君主
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
君主(くんしゅ、Monarch)とは、国家の元首の一種であり、多くの場合、王、皇帝などの特定の称号、地位、呼称で呼ばれ、終身の支配者ないし、終身で君臨するその国家の象徴をなす人物のことをいう。
[編集] 概説
地位は世襲によって継承されることが多いが、かつてのポーランド・リトアニア連合王国や神聖ローマ帝国(正確にはドイツ王国)のように選挙によって君主が選出される選挙王制、現代のアンドラのように2人以上の人物を共同君主とする場合、マレーシアのように州ごとの世襲君主(スルタン)が交代で5年任期の連邦国家の君主となる場合などの例外もある。
なお日本語の民主主義の民主とは君主の対義語として作られた。 大正期に、吉野作造らによって唱えられた「民本主義」は、実質民主主義そのものであったが、 当時、神権天皇制国家であった日本においては「民主」という言葉自体が過激であると考えられ、「民本」と言い換えられた。
君主が元首となって統治する政体を君主制といい、君主制をとる国を君主国といったり、君主の称号に応じて帝国(皇帝・女帝,天皇の場合)、王国(国王・女王の場合)、公国(公・女公の場合)などという。君主が絶対的な権力を持っている政体は絶対君主制といい、憲法によって制限される政体を立憲君主制という。
日本国憲法下での天皇が君主と言えるかは争いがある。因みに、現行象徴天皇のように国政上の権能を一切否定された君主は、1974年改正憲法下のスウェーデン国王と日本国天皇を除いては存在していない。君主という概念自体が、日本国憲法には存在せず、学問的には意味のある争いではないとされる。 憲法前文、本文1条、4条によって、「象徴」以外の権能・能力を有することが禁じられた象徴天皇に戦前の神権天皇観に基づくと思われる「君主」「元首」と言った、憲法上法定されていない権能を付加することが、いかなる意味を持つのかは議論を深める必要がある。無論、民主制ではすべての国家の作用・権能は国民のもの(憲法前文)であるから、天皇に対し実質いかなる意義を持つものであれ、日本の憲法秩序上、法定されていない元首・君主と言った憲法外制度を事実上創設し、部分的にせよ国家の権能を与えることは、国民からそれらの権能を奪って天皇に付与するという重大な結果を意味するからである。また、天皇元首説も参照)。 天皇元首説も参照。
- 天皇は元首・君主か
現在の憲法学のリーダー的存在である芦部信喜説によると、 君主は①その地位が世襲で伝統的な権威を伴う、②統治権、少なくとも行政権の一部を有する、などが要件とされる。 元首の要件で特に重要なものは、外に向かって国家を代表する権能(条約締結権など)であるが(株式会社組織においての、代表権に類似)、天皇は「象徴」という、主権者の枠外の存在におかれ「国政に関する権能を有しない」者であると規定され(憲法4条)、外交関係では「認証」「接受」という形式的・儀礼的行為しか憲法上は認められていない(株式会社組織では、代表権の無い会長・社長、か)。 一方、憲法1条の象徴天皇制の規定の主眼は、国の象徴たる役割を強調するというよりも、むしろ天皇が象徴以外の役割を持つことを積極的に禁止した、と考えるべきである。 以上を併せて考えるに、伝統的元首・君主概念(結局、定義を変えるならば何とでも言えるが)に現在の象徴天皇が当てはまるとすることは、天皇を象徴として衣替えすることにより、敗戦後の現憲法秩序下での天皇制の制度としての延命を図った趣旨を没却することになり、難しいのではないか。
[編集] 君主の継承
君主の多くは世襲で継承され、同一家系から君主が連なるときにその連続体を王朝と呼ぶ。王朝は時として簒奪や断絶、中国における革命の易姓革命などによって交代するが、世襲の君主制で王朝交代は非常事態とされる。
世襲によらない君主制もある。君主権は、起源において、臣下の承認によって成立したものであるから、当初は君主が自由に処分できるものではなかった。その承認は(少なくとも支配集団の)共同の利益を実現する職能に対して与えられたから、無能な人物を血縁上の順位を理由に君主にする必然性もなかった。ローマ皇帝は、世襲原理をとらなかった顕著な例である。単数・複数の血族集団の中で年齢と能力を認められた者が君主を継承する慣行は、殷、日本、新羅のそれぞれ初期など数多くあり、古代にはこの方が一般的だったかもしれない。日本の天皇の前身である大王(おおきみ)も、群臣の推挙によって、一定資格を持つ王家の成員から選ばれていた。中世のドイツ・ポーランド・ハンガリーでは王家の断絶をきっかけに選挙王制が成立した。モンゴルの諸ウルスは、事実上の世襲だが、クリルタイによる選挙で君主を決めた。なお、決まらない期間が長期に渡ると、空位(くうい)と称される状態となる。
世襲によらない君主継承は、君主の死のたびに継承争いを引き起こす可能性を含んでいる(王位継承)。君主に選定される資格を持つ複数の候補に、それぞれ新政権下での地位向上をもくろむさまざまな政治的集団が結合することが、継承争いにからんで、時には激しい暴力的手段による解決が実行される大きな要因となっている。また、自分の子孫に君主権を独占させたいという現君主の欲望に即さない。継承の安定をはかり、現君主の意思を通すための制度として、王太子制がある。これは現君主の存命中に次の君主を決定し、継承争いを予防するものである。共同統治制も同じ目的で用いられることがある。
継承がさらに制度化されると、継承順位が世襲原理によって規定されることになる。その規定には、長男相続制があてられる場合が多かった。長男相続制は次代の君主を自動的に一人に確定できるので、君主の継承の際の紛争を最小限にした。しかし血縁の順位のみで選ぶと無能な君主や幼少の君主の出現が避けられない。そのような治世は、政治の混乱を来たすことが多かったが、継承の安定と引き換えに統治の実権を臣下に移すきっかけになることもあった。