総統民選期の中華民国
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中華民国では、1996年から総統の選出方法が国民による選挙(民選)となり、与野党の政権交代も起きるようになっている。
中華民国政府は中華民国を「『中国』の国家」、自政府を「『中国』の政府」と定義し続けているものの、総統の選出方法が民選になったことにより、政府存続の正統性は「中華民国憲法に基づいて成立していること」から「選挙によって示される台湾地域(政府の実効統治区域)の国民の民意に基づいて成立していること」へと変質し、国家の存在定義の建前と政府の正統性の現実とが乖離するようになった。その為、国家の存在定義の建前と政府存続の正統性の現実とが乖離した1996年以降の中華民国の政治体制を中華民国第二共和制と呼称する事がある。
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[編集] 李登輝総統時代(中国国民党、1996年~2000年)
[編集] 第一期陳水扁総統時代(民主進歩党、2000年~2004年)
1990年代前半の李登輝総統時代に本格化した中華民国の民主化の結果、外省人に対する本省人の政治的地位向上が進んだこともあって、台湾では自分を「中国人」ではなく「台湾人」と捉える人が増加し、「台湾人意識」(台湾人としてのアイデンティティを持とうとする意識)が高まり出した。
その為に、2000年の総統選挙においては「台湾人意識」を掲げる陳水扁元台北市長(後に民進党こと民主進歩党党首も兼務)が当選し、更には李登輝前総統らが中心となっている台湾正名運動や、台湾独立運動(台独運動)もより活発化するようになった。
ただしその一方で、台湾では台独に反対し、中華人民共和国との平和共存を訴える中国国民党(国民党)や親民党の野党勢力も依然強い支持を受けていたため、立法院(日本の国会に相当)では与野党の勢力が均衡して政局運営が不安定し、中国統一か台独かで国論の二分化がより深化していった。
このために、国民投票によって台湾の将来を解決しようという機運が高まり、2003年6月に陳水扁総統が建設中の原子力発電所の工事中止についての是非などを問う住民投票を行うと宣言したのを機縁として、2003年11月27日には、立法院が公民投票法案(国民投票法案)について採決を行った。
採決は全38条について逐条で行われ、最も注目の集まったのは法の適用範囲に関する条項であったが、この条項に関しては民進党案(国名、国旗、領土の変更も提議出来るとするもので独立色が強い)ではなく、国民党・親民党案(これらの問題に明言を避けるもの)が、賛成多数で採択された。
このような中華民国における政治の動きに対し、台湾を台湾省という国土の一部として扱っている中華人民共和国は、台独の動きに拍車がかからないように牽制活動をしており、「台独には武力行使も辞さず」という態度をとっている。
なお、2004年実施の最初の国民投票は、中華人民共和国以外にも日本・米国・フランスが難色を示したために、内容は非常に曖昧に調整された。しかし結局法定の有効投票率50%に達成できず、無効になった。
[編集] 第二期陳水扁総統時代(民主進歩党、2004年~2008年までを予定)
04年の総統選挙を劇的な形で乗り切った(銃撃事件をうけ、同情票を集めたと見られる)陳総統であったが、その得票率はかろうじて過半数を超えるものでしかなく、その政権運営の困難を予想させるのに十分なものであった。
事実、国民党は新党首に、外省人にも本省人にも人気の高い馬英九台北市長を選出し、民進党との対立を先鋭化させていく。
反中を続ける民進党に対し、国民党は左傾化し、訪中を重ねて中国政府の信頼を得ることに成功した。既に中国経済に深く組み込まれた台湾では、大多数の国民は中国とトラブルの耐えない陳政権に不信感を持ち始めており、陳氏の娘婿や自分自身のスキャンダルによってその不信は爆発し、06年の大規模なデモ運動につながった。
また陳総統と党主席の座を争って敗れた施明徳が党を離脱し、率先して反政権運動を始めるなど、民進党の内部分裂も進んでいる。
党首脳も党勢を立て直そうと努力するものの、元々様々な独立・民主化勢力が烏合して党を作ったという経歴もあり、また断固独立を目指す右派と、現状維持をよしとする左派との対立も表面化するなど、政治経験の薄い陳総統には苦しい展開が続いている。
さらに台湾を巡る周辺諸国、とくに中米日の駆け引きも台湾政治に大きな影響を与えている。民進政権を下野させたい中国は、先年のミサイル演習事件の失敗からソフト路線に転換し、経済と絡めて国民党を取り込み、民進党を内部分裂させる戦略を展開しているとされる。
一方アメリカもまた対テロ戦争などを抱え、中国との関係を悪化させたくないとの観点から、共和党政権下でも台湾独立に反対の立場を崩していない。日本もまたそのアメリカの姿勢に追随しているが、日本国内での反中意識の高まりから、台湾独立を積極的に支持しようという動きも活発化してきている。
そしてそのような動きを李登輝などの親日政治家らが取り込もうとしているが、そのような動きは(日本で報道される割には)一部であり、基本的にはアメリカと中国が、住民の意志を無視して台湾を代理戦争の場としているという図式は戦後一貫して変わって居ない。
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