淳仁天皇
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淳仁天皇(じゅんにんてんのう、天平5年(733年) - 天平神護元年10月23日(765年11月10日))は、日本の第47代天皇。『淳仁天皇』とは明治天皇によって追号されたもので、古文書では廃帝(はいたい)または淡路廃帝(あわじはいたい)と呼ばれる。名は大炊王(おおいおう)。
[編集] 経歴
天武天皇の皇子・舎人親王の七男として生まれる。母は当麻真人山背。だが、3歳で父が没したこともあって、天皇の孫でありながら官位を受けることも注目される事もなかった。
757年(天平宝字元年)、聖武天皇の遺言によって立太子した道祖王に代わって、未婚の女帝・孝謙天皇により立太子された。この立太子は、藤原仲麻呂(後に恵美押勝に改名)の強い推挙によるものだった。大炊王は仲麻呂の子・真従(まより)の未亡人である粟田諸姉を妻とし、仲麻呂の私邸に住むなど、仲麻呂と強い関係を持っていた。
758年(天平宝字2年)に孝謙天皇から譲位され即位した。しかし、実際に皇位につけば、政治の実権はほとんど仲麻呂が握り、また仲麻呂の後見人である光明皇后(藤原光明子)が強い影響力を持っていた。政策は、唐で安禄山の乱が発生した為、九州の警備を強化したが、仲麻呂が推進した新羅討伐計画を許可し、官位も唐風の名称に改めた。
孝謙上皇とは、彼女が弓削道鏡を重用しだした事から不和となっていた。淳仁が藤原の言いなりとなっていたことから、上皇は淳仁が道鏡について讒言を吐いていることを口実に平城京に上ってきた。そこで「今の帝は常の祀りと小事を行え、国家の大事と賞罰は朕が行う」と宣告され、762年(天平宝字6年)に上皇が親裁を行ったため権力を剥奪された。
天平宝字8年(764年)恵美押勝の乱が起きた後も、最大の後見人である筈の仲麻呂と行動をともにする事は無かった。その原因については既に上皇側に拘束されていたからだとも、仲麻呂を見限って上皇側との和解を探っていたからだとも言われている(仲麻呂は天皇を連れ出せなかった為、やむなく塩焼王を新天皇に擁立することを企てた)。
乱の翌月、上皇の軍によって居住していた中宮院を包囲され、そこで上皇より「仲麻呂と関係が深かったこと」を理由に廃位を宣告され、親王の待遇をもって淡路国に流される。だが、この措置には反仲麻呂派からも不満が出たらしく、翌天平神護元年(765年)2月に道鏡の新政権側から現地の国司に警戒の強化が命じられている。この年の10月、逃亡を図るが捕まり、翌日亡くなった。公式には病死と伝えられる。
墓は淡路国三原郡(南あわじ市の天王森丘とされる)に作られ、宝亀9年(778年)に山陵扱いとされたが、即位していながら、称徳天皇の意向によって長らく天皇の一人とはされず廃帝または淡路廃帝と呼ばれていた。1870年(明治3)に、弘文天皇(大友皇子)、仲恭天皇とともに「淳仁天皇」と追号された。1873年には、同様に配流先で歿した崇徳天皇を祀る白峯神宮に合祀された。
歴代天皇一覧 | |||||||||
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1 神武 | 2 綏靖 | 3 安寧 | 4 懿徳 | 5 孝昭 | 6 孝安 | 7 孝霊 | 8 孝元 | 9 開化 | 10 崇神 |
11 垂仁 | 12 景行 | 13 成務 | 14 仲哀 | 15 応神 | 16 仁徳 | 17 履中 | 18 反正 | 19 允恭 | 20 安康 |
21 雄略 | 22 清寧 | 23 顕宗 | 24 仁賢 | 25 武烈 | 26 継体 | 27 安閑 | 28 宣化 | 29 欽明 | 30 敏達 |
31 用明 | 32 崇峻 | 33 推古 | 34 舒明 | 35 皇極 | 36 孝徳 | 37 斉明 | 38 天智 | 39 弘文 | 40 天武 |
41 持統 | 42 文武 | 43 元明 | 44 元正 | 45 聖武 | 46 孝謙 | 47 淳仁 | 48 称徳 | 49 光仁 | 50 桓武 |
51 平城 | 52 嵯峨 | 53 淳和 | 54 仁明 | 55 文徳 | 56 清和 | 57 陽成 | 58 光孝 | 59 宇多 | 60 醍醐 |
61 朱雀 | 62 村上 | 63 冷泉 | 64 円融 | 65 花山 | 66 一条 | 67 三条 | 68 後一条 | 69 後朱雀 | 70 後冷泉 |
71 後三条 | 72 白河 | 73 堀河 | 74 鳥羽 | 75 崇徳 | 76 近衛 | 77 後白河 | 78 二条 | 79 六条 | 80 高倉 |
81 安徳 | 82 後鳥羽 | 83 土御門 | 84 順徳 | 85 仲恭 | 86 後堀河 | 87 四条 | 88 後嵯峨 | 89 後深草 | 90 亀山 |
91 後宇多 | 92 伏見 | 93 後伏見 | 94 後二条 | 95 花園 | 96 後醍醐 | 97 後村上 | 98 長慶 | 99 後亀山 | 100 後小松 |
北朝 | 1 光厳 | 2 光明 | 3 崇光 | 4 後光厳 | 5 後円融 | 6 後小松 | |||
101 称光 | 102 後花園 | 103 後土御門 | 104 後柏原 | 105 後奈良 | 106 正親町 | 107 後陽成 | 108 後水尾 | 109 明正 | 110 後光明 |
111 後西 | 112 霊元 | 113 東山 | 114 中御門 | 115 桜町 | 116 桃園 | 117 後桜町 | 118 後桃園 | 119 光格 | 120 仁孝 |
121 孝明 | 122 明治 | 123 大正 | 124 昭和 | 125 今上 | ※赤字は女性天皇 |