アローズ北陸
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アローズ北陸(―ほくりく、ALO'S Hokuriku)は富山市に本拠地を置くサッカークラブ。
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[編集] 概要
クラブの実態としては北陸電力のサッカー部で、愛称はアローズ北陸。アローズ(ALO's)の語源はANTELOPES(アンテロープ:英語でカモシカの意)からの造語である。
[編集] 歴史
[編集] 創設~2004年
1990年に北陸電力サッカー部として創設。1996年に地域に根ざしたサッカークラブを目指すことを目標に現在の名称に変更。YKKサッカー部とともに富山県を代表する社会人サッカーチームとして北信越リーグで活躍してきたが、1999年度地域リーグ決勝大会に優勝し2000年からJFLに参加している。2004年までは最高順位が8位と振るわなかった。
[編集] 2005年
2005年はシーズン序盤は中位に甘んじていたが、J2の徳島ヴォルティスから原田慎太郎をレンタル移籍で獲得してからチームの調子が急激に上昇。ここから快進撃が始まる。天皇杯県予選決勝戦ではYKK APに2点を先取され、さらにMFの山本翔平がレッドカードで退場するという苦しい展開でありながらも後半ロスタイムにDFの三好拓児のゴールで追いつく。そして延長前半にFWの石橋直希が値千金の勝ち越しゴールを挙げ、大逆転勝利を挙げる。その後も勢いは止まらず、天皇杯3回戦ではアウェーでJ2の湘南ベルマーレに延長戦の末2-1で劇的勝利を挙げた。しかし、天皇杯4回戦ではJ1の名古屋グランパス相手に0-1で惜敗。後半には北川佳男のシュートがゴールポストを直撃するなど惜しい場面もあり、最後までJ1の名古屋グランパス相手に見せ場もつくったが、あと1歩及ばなかった。しかし、富山県総合運動公園陸上競技場には雨の中1万人以上の観客が訪れ、この激戦は富山県のサッカーの歴史に残る1戦となった(普段のJFLの試合では入場者は500人強ぐらいであることを考えると驚異的な数字である)。その後JFLのリーグ戦では残り2試合の段階まで優勝の可能性を残したが、残念ながら上位2チームにかわされて、結局愛媛FC、YKK APに次ぐ3位という結果となった。
[編集] 2006年
愛媛FCがJ2に昇格し、格上のライバルは同じ富山県のチームであるYKK APだけとなった2006年シーズンは初優勝を射程圏内にとらえてスタートした。 開幕戦は関東リーグから昇格のジェフ・クラブに1-0と辛勝であったが、その後は安定した戦いで開幕6連勝を飾った。 その後も無敗記録は9節に佐川急便大阪SCに敗れるまで続いた。この期間で喫した失点は僅か4失点、さらに9試合中7試合で完封試合を記録するなどリーグNo,1の守備力には磨きがかかっていた。 しかし、リーグ後半は思うように白星を重ねられなくなり最終順位は8位に。天皇杯も県予選決勝でYKK APに延長戦で敗れて出場を逃すなど、悔しい1年となった。 FWの北川佳男が22得点を挙げたものの、最後まで決定力不足が響くことになった。 このシーズン限りで草木克洋監督が退任。また、主力選手数人が退団や引退し来シーズンはより厳しい戦いが予想される。
[編集] 2007年
[編集] 本拠地
- 富山県総合運動公園陸上競技場(28494人収容)
- 富山県岩瀬スポーツ公園球技場(5000人収容)
- 富山県五福公園陸上競技場(30000人収容)
※他に高岡スポーツコア球技場(3000人収容)で試合を行う場合もあり、石川県と福井県でも年間1試合ずつ試合を行う。
[編集] 戦績
年 | カテゴリ | 順位 | 勝点 | 勝 | 分 | 負 | 得点 | 失点 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999年 | 北信越1部 | ?位 | ? | ? | ? | ? | ? | ? | |
2000年 | JFL | 8位 | 22 | 8 | 0 | 14 | 26 | 49 | とやま国体開催 |
2001年 | 15位 | 19 | 4 | 7 | 19 | 28 | 57 | リーグ最小得点 | |
2002年 | 14位 | 15 | 3 | 6 | 8 | 16 | 34 | 残留争い | |
2003年 | 14位 | 27 | 7 | 6 | 17 | 23 | 47 | 残留争い、リーグ最小得点 | |
2004年 | 10位 | 37 | 10 | 7 | 13 | 46 | 52 | ||
2005年 | 3位 | 61 | 19 | 4 | 7 | 52 | 26 | リーグ最小失点 | |
2006年 | 8位 | 57 | 16 | 9 | 9 | 53 | 30 | ||
2007年 | ?位 | ? | ? | ? | ? | ? | ? |
[編集] 選手
[編集] 選手
背番号 | 名前 | 生年月日 | 身長、体重 | 出身 | 前所属 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 平地 由享(GK) | 1975年5月7日 | 184cm、80kg | 富山県? | 富山第一高校 |
2 | 渡辺 勇気(DF) | 1980年7月16日 | 180cm、71kg | 岡山県 | 三菱自動車水島FC |
3 | 三好 拓児(DF) | 1978年8月20日 | 179cm、70kg | 福岡県 | サガン鳥栖 |
4 | 川前 力也(DF・主将) | 1971年8月20日 | 180cm、72kg | 香川県 | 水戸ホーリーホック |
5 | 佐藤 陽彦(DF) | 1978年6月27日 | 178cm、65kg | 東京都 | サガン鳥栖 |
6 | 山本 翔平(MF) | 1982年8月29日 | 173cm、65kg | 京都府 | 水戸ホーリーホック |
7 | 永濱 裕規(MF) | 1980年11月17日 | 170cm、64kg | 鹿児島県 | 関西大学 |
8 | 原田 慎太郎(MF) | 1980年11月8日 | 176cm、70kg | 埼玉県 | 徳島ヴォルティス |
9 | 石橋 直希(FW) | 1981年5月14日 | 175cm、71kg | 埼玉県 | サガン鳥栖 |
10 | 上園 和明(MF) | 1981年11月28日 | 174cm、66kg | 神奈川県 | 水戸ホーリーホック |
11 | 北川 佳男(FW) | 1978年8月21日 | 176cm、76kg | 京都府 | 水戸ホーリーホック |
12 | サポーター(観客席) | 多種多様 | 多種多様 | 多くは富山県民 | 多種多様 |
13 | 小林 羊汰(FW) | 1982年9月12日 | 166cm、63kg | ? | ジュビロ磐田ユース |
14 | 小石 龍臣(FW) | 1977年8月22日 | 164cm、59kg | 佐賀県 | サガン鳥栖 |
15 | 島袋 信介(DF) | 1983年1月13日 | 171cm、67kg | 長崎県 | サガン鳥栖 |
16 | 上赤坂 佳孝(MF) | 1979年5月7日 | 164cm、64kg | ? | 佐川印刷SC |
17 | 渡辺 誠(DF) | 1980年9月25日 | 170cm、68kg | 静岡県 | ヴァンフォーレ甲府 |
18 | 長山 一也(MF) | 1982年4月1日 | 165cm、64kg | ? | 静岡FC |
19 | 松下 和磨(FW) | 1982年6月25日 | 170cm、66kg | ? | 静岡産業大学 |
20 | 高向 隼人(MF) | 1982年11月24日 | 176cm、68kg | 北海道 | ザスパ草津チャレンジチーム |
21 | 藤川 康司(GK) | 1978年10月7日 | 180cm、78kg | 大分県 | サガン鳥栖 |
22 | 北川 和人(MF) | 1982年4月21日 | 170cm、64kg | ? | 愛知学院大学 |
23 | 菅野 将太(MF) | 1984年1月6日 | 170cm、65kg | 神奈川県 | 流通経済大学 |
24 | 谷田 悠介(DF) | 1983年9月22日 | 173cm、65kg | 埼玉県 | 法政大学 |
26 | 森本 悠馬(GK) | 1982年7月26日 | 175cm、66kg | ? | 東京学芸大学 |
[編集] 特徴
かつてJリーグの水戸ホーリーホックやサガン鳥栖に所属していた選手が多くいる。 これは、現・監督の草木克洋が以前にサガン鳥栖でコーチを務めていたことや、水戸ホーリーホックの小林寛社長が監督を務めていたことから、そのコネクションを生かして補強をしているものと思われる。
[編集] 外部リンク
日本フットボールリーグ(JFL) 2006 |
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