福盛和男
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福盛和男(ふくもり かずお、1976年8月4日 - )は平成期(2000年代後半~)の東北楽天ゴールデンイーグルス所属の投手。宮崎県北諸県郡高崎町(現・都城市)出身。右投げ右打ち。楽天ではストッパーとして活躍。
妻はフジテレビアナウンサー、福元英恵。福元との間には2005年6月に生まれた男児が一人いる。
現在の本拠地、フルキャストスタジアム宮城では、期間限定だが福盛の出身地である宮崎県の名産グルメの地鶏などをふんだんに取り込んだ”福盛弁当”が発売された。
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[編集] 経歴
- 高校時代は都城高等学校に在学。しかし甲子園には縁がなく、3年間全て県大会決勝で敗退した。
なお、高校3年生の時の対戦相手は延岡学園高等学校で、その時の延岡学園の主軸打者だったのが現在のチームメイトの草野大輔である。 - 1995年 ドラフト3位で横浜ベイスターズに入団。
- 2001年 登録名を「和男」から「一夫」に変更。
- 2003年 登録名を再び「和男」に変更。
- 2004年 大阪近鉄バファローズに移籍。2勝10セーブの好成績。しかし、球団消滅。
- 2005年 分配ドラフトで楽天に移籍。初代守護神として活躍。この年、開幕2戦目の千葉ロッテマリーンズ戦での0-26の歴史的大敗の中で唯一、無失点、自責点無しの投手だった。
- 2006年不調の小山に代わってシーズン途中からクローザーを務める。前半は好調で26イニング無失点を記録し初のオールスター出場を果たす。しかしオールスター出場後、体調を崩す。それと共に調子も落としセーブ失敗が続いたことからクローザーを小倉に譲り中継ぎにまわる。この頃はスランプに悩み、自身のブログでも深刻なコメントをしていた。しばらくは中継ぎで危ないところを見せながらも炎上せず投げ続けた。徐々に調子は上向き、9月22日の西武戦にて牧野の二番手として8回に登板し無失点に抑える。9回は小倉かと思われたが鹿島ピッチングコーチ(当時)から「そのまま行け」と言われ福盛が登板。9回も無失点に抑え1-0で勝利し久しぶりにセーブを挙げた。その後二試合連続でセーブを成功させ復活を印象付けた。最終的に防御率2.17、21セーブと過去最高の成績を挙げた。
- 2006年オフ、シーズン中に扁桃炎に悩まされたことから扁桃腺除去手術を行った。
- 2006年日米野球の代表メンバーの一人に選ばれる。
[編集] 人物・エピソード
- 元来クローザーという役目をする投手ではなく、横浜時代はまだまだ若かったが、先発投手の三浦大輔、野村弘樹、盛田幸妃、斎藤隆らと共に先発ローテーションの一角を形成し(いわゆるローテの5、6番手)、1998年の横浜日本一に多少なりとも貢献をする。しかし2000年当たりからは中継ぎが多く、やがて近鉄に移籍後からはチーム事情から抑えとなり、今では楽天のクローザーとしての第一人者である。
- ストレートに迫る球速の高速シュートと変化量の大きいフォークを主力とし、日本人投手としては非常に珍しいナックルカーブも使用する。ボールはやや荒れ気味で暴投も多めの荒っぽいピッチングスタイルの投手である。
- プライベートでは福盛の長男と同い年の長女を持つ一場靖弘、近鉄以来のチームメイトである岩隈久志との家族ぐるみでの交流が盛んであることを福盛自身および岩隈が公式ページや各種インタビューで明かしている。
- 楽天の選手の中では一番最初に仙台に引越しをした。
- ブログ「常に強気」は前向きで楽しい話題だけでなく、ジョークセンスも光っていることから人気が高い。事実、楽天広場blogのスポーツカテゴリではアクセス数トップの座をキープしており、更新されてから1日でコメントが100件を超えるほどである。
また、福盛本人が手術を受けた時には、術後報告として妻の英恵が書き込んだことや、息子がたびたび写真で登場するなど家族も協力してファンとの交流を深めていこうとする様子もみられる。
- 一方、絶不調の時(2006年9月5日更新の話題)「精神的に不安定」、「周りが見えていない」、「どうしたら野球を楽しめるのか」、「こんな事を書くのはプロ野球選手として失格」など深刻なことも書いていることから、極端なまでに喜怒哀楽が激しい部分がある。
- また独身時代は選手名鑑の家族構成(独身者は好きなタレント、あるいは理想の女性のタイプ)の欄にはなぜかトム・クルーズと記述していた。(通常は好きな女性タレントを答える。同様の例でソフトバンクの仲澤忠厚は明石家さんま、広島の長谷川昌幸は木村拓哉と答えていた)
[編集] 通算成績
- 343試合 30勝40敗55S 626投球回 427奪三振 防御率3.62(2006年シーズン終了時点の成績)
[編集] 獲得タイトル・表彰など
- オールスターゲーム出場 (2006年)
[編集] 背番号
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
東北楽天ゴールデンイーグルス - 2007 | |
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00 森谷昭仁 | 0 佐藤宏志 | 1 塩川達也 | 2 渡辺直人 | 3 吉岡雄二 | 4 高須洋介 | 6 西谷尚徳 | 7 山﨑武司 | 8 礒部公一 | 9 鷹野史寿 | 11 一場靖弘 | 12 草野大輔 | 13 小倉恒 | 14 河本育之 | 15 福盛和男 | 16 山村宏樹 | 17 フェルナンデス | 18 田中将大 | 20 谷中真二 | 21 岩隈久志 | 22 愛敬尚史 | 23 関川浩一 | 24 山崎隆広 | 25 横川史学 | 26 有銘兼久 | 27 河田寿司 | 28 片山博視 | 30 永井怜 | 31 藤井彰人 | 32 沖原佳典 | 33 平石洋介 | 34 渡邉恒樹 | 35 大廣翔治 | 36 朝井秀樹 | 37 嶋基宏 | 38 山下勝充 | 39 井野卓 | 40 吉崎勝 | 41 青山浩二 | 42 ウィット | 43 徳元敏 | 44 中谷仁 | 45 川井貴志 | 46 鉄平 | 47 松崎伸吾 | 48 竜太郎 | 49 吉田豊彦 | 51 川岸強 | 52 山本大明 | 53 牧野塁 | 54 木谷寿巳 | 55 リック | 56 戸部浩 | 57 小山伸一郎 | 58 長坂健冶 | 59 富岡久貴 | 60 藤崎紘範 | 61 憲史 | 63 牧田明久 | 64 中島俊哉 | 65 松本輝 | 66 西村弥 | 67 銀次 | 68 枡田慎太郎 | 91 インチェ | 未定 林恩宇 | 121(育成選手) 金森久朋 | 126(育成選手) 中村真人 | |
19 監督 野村克也 | 78 橋上秀樹 | 71 紀藤真琴 | 76 杉山賢人 | 77 池山隆寛 | 86 星野おさむ | 80 西俊児 | 75 佐竹学 | 70 山田勝彦 | 87 二軍監督 松井優典 | 74 小野和義 | 85 広橋公寿 | 81 清家政和 | 72 上川誠二 | 90 芹澤裕二 | 84 高村祐 | 89 永池恭男 | 73 野村克則 |
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球団 | 編集 |