カレー
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カレー (Curry) は、日本では一般に「カレーライス」の略称として用いられる、スパイスなどで野菜や肉を煮込んだ料理。本来はカレー粉・カレーソースのみのことであるが、日本では白米のご飯にかけて、あるいは一緒に出される為、カレー=カレーライスと認識される。カレーライス以外の料理としてカレーうどん、カレーパンなどがある。また、最近はカレーの情報がさまざまなメディアを通じて知られるようになり、語源のカリに倣ってか、カリー、カリー粉という人も時々見られる。
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[編集] カレー粉
カレー粉は、香辛料を混合した粉末である。主としてターメリック、サフラン、パプリカなどで色をつけ、クミン、ナツメグ、オールスパイス、キャラウェイ、ガーリック、クローブ、コリアンダー、フェンネル、シナモン、などで香りをつけ、コショウ、ジンジャーなどで辛さをつける。
インドでは、クローブやシナモン、ナツメグなど多くのスパイスを用いた香辛料の混合物をマサラと呼んでいる。マサラは日本で言う醤油や味噌のようにあらゆる料理の調味料として使われるが、出来合いのカレー粉とは違って料理ごとに種類や調合が異なり、ひとくちにマサラと言っても無数のバリエーションがある(日本でも知られるガラムマサラは、そのなかの代表的な一種)。
[編集] インド、東南アジアのカレー
インドでは幅広い料理に、香辛料(スパイス)を混合したマサーラーを使うため、ほとんどのインド料理が“カレー”であるように日本では言われるが、それは誤った認識と言わざるを得ない。インド人は身の回りにあるスパイスを料理に使っているに過ぎず、彼ら自身は「カレー」なるものを作っているつもりは全く無い。ただ、外国人(特に、旧宗主国である英国人)が自分たちの料理を「カレー」と呼んでいた事から、現在では一部の料理名に「カレー」の名を使用したりもしている。
「カレー」の語源としては、タミル語でソースを意味する「カリ」あるいはカンナダ語の「カリル」が語源で、ポルトガル人が習得して使用したと言われてきた。しかし、実際のタミル語とカンナダ語にはソースを意味する「カリ(カリル)」は無く、両言語共通で「野菜や肉」(転じて「食事」、「おかず」)を意味する「カリ」がある。一説では、ポルトガル人がインド人の食事を尋ねたところ、インド人は「カリ」と答え、ポルトガル人はスパイスで煮込まれた料理のことを「カリ」と思い込んでヨーロッパへ持ち帰った、という。それが英語の curry となり、マサラを使った多くの料理がその名で呼ばれるようになった訳である。
インドでは、それこそスパイスは多種多様であり、具も野菜、鶏肉、羊肉、魚(牛肉、豚肉を使用しないのはヒンドゥー教やイスラム教によるが、インド南部の港町ゴアなど、植民地支配の影響で豚や牛を食べる地域もある。)を初め、様々なものが使用される。一緒に食べる炭水化物も、米の飯(地域によって米の種類、炊き方は様々)や小麦粉のパン(ナンやチャパーティー、ドーサなど地域によって多種多様)が添えられる。
インド以外に、東南アジア周辺の類似の料理も「タイカレー」、「ジャワカレー」などと「カレー」の名で呼ばれることがある。しかし香辛料の使い方などに大きな違いがあり、いわゆる一般的な「カレー粉」で作られる味とは異なっている。たとえばタイでは、唐辛子とココナッツミルクを基本としたものが主流で、具も海老や鶏肉などを使い、使用する唐辛子の種類によってレッドカレー、グリーンカレー、イエローカレーに大別される。ココナッツミルクの使用でまったりとした味の物が多い。
また、カレーと呼ばれていなくても日本人が食べればカレーだと思う料理もあり、例えば中国マカオの「葡國鶏」(広東語 ポウコクカイ、ポルトガルチキン)は、クリーム味が加わり、オーブンで表面を焼いたチキンカレーとも言え、しかも米飯またはパンが付いて出されている。
[編集] カレーソース
カレーソースはジャガイモ、玉葱、人参などの具を煮込んだものにカレー粉を入れ、小麦粉を加えてとろみを出したものである。 日本のカレーソースにジャガイモを入れたのは、滞日中だったウイリアム・スミス・クラークといわれ、米不足を補う目的であった。クラークとカレーについての逸話は後述する。
なお、日本で主に作られるカレーソースは、上記の具に加えて牛肉を入れるビーフカレーが一般的である。特に、レトルト食品として提供されるカレーソースの多くはビーフカレーである。
カレーソースを手軽に作るため、日本では市販のカレールーが使われている。製品としての固形カレールーは、ヱスビー食品が1954年に日本で最初に製造した。
カレールー(家庭用即席カレー)の、2004年度の国内出荷額は676億円とされ、内、ハウス食品 約61%、 ヱスビー食品 約28%、江崎グリコ 約10%と推計されており(日本経済新聞社推計)、これら3社でほぼ100%を占める寡占市場である。
また、完成済みのカレーソースをレトルトパウチで包んだレトルト食品もあり、一般にはレトルトカレーと言われている。これは、大塚食品工業(現・大塚食品)が1968年に「ボンカレー」として発売した。大衆向けのレトルト食品はボンカレーが世界初であり、2005年現在でも多くのレトルト食品のなかで、レトルトカレーは販売高の3割以上を占める人気商品となっている。
[編集] カレーライス
[編集] 日本のカレーライス
カレーライスとは、カレーソース(上述)を御飯にかけた一品料理。日本では定番の日常的な料理であり、一人あたり週に2~3皿を消費しているという統計もある。
日本には、インドからイギリスを経由して紹介された。そのため厳密には西洋料理ではないながら洋食として扱われている。また、日本で最初に紹介されたカレーの作り方(『西洋料理指南』という本にレシピが記載されている)では長ネギやカエル肉が使われていた。現在は、材料として野菜のほか、牛肉、豚肉、鶏肉などがよく使われる。
[編集] 軍隊とカレー
カレーライスが全国に広まることとなった経緯として、戦前、普段米を食べることが少ない農家出身の兵士たちに白米を食べさせることになった海軍だったが、当初カレーには英国式にパンを供していた。しかし、これは概して水兵には不評であった。そのため白米にカレーを乗せたところ、好評であったことから、調理が手早く出来て肉と野菜の両方がとれるバランスのよい食事として、カレーライスを兵員食に採用した。その後、除隊した兵士がこのカレーライスを広めたため、全国に知られることになったという説がある。
他方、陸軍が普及に貢献したとする説もあり、その理由に以下を挙げている。
- 海軍では炊事も専門の者が行うため、カレーの作り方を覚えた水兵はごくごく一部であったと推測されるのに対し、陸軍ではほぼ全員が炊事を経験したこと。
- 海軍は徴兵ではなく志願制の時期もあった上に陸軍に比べると圧倒的に経験者が少ないこと。
- 陸軍が全国に駐屯していたのに対し、海軍が居たのは大湊、横須賀、舞鶴、呉、佐世保といった限られた地域だけであったこと。
- 決定的なのは、当時はライスカレーの呼称が一般的であったのだが、陸軍のレシピにはライスカレーと記載されているのに対し、海軍のレシピではカレーライスと記載されている。
従って、カレー、ライスカレーの全国普及に陸軍の影響が大きかった可能性は高いが、海軍の与えた影響は極めて小さかったとする説である。
どちらにせよ、日本国内においては、軍隊がカレーの普及に大きな役割を果たした点では間違いないだろう。
海軍では土曜の昼食はカレーライスという習慣があり、海上自衛隊にも引き継がれた。長期航海中に曜日の感覚を取り戻すための習慣だとも、休日を前にして食料庫の整理をするためだとも言われている。 週休2日制となった現在では、実施する曜日を土曜日から金曜日に変えつつも、海上自衛隊は毎週金曜日にすべての部署でカレーを食べており、今なおその味を艦艇・部隊で競い合っている。 また、陸軍でも標準調理マニュアルである「軍隊調理法」にも記載されるなど、兵士の人気を博したが、陸軍においては太平洋戦争勃発後は外来語の言い換えとして「辛味入汁掛飯」と呼ばれた。
現在、神奈川県横須賀市等、軍港を抱えていた街を中心に「海軍カレー」という名称で、缶詰やレトルト食品が販売されているが、これらは、カレーライス発祥当時の風味を再現したものであり、現在海上自衛隊で食されているレシピとは異なったものである場合が多い。また、一部のコンビニエンスストアが、実験商品として陸上自衛隊のレシピを用いた「陸軍カレー」を売り出したこともあった。
[編集] 戦後以降のカレー
日本では軍隊がカレー普及の下地を作ったが、戦後に更に普及に拍車を掛けることとなったのは、戦後の復興期に、煎った小麦粉を混ぜたカレー粉が販売され、家庭でも容易にカレーライスを食べることができるようになったからである。 後に、海軍と同様の理由で、学校給食に採用されて児童からも好評を得られており、常に児童が好む献立の上位に挙がるため、国民食のひとつとなった。
カレー屋のカレーとして歴史が古く、有名なものでは、新宿の中村屋で提供しているチキンカリーがある。中村屋の創業者である相馬愛蔵が喫茶部を開業するに辺り、相馬の娘婿でインド独立運動家であったラス・ビハリ・ボースがスパイスの配合からレシピに至るまで関わったものがベースとなっている。
千日前の洋食屋「自由軒」も老舗であるが、この店の「名物カレー」(混ぜカレーとも呼ばれる。※インデアンカレーは全く別のお店「せんば自由軒」の名称)は最初から混ぜた状態で出され、中心には生卵が乗せられており、普通のカレーライスは「別カレー」としてメニューにラインナップされている。また、この店ではウスターソースをかけることも推奨していたため、この食べ方が広まり、関西ではカレーライスに生卵とウスターソースは付きものと考える人が少なくない。
付け合せには、蜂蜜漬けのラッキョウや、福神漬が一般的である。その他の漬物や、ピクルス、レーズン、ナッツなどもよく合い、カレーの味を一層引き立たせるアクセントとなる。サラダと一緒に食べると、栄養バランスは尚良くなる。
豚カツやビーフカツをカレーライスの上にのせたカツカレーをはじめ、唐揚げ、コロッケ、チーズ、野菜などをカレーライスの上にのせたトッピングと呼ばれるオプションメニューも人気が高い。
カレーは作り置きもできるし、業務用のレトルト食品も製造されていることもあり、喫茶店の軽食メニューとしても一般的である。短時間で客に出すことができ、食べるのも短時間ですむため、駅の構内に専門店があることも多い。小規模のチェーン店だけでなく、「カレーハウスCoCo壱番屋」(略称:ココイチ)等といった全国的なカレー専門店チェーンも登場している。
[編集] カレーライスと福神漬け
日本においては、カレーライスの添え物として福神漬が供されることがしばしばある。このカレーライスと福神漬という取り合わせは、明治時代、日本郵船ヨーロッパ航路の船のコック「タキサダ・サダイチ」氏がカレーに福神漬を添えて出したことが発祥とされている。
[編集] 北海道大学とカレーライス
1876年、札幌農学校(北海道大学の前身)に着任したクラーク博士は、パン食を推進し、寮食での米飯を禁止した。『恵迪寮史』(1933年)によれば、開学当初から寮では米食禁止だったが、「ライスカレーは例外」とされ、カレーの日には米飯が供給されたという。ただし、吉田よし子らの研究によれば、クラーク着任当時のカレーの記録は北海道大学には現存せず、それらしい命令も存在が確認できなかったという。吉田の著書『カレーなる物語』によれば、北海道大学に残るカレーに関する最も古い資料は1877年9月のクラーク離日後のカレー粉の納入記録と、1881年の寮食メニューである。ライスカレーという語はクラークがつくったものという説もあるが、クラーク来日前の開拓使の公文書『明治五年 開拓使公文録 八』(1872年)で、「タイスカレイ」(ライスカレーの意味)という語が既に使われている。
[編集] カレーライスとライスカレー
1960年代から1970年代前半くらいまでのライスカレーと呼ばれることが普通であった時代では、子供から大人までもが巷でカレーライスとライスカレーの違いを論争する様子が見られた。その際、主張された意見には以下のようなものがある。
- 家庭(大衆食堂等も含む)で作られるようものがライスカレーであるのに対してカレーライスは、レストラン等少し高級或いは気取った感じの店で出されるような、皿に盛った御飯とは別にカレーソースがソースボートで供されるもの。
- カレーライスが curried rice であるのに対してライスカレーは rice and curry 、つまり皿に盛った御飯とは別にカレーソースがソースボートで供されるもの。
- 高級、ハイカラなものの方がカレーライス。
もっとも、実際のところは双方を分類する明確な定義は無く、双方に存在する違いといえば、ライスカレーとカレーライス、それぞれの名称の登場時期の差ぐらいのものである。
その登場時期の差というのは、ライスカレーという名称は明治期に登場し、カレーライスという名称は昭和初期に登場したというものである。カレーライスという名称が登場した理由は、百貨店のレストランが、高級感が感じられるからとカレーライスという名称を使い出したのが由来とする説があるが、本当かどうかは不明である。とはいえ、カレーライスという名称を使う飲食店は、大衆食堂よりもレストランの方が多かったのは事実であった。そのため、カレーライスという名称に高級、ハイカラというイメージを抱くようになったのだろう。
実際には、1872年、北海道開拓使の公文書では「タイスカリイ」(ライスカレーの意味)という語が使われ、樺太の医師三田村多仲の日誌『三田村多仲日誌』1875年1月3日付けの記録では「カレーライス」という語が使われており、カレーが日本に入ってきたきわめて最初期から、「ライスカレー」、「カレーライス」という語が併用されていたことが分かっている。
名称の登場時期の差のせいもあり、以前はライスカレーと呼ぶのが一般的であったものの、1960年代から1970年代前半くらいを境にカレーライスという名称が広く普及するようになった。カレーライスとライスカレーの違い論争というのは、ライスカレーからカレーライスへの名称移行の時代に見られたものであったといえる。その証拠に、ライスカレーという名称が、一部文献等では死語の一つとされてしまっている程、使用頻度が減っている現在では、かつてのような論争はあまり見られない。無論、どのような形で供されようがカレーライスと呼んで差し支えない。
なお、1970年代前半、ハウス食品がレトルトカレー「ククレカレー」のTVCM中で、「ライスが多けりゃライスカレー、カレーが多けりゃカレーライス」というキャッチコピーを用いたため、当時は子供を中心に、両者の違いがそこにある、と信じ込んでいた層も多かったと言われている。
[編集] カレーライスのバリエーション
- 混ぜカレー - ご飯とカレーを混ぜて客にだすもの。大阪の自由軒など。
- カレー丼 - 皿でなく、丼に入れたご飯の上にカレーをかけたもの。和風の出汁を加えることもある。
- 焼きカレー - 生卵を載せたカレーライスをオーブンで焼いたもの。福岡県のカリイ本舗の考案といわれる。(特許登録第2691213号)。
- 直火焼きカレー - 福井。
- 石焼きカレー - 石焼きピビンパの様に、石鍋で焼いたご飯の上にカレーをかけたもの。
- スープカレー - 北海道からブレイクした、スープの様に水分が多く、飲むのに適したもの。ご飯と共に食べることも多い。
- ドライカレー
- カレーピラフ
- 合がけ - ご飯の上にカレーと牛丼の具、またはハヤシを半分ずつ掛けたもの。築地の大森や中榮の名物。牛丼の具と合わせたものは松屋にもあるが「カレギュウ」と称している。
[編集] 変わった具入りのカレー
- トドカレー(北海道)
- 熊カレー(北海道)
- 鹿肉カレー(北海道)
- 鯨肉カレー(北海道)
- ホッキカレー (北海道苫小牧市)
- ぼっかけカレー(兵庫県神戸市)
- サザエカレー(島根県隠岐地方)
- 鰈カレー(島根県浜田市)
- ゴーヤーカレー(沖縄県)
[編集] 行事
カレーライスにちなむ行事としては、日比谷公園にある松本楼のチャリティー10円カレーセールが有名である。 これは、過激派グループの投げた火炎瓶により全焼した松本楼が、1973年に再建されたことを記念し、毎年9月25日に実施される。 カレーは4日間煮込んだ本格的なポークカレーで、料金は10円に各自の志を追加して払う。売り上げは交通遺児育英会、ユニセフなどに全額寄付されている。「10円カレー」は俳句の秋の季語にもなっている。
[編集] 日本の近隣地域のカレーライス
イギリスの統治を長く受けていた香港では、茶餐廳と呼ばれる喫茶レストランに、カレーライスを揃えている店が少なくない。日本のものと比べると、若干スープカレーに近い、さらっとしたものが多い。
中国でも洋食のひとつとして、ホテルなどでカレーを食べることができたが、一般の中国人にはあまりなじみのない料理であった。最近は、上海に日本資本のカレーショップもできており、日本風のカレーライスの人気も出て来ている。
明治初期から日本人移民の多かったハワイにおいてもカレーは日常食として普及しており、日本料理店のみならず大衆的なレストランや伝統的なハワイ料理を扱う店のメニューにもカレーライスの名前を見ることができる。以前は日本人にとっては懐かしい昔ながらのライスカレーを供する店が大半であったが、近年はタイやベトナムなど東南アジア系移民の増加や、日本のチェーン店であるCoCo壱番屋の進出などによりさまざまなスタイルのカレーライスが食べられるようになってきた。
韓国でも日本統治時代からの伝統として軍隊食などとして食されている。キムパプ(酢を使わないご飯を用いた韓国風海苔巻き)にカレーをかけて食べるなど日本では考えられないようなアレンジも存在する。
[編集] その他、各国のカレー料理
カレーというと主に熱帯地域や、アジアなどを連想するが、イギリスを代表とするヨーロッパや、北米、中南米、アフリカ、オセアニアなど、あらゆる地域でもカレー文化が根付いていることが現在までで確認できている。それは、各地域の伝統的な料理に、香辛料やエスニック要素を加え、カレーらしくなったものであるが、多くのレストランや料理人らが伝播と啓蒙につとめた功績も皆無とはいえない。また、各国の料理をカレー風にアレンジするレシピの多くもネット上にみることができるようになった。今後の発掘、研究が待たれる。
[編集] アジア地方
[編集] ヨーロッパ地方
[編集] 北中米地方
[編集] 南米地方
- ペルー
- チリ
- アルゼンチン
- ブラジル
- コロンビア
- エクアドル
[編集] アフリカ地方
[編集] オセアニア地方
- ニューカレドニア
- ソシエテ諸島
[編集] 日本
日本でもカレーライスの他にも、カレー粉、カレーソースを使った料理がある。
蕎麦屋のメニューにもカレーはよく出てくる。このカレーは、カレー粉をだし汁で溶き、長ネギを入れ、片栗粉でとろみを付けてある。カレー丼のほか、蕎麦にかけてカレー南蛮として提供される。
など様々なバリエーションが編み出されている。また、単独の料理ではないがスナック菓子にはカレー味の商品が各社から発売されている。
結局の所、カレーは多種多様な食材を受け入れて融合する溶媒としての役目を担っているといえる。地域、年齢層、嗜好の差異を越えて食文化に様々な影響を及ぼしている。
[編集] 北海道内のカレー
最近は富良野市の富良野オムカレーやホワイトカレー、全国でも珍しいつけめんスタイルである美瑛町のカレーうどんが人気を博している。
その他にも、函館の五島軒に代表される洋食レストラン風のカレーや、札幌のスープカレーなどが有名である。
[編集] カレーに関する作品
[編集] 音楽
- 「おかあさんのカレー」 (全力投球ワンダーフォー)
- 「カレーとタンゴ」 (若原一郎&瞳)
- 「カレーライス」 (遠藤賢司)
- 「カレーライス」 (KAN)
- 「カレーライスにゃかなわない」 (真島昌利)
- 「カレーライスの女」 (ソニン)
- 「日本印度化計画」 (筋肉少女帯)
- 「カレーの歌」 (くるり)
[編集] 関連項目
- ハヤシライス
- 横濱カレーミュージアム
- 海軍カレー
- 東京カリ~番長
- 和歌山毒物カレー事件
- 華麗なる食卓
- カレーライスの女
- 横須賀市(海軍カレーで町おこしをしている)
- 土浦市(カレーで町おこしをしている)
- ソーライス
- 黒沢薫(ゴスペラーズのメンバー)
- 秘密戦隊ゴレンジャー(メンバーのひとり、"キレンジャー(初代・大岩大太)"の好物)
- ケロロ軍曹(本作品の登場キャラクター、"クルル曹長"の体の色のイメージでもある)
- 阪急百貨店
- 山川健次郎(カレーライスを食べた最初の日本人といわれる)
[編集] 文献
- 嵐山光三郎監修『カレーライス』リブリオ出版、2006年4月、ISBN 4860572483
- 井上宏生『面白雑学カレーライス物語』双葉社、1996年7月、ISBN 4575710792
- 井上宏生『日本人はカレーライスがなぜ好きなのか』平凡社、2000年11月、ISBN 4582850669
- 黒沢薫(ゴスペラーズのメンバー)『ぽんカレー』角川書店、2005年10月、ISBN 4048839411
- 小菅桂子『カレーライスの誕生』(『講談社選書メチエ』243)、講談社、2002年6月。ISBN 406258243-0
- 生活クラブ事業連合生活協同組合連合会編『カレーブック 本格的カレーライスからデザートまで』生活クラブ事業連合生活協同組合連合会、1993年10月、ISBN 441503652X
- 全日本カレーライス学会編『カレーライス うまさと刺激にこだわる雑学』勁文社、1994年5月、ISBN 4766919645
- とことんカレー研究会編『カレーの雑学王 このネタはちょっと激辛いぜ! どこから読んでも面白い!』青春出版社、2001年6月、ISBN 4413091981
- 浜内千波、竹内冨貴子(共著)『カレー大全科 カレーの魅力再発見 含まれる香辛料の驚くべき多彩な効用』グラフ社、2000年8月、ISBN 4766205820
- 『彷書月刊』第16巻第11号/通巻第182号(特集=カレー三昧)、弘隆社、2000年10月。
[編集] 外部リンク
- オリエンタルカレー - 戦後すぐにカレー粉を販売したメーカー
- 大日本カレーライス研究会
- ハウス食品カレー資料館
- 新宿中村屋のカリーのページ
- 大阪難波自由軒
- せんば自由軒
- 横濱カレーミュージアム
- カレー特集