孤児院
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孤児院(こじいん)とは、親や世話してくれる近親者のない子供、孤児を収容し、養護するための施設。
日本においては、かつては1929年(昭和4年)4月2日公布、1932年(昭和7年)1月1日施行の救護法第6条に「本法ニ於テ救護施設ト称スルハ養老院、孤児院其ノ他ノ本法ニ依ル救護ヲ目的トスル施設ヲ言フ」と法令で定められた用語であったが、救護法は1946年(昭和21年)10月1日に失効し、同様の施設については1948年(昭和23年)1月1日施行の児童福祉法によって養護施設、1998年(平成10年)4月1日施行の同法改正によって児童養護施設と改称されている。
したがって、2006年現在においては、日本国内における孤児を保護する施設について表す場合には1947年(昭和22年)以前について表記する場合に用いるか、慣用的に用いられる用語である。諸外国における孤児を保護する施設については2006年現在においても、慣用的に訳語として用いられる。
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[編集] 日本における孤児院
日本において、孤児を保護する施設として設立された最初期のものとして、1887年(明治20年)に石井十次により設立された岡山孤児院が挙げられる。また、1890年(明治23年)に発生した経済恐慌から1893年(明治26年)頃までの間の不景気の間にも、資本主義社会の急速な発達と社会福祉制度の不備から貧困住民が増大し、孤児や捨て子が大量に発生し、これらを救済する民間の孤児院が設立された。その多くはキリスト教系団体によるものであった。
第二次世界大戦後の一時期には戦災孤児が多く発生した。戦災孤児らの保護活動で最も知られた施設として沢田美喜により設立されたエリザベス・サンダースホームが挙げられる。
1948年(昭和23年)以降の孤児を保護する施設については児童養護施設を参照のこと。
[編集] 諸外国における孤児院
[編集] アメリカ
アメリカにおける最初の孤児院は、1740年にジョージ・ホイットフィールドにより設立されたぺセスダ孤児院である。そのほかに著名な孤児院としては、,ネブラスカ州オマハのフラナガン神父の少年の町(Girls and Boys Town)がある。
近年では、孤児院という言葉にある差別的な語感から、英語表現としては "group home"が用いられることが多くなってきた。ただし、この表現は障害者の社会的自立のための共同住居、高齢者の共同生活住居などにも使われる。日本語では、「~寮」と訳されることもあるが、カタカナ表記でも使われる。
[編集] イギリス
イギリスにおける著名な孤児院としては1870年にトーマス・バーナード(Thomas John Barnardo)によって設立されたバーナード・ホームがある。
[編集] イタリア
第二次世界大戦の後、両親を失った子供たちを収容したイタリアの孤児院で、子供たちの成長や発達の遅れ、罹病率、死亡率が高く、まれには社会適応の不良行為少年なども見られた。
そのため世界保健機構がジョン・ボウルビィらに調査研究をさせた結果、子供たちのこうした現象が、最も親密な人間との離別や、それに伴う、保護が十分でない施設での生活によるものではないかとして、「母性的養育の剥奪」という幼児、児童の教育、ケアについての問題提起が盛んに語られるようになった。
[編集] 開発途上国
開発途上国、後発開発途上国における児童福祉制度の整備の遅れから、孤児の保護をする施設が不足、または存在しないという問題が発生している。これらの問題解決のため、日本からもボランティア団体、NPOによる支援が行われている。
[編集] 孤児院をテーマにした作品
- 小説
- チャールズ・ディッケンズ「オリバー・ツイスト」、「ディヴィッド・コッパーフィールド」
- ルーシー・モンゴメリー「赤毛のアン」
- ジーン・ウェブスター「あしながおじさん」
- ジョン・アーヴィング「サイダーハウス・ルール」
- ミュージカル