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ジェームズ・クック - Wikipedia

ジェームズ・クック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ジェームズ・クックJames Cook, 1728年10月27日 - 1779年2月14日)は、イギリス海軍の士官であり、商船を改造したエンデバー号で自ら太平洋の調査に尽力した探検家であり、海図などの地図製作者でもある。

クックの公式肖像画 海軍博物館(ロンドン)所蔵
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クックの公式肖像画 海軍博物館(ロンドン)所蔵

一般にキャプテン・クックとして知られている。

当時の船乗りにとって深刻だった壊血病ビタミンを摂取させることで防ぐ事に成功した事でも有名。

目次

[編集] 生い立ち

クックは、イギリスノースヨークシャー州ミドルスロー近くのマートンに生まれる。農場の日雇い労働者のスコットランド人の父と母の下、5人兄弟の一人として生まれる。少年時代に、家族と伴にグレートアイトンに移り住む。16歳になったクックは、漁村のステイテスのある雑貨店に年季奉公として家を出る。伝統的なフェルト店の店番をしながら、彼は暇な時間を魅惑的な海を観てすごす。1年半の後、店のオーナーは彼を、近くの港町であるホイットビーの石炭輸送業を営んでいる造船技師ジョン・ウォーカーに売り払ってしまう。ジョンウォーカーは、はしけの見習い船員として、クックを雇い入れた。彼は、ウォーカーの下で働きながら、操舵技術に必要な代数学、三角測量法、航海術、天文学を学んだ。クックは、ウォーカーに商船の指揮を頼まれるほど階級をあげた。しかし、1755年に勃発した7年戦争の前夜、クックはウォーカーの説得を丁重に断り会社を退社、そしてイギリス海軍に入隊する。

7年戦争に参加していた4年間に、彼は1759年にアブラハム平野の戦いの前にケベックシティの包囲戦に加わった。彼は、そこで地理調査及び地図作成の才能を発揮しはじめる。彼は、包囲戦の間にセントローレンス川河口の多くの地図の測量を担当した。またアブラハム平野の戦いにおいて、ウォルフ将軍によって築かれた有名な隠し砦の突破に寄与することになった。クックの調査技術によって作成された地図と、1760年代に作成されたニューファンドランド島の海岸の測量地図によって、彼の地図作成技術の優秀さが認められ、彼はイギリス王立協会の注目を浴びることになった。

クックの最大の成果は、高度な測量技術と優秀な地図作成技術や、事実を確認するためにはどんな危険な場所であっても探検する勇気(例えば、南極の海に潜ったこともあるし、グレートバリアリーフ周辺を何度も探検している)、悪条件であっても部下を先導できる能力、そして海軍本部の命令を無視し、勝手に調査範囲を拡大し調査する大胆さなどの卓越された航海術に寄与したことである。

[編集] 最初の航海(1768年から1771年)

[編集] タヒチへ

1766年に、イギリス王立協会は、南太平洋で起こる金星の日面通過の観測のために、彼を雇い入れた。1768年イギリスの港を出発したクック一行(植物学者ジョゼフ・バンクスなど94名の船員)は、1769年4月13日タヒチへ到着した。彼らは、その地に金星の日面通過の観測を行う基地及び観測所を設置し、1769年6月6日に観測を行った。

なお、当時は精密な科学的観測機器はなかったが、正確に星の運行を観測する方法がなかったわけではない。

[編集] タヒチからニュージーランドへ

その後、クックはイギリス王立協会が、とりわけアレクサンダー・ダーリンパムが主張していた、南太平洋に浮かぶ神秘の大陸とされたオーストラリア大陸の探検へと向かう。クック個人はその存在を疑問に思っていた。太平洋の地理に広範な知識を持っていたツパイアというタヒチ人の力を借りて、ヨーロッパ人としては史上2番目に、クックらはニュージーランドに到着に成功した。

そして、クックは、バンクス半島を島と書き、スチュアート島南島 の一部であるかのように描いたことを除いて、ほぼ完全なニュージーランドの湾岸線の地図を作成する。また、1642年に最初にこの島を発見したとされるアーベル・タスマンが見つけられなかったニュージーランド島の北と南を分けるクック海峡も発見した。

ニュージーランドのクック海峡
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ニュージーランドのクック海峡

[編集] ニュージーランドからオーストラリアへ

次に、クックらはオーストラリアへ向かい、東海岸を発見する。クックが最初に上陸したボタニ湾のカーネルは、オーストラリアをイギリスが最初に植民地しようと計画していた場所だった。しかしながら、1788年にはアーサーフィリップ船長はボタニ湾は植民地には不適切であると感じ、少し北に進んだポートジャクソンへ航海することになった。この地が後のシドニーの発祥の地である。

ボタニ湾は、最初にヨーロッパ人とオーストラリアの先住民であるアボリジニが接触した場所である、またヨーロッパ人によってオーストラリア固有の植物及び動物が採取された場所でもある。その湾は、最初はスティンガリー(スティングレー)湾と呼ばれた。数多くのアカエイが発見されたためである。ボタニ湾と呼ばれるようになったのは、その湾及び周囲の多様な植物相を反映してのことである。

クックらは、1770年6月11日に座礁してしまったとき、グレートバリアリーフを発見する。その時の座礁で、エンデバー号はひどく損壊してしまい、彼らの探検計画は7週間の遅れを生じてしまった。エンデバー号を修理のために船を引き上げられたエンデバー川の河口の海岸が、現在のクックタウンである。その間、その場所ではジョセフ・バンクスとダニエル・スロンダーによって、彼らにとって最初の主要なコレクションであるオーストラリアの植物標本が採取される。また、地元のアボリジニたちとの間で平和的かつ友好的な会合が行われる。なお、この人たちの名前が「カンガロー(カンガルー)」と記録されている。また、英語に入ったのはガンガローと呼ばれる、地元でグーグイミデヒラーと呼ばれる灰色カンガルーのことでもある。

[編集] オーストラリアから帰国

その後、クック一行はトレス海峡を越えて、この海峡の名前である、ルイス・ヴァーエス・デ・トレスが1604年に一度航海しているので、 オーストラリアニューギニア間を楽々航海する。この航海で使われた彼の船の『エンデバー』という名はスペースシャトル・エンデバー号、さらにはエンデバー川の名前に受け継がれている。

彼らは船の修理のために、オランダ東インド会社の本拠地があるバタヴィアへ向かった。当時、オランダ領の東インド諸島 であったバタヴィアマラリアの発生で知られていた。そして、不運にもクックの乗組員の多くはマラリアに罹ってしまう。船員のほとんどは1771年にイギリスへ帰国する前に亡くなってしまう。亡くなった船員の中には、タヒチ人のツパイア、銀行秘書のヘルマン・シュプリング、画家のシドニー・パーキンソンも含まれていた。

[編集] 第一航海のまとめ

この航海におけるポイントは、18世紀時点の航海において、恐れられていた壊血病によって、船員を失わせなかったことにある。クックは自分の部下に塩漬け発酵キャベツザワークラウト)や柑橘類のようなビタミンが豊富な食糧を強制的に食べさせた。食べなかった船員には、鞭打ちの罰を与えてまで食べさせたほどだった。しかし、当時は、誰もこれらの食糧がなぜ壊血病を防いだかは理解できなかった。

帰国次第、クックたちの航海が記事として出版され、たちまちクックは科学界の英雄として扱われることになった。しかし、大衆に最も英雄視されたのは、貴族の植物学者であるジョセフ・バンクスの方であった。バンクスは、クックの第2航海においても同行しようと試みたが、その航海が始まる前にその任から外されてしまった。

[編集] 第2航海(1772年から1775年)

クックは、再びイギリス王立協会によって、オーストラリアの調査を委託された。最初の旅行からのクックの証拠にもかかわらず、反対にダルリンプルは大きい南大陸がなかったことを信じることを拒否した。 この航海において、クックはレゾリューション号という帆船を指揮し、トバイアス・ファーノーはアドベンチャー号の指揮をした。

クックらは、当時としては、非常に高緯度に当たる地域を周航することになった。1773年1月17日には、最初のヨーロッパ人として南極圏との境に相当する、南緯71度10分に達した。また、彼らは南ジョージア島及び南サンドウィッチ島を発見した。南極圏に生じる霧(南極霧)によって、クックとファーノーは分かれてしまう。クックが南極探検を続けている間に、ファーノーは、向かった先のニュージーランドで、マオリ族との戦いで部下を何人か失ってしまう。そして結局、イギリスへ帰還することになった。

クックは、ほとんど南極大陸本体と呼んでも良い場所を発見したとされる。しかし、船に資材や食料を補給するために、北へ進路をとりタヒチへと向かった。そして、再び南へ進路をとった、そこにあるとされた大陸を発見するための試みであった。

今回も、またタヒチ人であるオマイを連れて行くことになった。彼は、最初の航海でのツパイ程は太平洋の地理には詳しくはなかった。

1774年には、彼は帰りの旅行で、彼は友好的な島であるイースター島バヌアツに上陸した。またニューカレドニア島とニューヘブリデス諸島を発見した。彼らの帰国は、テラ・オーストラリスに関する迷信を沈静化させた。

第2の航海の業績は、ジョン・ハリスンによって開発された精密時計のテストに成功したことである。この機器を用いることで、正確な経度の測定が促進されることになった。

クックは帰国後に、英国海軍からの名誉ある退職を薦められることになった。しかし、彼は海から離れた生活を送ることはできなかった。クックは北アメリカ北岸の航路を探検することを計画したが、実際は、その航海は反対方向へ行くことになった。

[編集] 第3航海(1776年から1779年)

彼らの最後の航海は、クックは再びレゾリューション号の指揮を採り、チャールズ・クラーク船長がディスカバリー号の指揮をとった。

表面上は、オマイをタヒチに戻すこと名目として、この旅行は計画されたようである。オマイがロンドン市民の興味をそそる対象になってしまったように、これは一般大衆が信じたものである。

オマイをタヒチに返した後に、クックらは北へと進路を取り、1778年にはハワイ諸島を訪問する最初のヨーロッパ人となった。彼らは、「ハワイ諸島」を第4代サンドウィッチ男爵の名前をとり、「サンドウィッチ諸島」と名をつけた。

そして、そこから彼らは、北アメリカの西海岸を探検するために、東へ航海した。結局、バンクバー島のノコタ・サウンドの中のユーコートにある、ファーストネーションズ村の近くに上陸する。もちろん、彼らはジュアン・デ・フーカ海峡を越えて航海したことも知らずにである。彼らは、カリフォルニアからベーリング海峡に至るまで探検し、地図を描いた。この航海において、アラスカにあり、今ではクック湾として知られている場所を発見した。

クックらは何度も試みたが、秋から冬にかけてのベーリング海峡は、帆船では通行できないこと証明した。クックはこの旅行でますます失望するようになり、おそらく胃腸障害に苦しみ始めた。つまり、これは彼と彼の船の乗組員達の不合理な行動をもたらしたことが推測されるのである。当時の食習慣の彼らにとっては食用に適さない、セイウチ肉を食べてしまったことによるであろう。

クックの最期
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クックの最期

クックらは、ハワイ島のケアラケク湾へ帰還した。1779年2月14日のことである、あるハワイ人らがクックらの船の積荷である小さなボートを盗んでしまった。普通、盗難はタヒチや他の島でも、かなり共通に起こることでもあったので、彼は盗難品が戻ってくるまで人質をとっておけばよいと踏んでいた。しかしながら、彼らの胃腸障害とますます不合理な行動は、ハワイの浜にあつまった群集との間で口論をもたらした。続く小競り合いでは、彼はハワイ人を撃ってしまい、ハワイ人は彼を刺し殺した。

クラークは探険を引き継ぎ、ベーリング海峡を通過する最終的な試みを行った。最終的に、レゾリューション号とディスカバリー号がイギリスへ帰国したのは1780年のことである。

[編集] クックの教え子たち

クックが亡くなった後、彼の元で働いた何人かの下級将校達は、それぞれに業績を残している。

  • ウィリアム・ブライ クックの航海長として、1778年のレゾリューション号のタヒチへの航海に乗り組み、パンノキの実を持ちかえる。1789年に起こった乗組員の暴動(バウンティ号の反乱)の時の船長として知られている。
  • ジョージ・バンクーバー クックの見習い将校の一人、後に1791年から1794年にかけて行われた、北アメリカの太平洋岸の調査航海を指揮する。
  • ジョージ・ディクソン クック下で第3航海を行い、後に彼自身の手で探検航海を指揮する。

[編集] その他

[編集] 参考文献

  • Aughton, Peter. 2002. Endeavour: The Story of Captain Cook's First Great Epic Voyage. Cassell & Co., London.
  • John Cawte Beaglehole, biographer of Cook and editor of his Journals.
  • Edwards, Philip, ed. 2003. James Cook: The Journals. Prepared from the original manuscripts by J. C. Beaglehole 1955-67. Penguin Books, London.
  • Williams, Glyndwr, ed. 1997. Captain Cook's Voyages: 1768-1779. The Folio Society, London.
  • Sydney Daily Telegraph. 1970. Captain Cook: His Artists - His Voyages. The Sydney Daily Telegraph Portfolio of Original Works by Artists who sailed with Captain Cook. Australian Consolidated Press, Sydney.
  • Thomas, Nicholas. 2003. The Extraordinary Voyages of Captain James Cook. Walker & Co., New York. ISBN 0-8027-1412-9



英語版からの全文翻訳です。翻訳に関するNote.リソース等は、本文書のノートに記載しています。

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