天皇の一覧
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天皇の一覧(てんのうのいちらん)は、日本の歴代天皇の一覧である。明治時代に今の形に改編された。
目次 |
[編集] 実在性
実在説には諸説あるが、歴史学においては、現代科学的には初期の天皇は典拠が神話等で実在が疑問視されている。
- 初代・神武天皇の“実在説”には即位・建国は紀元前660年ではなく西暦181年であると主張するものがある。(倍年説)
- 2代・綏靖天皇から9代・開化天皇までの天皇は実在しなかったとする説が有力である(欠史八代) 初代神武天皇は欠史八代(正しくは闕史八代)に含まれない。欠史八代とは日本書紀に旧辞的記述のない8人の天皇のことを指す用語である。神武天皇の事跡は10代崇神天皇を事実上の初代と考えて崇神天皇と一体と捉える見方もある。
- 10代・崇神天皇から14代・仲哀天皇までは、実在しなかったという説と実在した可能性のある天皇とする説がある。
- 15代・応神天皇以降は実在した天皇であるとされる
これが戦後しばらくの間の代表的な見方である。下表を見れば分かるように、歴代天皇の諡号・追号に「神」の字を用いているのは、「神武」「崇神」「応神」の三代のみであり、その観点からも研究対象になることが多い。
しかし1970年代以降の歴史学会では、古事記や日本書紀の5世紀以前の記事は不正確な伝説であり、継体天皇は実在しているが、その前の王については不確かとの見解が有力である。武烈天皇、顕宗天皇、清寧天皇なども実在ではなく創作されたものと考えられる。ただ考古学的資料により、ある程度のことは分かっている。大和王朝(ヤマト王権)の発祥の地は、吉備か出雲か九州など諸説あり不明である。だがこの王権は、三輪山近くのヤマト(あるいは柳本)に、古代都市纏向遺跡(まきむくいせき、奈良盆地の東南部(桜井付近)を造り本拠をおいた王のときに大きく発展した。この古代都市は、3世紀前半に建設され、4世紀末には使われなくなった。
420年頃から480年頃までが、倭の五王の時代である。その後、510年頃までに6,7人の在位期間の短い王が立ったが、この時期はヤマト王権は混乱した。継体天皇の時代に、ヤマト王権の力が強くなった。これ以降の系譜はほぼ正確である。
[編集] 明治時代の歴代天皇の変更
明治以前の歴代天皇(帝)は、現在とはいくらかちがっていた。明治時代に歴代天皇の変更が行われた。これらの変更については、水戸藩による『大日本史』・水戸学および尊王論の影響によるものとされている。
- 明治以前は神功皇后を15代の帝と数えていたが、歴代天皇から外された。
- 神武天皇から村上天皇までは死後の漢風追号として「○○天皇」と呼んでいたが、冷泉天皇から後桃園天皇までは「○○院天皇」(例えば、冷泉院天皇)と呼び、一般には「○○院」(例では、冷泉院)と略され、「○○天皇」とは呼んでいなかった(ただし、安徳天皇と後醍醐天皇を除く)。天皇号が復活するのは光格天皇の代からである。明治になり、すべての天皇を「○○天皇」と呼ぶように改められた(これ以後、「○○院天皇」という呼称は廃されたが、「後西院天皇」を「後西天皇」と改めた点に関しては異論が出されている(「西院」は場所名であって院号ではないとされる))。
- 壬申の乱で敗死した大友皇子は天皇に数えていなかったが、即位が確認されたとされ、明治3年に「弘文」と追号した。現在では非即位説が有力。
- 47代「淡路廃帝」に対して明治3年に「淳仁」と追号した。
- 承久の乱に敗れた「九條廃帝」は天皇に数えていなかったが、明治3年に「仲恭」と追号した。
- 明治44年に明治天皇の命令で、南朝2代を正統な天皇と認め、従来の96~100代の天皇を北朝として正統から外した。
- 大正15年に大正天皇(実質は摂政の裕仁皇太子(後の昭和天皇))の命令で、南朝を正統とした後も即位の是非について意見が分かれていた寛成親王に関して、その即位が確認されたとされ、「長慶」天皇とした。
大友皇子及び長慶天皇は即位していないという説も根強い。神功皇后を天皇から外し、大友皇子を天皇に入れ、南朝を正統としたのは、『大日本史』を受けてのものである。
[編集] 歴代天皇の一覧
- 凡例
- この表は、明治時代に歴代天皇として認められ、現在広く知られている天皇たちの一覧である。
- 日本に太陽暦(実質はグレゴリオ暦。なお、グレゴリオ暦の採用が明言されたのは明治31年。)が導入された1873年以前の表中に示された年月日は、その時々に用いられていた太陰太陽暦による和暦の年月日のうち、年をキリスト紀元(西暦)に単純に換算したものであるため、日本の暦の閏月、大小月により一定の規則性のない月日についてはユリウス暦・グレゴリオ暦の日付とは異同があり、年末の日付を持つ年月日の年はその日に対応する西暦の年とは異なることに留意されたい。
- 後世になって編纂された記紀を除いて歴史書が存在しない6世紀以前の天皇の事績については疑問が残されているが、ここでは記紀の記す在位の年代を採用する。
- 在位の欄には、50代桓武天皇以前の天皇は即位の日付を、即位に先立って践祚した51代平城天皇以降の天皇は践祚の日付を示す。
代 | 天皇名 漢風諡号 ・追号 |
諡号・追号 の読み |
諡号・追号 の別 |
諡号・追号の由来 | 在位 | 備考 |
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1 | 神武天皇 | じんむ | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 紀元前660年1月1日 - 紀元前585年3月11日 |
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2 | 綏靖天皇 | すいぜい | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 紀元前581年1月8日 - 紀元前549年5月10日 |
欠史八代の一。 |
3 | 安寧天皇 | あんねい | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 紀元前549年7月3日 - 紀元前511年12月6日 |
欠史八代の一。 |
4 | 懿德天皇 | いとく | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 紀元前510年2月4日 - 紀元前477年9月8日 |
欠史八代の一。 |
5 | 孝昭天皇 | こうしょう | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 紀元前475年1月9日 - 紀元前393年8月5日 |
欠史八代の一。 |
6 | 孝安天皇 | こうあん | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 紀元前392年1月7日 - 紀元前291年1月9日 |
欠史八代の一。 |
7 | 孝靈天皇 | こうれい | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 紀元前290年1月12日 - 紀元前215年2月8日 |
欠史八代の一。 |
8 | 孝元天皇 | こうげん | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 紀元前214年1月14日 - 紀元前158年9月2日 |
欠史八代の一。 |
9 | 開化天皇 | かいか | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 紀元前158年11月12日 - 紀元前98年4月9日 |
欠史八代の一。 |
10 | 崇神天皇 | すじん | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 紀元前97年1月13日 - 紀元前30年12月5日 |
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11 | 垂仁天皇 | すいにん | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 紀元前29年1月2日 - 70年7月14日 |
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12 | 景行天皇 | けいこう | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 71年7月11日 - 130年11月7日 |
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13 | 成務天皇 | せいむ | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 131年1月5日 - 190年6月11日 |
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14 | 仲哀天皇 | ちゅうあい | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 192年1月11日 - 200年2月6日 |
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15 | 應神天皇 | おうじん | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 270年1月1日 - 310年2月15日 |
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16 | 仁德天皇 | にんとく | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 313年1月3日 - 399年1月16日 |
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17 | 履中天皇 | りちゅう | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 400年2月1日 - 405年3月15日 |
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18 | 反正天皇 | はんぜい | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 406年1月2日 - 410年1月23日 |
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19 | 允恭天皇 | いんぎょう | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 412年12月 - 453年1月14日 |
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20 | 安康天皇 | あんこう | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 453年12月14日 - 456年8月9日 |
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21 | 雄略天皇 | ゆうりゃく | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 456年11月13日 - 479年8月7日 |
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22 | 清寧天皇 | せいねい | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 480年1月15日 - 484年1月16日 |
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23 | 顯宗天皇 | けんぞう | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 485年1月1日 - 487年4月25日 |
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24 | 仁賢天皇 | にんけん | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 488年1月5日 - 498年8月8日 |
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25 | 武烈天皇 | ぶれつ | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 498年12月 - 506年12月8日 |
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26 | 繼體天皇 | けいたい | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 507年2月4日 - 531年2月7日 |
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27 | 安閑天皇 | あんかん | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 531年2月7日 - 535年12月17日 |
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28 | 宣化天皇 | せんか | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 535年12月 - 539年2月10日 |
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29 | 欽明天皇 | きんめい | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 539年12月5日 - 571年4月 |
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30 | 敏達天皇 | びだつ | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 572年4月3日 - 585年8月15日 |
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31 | 用明天皇 | ようめい | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 585年9月5日 - 587年4月9日 |
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32 | 崇峻天皇 | すしゅん | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 587年8月2日 - 592年11月3日 |
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33 | 推古天皇 | すいこ | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 592年12月8日 - 628年3月7日 |
女帝。 |
34 | 舒明天皇 | じょめい | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 629年1月4日 - 641年10月9日 |
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35 | 皇極天皇 | こうぎょく | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 642年1月15日 - 645年6月14日 |
女帝。 |
36 | 孝德天皇 | こうとく | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 645年6月14日 - 654年10月10日 |
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37 | 齊明天皇 | さいめい | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 655年1月3日 - 661年7月24日 |
皇極天皇重祚。 |
38 | 天智天皇 | てんじ | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 661年7月24日 - 671年12月3日 |
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39 | 弘文天皇 | こうぶん | 諡号 | 維新後追贈 | 671年12月5日 - 672年7月23日 |
通称、大友帝。 |
40 | 天武天皇 | てんむ | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 673年2月27日 - 686年9月9日 |
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41 | 持統天皇 | じとう | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 686年9月9日 - 697年8月1日 |
女帝。 |
42 | 文武天皇 | もんむ | 諡号 | 697年8月1日 - 707年6月15日 |
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43 | 元明天皇 | げんめい | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 707年7月17日 - 715年9月2日 |
女帝。 |
44 | 元正天皇 | げんしょう | 諡号 | 淡海三船による一括撰進 | 715年9月2日 - 724年2月4日 |
女帝。 |
45 | 聖武天皇 | しょうむ | (生前の尊称) | 724年2月4日 - 749年7月2日 |
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46 | 孝謙天皇 | こうけん | (生前の尊称) | 749年7月2日 - 758年8月1日 |
女帝。 | |
47 | 淳仁天皇 | じゅんにん | 諡号 | 維新後追贈 | 758年8月1日 - 764年10月9日 |
淡路廢帝を改む。 |
48 | 稱德天皇 | しょうとく | (生前の尊称) | 764年10月9日 - 770年8月4日 |
孝謙天皇重祚。 | |
49 | 光仁天皇 | こうにん | 諡号 | 770年10月1日 - 781年4月3日 |
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50 | 桓武天皇 | かんむ | 諡号 | 781年4月3日 - 806年3月17日 |
異称、柏原天皇。 | |
51 | 平城天皇 | へいぜい | 追号 | 在所(地名) | 806年3月17日 - 809年4月1日 |
異称、奈良天皇。 |
52 | 嵯峨天皇 | さが | 追号 | 譲位後の在所 | 809年4月1日 - 823年4月16日 |
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53 | 淳和天皇 | じゅんな | 追号 | 譲位後の在所 | 823年4月16日 - 833年2月28日 |
異称、西院。 |
54 | 仁明天皇 | にんみょう | 諡号 | 833年2月28日 - 850年3月21日 |
異称、深草天皇。 | |
55 | 文德天皇 | もんとく | 諡号 | 850年3月21日 - 858年8月27日 |
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56 | 清和天皇 | せいわ | 追号 | 譲位後の在所 | 858年11月7日 - 876年11月29日 |
異称、水尾天皇。 |
57 | 陽成天皇 | ようぜい | 追号 | 譲位後の在所 | 876年11月29日 - 884年2月4日 |
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58 | 光孝天皇 | こうこう | 諡号 | 884年2月5日 - 887年8月26日 |
異称、小松天皇。 | |
59 | 宇多天皇 | うだ | 追号 | 譲位後の在所 | 887年8月26日 - 897年7月3日 |
臣籍降下するも、 後に皇族に復帰し即位 |
60 | 醍醐天皇 | だいご | 追号 | 山陵 | 897年7月3日 - 930年9月22日 |
出生時は臣籍、 後に皇族に復帰し即位 |
61 | 朱雀天皇 | すざく | 追号 | 譲位後の在所 | 930年9月22日 - 946年4月20日 |
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62 | 村上天皇 | むらかみ | 追号 | 山陵 | 946年4月20日 - 967年5月25日 |
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63 | 冷泉天皇 | れいぜい | 追号 | 譲位後の在所 | 967年5月25日 - 969年8月13日 |
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64 | 圓融天皇 | えんゆう | 追号 | 在所(寺名・庵号) | 969年8月13日 - 984年8月27日 |
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65 | 花山天皇 | かざん | 追号 | 在所(寺名・庵号) | 984年8月27日 - 986年6月23日 |
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66 | 一條天皇 | いちじょう | 追号 | 在位中の皇居の宮名 | 986年6月23日 - 1011年6月13日 |
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67 | 三條天皇 | さんじょう | 追号 | 譲位後の在所 | 1011年6月13日 - 1016年1月29日 |
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68 | 後一條天皇 | ごいちじょう | 追号 | 加後号 | 1016年1月29日 - 1036年4月17日 |
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69 | 後朱雀天皇 | ごすざく | 追号 | 加後号 | 1036年4月17日 - 1045年1月16日 |
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70 | 後冷泉天皇 | ごれいぜい | 追号 | 加後号 | 1045年1月16日 - 1068年4月19日 |
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71 | 後三條天皇 | ごさんじょう | 追号 | 加後号 | 1068年4月19日 - 1072年12月8日 |
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72 | 白河天皇 | しらかわ | 追号(遺諡) | 譲位後の在所 | 1072年12月8日 - 1086年11月26日 |
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73 | 堀河天皇 | ほりかわ | 追号 | 在位中の皇居の宮名 | 1086年11月26日 - 1107年7月19日 |
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74 | 鳥羽天皇 | とば | 追号 | 譲位後の在所 | 1107年7月19日 - 1123年1月28日 |
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75 | 崇德天皇 | すとく | 諡号 | 1123年1月28日 - 1141年12月7日 |
讃岐院を改む。 | |
76 | 近衞天皇 | このえ | 追号 | 在位中の皇居の宮名 | 1141年12月7日 - 1155年7月23日 |
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77 | 後白河天皇 | ごしらかわ | 追号 | 加後号 | 1155年7月24日 - 1158年8月11日 |
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78 | 二條天皇 | にじょう | 追号 | 在位中の皇居の宮名 | 1158年8月11日 - 1165年6月25日 |
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79 | 六條天皇 | ろくじょう | 追号 | 譲位後の在所 | 1165年6月25日 - 1168年2月19日 |
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80 | 高倉天皇 | たかくら | 追号 | 譲位後の在所 | 1168年2月19日 - 1180年2月21日 |
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81 | 安德天皇 | あんとく | 諡号 | 1180年2月21日 - 1185年3月24日 |
後鳥羽天皇と 在位で一部重複。 |
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82 | 後鳥羽天皇 | ごとば | 追号 | 加後号 | 1183年8月20日 - 1198年1月11日 |
隠岐院、さらに 顕德院を改む。 安徳天皇と 在位で一部重複。 |
83 | 土御門天皇 | つちみかど | 追号 | 譲位後の在所 | 1198年1月11日 - 1210年11月25日 |
異称、土佐院、阿波院。 |
84 | 順德天皇 | じゅんとく | 諡号 | 1210年11月25日 - 1221年4月20日 |
佐渡院を改む。 | |
85 | 仲恭天皇 | ちゅうきょう | 諡号 | 維新後追贈 | 1221年4月20日 - 1221年7月9日 |
九條廢帝、 後廢帝を改む。 |
86 | 後堀河天皇 | ごほりかわ | 追号 | 加後号 | 1221年7月9日 - 1232年10月4日 |
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87 | 四條天皇 | しじょう | 追号 | 在所(葬家の邸宅を 在所に擬す) |
1232年10月4日 - 1242年1月9日 |
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88 | 後嵯峨天皇 | ごさが | 追号(遺諡) | 加後号 | 1242年1月20日 - 1246年1月29日 |
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89 | 後深草天皇 | ごふかくさ | 追号(遺諡) | 加後号 | 1246年1月29日 - 1259年11月26日 |
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90 | 龜山天皇 | かめやま | 追号(遺諡) | 譲位後の在所 | 1259年11月26日 - 1274年1月26日 |
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91 | 後宇多天皇 | ごうだ | 追号(遺諡) | 加後号 | 1274年1月26日 - 1287年10月21日 |
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92 | 伏見天皇 | ふしみ | 追号 | 譲位後の在所 | 1287年10月21日 - 1298年7月22日 |
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93 | 後伏見天皇 | ごふしみ | 追号(遺諡) | 加後号 | 1298年7月22日 - 1301年1月22日 |
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94 | 後二條天皇 | ごにじょう | 追号 | 加後号 | 1301年1月22日 - 1308年8月25日 |
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95 | 花園天皇 | はなぞの | 追号(遺諡) | 譲位後の在所 | 1308年8月26日 - 1318年2月26日 |
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96 | 後醍醐天皇 | ごだいご | 追号(遺諡) | 加後号 | 1318年2月26日 - 1339年8月15日 |
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97 | 後村上天皇 | ごむらかみ | 追号 | 加後号 | 1339年8月15日 - 1368年3月11日 |
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98 | 長慶天皇 | ちょうけい | 諡号 | 大正15年追贈 | 1368年3月11日 - 1383年10月 |
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99 | 後龜山天皇 | ごかめやま | 追号 | 加後号 | 1383年10月 - 1392年10月5日 |
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北朝1 | 光嚴天皇 | こうごん | 追号(遺諡) | 在所(寺名・庵号) | 1331年9月20日 - 1333年5月25日 |
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北朝2 | 光明天皇 | こうみょう | 追号(遺諡) | 在所(寺名・庵号) | 1336年8月15日 - 1348年10月27日 |
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北朝3 | 崇光天皇 | すこう | 追号(遺諡) | 1348年10月27日 - 1351年11月7日 |
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北朝4 | 後光嚴天皇 | ごこうごん | 追号(遺諡) | 加後号 | 1352年8月17日 - 1371年3月23日 |
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北朝5 | 後圓融天皇 | ごえんゆう | 追号(遺諡) | 加後号 | 1371年3月23日 - 1382年4月11日 |
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北朝6 100 |
後小松天皇 | ごこまつ | 追号(遺諡) | 加後号 | 1382年4月11日 - (1392年10月5日) - 1412年8月29日 |
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101 | 稱光天皇 | しょうこう | 追号 | 二つの漢風諡号を 合わせて追号とした号 (稱德+光仁) |
1412年8月29日 - 1428年7月20日 |
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102 | 後花園天皇 | ごはなぞの | 追号 | 加後号 | 1428年7月28日 - 1464年7月19日 |
異称、後文德院。 |
103 | 後土御門天皇 | ごつちみかど | 追号 | 加後号 | 1464年7月19日 - 1500年9月28日 |
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104 | 後柏原天皇 | ごかしわばら | 追号 | 加後号 | 1500年10月25日 - 1526年4月7日 |
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105 | 後奈良天皇 | ごなら | 追号 | 加後号 | 1526年4月29日 - 1557年9月5日 |
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106 | 正親町天皇 | おおぎまち | 追号 | 在所(二條殿)の面する町名 | 1557年10月27日 - 1586年11月7日 |
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107 | 後陽成天皇 | ごようぜい | 追号 | 加後号 | 1586年11月7日 - 1611年3月27日 |
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108 | 後水尾天皇 | ごみずのお | 追号(遺諡) | 加後号 | 1611年3月27日 - 1629年11月8日 |
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109 | 明正天皇 | めいしょう | 追号 | 二つの漢風諡号を 合わせて追号とした号 (元明+元正) |
1629年11月8日 - 1643年10月3日 |
女帝。 |
110 | 後光明天皇 | ごこうみょう | 追号 | 加後号 | 1643年10月3日 - 1654年9月20日 |
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111 | 後西天皇 | ごさい | 追号 | 加後号 | 1654年11月28日 - 1663年1月26日 |
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112 | 靈元天皇 | れいげん | 追号(遺諡) | 二つの漢風諡号を 合わせて追号とした号 (孝靈+孝元) |
1663年1月26日 - 1687年3月21日 |
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113 | 東山天皇 | ひがしやま | 追号 | 山陵 | 1687年3月21日 - 1709年6月21日 |
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114 | 中御門天皇 | なかみかど | 追号 | 在所に近い宮門 | 1709年6月21日 - 1735年3月21日 |
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115 | 櫻町天皇 | さくらまち | 追号 | 譲位後の在所 | 1735年3月21日 - 1747年5月2日 |
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116 | 桃園天皇 | ももぞの | 追号 | 1747年5月2日 - 1762年7月12日 |
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117 | 後櫻町天皇 | ごさくらまち | 追号 | 加後号 | 1762年7月27日 - 1770年11月24日 |
女帝。 |
118 | 後桃園天皇 | ごももぞの | 追号 | 加後号 | 1770年11月24日 - 1779年11月9日 |
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119 | 光格天皇 | こうかく | 諡号 | 1779年11月25日 - 1817年3月22日 |
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120 | 仁孝天皇 | にんこう | 諡号 | 1817年3月22日 - 1846年2月6日 |
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121 | 孝明天皇 | こうめい | 諡号 | 1846年2月13日 - 1866年12月25日 |
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122 | 明治天皇 | めいじ | 追号 | 一世一元の制による | 1867年1月9日 - 1912年7月30日22:43 |
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123 | 大正天皇 | たいしょう | 追号 | 一世一元の制による | 1912年7月30日 - 1926年12月25日1:25 |
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124 | 昭和天皇 | しょうわ | 追号 | 一世一元の制による | 1926年12月25日 - 1989年1月7日6:33 |
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125 | 今上天皇 明仁 |
1989年1月7日10:01 - |
[編集] 追尊天皇の一覧
- 岡宮天皇 - 草壁皇子。40代天武天皇の皇太子で、42代文武天皇の父。即位前に病没し、「岡宮御宇天皇」を追尊。「長岡天皇」とも。
- 崇道尽敬皇帝 - 舎人親王。47代淳仁天皇の父。子の即位により「崇道尽敬皇帝」を追尊。単に「尽敬天皇」とも。
- 春日宮天皇 - 施基皇子。49代光仁天皇の父。子の即位により「春日宮天皇」を追尊。「田原天皇」とも。
- 崇道天皇 - 早良親王。50代桓武天皇の弟で廃太子(785年没)。800年、「崇道天皇」の尊号を受ける。
- 陽光天皇 - 誠仁親王。106代正親町天皇の東宮。即位前に死去。太上天皇、院号「陽光院」を追尊。
- 慶光天皇 - 閑院宮典仁親王。119代光格天皇の父。1884年、贈太上天皇、諡号「慶光天皇」を追尊。→尊号一件
[編集] 尊称天皇の一覧
[編集] 付:異説に天皇とされる者、天皇に準ずる者の一覧
- 日本武尊 - 14代仲哀天皇の父。『風土記』において「倭武天皇」と記す例がある。
- 神功皇后 - 15代応神天皇の母。古くは歴代天皇の一人に数えられた。
- 菟道稚郎子 - 応神天皇皇太子。「宇治天皇」と播磨国風土記にある。
- 市辺押磐皇子 - 17代履中天皇皇子。23代顕宗天皇の父。播磨国風土記に「市辺天皇」とある。
- 飯豊青皇女 - 履中天皇の娘(異説あり)。22代清寧天皇の死後、23代顕宗天皇・24代仁賢天皇が皇位を譲り合っている間、天皇としての政務を行っていた。扶桑略記などに「飯豊天皇」とある。
- 蘇我馬子・蘇我蝦夷・蘇我入鹿 - 大臣。邸宅は「宮門(みかど)」と呼ばれ、子は親王に準じた扱いを受けた。
- 聖徳太子 - 日本書紀では「豊聡耳法大王」、「法主王」と記す例がある。
- 間人皇女 - 36代孝徳天皇の皇后、34代舒明天皇の皇女。37代斉明天皇の死後、38代天智天皇即位までの間即位していたとする説がある。万葉集の「中皇命(なかつすめらみこと)」は間人皇女のこととされる。
- 塩焼王 - 天平宝字8年(764年)、『恵美押勝の乱』で、恵美押勝から「今帝」として擁立される。併し、朝廷軍の前に恵美押勝軍は敗北、逃走中に捕縛され斬殺される。
- 平将門 - 桓武天皇5世孫。940年、八幡神の託宣により「新皇」に即位するも同年敗死。
- 敦明親王(小一条院) - 67代三条天皇皇子。1016年、東宮。翌年東宮を退くも、院号宣下を受け太上天皇に準ずる。
- 恒良親王 - 96代後醍醐天皇の皇子。後醍醐が吉野へ逃れる際に一時的に皇位を譲られるが、南朝の成立により無意味となる。
- 懐良親王 - 後醍醐天皇の皇子。南朝方の征西将軍として九州に勢力を張り、明から倭寇の取り締まりを求められ「日本国王」の冊封を受ける。
- 足利義満 - 室町幕府3代将軍。准三宮(上皇に準じた待遇)を受ける。以降の将軍も含め、明より「日本国王」の冊封を受ける。没後、太上天皇の宣下を受けるが幕府はこれを辞退する。院号「鹿苑院」。
- 中興天皇 - 後南朝の初代天皇。99代後亀山天皇の孫、小倉宮実仁親王の皇子。諱は尊義。嘉吉3年10月に即位したという。吉野北山に崩御。
- 自天王 - 後南朝の2代天皇。後亀山天皇の曾孫、中興天皇の一宮。諱は尊秀。奥吉野川上にて即位。長禄元年12月、赤松家の遺臣により暗殺される。
- 南天皇 - 後南朝の3代(最後の)天皇。後亀山天皇の孫、小倉宮実仁親王の皇子。諱は尊雅。長禄2年8月、赤松家の遺臣により斬られ、其の傷が元で熊野の光福寺にて崩ず。
- 西陣南帝 - 応仁の乱の際、山名宗全により擁立された南朝皇胤。名は不明。
- 北白川宮能久親王 - 日光輪王寺門跡時代の1868年、奥羽越列藩同盟により「東武皇帝」に推戴されたとの説がある。
[編集] 付:自称天皇の一覧
- 熊沢天皇 - 熊沢寛道。後亀山天皇第19世の子孫、南朝第117代天皇を称し、諱を尊熟と自称する。
- 熊沢天皇 - 熊沢乃武夫、熊沢信彦。熊沢寛道の家を分家と見なし、熊沢家本家を主張。
- 熊沢天皇 - 熊沢照元。熊沢家本家を主張。
- 熊沢天皇 - 熊沢里吉。熊沢家本家を主張。
- 池端天皇 - 熊沢常光、熊沢常春。熊沢家本家を主張。
- 長浜天皇 - 81代安徳天皇の末裔を称する。
- 璽光尊 - 戦後新たに天皇を名乗った人。元号を霊寿と改め、天皇や皇族、そしてダグラス・マッカーサーに自らの皇居参内を命じ、やがて金沢に遷都し、私造紙幣をも発行した新興宗教の教祖。
- 三浦天皇 - 南朝長慶天皇の末裔で、後醍醐天皇の皇子・尊良親王の生まれ変わりを称する。
[編集] 追記
- 「欠史十代」‐24代「仁賢天皇」から33代「推古天皇」までをそう呼称する場合もある。冒頭で述べた「欠史八代」(または、「14代までを実在しない」とする諸説)とは異なり、「古事記」下巻の最終部に、ほとんどその間について「史実」として記述されていないことから、「古事記が正史でない」ことや、それが編纂されたとされる712年の時点で、それら天皇の在位期間中に「誰もが知っている様な内容をわざわざ書き記す必要性がない事」、または、「記憶や伝承として歴史的な大事件等がなかった為」などと解釈されている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
歴代天皇一覧 | |||||||||
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1 神武 | 2 綏靖 | 3 安寧 | 4 懿徳 | 5 孝昭 | 6 孝安 | 7 孝霊 | 8 孝元 | 9 開化 | 10 崇神 |
11 垂仁 | 12 景行 | 13 成務 | 14 仲哀 | 15 応神 | 16 仁徳 | 17 履中 | 18 反正 | 19 允恭 | 20 安康 |
21 雄略 | 22 清寧 | 23 顕宗 | 24 仁賢 | 25 武烈 | 26 継体 | 27 安閑 | 28 宣化 | 29 欽明 | 30 敏達 |
31 用明 | 32 崇峻 | 33 推古 | 34 舒明 | 35 皇極 | 36 孝徳 | 37 斉明 | 38 天智 | 39 弘文 | 40 天武 |
41 持統 | 42 文武 | 43 元明 | 44 元正 | 45 聖武 | 46 孝謙 | 47 淳仁 | 48 称徳 | 49 光仁 | 50 桓武 |
51 平城 | 52 嵯峨 | 53 淳和 | 54 仁明 | 55 文徳 | 56 清和 | 57 陽成 | 58 光孝 | 59 宇多 | 60 醍醐 |
61 朱雀 | 62 村上 | 63 冷泉 | 64 円融 | 65 花山 | 66 一条 | 67 三条 | 68 後一条 | 69 後朱雀 | 70 後冷泉 |
71 後三条 | 72 白河 | 73 堀河 | 74 鳥羽 | 75 崇徳 | 76 近衛 | 77 後白河 | 78 二条 | 79 六条 | 80 高倉 |
81 安徳 | 82 後鳥羽 | 83 土御門 | 84 順徳 | 85 仲恭 | 86 後堀河 | 87 四条 | 88 後嵯峨 | 89 後深草 | 90 亀山 |
91 後宇多 | 92 伏見 | 93 後伏見 | 94 後二条 | 95 花園 | 96 後醍醐 | 97 後村上 | 98 長慶 | 99 後亀山 | 100 後小松 |
北朝 | 1 光厳 | 2 光明 | 3 崇光 | 4 後光厳 | 5 後円融 | 6 後小松 | |||
101 称光 | 102 後花園 | 103 後土御門 | 104 後柏原 | 105 後奈良 | 106 正親町 | 107 後陽成 | 108 後水尾 | 109 明正 | 110 後光明 |
111 後西 | 112 霊元 | 113 東山 | 114 中御門 | 115 桜町 | 116 桃園 | 117 後桜町 | 118 後桃園 | 119 光格 | 120 仁孝 |
121 孝明 | 122 明治 | 123 大正 | 124 昭和 | 125 今上 | ※赤字は女性天皇 |