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セルジュ・チェリビダッケ - Wikipedia

セルジュ・チェリビダッケ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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セルジュ・チェリビダッケSergiu Celibidache, 本名Chelibidachi/チェリビダッキ、1912年7月11日(当時ルーマニアで使用されていたユリウス暦では6月28日) ローマン - 1996年8月14日 パリ)はルーマニア生まれで、ドイツで活躍した指揮者作曲家


目次

[編集] 出生

ローマンに生まれ、第一次世界大戦中にヤシに転居、同地で21歳頃までを過ごす。 6歳頃からピアノを学びはじめるが、これが直接音楽家を目指す契機にはならなかったようで、27歳になるまで天職を決めかねていたと告白している。父親は彼を政治家にしたがっていた、というのは本人の弁。 ユダヤ文化の中心地であったヤシで育ちユダヤ人と深く交流したたため、イディッシュ語も堪能であった。

[編集] 指揮者として

チェリビダッケは初めパリに留学したが、1936年にドイツのベルリンに移り、ベルリン大学やベルリン芸術大学で哲学、数学、作曲、指揮などを専攻した。彼は戦時中もベルリンに留まり、同地で終戦を迎える。

ベルリン滞在中にフルトヴェングラーの演奏会をチケットが手に入ろうが入るまいが聴き逃した覚えはないと後年指揮者は回想している。戦後、ベルリン・フィルの常任指揮者だったフルトヴェングラーをはじめとする有名指揮者たちはナチスとの関係で、謹慎生活に入りベルリン・フィルハーモニー管弦楽団はロシア生まれの指揮者レオ・ボルヒャルトが率いる事になるが、わずか3ヶ月後の8月に米軍の誤射でボルヒャルトは帰らぬ人となる。そしてボルヒャルトの後継指揮者を探すコンクールが開かれた。受けるように勧めたのは師のハインツ・ティーセンだったという。この大事なチャンスに、チェリビダッケはあろうことか自転車のパンクか何かで遅刻したらしい。課題曲はブラームス交響曲第4番第1楽章(一説によると交響曲第1番)。その結果は誰の目にも明らかだったらしく、審査員全員一致で優勝。ボルヒャルト死去のわずか6日後にベルリン・フィルの野外コンサートで指揮者デビューを飾る。曲はドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」だった。

若い楽団員とファーストネームで呼び合い、わずかな食料を分かち合いながら戦後の混乱期を乗り切る(コントラバスのツェペリッツあたりがその最後の世代)。有名ソリストを海外から呼ぶこともできなかった時期に、フランス・ロシアものなどの新しいレパートリーを開拓することにも尽力した。活動初期は評論家の受けもよく、同フィルを多く指揮し次期首席指揮者と謳われるが、フルトヴェングラーを深く尊敬していた彼は、フルトヴェングラーの非ナチ化裁判に協力するため奔走。2年後の1947年にフルトヴェングラーがベルリン・フィルに復帰(とはいえ常任復帰は1952年に持ち越される。フルトヴェングラーは作曲活動に時間を割きたがっていた上に4ヶ国に分割占領されていたベルリンの行く末を疑問視していたようだ。)、チェリビダッケは時にはフルトヴェングラー「下振り」を嬉々として行いながら、多くの事を吸収した(後年指揮者はフルトヴェングラーから音楽の深遠な洞察のすべてを学んだと語っている。あるとき指揮者がフルトヴェングラーにある曲のテンポ設定について質問したところ、フルトヴェングラーは「それは音がどう響くかによる」と答え、指揮者は物理的なテンポ設定など無意味だという事を悟ったというエピソードが伝えられている) 反面、いつしかベルリン・フィルとの関係には暗雲が漂いはじめる。一つには、チェリビダッケの求める演奏技術レベルがフルトヴェングラーの要求よりも厳しく、自分の要求に答えられないベテランの団員を入れ換えたがっていたことが挙げられる(事実彼は自分が「フルトヴェングラーより耳がよい」ことを自認していた上、晩年のフルトヴェングラーは薬害による難聴に苦しんでいた)。その他には、彼の派手なアクションや指揮台上での足踏み、唸り声や渋面がスタンドプレーと受け取られ始め、ベルリンの演奏会批評でも叩かれたこともあった。

こうした雰囲気に嫌気がさした指揮者はベルリン・フィルの指揮回数を減らし、初めにロンドンでの客演活動、そしてヨーロッパ全域から中南米にいたるまで客演の範囲を拡大し、ベルリン・フィルと距離を置き始める。(とはいえこの時点でもベルリン・フィルの指揮回数はフルトヴェングラーよりチェリビダッケの方がはるかに多い状態である)そんな中1951年にはアメリカ人記者との会見の際にベルリン・フィルを批判、この件がフルトヴェングラーの耳に入り、部外者を相手に自分のオーケストラをけなしたとしてフルトヴェングラーの叱責を受けたこともあった。フルトヴェングラーがベルリン・フィル常任に復帰するのはこの翌年の事である。そしてフルトヴェングラーが死の病に伏しているちょうどその時、チェリビダッケはベルリン・フィルとの「ドイツ・レクイエム」のリハーサルで最後の大衝突、ベルリンと決別し、38年後の1992年3月31日に最初で最後の復帰を果たすまでベルリン・フィルを指揮する事はなかった。

フルトヴェングラー没後、ベルリン・フィルの首席はカラヤンとなり、その後、スウェーデンやデンマークのオーケストラに転々と客演を重ね、シュトゥットガルト放送交響楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めた。また晩年にはミュンヘン市の芸術監督に就任した。日本には1977年秋と1978年春に読売日本交響楽団に客演、1980年にはロンドン交響楽団と来日。手兵ミュンヘン・フィルとは1986年以降1990年、1992年、1993年と晩年頻繁に訪れた。とりわけ1990年10月にミュンヘン・フィルとともに来日した時は、ブルックナーの交響曲第7番や第8番を指揮している。

相当な毒舌家で知られていて、ミュンヘン市当局は金で他の指揮者への批判をだまらせたとされる(クラウス・ウムバッハ)。また、カール・ベームは晩年にミュンへン・フィルに客演しようとした際、チェリビダッケの毒舌(チェリビダッケはベームを「芋袋」「ドンゴロス野郎」と呼んでいた)を耳にし、それを演奏契約解除の通告と見做して出演を取りやめた、という逸話も残っている。反面、ベームが病気のため指揮できなくなったロンドン交響楽団の演奏会をわずか1日のリハーサルで引き受けるなど、普段からは想像できない人情家?ぶりを発揮することもあり、その本音はよく分からない。かつてチェリビダッケの毒舌が新聞の記事を賑わせた際には、見かねたカルロス・クライバートスカニーニに成り済まして反論のテレックスを打った、ということもあった。

[編集] 厳しいリハーサル

彼のリハーサルは、全ての音が自分好みになるまで徹底的にリハーサルするというものであった。普通一週間かけるところを三週間のプローベを要求すると言われ、協奏曲以外は暗譜でスコア無しでセッションをする。フルニエをソリストに迎えてドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏したORTFとの演奏会(1975年ごろ)では紳士ながらもいつもの厳しさを発揮する彼の姿があるが、しかしソリストがバレンボイムだと妙に解釈がソリスト任せになり、スコアをめくり間違えるほど不勉強なコンサートもビデオに残されている。しかし例えばヴィオラ奏者が欲しいと思った、素晴らしいヴィオラを買う手助けをしたりするなどの優しい一面があったことがCDが発売されてから明らかになった。またオペラのような練習が限られるレパートリーは、この指揮者には経済的に全く不可能であった。オーケストラ・ピットとステージの上という、音響的にコントロールできない環境やソリストのわがままにも耐えられなかったのだろう。

[編集] 死後

1947年から1948年頃のフルトヴェングラーとともに行ったベルリン・フィルのイギリス演奏旅行と前後して、チェリビダッケは初めての公式のレコーディングを行っている。ベルリン・フィルを指揮してのメンデルスゾーンヴァイオリン協奏曲プロコフィエフ古典交響曲などがその最初期のもので、その直後にはモーツァルト交響曲第25番チャイコフスキー交響曲第5番と『くるみ割り人形』組曲などをイギリスでレコーディングしている。このときの演奏はロンドン・フィルハーモニー管弦楽団。自らの録音のプレイバックを聞いて、「エンジニアがテンポをいじった!」と疑ったほど、その結果には満足がいかなかったらしい。ウォルター・レッグなどEMIのプロデューサーからかなりの悪条件でこき使われた、と感じたこともレコード業界不信を助長したらしいが、ホールのアコースティックに左右されるものをマイクの直接音収録で記録するのには限界がある、と悟ったチェリビダッケは以後、極端に録音媒体の発売を嫌い、ごく少数の例外を除いてはレコーディングは行わなかったが、別の意味でカラヤンとの録音が比較されるのも意識されたのと言われている。他の正規録音には、自ら作曲した『秘密の小箱』がある。(ドイツ・グラモフォン社録音)

なお、晩年になると、映像を伴う録画媒体の制作には積極的に取り組み、演奏会のビデオソフトが発売された。

日本ではFMによる放送でファンを増やしていった(幸い、読売日本交響楽団との共演を手始めとしてロンドン響やミュンヘン・フィルとも数度に渡って来日しており、彼の生演奏に接する機会があった)が、チェリビダッケの死後、遺族らが海賊盤が出回るのを恐れて(現に多くの海賊盤が出回っていた)と称して、未発表の演奏会の録音をドイツ・グラモフォンEMIからCD化した。

[編集] 作品

作曲家としての作品は「秘密の小箱」以外にに三曲の交響曲などがあり、音響を前面に押し出した近代・印象主義的作風と言われている。

[編集] 教育

シュトットガルトミュンヘンマインツシュレースヴィヒ=ホルシュタイン東京イタリアなどで多数の指揮者講習会やゼミナール・講義を持った。また、ほとんどの演奏会の直前のリハーサルは市民や学生のために公開されていたが、ベルリン・フィルに復帰したときの演奏会はさすがにベルリン・フィル側が難色をしめしたのか、関係者以外立入禁止であった。本人へのインタビューによると全世界で三千人の弟子を教えたと言われている。その教育法は実践部分はある意味齋藤秀雄のメソッドにも似ており、何もない所に「拍」を生み出すための筋肉の動きを重視したものだった。音楽理論に関してはある意味禅問答のようであり、ああいえばこう言う、的な否定による消去法的な教育法であった。彼によるフッサール現象学の講義は非常に難解である事で知られていた。

[編集] 演奏解釈

「音楽は【無】であって言葉で語ることはできない。ただ【体験】のみだ。」というのがもっともシンプルにまとめられた彼の音楽論であろう。しばしば行われた「音楽現象学」の講義はさまざまな疑問を投げかけながら高慢な学生の鼻を折るどちらかというと意地悪なものであったようだが、その本質には「始まりの中に終わりがある」という思想が貫かれている。

実際の演奏に関しては、楽曲の徹底した構造分析と、モチーフによる構成の統一。時にはそのモチーフの同一性を強調するために極端なテンポ・音程の改変が採用されている。その意味では、彼と対照的にレコーディングのみで音楽活動を行ったグレン・グールドと奇妙な符合関係が見られるが、音楽を聞き手の内部で生成される精神活動ととらえたチェリビダッケと、演奏者の中で純化されて結晶するパフォーマンスとして行うグールドとの間にはやはり本質的には隔たりがあるようである。

またハーモニーの純度・楽器間のバランスも徹底的に追求され、彼のトレーニングしたオーケストラは徹底的に室内楽的な「聞き合い」を要求されることになる。また弦楽器の肥大した現代オーケストラにおいては、木管楽器の増強がしばしば見られるが、そのことにより、全奏時においても木管楽器の存在感は際立っている。

総じて晩年のテンポが非常に遅い事で知られている。再晩年のスペインで演奏されたブルックナー交響曲第8番は105分かかっている(普通は約80分)。その思想的根拠はどこにあったか、を考えてみると、音楽を構成する諸要素が自律的な法則に従いながら生成・発展する、という原理原則を徹底しようとしたことによるのではないかと思われる。そこには、演奏者の解釈や気まぐれといった要素を極力排除し、楽器同士のモチーフの完璧な受け渡し、どんなに編成が大きくなってもハーモニーの透明度を維持しようとした点、そのためオーケストラ全体が一つの生き物として歩むような表現が深化して行く様子がうかがえる。

他にもたとえば、ベートーヴェン交響曲第8番やブルックナーの交響曲第3番はテンポが速いために演奏不可能な部分を、遅いテンポによって可能にしようとした事等が挙げられる。そのため全体のテンポのバランスがいびつになったと考える人もいる。またチューニングにとても厳格で30分以上かけた事でも知られていた。ティンパニはリズム楽器としての機能と同時に低音楽器との音響的な調和を最優先し、単独の強打はまれである。音楽全体がデリケートで柔らかい絹織物にたとえられたり、患部をいたわった 重病人のように非常に消極的な音楽とも言われた。音がとても美しいためドイツ音楽よりもむしろフランス音楽の方がより合っていたが、速度が遅いためブルックナーやワーグナーの音楽にも適していたにもかかわらず理解されるまでに時間がかかった。

彼は禅宗仏教徒としても有名で、当然其の演奏解釈にもその思想がジョン・ケージの作品と同じように反映されていると言われる。竜安寺の石庭のように枯山水を持って川を表現したように偽音楽的要素を用いて自らの音楽を強烈な個性として表現している。しかしテンポが極度に 遅くなるため音楽の流れがなくなり、音楽そのものの、例えばアインザッツにも消極的な表現が見られる。これは従来の正攻法の音楽解釈法では全く音楽ではなくて、逆に邪道とされてきた考えかたである。

この演奏法は、主にシュトゥットガルト放送交響楽団時代に確立され彫琢されたものだが、ミュンヘン・フィルとの晩年においては細部のコントロールへのこだわりを捨て、ゆっくりとしたテンポと楽団員の自発性にゆだねた部分も多く見られる。そのためアンサンブル上の破綻も時には見られ、突出した金管やティンパニーも含めて、好悪の分かれる部分である。


ベルリン・フィルハーモニー
管弦楽団

音楽監督
1945 - 1952
先代:
レオ・ボルヒャルト
次代:
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ミュンヘン・フィルハーモニー
管弦楽団
常任指揮者
1979 - 1996
先代:
ルドルフ・ケンペ
次代:
ジェームズ・レヴァイン
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