上野千鶴子
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上野千鶴子(うえの ちづこ、1948年7月12日 - )は、富山県出身の社会学者。専攻は、家族社会学、ジェンダー論、女性学、記号論、人類学、フェミニズム。現・関東社会学会会長(2005年-2006年度)。
代表著作は『近代家族の成立と終焉』、『家父長制と資本制』など。フェミニスト。
目次 |
[編集] 経歴
1980年代にマルクス主義フェミニズムを唱えるフェミニストとして、『セクシィ・ギャルの大研究』が鶴見俊輔・栗本慎一郎に絶賛されたことで脚光を浴び、アグネス論争に参入、現代の消費社会を論じるフェミニストとして知られるようになる。1990年代以降、家族、建築、介護、福祉の問題や、文学心理学、社会心理学などの学問領域について、専門領域である社会学のみならず、文化人類学、表象文化論などの方法を駆使して論じている。
肩書きは「社会学者」とされているが、彼女の思想や活動の中心はフェミニズムであり、著書の大半が、フェミニズム運動家・左翼運動家の立場から書かれたものである。初期はマルクス主義フェミニズムに依拠していたが、後に現代思想に傾倒し、近年は、その流れを汲んだフェミニズム理論を唱えるようになっている。発言内容が過激なため障害者団体の抗議や同性愛者の非難の的となったこともたびたびある。
[編集] 学歴
[編集] 職歴
- 1978年 日本学術振興会奨励研究員。
- 1979年 平安女学院短期大学(現・平安女学院大学短期大学部)専任講師。
- 1989年 京都精華大学人文学部助教授。
- 1992年 同教授。
- 1993年 東京大学文学部助教授。
- 1995年 同教授。
- 1997年 同大学大学院人文社会系研究科教授。
[編集] 受賞歴
- 1994年 『近代家族の成立と終焉』でサントリー学芸賞。
[編集] 批判
・『マザコン少年の末路――女と男の未来』を巡って
『マザコン少年の末路――女と男の未来』(河合文化教育研究所、1986年)で、先天的早期脳障害の自閉症や、登校拒否(不登校)はマザコン(マザー・コンプレックス)が原因であると非科学的な主張をして、自閉症児を持つ親の会などから抗議を受けた。後に、その批判も併記して出版しなおされることとなった。しかし、上野はこの言説について撤回や謝罪は未だに一切していない。
・と学会の書籍で彼女の記述がトンデモ説として取り上げられたことがある(上野はその著作の中で、足の長い男性が女性にモテるのは、胴が短くて「寄生虫」に強い男性を利己的遺伝子が求めた結果だと主張した)。
・同性愛差別発言に関して
ホモセクシュアル(同性愛)とホモソーシャル(男性社会)を混同した無知を浅田彰に指摘されたことがある(これについては、後に上野自身が訂正した)。ほかに、「私は同性愛者を差別する」と書いたり、女性同性愛者を「オマンコシスターズ」と書いたことで、同性愛者団体やレズビアンから抗議されたことがある(同性愛差別については、イヴ・セジウィックやジュディス・バトラーらの思想(クィア理論・クィアスタディーズの思想家たち)と出会った後に転換を表明した)。
・『男流文学論』に関して
『男流文学論』では、ある文豪を「マスをかき過ぎて死んだ猿」と罵倒し、こんなものは文学論ではないと厳しい批判が巻き起こった。
・雑誌『テーミス』での人生相談の回答に関して
1980年代に、雑誌『テーミス』(現在廃刊)で人生相談を連載していたことがあり、恋人ができないという悩みを寄せてきた若い男性に対して、「うふふふ、ウブですね~。女の股を開かせることもできないなんて。(略)どうすればいいのでしょうね。あなたみたいなモテない男がいるから性産業がなくならないのですよね。性犯罪に結び付かなければいいですね」などと中傷を伴う返答をしたため、批判が殺到した。
・『サヨナラ、学校化社会』に関して
『サヨナラ、学校化社会』で、かつて自分が勤務していた京都精華大学を「4流大学」と書き、物議をかもした。後に、小倉千加子との対談集『ザ・フェミニズム』において、「学歴とは現代の階級のことであることを発見した小倉に対して、上野はその通りだと答える。小倉は、未婚女性へのインタビューなどによって、親の財力によって娘の学歴が決まる階級社会の存在や男女の不平等があることを指摘している。
・『月刊 ASAHI』の記事に関して
1989年、『月刊 ASAHI』で「女による女叩きが始まった。曽野綾子現象を解剖する」を寄稿し、男が女を批判するのは分が悪い。そこで女どうしの戦いを演出していると主張した。この文章は、「~だもんね」などと表現されていたために週刊ポストは、「『だもんね』論文に批判殺到」と記事にし、西部邁は「真面目な話題を『だもんね』などという茶化した言葉で誤魔化している」と批判。曽野綾子も「少々若作りな薄汚い言葉を使うのは止めなさい」と批判した。
・『ジェンダーフリーは止まらない!―フェミバッシングを超えて』に関して
Amazonの書誌データよりの引用であるが、「2001年4月15日、NPO法人フィティ・ネットの立ち上げを記念して開催された設立記念フォーラム「してはいけないジェンダーフリー?」の際の上野千鶴子と辛淑玉の講演・トークの内容をまとめ」た、『ジェンダーフリーは止まらない!―フェミバッシングを超えて』(松香堂書店.2002)において、上野が、「女は嫁に行くのが一番だ、と私は信じています」といった個人的信条を犯罪として取り締まるべきだと主張した記述があるため、ファシズムではないかと批判が広まっている。
[編集] 講演における発言
「男女共同参画社会基本法が可決された。しかも全会一致で、私はこのように思った。この男女共同参画社会基本法がどのようなものか知っていて通したのかよ~と(笑)」。
「これにより後で保守系オヤジどもを地団駄踏んで悔しがらしてやる」。
「亀井静香ような信念をもったオヤジは死んでもらうだけだ」。
「ジェンダーフリーという言葉を使わなくても、痛くも痒くもない。使うなと言われたら、『男女平等』という言葉を使って、スリ換ればよいのです。そんなに大騒ぎするほどのことではない」。
「ジェンダーフリー・バッシングをする人には、『それなら、あなた、男女平等には反対ですか、男尊女卑は好きですか』と畳み掛ければ、言葉がつまります。彼らは絶対にそうは言いません。選挙に落ちるから」。
「だいたい、男女共同参画法を通したのは、不勉強なおじさんたちです。不勉強だったんですよ。無知。それで、通ってから、 変革のお嫌いなおじさんたちは、気が付きました。それで、いまさら攻撃しています。ざまあみろ。あはは」。
「ジェンダーフリー・バッシングの急先鋒に女の議員が立っている。高市早苗と山谷えり子だ。そんなに男に頭を撫でてもらいたいのか。はははは」。
(聴衆の一人の男性の、「就職活動が不安だ」という声に対して)
「最近の東大の男の子も、『就職活動が怖い』って言うんです。それは、母親から精神的に自立できていないってことなんだろうね。人間って成長していくに従って、何が出来て何が出来ないのかを自然と知っていくものだけど、今の若い男の子は、そういう経験が無いんだろうね。もう、これは色々な経験をして、『あ痛たたた・・・』っていう経験をするしかない」。
[編集] 著書
[編集] 単著
- 『セクシィ・ギャルの大研究 ―― 女の読み方・読まれ方・読ませ方 (カッパ・サイエンス)』 (光文社、1982年)
- 『資本制と家事労働 ―― マルクス主義フェミニズムの問題構制』 (海鳴社、1985年)
- 『構造主義の冒険』 (勁草書房、1985年)
- 『女は世界を救えるか』 (勁草書房、1986年)
- 『女という快楽』 (勁草書房、1986年)
- 『マザコン少年の末路 ―― 女と男の未来』 (河合文化教育研究所、1986年)
- 『<私> 探しゲーム ―― 欲望私民社会論』 (筑摩書房、1987年)
- 『女遊び』 (学陽書房、1988年)
- 『接近遭遇 ―― 上野千鶴子対談集』 (勁草書房、1988年)
- 『スカートの下の劇場 ―― ひとはどうしてパンティにこだわるのか』 (河出書房新社、1989年)
- 『ミッドナイト・コール』 (朝日新聞社、1990年)
- 『家父長制と資本制 ―― マルクス主義フェミニズムの地平』 (岩波書店、1990年)
- 『性愛論 ―― 対話篇』 (河出書房新社、1991年)
- 『セゾンの発想 ―― マ-ケットへの訴求』 (リブロポ-ト、1991年)
- 『うわの空 ―― ドイツその日暮らし』 (朝日新聞社、1992年)
- 『近代家族の成立と終焉』 (岩波書店、1994年)
- 『発情装置 ―― エロスのシナリオ』 (筑摩書房、1998年)
- 『ナショナリズムとジェンダー』 (青土社、1998年)
- 『ラディカルに語れば… ―― 上野千鶴子対談集』 (平凡社、2001年)
- 『上野千鶴子が文学を社会学する』 (朝日新聞社、2000年)
- 『家族を容れるハコ 家族を超えるハコ』 (平凡社、2002年)
- 『差異の政治学』 (岩波書店、2002年)
- 『サヨナラ、学校化社会』 (太郎次郎社、2002年)
- 『国境お構いなし』 (朝日新聞社、2003年)
- 『老いる準備 ―― 介護することされること』(学陽書房, 2005年)
- 『生き延びるための思想 ―― ジェンダー平等の罠』(岩波書店, 2006年)
[編集] 共著
- (高田公理・野田正影・奥野卓司・井上章一)『現代世相探検学』(朝日新聞社、1987年)
- (網野善彦・宮田登)『日本王権論』(春秋社、1988年)
- (伊藤比呂美)『のろとさにわ』(平凡社、1991年)
- (NHK取材班)『90年代のアダムとイヴ』(日本放送出版協会、1991年)
- (小倉千加子・富岡多恵子)『男流文学論』(筑摩書房、1992年)
- (田中美由紀・前みちこ)『ドイツの見えない壁――女が問い直す統一』(岩波書店[岩波新書]、1993年)
- (中村雄二郎)『「人間」を超えて――移動と着地』(河出書房新社、1994年)
- (本間正明)『NPOの可能性――新しい市民活動』(かもがわ出版、1998年)
- (中村雄二郎)『21世紀へのキーワード:インターネット哲学アゴラ――日本社会』(岩波書店、1999年)
- (宮台真司)『買売春解体新書――近代の性規範からいかに抜け出すか』(柘植書房新社、1999年)
- (川村湊・成田龍一・奥泉光・イ・ヨンスク・井上ひさし・高橋源一郎)『戦争はどのように語られてきたか』(朝日新聞社、1999年)
- (小倉千加子)『ザ・フェミニズム』(筑摩書房、2002年)
- (辛淑玉)『ジェンダー・フリーは止まらない!――フェミ・バッシングを超えて』(松香堂書店、2002年)
- (中西正司)『当事者主権』(岩波書店[岩波新書]、2003年)
- (行岡良治)『論争・アンペイドワークをめぐって』(太田出版、2003年)
- (鶴見俊輔・小熊英二)『戦争が遺したもの――鶴見俊輔に戦後世代が聞く』(新曜社、2004年)
- (信田さよ子)『結婚帝国女の岐れ道』(講談社、2004年)
- (趙韓惠浄)『ことばは届くか――韓日フェミニスト往復書簡』(岩波書店、2004年)
[編集] 編著
- 『主婦論争を読む――全記録(1・2)』(勁草書房、1982年)*『色と欲』(小学館、1996年)
- 『キャンパス性差別事情――ストップ・ザ・アカハラ』(三省堂、1997年)
- 『構築主義とは何か』(勁草書房、2001年)
- 『脱アイデンティティ』(勁草書房、2005年)
[編集] 共編著
- (電通ネットワーク研究会)『「女縁」が世の中を変える――脱専業主婦のネットワーキング』(日本経済新聞社、1988年)
- (鶴見俊輔・中井久夫・中村達也・宮田登・山田太一)『シリーズ変貌する家族(全8巻)』(岩波書店、1991年-1992年)
- (樺山紘一)『21世紀の高齢者文化』(第一法規出版、1993年)
- (井上輝子・江原由美子)『日本のフェミニズム(全8巻)』(岩波書店、1994年-1995年)
- (綿貫礼子)『リプロダクティブ・ヘルスと環境――共に生きる世界へ』(工作舎、1996年)
- (メディアの中の性差別を考える会)『きっと変えられる性差別語――私たちのガイドライン』(三省堂、1996年)
- (河合隼雄)『現代日本文化論(8)欲望と消費』(岩波書店、1997年)
- (田端泰子・服藤早苗)『シリーズ比較家族(8)ジェンダーと女性』(早稲田大学出版部、1997年)
- (井上俊・見田宗介・大澤真幸・吉見俊哉)『岩波講座現代社会学(全27巻)』(岩波書店、1995年-1997年)
- (見田宗介・内田隆三・佐藤健二・吉見俊哉・大澤真幸)『社会学文献事典』(弘文堂、1998年)
- (井上輝子・江原由美子・大沢真理・加納実紀代)『岩波女性学事典』(岩波書店、2002年)
- (寺町みどり・ごとう尚子)『市民派政治を実現するための本――わたしのことは、わたしが決める』(コモンズ、2004年)
- (岩崎稔・成田龍一)『戦後思想の名著50』(平凡社, 2006年)
[編集] 訳書
- バーバラ・シンクレア『アメリカ女性学入門』(勁草書房、1982年)
- A・クーン, A・ウォルプ編『マルクス主義フェミニズムの挑戦』(勁草書房、1984年)
- バベット・コール 『トンデレラ姫物語』 (ウイメンズブックストア松香堂、1995年)
- バベット・コール 『シンデレ王子の物語』 (ウイメンズブックストア松香堂、1995年)
- ジェフリー・ウィークス『セクシュアリティ』(河出書房新社、1996年)
[編集] 関連図書
- 同書のタイトルは、エドワード・オールビー 『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』のパロディ
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- The Japan Times: Speaking up for her sex(英語。2006年3月5日。By ERIC PRIDEAUX)
- 『上野千鶴子著「マザコン少年の末路」の記述をめぐって』