門倉健
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門倉 健(かどくら けん、1973年7月29日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手。長身から投げるストレートと鋭く落ちるフォークが武器。背番号は27。
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[編集] 来歴
- 1996年 - ドラフト2位で中日ドラゴンズに入団。7月28日の対ヤクルトスワローズ戦で初勝利。この年は7勝をマークした。
- 1997年 - 初の2桁勝利を記録。
- 1998年 - 2年連続の2桁勝利を達成。
- 2000年 - 小池秀郎、佐野重樹、善村一仁の3選手との交換トレードで古池拓一、東瀬耕太郎両選手と共に大阪近鉄バファローズに移籍。
- 2001年 - シーズンを通して、ローテーションの一角を守り、8勝5敗の成績で近鉄のパ・リーグ優勝に貢献(しかし防御率は6.49と精彩を欠いた)。
- 2004年 - 福盛和男、矢野英司両選手との交換トレードで宇高伸次と共に横浜に移籍。6月23日の対ヤクルト戦で移籍後初勝利。同時にプロ入り初ホームランを放っている。シーズン当初は先発投手を任されていたが結果が出ずに不振だったものの、佐々木主浩が故障離脱したために抑えを任せられて10セーブを記録した。
- 2005年 - 8月20日の対中日戦で勝利投手となり、史上4人目の「全12球団勝利」を達成(ただし、自らが在籍して消滅した近鉄には未勝利であった)。自己最多となる11勝を挙げ、同僚・三浦大輔と同数でリーグ最多の177奪三振を記録して最多奪三振のタイトルを獲得した。余談だが、10月11日の対ヤクルト戦では青木宣親のシーズン200本目となる安打を打たれる投手となった。イチロー200本安打達成の際の園川一美のような名コメントは出さなかったが、この年の門倉は青木から3割以上打たれてカモにされていた。
- 2006年 - 不調のため中継ぎで調整する時期もあったものの、勝ち星に恵まれない三浦を尻目にチーム唯一の2桁勝利(うち1勝は中継ぎ)を達成。しかし、防御率は4.84と非常に悪く(9勝目を挙げた9月30日時点では5.17)、結果的に10勝9敗だったとは言え打線や天候に助けられた幸運な一年であり(7月5日には降雨コールドによる勝利投手を記録)、内容的には到底ほめられたものではなかった。
[編集] 2006年オフのFA移籍の経緯
前述の通り投球内容は今ひとつの年であったが、二桁勝利、チーム最多勝を理由に複数年契約や年俸アップを主張。球団はこれを受け入れなかったため、他球団の評価も聞いてみたいと考え門倉はFA宣言を行った。この際横浜との決別宣言をし「入団テストを受ける可能性もある。横浜より条件が悪くても他球団」とまで発言したと報道され、この報道に横浜ファンからは非難の声が相次いだ。対する門倉は自身のサイトの日記で報道の大部分は憶測であると釈明し、横浜のファン感謝デーに参加した際ファンに対し「チームへの愛着」をしきりにアピールした。しかし、直後に巨人が獲得に興味を示していると報道が流れると、一転「すごく光栄」「原さんにあこがれていた」などと手のひらを返したような発言をし、巨人愛を強調したため、さらに横浜ファンの反感を買った。
- 12月2日、横浜も門倉の強硬な態度に愛想を尽かし、残留交渉が打ち切りに。
- 12月7日、巨人との入団交渉に臨み、2年契約総額2億円プラス出来高払いの提示を受け、「すごく高い評価をしてくれた。気持ちはほとんど固まっている。心は一つです」と話し、この時点で巨人への移籍が事実上決まった。
- 12月9日、野球教室で少年たちに「みんな、プロになりたいんだろ。でも横浜は止めておけ」と、三度横浜ファンを敵に回すような発言をする(本人は冗談だと軽く笑ったが、状況を考えればこの発言は十分本気と取れる内容であり、ましてや子供の前での発言である)。なお、これが横浜ベイスターズのユニフォームを着た最後の日となった。
- 12月11日、巨人への入団が正式に決定。本人は「来期開幕カードの横浜三連戦で投げたい」と意気込むなど、よほど横浜への不満が溜まっていた様子であった。これにより横浜ファンから門倉は「悪魔」とまで呼ばれるようになった。また、本人のホームページにて野球教室での発言に対し以下のような謝罪文を掲載している。
『先日の野球教室の際の発言について、感謝の気持ちを伝える会話の一部があのような内容にとられてしまい、この場を借りて全ての方にお詫び致します。決してそういう気持ちはありません。』
[編集] 人物
アゴの長い顔が特徴で、ニックネームは「アゴ倉」「モアイ」。本人はそれを気に入っているらしく、自分より顔の長い野球選手がいると悔しがる。「アゴの長さでは現役一」を自称。門倉以外に顎が長くて有名な選手は手嶌智、田中良平、平野恵一、内川聖一などがいるが、とある番組で清原和博と顔の長さを測定して競い、負けた際は本気で悔しそうな顔をしていた。
また、レントゲン写真を撮影した際、あごが全部入りきらなかったこともあった。
ヒーローインタビューでお立ち台に上がると観客とともに猪木コールをするのが恒例。テーマソングも炎のファイター。本人の希望でなく周りが決めた可能性有る
TBS系列の『うたばん』では、たびたび登場する山内あゆアナウンサーが司会の石橋貴明に「お前門倉に似てるじゃねぇか!」と「門倉」呼ばわりされており、その縁で門倉タオルをプレゼントしたこともある。
[編集] エピソード
[編集] プロフィール
- 出身地 - 埼玉県入間市
- 身長/体重 - 193cm/90kg
- 血液型 - O型
- 投打 - 右投右打
- 球歴 - 聖望学園高-東北福祉大-中日(96~99)-近鉄(00~03)-横浜(04~06)- 巨人(07~)
- 指名順位/年度 - 2位/1995年
- 推定年俸 - 7500万円
[編集] 通算成績(2006年まで)
- 279試合 12312/3投球回 75勝75敗10セーブ 1104奪三振 558与四死球 146被本塁打 592自責点 防御率4.33
[編集] タイトル・表彰
- 最多奪三振:2005年
[編集] 背番号
[編集] アマチュア時代の戦績・記録
- 1991年 - 全国高等学校野球選手権大会埼玉県大会準優勝。
- 1994年 - 全日本大学野球選手権大会ベスト8。
- 1995年 - 全日本大学野球選手権大会準優勝、日米大学野球選手権大会日本代表。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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