三輪山
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三輪山(みわやま)は、奈良県の最北部一帯の奈良盆地の南東部位置する奈良県桜井市の南東部にそびえる、なだらかな円錐(えんすい)形の美しい姿をした山である。標高467m、周囲16km。三諸山(みもろやま)ともいう。
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[編集] 伝記
三輪山(みわやま)は、おそらく縄文時代、あるいは弥生時代から、自然物崇拝をする原始信仰の対象であったとされている。古墳時代にはいると、山麓地帯には次々と大きな古墳が作られた。そのことから、この一帯を中心にして日本列島を代表する政治的勢力、つまり、ヤマト政権の初期の三輪政権(王朝)が存在したと考えられている。200から300メートルの大きな古墳が並び、そのうちには第10代の崇神天皇(すじんてんのう)・第12代の景行天皇(けいこうてんのう)の陵があるとされ、さらに箸墓古墳(はしはかこふん)は『魏志』倭人伝(ぎしわじんでん)にあらわれる邪馬台国の女王卑弥呼の墓ではないかと推測されている。『記紀』には、三輪山伝説として、奈良県桜井市にある大神神社(おおみわじんじゃ)の祭神、大物主神(おおものぬしのかみ)、別称三輪明神(みわみょうじん)の伝説が、載せられている。よって三輪山(みわやま)は神の鎮座する山、神名備(かむなび)とされている。
[編集] 歴史
古代から江戸時代にかけては、大神神社(おおみわじんじゃ)より約250mほど南南東に位置する、三輪山平等寺(みわさんびょうどうじ)に神官僧侶のみ、一同をなして全山(ぜんざん)の祭りを行ってきた。太古より神宿る山とされ、三輪山そのものが神体であるとの考えから、常人は足を踏み入れることの出来ない、禁足(きんそく)の山とされ、江戸時代には幕府より厳しい政令が設けられ、神社の山札がないと入山出来なかった。 明治以降はこの伝統に基づき、「入山者の心得」なるものが定められ、現在においてはこの規則を遵守すれば誰でも入山出来るようになった。登山を希望する場合は、大神神社(おおみわじんじゃ)から北北東250mあたりに位置し、境内にある摂社の、狭井神社(さいじんじゃ)の社務所(しゃむしょ)にて許可をえらなければならない。そこにて氏名を記入し300円を納める。そして参拝証の白いたすきを受け取り御祓いを済ませる。道中このたすきを外すことは禁止されている。通例2時間ほどで下山出来るが、3時間以内に下山しなければならないという規則が定められている。また山中にては、飲食、喫煙、写真撮影の一切が禁止されている。数多くの巨石遺構、祭祀遺跡も散在するが、これに対しても原則として許可なしに撮影出来ない。さらに山内の一木一葉に至るまで神宿るものとし、それに斧を入れることは許されておらず、山は松(まつ)、杉(すぎ)檜(ひのき)などの大樹に覆われている。 入山せずに参拝する際には、拝殿(はいでん)から直接三輪山(みわやま)を仰ぎ拝むといった手法をとる。
[編集] 形態
仏教伝来以降、人々は仏教の寺院に倣って社殿(しゃでん)を建てた。本殿には神の憑依した鏡や剣を納めて御神体(ごしんたい)とするようになった。 しかし三輪山(みわやま)には本殿がない。依代(よりしろ)である山そのものを拝むといった、元来からある神社の形態を崩していない。
大神神社を参照のこと。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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