台湾の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
台湾の歴史(たいわんのれきし)では、台湾地域の歴史区分と主要な歴史的事項を述べる。なお、台湾地域の地域範囲については台湾の地域範囲を参照のこと。
目次 |
[編集] 時代区分と主要事項
[編集] 史前時代
- 230年、三国時代の呉の孫権が将軍衛温を派遣して探索を行った。
- 607年、隋の将軍朱寛による台湾探索。
- 1281年、元朝が澎湖諸島を領有。
- 1608年、有馬晴信が台湾へ軍勢を派遣。
- 1616年、長崎代官・村山等安が台湾へ軍勢を派遣。
[編集] オランダ植民統治時代(1624年~1662年)
- 1624年、オランダの東インド会社が、台湾島の大員(現在の台南市周辺)を中心とした地域を制圧。
- 1626年、スペイン勢力が台湾島北部の現基隆市付近に進出して要塞を築く。
- 1642年、オランダ東インド会社がスペイン勢力を台湾から追放する。
- 1661年、鄭成功の攻撃を受け、翌年に台湾から完全撤退する。
[編集] 鄭氏政権時代(1662年~1683年)
- 1662年、鄭成功がオランダ東インド会社を台湾から駆逐する事に成功する。
- 1683年、鄭氏政権が清朝に降伏し、滅亡する。
[編集] 清朝統治時代(1683年~1895年)
- 1683年、清朝が台湾を制圧して鄭氏政権を滅ぼすことに成功。後に台湾を福建省に編入する。
- 1858年、天津条約によって台南・安平(アンピン)港や基隆港が欧州列強に開港される。
- 1874年、日本による台湾出兵(牡丹社事件)が起きる。
- 1884年、清仏戦争が発生して台湾もフランス軍に攻撃される。
- 1885年、台湾省を新設する。
- 1887年、基隆―台北間に鉄道を敷設する。
- 1888年、郵政総局が完成する。
- 1895年、下関条約(馬關條約)に基づいて台湾が清朝から日本に割譲され、台湾省が廃止される。
[編集] 日本統治時代(1895年~1945年)
- 1895年、台湾民主国の建国・崩壊。
- 1915年、西来庵事件(タパニー事件)の勃発。
- 1930年、霧社事件の勃発。
- 1944年、日本軍による徴兵制度が発足。台湾人日本兵が兵役に服務する。これと同時に台湾人にも選挙権が認められた。
- 1945年、大日本帝国が連合国に降伏。第二次世界大戦(当時の台湾では「大東亜戦争」)が終結。
- 日本の統治時代には農業生産の向上や衛生状態の改善、鉄道の建設や鉱山の開発などインフラの整備が進んだ。
[編集] 南京国民政府統治時代(1945年~1949年)
- 1945年、中華民国(南京国民政府)・国民政府軍が台湾に上陸。台湾を統治する機関・台湾行政公所を設置。
- 1947年、二・二八事件が勃発。以降、国民政府による白色テロが頻発する。
- 1949年、蒋介石が国共内戦で崩壊状態にある国民政府(国府)を台北市へ移転し、実行統治区域内で戒厳令を実施。
[編集] 台湾国民政府統治時代(1949年~1996年)
- 1950年、蒋介石が総統職に就任。中華民国・台湾国民政府の活動が本格化。
- 1955年、台湾国民政府が浙江省・大陳列島を喪失。これにより、今日の台湾地域(広義の台湾)が形成される。
- 1971年、国際連合総会にて、アルバニア提案の「国府追放、北京招請」案が可決され、台湾国民政府が「中国」の代表権を喪失。同時に国連から脱退。
- 1972年、日本と中華人民共和国の国交樹立により日華平和条約が終了。台湾国民政府が日本との国交を断絶。
- 1979年、台湾国民政府がアメリカ合衆国との国交を断絶。
- 1987年、台湾で戒厳令を解除。その後、他の地域でも暫時解除。
- 1996年、国民の直接選挙による総統選出が実施され、李登輝が当選。国民党の一党独裁体制が完全に消滅。
[編集] 台湾総統選挙時代(1996年~)
- 2000年、中華民国総統に民主進歩党の陳水扁が選出され、中国国民党が初めて野党となる。
- 2004年、陳水扁が総統職に民選で初めて再選される。
- 2005年、連戦国民党主席が中華人民共和国を訪問。胡錦濤共産党総書記と1945年以来の国共首脳会談を行なう。