マリリン・モンロー
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マリリン・モンロー(Marilyn Monroe, 1926年6月1日 - 1962年8月5日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身の女優。本名ノーマ・ジーン・モーテンセン(Norma Jeane Mortensen)、その後改名してノーマ・ジーン・ベイカー(Norma Jeane Baker)。1950年代中盤から現在に至るまで「アメリカのセックスシンボル」と称される。モンローという芸名は彼女の母親の名前である。
身長166.4cm 体重53.5kg B94 W61 H86、血液型AB型。トレードマークは、真っ赤に塗られた唇、口元のホクロ、モンロー・ウォークと呼ばれた独特な歩き方。フェラガモに作らせた靴のサイズは、24.5cm。ノルウェー人の血を引いているが、本当の髪の色はブロンドではなく褐色(ブルネット)であった。
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[編集] 経歴
片親家庭に生まれ、母親が精神病を患ったために孤児院に入ったり、里子としてあちこちを転々とした。里子に出された先で性的虐待やネグレクトに遭ったのではないかと言われる。
16歳で、母の家の側に住むジム・ドハティと最初の結婚をする。スカウトされてモデルとして活動し始める。彼女の夫はモデル業に理解を示さなかったため、結婚から4年で離婚。
1947年に20世紀フォックスの『嵐の園』という映画に端役でデビューするが、あまりぱっとせずに契約を切られてしまった。しかし女優への夢が諦めきれなかった彼女はコロムビア映画に移籍、『コーラスのレディたち』で準主役となる。しかしコロムビア映画とはその映画一本のみで終わってしまう。 再びヌードモデルなどをしながら演技の勉強をし、エージェントを探す日々が始まる。
1951年にエージェントのジョニー・ハイドの尽力で『アスファルト・ジャングル』『イヴの総て』に出演、注目された。以後、数本の映画に脇役で出、1952年の『ノックは無用』で初主演。続く『紳士は金髪がお好き』や『百万長者と結婚する方法』、『七年目の浮気』が大ヒットして一躍トップスターとなった。
1954年2月1日に元野球選手ジョー・ディマジオと結婚。新婚旅行で日本を訪れたが、結婚生活は9か月しか続かなかった。
その後、セックスシンボルを脱したかった彼女は、ニューヨークに移りリー・ストラスバーグが主催するアクターズ・スタジオで演技の指導を受けている。
1956年には劇作家のアーサー・ミラーと結婚するが、1957年頃から不安定な状態が続き、睡眠薬を飲みすぎたりして、精神病院に入ったりもした。アンナ・フロイトには境界性人格障害と診断されたが、正確なところは分からない。
1961年にアーサー・ミラーと離婚。この頃、ジョン・F・ケネディと交際していたと言われている。同年に封切られた映画『荒馬と女』の評判が悪く、また共演のクラーク・ゲイブルが撮影終了後に亡くなったこともあって不安定になり精神病院に入院。よりを戻した(2番目の)元夫ディマジオが彼女を支えた。
1962年、映画『女房は生きていた』の主演になるが、たびたび撮影をすっぽかすため制作はほとんど進まなかった。5月(亡くなる3か月前)には、ジョン・F・ケネディ大統領の誕生パーティーで『ハッピーバースデートゥーユー』を歌った。『女房は生きていた』の主役は結局降ろされた(のちにドリス・デイ主演で公開)。
1962年8月に36歳で死去。死の直後、マスコミでは死因は睡眠薬の大量服用による急性バルビツール中毒で、自殺の模様と大々的に報道され世界に多大な衝撃・悲嘆が駆け巡った。しかし1980年前後以降は自殺説は影を潜め、何者かによる謀殺説が根強く叫ばれ続けている。現場からは自殺に使うはずのコップは発見されておらず、また遺体からは彼女が遺体で発見されたとき、手には受話器が握られていたものの、電話局からは通話記録はなく、部屋からは彼女の日記が消えていた。仮に謀殺だとすると、電話の通話記録の改ざん・隠蔽を行うことができる政治力の持ち主が関わっていたとする主張がある。
その墓所は故郷ロサンゼルスのウエストウッド・メモリアルパークにある。
[編集] 主な出演作品
- 1947年:『嵐の園』でスクリーンデビュー。『Dangerous Years』
- 1948年:『Ladies of the Chorus』
- 1949年:『Love Happy』
- 1950年:『彼女は二挺拳銃(A Ticket to Tomahawk)』『アスファルト・ジャングル(The Asphalt Jungle)』
- 1950年:『イヴの総て(All about Eve)』
- 1952年:『ノックは無用(Don't Bother to Knock)』『モンキー・ビジネス(Monkey Business)』
- 1953年:『ナイアガラ(Niagara)』『紳士は金髪がお好き(Gentleman Prefer Blondes)』
- 1953年:『百万長者と結婚する方法(How to Marry a Millionaire)』
- 1954年:『ショウほど素敵な商売はない(There's No Business Like Show Business)』
- 1954年:『帰らざる河(River of No Return)』
- 1955年:『七年目の浮気(The Seven Year Itch)』
- 1956年:『バス停留所(Bus Stop)』
- 1957年:『王子と踊子(The Prince and the Showgirl)』
- 1959年:『お熱いのがお好き(Some Like It Hot)』 - ゴールデングローブ賞女優賞(コメディ/ミュージカル部門)受賞
- 1960年:『恋をしましょう(Let's Make Love)』
- 1961年:『荒馬と女(The Misfits)』
[編集] 外部リンク
[編集] 関連作品
- 映画『マリリンとアインシュタイン』(INSIGNIFICANCE、1985、米):監督 ニコラス・ローグ、出演:テレサ・ラッセル、ゲイリー・ビューシイ、トニー・カーティス
- 映画『ノーマ・ジーンとマリリン』(Norma Jean and Marilyn、1996、米):監督 ティム・フェイウェル、 出演:アシュレー・ジャド、ミラ・ソルヴィノ、ジョシュ・チャールズ、ピーター・ドブソン
- ノンフィクション『マリリン・モンローの真実』(アンソニー・サマーズ)
[編集] 関連事項
- ジョン・F・ケネディ
- ロバート・ケネディ
- ジョー・ディマジオ
- シャネルNo.5
- アンディー・ウォーホル
- ミルトン・グリーン
- 向井真理子
- 井上和香
- 浪越徳治郎
[編集] 参考文献
- 亀井俊介著『マリリン・モンロー』岩波書店[岩波新書]。1987年7月発行。ISBN 4004203813
- 亀井俊介著『アメリカでいちばん美しい人――マリリン・モンローの文化史』岩波書店。2004年12月発行。ISBN 400022025X
- プレイメイト
- 1953年12月
-
- 先代:
- なし
- 次代:
- マージー・ハリソン
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