青木宣親
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青木 宣親(あおき のりちか、1982年1月5日- )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手である。ポジションは外野手。宮崎県日向市出身。右投げ左打ち。背番号は23。端正な顔立ちと爽やかな性格で、特に女性ファンからの人気が高い。
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[編集] 来歴
- 宮崎県立日向高等学校を経て、早稲田大学に進学。大学3年の2002年には東京六大学野球秋季リーグ戦首位打者のタイトルを獲得(打率.436)。その年の春には1試合6得点のリーグ記録を樹立。ベストナイン3回。俊足巧打の2番打者として早大史上初の4連覇に貢献。早大の同期には鳥谷敬(現阪神タイガース)らがいた。
- 2003年の ドラフト4巡目でヤクルトに入団。1年目の2004年シーズンは一軍出場はわずか10試合に終わったものの、二軍では打率.372でイースタン・リーグ首位打者、最高出塁率のタイトルを獲得。また、リーグ2位の21盗塁を記録し、自慢の俊足をアピールした。同年のフレッシュオールスターゲームではMVPを獲得。
- 2年目の2005年は開幕から中堅手としてレギュラーに定着し、高いミート技術と、リーグトップクラスの俊足でヒットを量産。10月6日にはセントラル・リーグ新記録となる193安打を達成し、10月11日には1994年のイチロー(当時オリックス・ブルーウェーブ、現シアトル・マリナーズ)以来、日本プロ野球史上2人目となるシーズン200安打を達成。そして、プロ野球新記録のシーズン169単打を放つなど最終的には202安打、打率.344でセ・リーグ首位打者を獲得した。
- 2006年1月1日に放送されたスポーツマンNo.1決定戦の「ショット・ガン・タッチ」で世界新記録・13m60cmを記録。パワーフォースでもNo.1を獲得し総合3位に輝く。
- 2006年7月21日に行われたサンヨーオールスターゲームの第1戦目(神宮球場)でMVPを獲得した。フレッシュオールスターゲームとのダブル受賞は、蓑田浩二(阪急)、石井浩郎(近鉄バファローズ)以来となる3人目の快挙となった。(翌日には藤本敦士(阪神)もMVPを受賞し、4人目のダブル受賞者となる)
- 3年目の2006年シーズンには、2年連続の200安打と首位打者のタイトルこそ逃したものの、両リーグトップの192安打を放つ。課題だった三振が減少し、本塁打や打点、出塁率も大幅に向上した。また、セ・リーグでダントツの41盗塁で赤星憲広の6年連続を阻止し、自身初の盗塁王を受賞するなど、走攻守において日本トップレベルの一番打者に成長しつつある。
[編集] エピソード
- 俊足を生かした守備範囲の広い中堅守備には定評がある。高校時代は投手、大学時代は外野手だった。複数ポジションをこなせるように、との古田敦也監督の方針で、外野のほかに二塁守備も兼ねてできる(実際、公式戦で二塁を守った事もある)。肩は特段強いというわけではないが、ランナーを正確な送球で刺すことがある。
- 2006年に選手全員が眼鏡をかけるというイベントで、ファンから「キモ~イ」と言われた(本人はショックだったらしい)。
- 2006年、チームのイベントの一環としてアントニオ猪木の仮装をした。
- 2006年の西武ライオンズとの交流戦(神宮球場)にてアレックス・グラマン投手から自身の人生初となる満塁ホームランを放つ。また、2006年9月15日にも広島のマイク・ロマノ投手から第10号満塁ホームランを放つ。
- 2006年7月17日、広島東洋カープ(神宮球場)にて、佐竹健太投手を高橋建投手と間違えて対戦し、ヒットを打った(のちにインタビューで判明)
- 2006年9月18日の阪神戦、同点で迎えた11回裏の守備で、無死満塁から濱中治が二塁後方へ打ち上げた平凡なポップフライを、センターを守っていた青木はなんと落球してサヨナラエラーを記録する。(本来はセカンドが処理するフライを青木が深追いしてしまったのが原因で声出しも甲子園の歓声にかき消されてしまうという不運が背景にある)
- 性格は親しくなると同僚の真中満いわく「失礼なヤツ」で、先輩の石川雅規に「カツオ」と名付けたり、同じく先輩の城石憲之を「ポーさん(ポチさん)」と呼んだり阪神の赤星憲広に(石川との背比べの時に)「背伸びしてますよ」と言うなど。しかし本人のキャラクターやチームカラーなどのおかげで、今のところは特に問題になっていないようだ。
- また、天才ゆえか不思議な発言も多く見られる(例:「髪が痛い」など)。
- 大学の卒業論文では、『盗塁』をテーマに原稿用紙100枚ほど書いた。
- 高校卒業時の平均評定は4を軽く超えていたという。
- プロ野球選手の多くはスポーツ推薦で大学に進学する場合が多いが、指定校推薦で早稲田大学へ進学した。
- イチローを尊敬しており、2005年開幕時はバットを立てて構えていたが、イチローを参考にしてバットを寝かしたフォームに変更。以後、異常なまでに快進撃を続け、200本安打を達成。
[編集] 年度別成績(NPB)
年度 | チーム | 試合数 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 三振 | 打率 | 出塁率 |
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2004年 | ヤクルト | 10 | 15 | 3 | 0 | 0 | 1 | 6 | .200 | .250 |
2005年 | ヤクルト | 144 | 588 | 202 | 3 | 28 | 29 | 113 | .344 | .387 |
2006年 | 東京ヤクルト | 146 | 599 | 192 | 13 | 62 | 41 | 78 | .321 | .396 |
通算 | 2年 | 300 | 1202 | 397 | 16 | 90 | 71 | 197 | .330 | .390 |
[編集] タイトル・表彰
- 首位打者 1回(2005年)
- 最多安打 2回(2005年、2006年)
- 盗塁王 1回(2006年)
- 新人王 (2005年)
- ベストナイン 2回(2005年、2006年)
- ゴールデングラブ賞 1回(2006年)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
東京ヤクルトスワローズ - 2007 |
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0 志田宗大 | 2 リグス | 3 ラミレス | 4 度会博文 | 6 宮本慎也 | 7 田中浩康 | 8 武内晋一 | 9 鈴木健 | 10 城石憲之 | 11 遠藤政隆 | 12 高木啓充 | 13 佐藤賢 | 14 高市俊 | 15 村中恭兵 | 16 石井一久 | 17 川島亮 | 18 藤井秀悟 | 19 石川雅規 | 20 鎌田祐哉 | 21 松岡健一 | 22 高津臣吾 | 23 青木宣親 | 24 花田真人 | 25 館山昌平 | 26 河端龍 | 27 選手兼監督 古田敦也 | 28 川本良平 | 30 西崎聡 | 31 真中満 | 32 小野公誠 | 33 畠山和洋 | 35 三木肇 | 36 川端慎吾 | 37 福川将和 | 38 衣川篤史 | 39 梶本勇介 | 40 大原秉秀 | 41 高井雄平 | 42 木田優夫 | 43 宮出隆自 | 44 松井光介 | 45 坂元弥太郎 | 46 飯原誉士 | 47 田中充 | 49 アレックス・ラミレス・ジュニア | 50 上田剛史 | 51 米野智人 | 53 五十嵐亮太 | 54 宇野雅美 | 55 野口祥順 | 56 山田裕司 | 57 丸山貴史 | 58 丸山泰嗣 | 59 水野祐希 | 60 石堂克利 | 61 石井弘寿 | 62 吉川昌宏 | 63 増渕竜義 | 64 牧谷宇佐美 | 65 松元ユウイチ | 66 山田弘喜 | 67 大塚淳 | 78 ゴンザレス | 未定 上原厚治郎 |105(育成選手) 伊藤秀範 | 球団 | |
2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 |
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1 岩村明憲 | 2 小笠原道大 | 3 松中信彦 | 5 和田一浩 | 6 多村仁 | 7 西岡剛 | 8 今江敏晃 | 9 金城龍彦 | 10 宮本慎也 | 11 清水直行 | 12 藤田宗一 | 15 久保田智之 | 17 福留孝介 | 18 松坂大輔 | 19 上原浩治 | 20 薮田安彦 | 21 和田毅 | 22 里崎智也 | 23 青木宣親 | 24 藤川球児 | 25 新井貴浩 | 27 谷繁元信 | 31 渡辺俊介 | 40 大塚晶則 | 41 小林宏之 | 47 杉内俊哉 | 51 イチロー | 52 川﨑宗則 | 59 相川亮二 | 61 石井弘寿/馬原孝浩 |
89 監督 王貞治 | 84 武田一浩 | 85 辻発彦 | 86 鹿取義隆 | 87 大島康徳 | 88 弘田澄男 | 項 | |