南葛飾郡
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南葛飾郡(みなみかつしかぐん)は、東京府にかつて存在した郡である。
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[編集] 歴史
- 明治11年(1878年)、郡区町村編制法の施行に伴い、葛飾郡のうち武蔵国の東京府に属する部分が、一部地域(東京府本所区・深川区)を除いて南葛飾郡として設置された。郡役所は小松川(現:江戸川区小松川)に置かれた。
分離の際の基準は、江戸の「墨引き」の内を東京府の版図とし、それ以外を千葉県、埼玉県、茨城県の版図とした。
- 明治22年(1889年)
- 東京市の設置に伴い、南葛飾郡西部の一部地域が本所区、深川区に編入される。
- 町村制施行 1町23村が成立した。
- 寺島村、隅田村、吾嬬村 (向島区 → 墨田区)
- 亀戸村、大島村、砂村 (城東区 → 江東区)
- 新宿町、立石村、亀青村、南綾瀬村、金町村、水元村、奥戸村 (葛飾区)
- 松江村、瑞穂村、一之江村、葛西村、鹿本村、篠崎村、小岩村 (江戸川区)
- 大木村、小松川村、平井村、船堀村 (墨田区、葛飾区及び江戸川区)
- 明治23年(1890年)5月10日 立石村が名称変更して本田村となった。(1町23村)
- 明治33年(1900年)7月19日
- 亀戸村が町制施行して亀戸町となった。
- 大島村が町制施行して大島町となった。(3町21村)
- 大正元年(1912年)9月1日 吾嬬村が町制施行して吾嬬町となった。(4町20村)
- 大正2年(1913年)1月1日 瑞穂村と一之江村が合併して瑞江村となった。(4町19村)
- 大正3年(1914年)4月1日 荒川放水路設置に伴い町村再編があった。(5町15村)
- 大木村が吾嬬町の一部、本田村の一部となった。
- 小松川村の一部が松江村の一部となり、平井村、船堀村の各一部を編入して町制施行し小松川町となった。
- 平井村が小松川町の一部、奥戸村の一部となった。
- 船堀村が小松川町の一部、松江村の一部となった。
- 大正10年(1921年)7月1日 砂村が町制施行して砂町となった。(6町14村)
- 大正12年(1923年)
- 4月1日 寺島村が町制施行して寺島町となった。(7町13村)
- 8月15日 隅田村が町制施行して隅田町となった。(8町12村)
- 大正14年(1925年)8月6日 金町村が町制施行して金町となった。(9町11村)
- 昭和3年(1928年)
- 2月1日 南綾瀬村が町制施行して南綾瀬町となった。(10町10村)
- 3月1日 本田村が町制施行して本田町となった。(11町9村)
- 11月10日 小岩村が町制施行して小岩町となった。(12町8村)
- 昭和5年(1930年)11月3日 奥戸村が町制施行して奥戸町となった。(13町7村)
- 1932年、いわゆる「大東京市」設置に伴い、南葛飾郡全域が東京市に編入されて南葛飾郡は消滅した。このときの南葛飾郡の13町7村の地域は、東京市の向島区・城東区・葛飾区・江戸川区となった。
[編集] 範囲
南葛飾郡のあった概ねの範囲を、現在の行政区画で記す。(すべて、現在の東京都に属する。)
[編集] 郡消滅直前に郡に所在した町村
- 吾嬬町・隅田町・寺島町
- 東京市向島区になった。
- 亀戸町・大島町・砂町
- 東京市城東区になった。
- 新宿町・金町・奥戸町・本田町・南綾瀬町・亀青村・水元村
- 東京市葛飾区になった。
- 小松川町・小岩町・葛西村・篠崎村・松江村・ 瑞江村・鹿本村
- 東京市江戸川区になった。