武内晋一
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武内 晋一(たけうち しんいち、1983年12月10日 - )は、兵庫県神戸市生まれのプロ野球選手。ポジションは内野手(主に一塁手だが外野手を務めることもある)。東京ヤクルトスワローズ所属。左投左打。身長175cm、体重85kg。血液型O。
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[編集] 来歴
[編集] アマチュア時代
- 1993年 少年野球チーム『平野少年団』に入り野球を始める。
神戸市少年団リーグではなぜか左利きなのにサードを守る。 かなりワンマンチームで武内がすべてだった。 力のあるボールと力のあるバッティングはすでに健在だった。
- 智辯学園和歌山高等学校時代に投手から野手に転向。高校2年のときに夏の甲子園で優勝を経験したが、高校3年のときは和歌山大会の一回戦で敗退してしまった。高校通算本塁打は47本。
- 2002年に早稲田大学人間科学部に入学。葛西順一ゼミ所属。進学後は1年生の春から早くもレギュラーに定着。4年間リーグ戦全試合に先発出場し、チームの主軸を担う。2年春にはリーグ3位の.405、17打点の成績で打点王に輝く。しかし、ホームランへの意識の強さからバッティングフォームを崩し、その後は「スラッガー」というイメージからすれば平凡な成績に終わり、フォーム改善に苦悩することになる。体重94kg(当時)にしては足も意外と速い。だが、盗塁王は、同じく早稲田大学の前田将希に奪われる。責任感が強く、高校、大学ではチームの主将を務める。
- 2005年7月8日より行われた第34回日米大学野球選手権大会に出場し、最高殊勲選手となるが、この大会でアメリカ人とのパワーの違いを痛感。ホームランへのこだわりを捨てるきっかけになる。
- 東京六大学リーグでは、2004年春季リーグにベストナイン、2005年秋季リーグでは首位打者と打点王を獲得。2005年のドラフト会議で、ヤクルトスワローズに希望枠で指名され入団。スワローズの準永久欠番である背番号8を、その年引退した佐藤真一から受け継ぐ。
[編集] プロ入り後
一塁手としてはグラブ裁きには定評があり、大学時代、1年時からレギュラーだったが一度も失策をしていない。 プロ入団後は外野についているが(一塁のレギュラーはリグス)、まだ守備は不安定である。
[編集] 主な記録
[編集] 六大学リーグ時代
- 通算102安打(通算100安打以上達成は通算25人目)
- 通算73打点(当時歴代4位)
- リーグ戦無失策
- 首位打者1度(2005年秋、4割2分6厘)
- ベストナイン選出2度(2003年春、2005年秋)
[編集] NPB時代
- 初出場 2006年4月1日 対阪神2回戦6番右翼手(神宮)
- 初安打 2006年4月1日 対阪神2回戦6回 安藤優也投手から(神宮)
- 初打点 2006年4月1日 対阪神2回戦6回 安藤優也投手から(神宮)
- 初本塁打 2006年4月1日 対阪神2回戦6回 安藤優也投手から(神宮)
[編集] 背番号
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
東京ヤクルトスワローズ - 2007 |
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