殷
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殷
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殷(いん)(紀元前1600年頃 - 紀元前1046年)は、中国の王朝である。文献には夏王朝を滅ぼして王朝を立てたとされ、考古学的に実在が確認されている最古の王朝である。最終的に紀元前11世紀に周に滅ぼされた。商(しょう)とも。また王家の姓は子であったといわれているが、殷では王族を子鄭、子商などと称し、これは「子」字に領地と思しき地名を付しているようで、おそらくこれを姓と誤解したのではとも考えられている。
目次 |
[編集] 政治形態
殷社会の基本単位は邑(ゆう)と呼ばれる氏族ごとの集落で、数千の邑が数百の有力氏族や王族に隷属していた。 殷王はこれらの支配氏族の連合体の最高権力者であった。
[編集] 名前について
殷とは周などによって使われた他称であり、『史記』では一貫して殷である。一方商が自称であるという見方も成り立つことから現在の中国ではほぼ商、もしくは殷商と呼ばれる。商の名前は『通志』などで殷王朝の祖契が商に封じられたとあるのに由来するとされ、殷墟の甲骨文から都を商と呼んでいる事例は確認されており、周は殷の都を商邑と呼んでいる。しかし確定的な解釈があるわけではないことには留意すべきである。
殷の字は白川静によればその呪いの意味がある字であり、蔑称に近いという。しかし松丸道雄によれば「殷賑」の言葉から付けた尊称であるという。
『尚書』では「商」が使われ、『史記』では「殷」が使われている。
[編集] 殷の歴史
伝説上、殷王朝の始祖は、契とされている。契は、有娀氏の娘で、帝嚳の次妃であった簡狄が玄鳥の卵を食べたために生んだ子とされている。契は、帝舜のときに、禹の治水を援けた功績が認められ、帝舜により、商に封じられ、子姓を賜った。
その後、契の子孫は、代々夏王朝に仕えた。また、契から天乙までの14代の間に8回都を移したという。
- 契(始祖)
- 昭明 契の子
- 相土 昭明の子
- 昌若 相土の子
- 曹圉 昌若の子
- 冥 曹圉の子
- 王亥(高祖) 冥の子
- 王恆 王亥の弟
- 上甲微 王亥の子
- 報丁 上甲微の子
- 報乙 報丁の子
- 報丙 報乙の子
- 主壬 報丙の子
- 主癸 主壬の子
- 天乙湯 主癸の子、夏を滅ぼして天子になる
[編集] 成湯、夏を滅ぼす
契から数えて13代目の成湯は、亳(現在の河南省商丘市)に都していた。 成湯は、賢人伊尹の助けを借りて、暴虐な夏の帝桀を倒し、諸侯に推戴されて、天子となった。
[編集] 太宗の善政
殷の4代目の帝太甲は、暴君であったために、伊尹に追放された。後に、太甲が反省したので、伊尹は許した。後、太甲は善政を敷き、太宗と称された。
[編集] 中宗の中興
帝雍己の時に、王朝は一旦衰えた。帝雍己の次の帝太戊は賢人伊陟を任用し、善政に勤めた。殷王朝は復興した。帝太戊の功績を称えて、帝太戊は中宗と称された。
[編集] 祖乙の復興
中宗の死後、王朝は再び衰えた。帝祖乙は、賢人巫賢を任用し、善政に勤めた。殷王朝は復興した。
[編集] 盤庚の遷都
帝祖乙の死後、再び王朝は衰えた。帝盤庚は、殷墟に遷都し、成湯の頃の善政を復活させた。
[編集] 高宗の中興
帝盤庚の死後、再び王朝は衰えた。帝武丁は、賢人傅説を任用し、殷王朝の中興を果たした。帝武丁の功績を称えて、帝武丁は高宗と称された。
[編集] 帝辛の暴虐
高宗以降の帝は概して暴君であった。殷王朝最後の帝辛(紂王)は即位後、妲己という美女に溺れ、暴政を行った。そのため、周の武王に討たれた。そして、殷王朝は滅亡した。
[編集] 殷の滅亡年について
周が殷を滅ぼしたのは具体的に何年の出来事かを推定する作業が進められている。中国の夏商周年表プロジェクトに於いてはこの出来事を紀元前1046年の出来事としており、日本語版ウィキペディアに於いては基本的にはこれに従う。
古い説では『竹書紀年』に武王から幽王(西周最後の王)まで257年という記述があり、幽王が死んだのが紀元前771年のことなので殷が亡んだのは紀元前1027年の出来事となる。また『漢書』には周は867年続いたという記述があり、これからは紀元前1122年の出来事となる。
それ以外にも多数の説があり、殷滅亡を一番古い時代に置くのは紀元前1127年、最も新しい時代では紀元前1018年となっている。
[編集] 殷王朝のその後
帝辛(紂王)の子である武庚は、周の武王に殷の故地に封じられた。武王の死後、武庚は、武王の兄弟とともに反乱を起こしたが失敗した。その後、帝辛の兄である微子啓が宋に封じられ、殷王朝の祭祀を続けた。
[編集] 殷の天子の一覧
- 天乙(湯)
- 外丙
- 仲壬
- 太宗太甲
- 沃丁
- 太庚
- 小甲
- 雍己
- 中宗太戊
- 中丁(仲丁)
- 外壬
- 河亶甲
- 祖乙
- 祖辛
- 沃甲
- 祖丁
- 南庚
- 陽甲
- 盤庚
- 小辛
- 小乙
- 高宗武丁
- 祖庚
- 祖甲
- 廩辛
- 庚丁
- 武乙
- 太丁
- 帝乙
- 帝辛(紂王)
[編集] 関連項目
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