人大会にかつての兄弟子・林家木久蔵とともに出場、赤の解答席に座った)
- 『笑いの金メダル』(朝日放送制作・テレビ朝日系列、2006年9月3日放送分の「結婚式スピーチ選手権」の審査員として出演)
[編集] 笑点でのキャラクター
1979年から三笑亭夢之助の後任として、途中5年間のブランクはあったものの20年間以上にわたり出演している。出演開始時より着物はピンクを着用していたが、1980年に三遊亭小圓遊が急死したことに伴って、若手大喜利から古今亭朝次(現桂才賀)が選ばれ、この時に朝次がピンクの着物を着用したことに伴って小圓遊が着用していた水色の着物を着用した。1983年に一度卒業し、この時の後任として三遊亭小遊三が加入。1988年に桂才賀の卒業に伴い復帰。この時から現在までピンクの着物を着用している。ちなみにピンクの着物を着ているのはP&Gの「ピンクの小粒」コーラック(現発売元は大正製薬)にかけているという説があるが、実際には改名前のレギュラー出演時からピンクを着ていたので、コーラックとは無関係と思われる。
1988年に『笑点』に復帰した時は司会席のすぐ隣に座っていたが、隣は師匠の圓楽なので萎縮してしまい(回答後によく「師匠どうでしょう」と聞くことが多々あった)、隣の小遊三と席を入れ替えてもらった。(1992年4月)
大喜利では、6人のうち目立ちにくいポジションに位置する。好楽の隣に座っている三遊亭小遊三も何回か彼を脇役扱いのいじりをしたほどである。横にいる面々を罵倒したり、からかったり、叫んだりといったどぎつい笑いを追求する他メンバーと比べると、奇をてらうことも、ひねりもない優等生的な回答が多いためか、大抵1つの問題につき1~2回程度しか指名されない(問題によっては1回も指名されない場合も)。一度にたくさんの座布団を持っていかれる事も滅多にないかわりに、座布団10枚獲得はここ数年久しく、1996年以降獲得していない。
九蔵時代は木久蔵の弟弟子として「与太郎その2」的な役割を持ち、若く元気な印象が強かったのだが、圓楽一門移籍を機にキャラクター転換をしており、違和感を持ったり、残念に思うオールドファンは少なくない。
そのため無難とも受け取れる回答を一部の視聴者からは「つまらない」と揶揄されたり、一部のインターネットコミュニティにおいても、口悪い落語ファンからはピンクの別名で呼ばれ、「ピンクつまらん」「ピンク引っ込め」「ピンク降ろせ」等、酷評されがちである。
しかしそれは好楽が確信的に一歩引いた立場から、あえて小さい笑いを差しはさむことで、他メンバーの個性を引き立たせているのであり、むしろその奥ゆかしさが好楽の真骨頂であると評価する人々も少なくない。また、歌丸司会就任後は、歌丸が得意としていた政治情勢批判や社会風刺を盛り込んだネタを、独自の優等生的な持ち味を生かした上で回答にすることも増えつつある。そのせいか、意外にもコンスタントに座布団を獲得しており、10年ぶりの座布団10枚獲得も期待される。
一歩引いて周りを引き立てる存在である為、長年にわたり特に全くキャラクターを持っていなかった。がしかし、それが仇となり、最近は熟年フリーターや暇人、仕事・アルバイトがないと言うキャラクターを付けられてしまった。さらには雑用・脇役扱いされることもある。この2つは小遊三がやる事が多い。両隣の小遊三と木久蔵が上手く絡んであげることで、徐々にではあるが面白さが引き出されてきた。それが自信となったか、他のメンバーと絡まないネタでも安定感を見せ、ときには適度な毒舌も聞かれるようになった。少なくとも以前のように視聴者をハラハラさせるような寒い場面が少なくなったのは間違いない。
なお、『仕事が無い』事を本人も自覚しているのか、歌手デビューやラジオなどで多忙だと言う林家たい平に童謡・ももたろうの節で「(仕事を)一つ、私に下さいな」と持ちかけて座布団を没収された事もあった(たい平も「普通は逆でしょ!」と突っ込みを入れていた)。
小遊三の下ネタのたしなめ役を演じることが多いのだが、小遊三とは同学年という事でいじりやすい事情もあるとされる。これに対し、同じ圓楽一門の楽太郎は年下であるものの、7ヶ月先に真打に昇進されたり(楽太郎は3月に大日本落語すみれ会の真打に、好楽は10月に落語協会の真打になっている)、楽太郎が圓楽一門の生え抜きであるのに対して、自分は彦六一門から移籍して来た事情もあってなのか、あまり絡むことがない。ちなみに、一門での自分の香盤は楽太郎より上の2番目である(楽太郎は4番目)。かつての兄弟子だった木久蔵に対しては大ボケのフォローをすることが多い。また、逆に木久蔵も好楽をいじることがある。歌丸司会就任後は、隣の席の小遊三や木久蔵を中心に絡むことが多くなりつつあるが、どぎつさを感じさせる他のメンバーのいじり技とは一味違う、従来の優等生的な持ち味を生かしたいじり技も披露している。最近のネタでは、都都逸をモチーフしたネタで「悪知恵働く(小遊三を指して)この人よりも 黄色い着物の バカがいい」が挙げられる。
3問目当たり(特に歌の問題に多い)でよく同じ単語を連発した後「さて問題です。○○が何回出てきたでしょう?」と問題を出すこともある。