西部邁
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西部 邁(にしべ すすむ、1939年3月15日 - )は、北海道出身の評論家・経済学者である。秀明大学学頭(学長)、雑誌「表現者」の顧問を務める。長男はイタリアンレストランのオーナー兼シェフ。
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[編集] 来歴
北海道札幌南高等学校卒業後、一年間の浪人生活を経て、1964年、東京大学経済学部卒業。同大学院経済学研究科理論経済学専攻修士課程修了。在学中、東大自治会委員長・都学連副委員長・全学連中央執行委員として60年安保闘争に参加。横浜国立大学助教授、東大教養学部助教授を経て教授。1988年、東京外国語大学助手・中沢新一を東大助教授に推薦。委員会では通ったが教授会の採決で認められず、西部は教授会に抗議して、東大を辞任。東大中沢事件として話題になる。西部曰く「東大の馬鹿騒ぎ」。西部支持に回ったのは、蓮實重彦、佐藤誠三郎、公文俊平、村上泰亮、村上陽一郎、芳賀徹、平川祐弘、鳥海靖、舛添要一、松原隆一郎、大森彌などである。
学生運動から離脱後、やはりブントの活動家であった青木昌彦の勧めで東京大学大学院に進み、経済学を研究。指導教官は、宇沢弘文である。当初はオーソドックスな新古典派経済学を専攻するが、1975年出版の処女作『ソシオ・エコノミックス』では、社会学などの方法論を導入して独自の新古典派経済学批判を行い注目された。その後渡米し、カリフォルニア大学バークレー校にて研究。『蜃気楼の中へ』という滞在記を連載した。帰国後、80年代から大衆社会批判を主軸とした保守論客として活躍をはじめた。
ケインズとヴェブレンの小伝『経済倫理学序説』で1983年に吉野作造賞を受賞、社会思想風エッセーを集めた『生まじめな戯れ』でサントリー学芸賞を受賞するなど、80年代の論壇の寵児として、各方面で発言を続け、書評も多く手がけた。1989年の『新・学問論』では、タルコット・パーソンズ理論のAGIL図式にヒントを得て、言語理論を基礎に据えた社会科学4分野(政治・経済・社会・文化)の統合を提唱するなど、一貫して知識の総合性を志向した探求活動を続けている。大衆批判、ビジネス文明批判、アメリカ批判などを通じて「保守思想」を主張し続けているが、その手法は従来の保守派思想家とは大きく異なる。社会科学の出身であること、そして言語学・哲学に通暁していることを生かして、高度に体系的・理論的な叙述を試みている点が独特であるといえよう。自らも受賞したサントリー学芸賞の選考委員を長く委嘱されていた。法哲学の井上達夫が駒場時代に助手であったころ西部に大きく影響し、千葉大学助教授となった井上を論壇に押し上げたのは、西部がサントリー学芸賞選考で井上を高く評価したところによる。
東大辞職後はテレビ出演も始め、朝まで生テレビの常連出演者でもあった。1994年から2005年3月まで、真正保守思想を標榜する月刊言論誌「発言者」を創刊運営していたが、財政上の問題で廃刊。2006年4月現在は後継誌「表現者」が刊行されており、顧問を務める。
新しい歴史教科書をつくる会に参加し理事の任を引き受けたものの、当初から会の運動とは一定の距離を置いており、理事会等へは出席せず。同会から、西尾幹二著『国民の歴史』に続く形で著書『国民の道徳』(扶桑社、ISBN 459402937X)を発表。『新しい公民教科書』(ISBN 4594031560)の中心筆者でもあったが、西尾による台湾批判、及びそれにつながる形での(「つくる会」にも協力的だった台湾独立派である)金美齢への批判を巡って、西尾との間で論争にまで発展。
「アメリカニズム」「グローバリズム」「近代主義」への批判は従来から西部の思想の中心を占めていたが、9・11同時多発テロ以降のアメリカ批判の発言は西尾幹二や田久保忠衛らとの対立を招き、2002年、小林よしのり[1]とともに「つくる会」を脱退。
以後、産経新聞や「正論」、「諸君!」を中心とする日本の保守論壇の主流とは明確に一線を画し、彼らを「親米保守派」として痛烈に批判。イラク戦争をめぐっては特に激しく対立し、西部は現在に到るまで、「アメリカこそテロ国家」「反米こそ真正保守」であるとの立場を崩していない。
現在、保守論壇からやや孤立している状況にあるが、月刊「発言者」主幹として、自身の考える「真の保守思想」を発信し続けた。愛弟子にあたる佐伯啓思や、かつては論敵であった小林よしのりと共に、日本の対米従(隷)属とアメリカによる世界破壊への批判を強めている。そのため「左に回帰した」と批判されるが、内閣総理大臣の靖国神社参拝や核武装、徴兵制に賛意を示すなど、従来からの保守色は薄まっていない。しかし他の保守論壇人が自らの輪の中で閉塞していく中、姜尚中と対談したり、「週刊金曜日」の取材に応じて「こういう状況になったのはあなたたちにも責任がある(大意)」と叱咤したりと、立場の違うものとも積極的に対話しようとする姿勢は際立っている。本人曰く「自分は5.1対4.9で右翼」らしい。
2004年12月から東京MXテレビ立川談志・野末陳平の言いたい・放題の出演・2005年4月からは吉村作治早稲田大学教授・毒蝮三太夫と談志シングーファイブを結成しメンバーとなる。
[編集] 受賞歴
[編集] 著書
- 『アホ腰抜けビョーキの親米保守』(小林よしのりとの共著) 飛鳥新社
- 『戦争と国家』(小林よしのり、福田和也、佐伯啓思との共著) 飛鳥新社
- 『テロルと国家』(福田和也、佐伯啓思、絓秀実との共著)
- 『愛国心』(姜尚中、田原総一朗との共著) 講談社
- 『獅子たりえぬ超大国——なぜアメリカは強迫的に世界覇権を求めるのか』 日本実業出版社
- 『国民の道徳』 産経新聞ニュースサービス
- 『思想の英雄たち』 文藝春秋
- 『知性の構造』 ハルキ文庫
- 『新・学問論』 講談社現代新書
- 『大衆への反逆』 文藝春秋
- 『大衆の病理——袋小路にたちすくむ戦後日本』 NHKブックス
- 『ソシオ・エコノミックス』 中央公論新社…2006年にイプシロン出版企画より復刊。
- 『経済倫理学序説』 中央公論社
- 『生まじめな戯れ——価値相対主義との闘い』 ちくま文庫
- 『60年安保——センチメンタル・ジャーニー』 文藝春秋
- 『学者 この喜劇的なるもの』 草思社
- 『蜃気楼の中へ——遅ればせのアメリカ体験』 中央公論社
- 『寓喩としての人生』 徳間書店
- 『無念の戦後史』 講談社
- 『友情』 新潮社
- 『日本人と武士道』 角川春樹事務所 スティーヴン・ナッシュのペンネームで
ほか多数。
[編集] 関連項目
[編集] ウェブサイト
西部邁・『発言者』塾ウェブサイト http://www.hatugenshajuku.net/
[編集] 門下生
[編集] 関連人物
- 見田宗介※1988年の中沢新一を巡る東大人事紛争で、日和見的態度に終始して混乱の遠因を作った元東大教養学部社会科学科教授。元西部邁の同僚。