高橋由伸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
男子 野球 | ||
銅 | 2004 | 野球 |
高橋 由伸(たかはし よしのぶ、1975年4月3日 - )は、千葉県千葉市中央区出身のプロ野球選手で、読売ジャイアンツに所属。右投左打で、ポジションは外野手。背番号は24番。
打撃の実力はジャイアンツのみならず日本プロ野球を代表するレベルにある。プロ入り通算9年間で打率3割を6度、本塁打30本を2度記録している。
強肩を生かした外野守備力も高く、プロ入り1年目から6年連続でゴールデングラブ賞を受賞。右翼手だったが、2006年後半からは左翼手にコンバートされた。
度重なる怪我は打撃成績にも大きく影響し、2005年は自身初の規定打席割れ。翌2006年にはシーズン序盤からの長期離脱のために出場試合数が97試合最終的には打率.260、15本塁打、51打点という自己最悪の成績に終わった。
目次 |
[編集] その他
- 長嶋茂雄監督が、高橋がロッカールームで眉毛を整えるのに1時間かけるのを見て驚いた、というエピソードがある。
- 打席に立つときのBGMは、THE BLUE HEARTSの『夢』。これ以外にもスピード2のメインテーマ(2002年)や、自分の背番号に因んで『24』のメインテーマ(2005年)を使用したことがある。
[編集] 来歴・人物
桐蔭学園高等学校では1年生時の1991年から3番・ライトのレギュラーの座を掴む。夏の甲子園で3回戦に進出。翌1992年も夏の甲子園に出場するも、1回戦敗退。この時マウンドに立ちサヨナラ負けしている。。
慶應義塾大学に進学後は、田淵幸一の持つ東京六大学リーグ本塁打記録を更新して歴代1位となる通算23本塁打など、大学球界を代表するスター選手として一躍脚光を浴びる。1996年春リーグ戦では三冠王を獲得、翌年主将としてチームを9シーズンぶりのリーグ優勝に導いた。
ルーキーイヤー1998年からその素質を発揮。打率.300、19本塁打75打点の好成績を挙げた。
2年目の1999年は開幕から絶好調で、夏前には三冠王すら狙える位置にあった。しかし、ナゴヤドームの中日戦で守備の際に外野フェンスに激突して鎖骨骨折の重傷を負い長期離脱。
2002年オフの松井秀喜のニューヨーク・ヤンキース移籍に伴い、翌年からチームの選手会長を引き継ぎ、選手としては2003年の開幕戦や2004年のシーズン中盤まで期間に4番打者を務めた。 2004年8月はアテネ五輪出場。このシーズンは138試合(2試合はストライキで中止 )で由伸の出場数は109試合。そのうちの21試合はアテネ五輪出場による欠場。 2006年1月29日、小野寺麻衣(元日本テレビアナウンサー)と結婚。
ちなみに、開幕戦に強いことでも知られ、2006年現在で4本のホームランを打っている。
2006年最終戦で4番出場(2年ぶり)。この日は李スンヨプの欠場によるもの。
[編集] 略歴
- 身長・体重:180cm 87kg
- 投打:右投左打
- 出身地:千葉県千葉市中央区
- 血液型:O型
- 球歴・入団経緯:桐蔭学園高 - 慶大 - 巨人(1998年 - )
- FA取得:なし
- プロ入り年度・ドラフト順位:1997年(1位・逆指名)
- 英語表記:TAKAHASHI
- 推定年俸:2億8000万(2007年)
- 守備位置:外野
[編集] 通算成績(2006年シーズン終了時)
- 打率.306(3935打数1188安打) 212本塁打 624打点 21盗塁
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 読売ジャイアンツ4番打者
- 第66代
-
- 先代:
- 石井浩郎
- 次代:
- ドミンゴ・マルティネス
カテゴリ: 日本の野球選手 | 慶應義塾大学野球部の選手 | 読売ジャイアンツの選手 | 1975年生