アメリカ独立戦争
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アメリカ独立戦争(アメリカどくりつせんそう 1775年 - 1783年)はイギリス本国(グレートブリテン王国)と、アメリカ東部沿岸のイギリス領の13の植民地との戦争である。アメリカ独立革命 The American Revolution とも言う。この戦争の結果イギリスの植民地13州が独立し、アメリカ合衆国が成立した。
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[編集] 植民地課税問題
そもそも、アメリカの植民地人をして独立を志向させた本国による課税の原因は、フレンチ・インディアン戦争 (1754-63) による財政危機だった。政府は1764年に砂糖法、1765年には印紙法を成立させて植民地からの税収増をはかったが、特に印紙法はアメリカで広範な反対運動を呼び起こし、撤廃に追い込まれた。
1767年に本国議会がタウンゼンド諸法によって新たな植民地課税に乗り出すと、またも反対運動が盛り上がり、1770年、タウンゼンド関税も撤廃となった。だが、このとき茶に対する税が残されたため、本国の茶は植民地の不満の象徴となった。
1773年の茶法によって東インド会社の茶が安く植民地に流入することになると植民地商人の怒りは頂点に達し、1773年12月、群衆が入港した船の茶を港に投棄するというボストン茶会事件に発展した。
1774年、イギリス議会は植民地に対して次々と懲罰的な立法措置を行なった。こうした危機にチャタム伯ウィリアム・ピット(大ピット)は滞英中のベンジャミン・フランクリンと協力して議会に植民地との和解をはたらきかける。しかし、首相フレデリック・ノースは国王ジョージ3世の強い意志を背景に植民地に強い態度で望む決意だった。
[編集] 独立戦争
一方、1774年に13植民地はイギリスの政策に対する方策を協議するため大陸会議を開いて本国との和解の道をさぐったが、打開できないまま、1775年4月、正規軍と植民地人の間に(レキシントン・コンコードの戦い)が起こりアメリカ独立戦争が勃発した。
大陸会議はジョージ・ワシントンを大陸軍総司令官に任命。ワシントンはイギリス軍をボストンから退去させることに成功した。
1776年7月4日、大陸会議はアメリカ独立宣言を採択した。しかし、ワシントンはニューヨークでイギリス軍に大敗を喫し、ニュージャージーを越えてペンシルヴェニアまで逃げ込んだ。独立戦争もこれまでかと思われたが、ワシントンは絶望することなく、12月、イギリス軍の前進部隊に奇襲攻撃をかけて起死回生の勝利を手にすることができた(トレントンの戦い)。
1777年9月、フィラデルフィア攻略に向かうイギリス軍によってワシントンはまたも敗れたが(ブランディワインの戦い)、北部では10月にイギリスのバーゴイン将軍がサラトガで降伏した。 1778年2月、アメリカ軍の勇戦を見たフランスは、アメリカと同盟を結んだ。翌79年には、スペイン、80年には、オランダがアメリカに同盟し、さらにラファイエットやコシューシコら欧州の義勇軍が参加した。 1780年イギリスの対アメリカ海上封鎖に対し、ロシアのエカチェリーナ2世の呼びかけで武装中立同盟が結成され、イギリスは国際的に孤立した。
その後、主戦場は南部に移ったが、1781年、ワシントンはフランス軍と共同してイギリス軍の不意をついてヨークタウンのコーンウォリス将軍を包囲することに成功した。1781年10月、ヨークタウンのイギリス軍は降伏した(ヨークタウンの戦い)。
イギリス側はなおもニューヨーク、チャールストン、サヴァンナを有していたものの、独立戦争はこれをもって事実上終結した。その後、イギリスとフランスの間で西インド諸島を中心にした戦闘が繰り広げられたが、1783年9月、パリ講和条約が調印され、アメリカの独立は正式に認められた。
アメリカ13邦は1787年の憲法制定会議で統一国家としての枠組みをなすアメリカ合衆国憲法を制定、翌年発効した。そして1789年、新憲法の規定に従って初代大統領に選出されたのは、絶望かとも思われた困難な時期に屈することなく大陸軍を率い、圧倒的なイギリス軍との戦争を戦い抜いたワシントンだった。
[編集] 独立宣言署名州
ニューハンプシャー州、マサチューセッツ州、ロードアイランド州、コネティカット州(以上、ニューイングランド)、ニューヨーク州、ペンシルヴァニア州、デラウェア州、メリーランド州、ヴァージニア州、ノースカロライナ州、サウスカロライナ州、ジョージア州、ニュージャージー州の13州。
ニューイングランド6州のうち、バーモント州とメイン州はこれに含まれていない。バーモント州がイギリスから独立したのは1777年であったが、ニューヨーク州との領土問題を抱えており、連邦への加盟は1791年と遅れた。バーモント州は14番目の州である。また、メイン州は独立宣言の時点ではマサチューセッツ州の飛び地で独立した州ではなかった。同様に、15番目の州であるケンタッキー州やウェストバージニア州はヴァージニア州の一部であった。
[編集] ヨーロッパへの影響
勝利を喜んだのはアメリカだけではなくフランス王国もそうだった。フランスブルボン朝は、熱烈な青年貴族ラファイエットにより参戦しており、勝利の後しばらく貴婦人の髪型に船をつけるのがはやった。またアメリカ独立宣言はフランス革命に影響を与え、ラファイエットら起草のフランス人権宣言となって結実する。また独立戦争に参加したポーランド人のタデウシュ・コシチュシュコは、故国ポーランドにおけるポーランド分割に対抗して反乱を起こした。
なお、アメリカ合衆国への独立を最初に承認したのは、スウェーデンである。1783年には、友好関係も結んでいる。
[編集] 人物
- ジョージ・ワシントン
- トーマス・ジェファーソン
- ベンジャミン・フランクリン
- ジョン・アダムズ
- トマス・ペイン
- パトリック・ヘンリー
- コシューシコ(タデウシュ・コシチュシュコ)
- ラファイエット
- ハンス・アクセル・フォン・フェルセン