自衛権
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自衛権(じえいけん)とは、急迫不正の侵害を排除するために、武力をもって必要な行為を行う国際法上の権利。国内法上の正当防衛権に対比される。他国に対する侵害を排除するための行為を行う権利を集団的自衛権といい、自国に対する侵害を排除するための行為を行う権利である個別的自衛権と区別する。
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[編集] 概説
[編集] 沿革
歴史上、自衛権の概念は、1837年のカロライン号事件の処理において、イギリスが主張した抗弁の中で最初に援用された。カロライン号事件とは、イギリス領カナダで起きた反乱に際して、反乱軍がアメリカ船籍のカロライン号を用いて人員物資の運搬を行ったため、イギリス軍がアメリカ領内でこの船を破壊した事件である。アメリカ側からの抗議に対し、イギリス側は、自衛権の行使である旨、抗弁の一つとして主張した。アメリカ側は、国務長官ダニエル・ウェブスターが、自衛権の行使を正当化するためには「即座に、圧倒的で、手段選択の余地がない」ことが必要であると主張し、本件についてこれらの要件が満たされていることについての証明を求めた。この自衛権行使に関する要件は「ウェブスター見解」と呼ばれ、現在も援用される。
その後、原因のいかんを問わず、すべての戦争が適法の推定を受けるものとされたことから、自衛権によって特定の武力行使を正当化する必要がなくなった。しかし、2度の世界大戦を経て、戦争が原理的に否定されるようになると、特定の武力行使を自衛権によって正当化する必要に迫られた。
まず、第一次世界大戦後、自衛権の行使は、1928年(昭和3年)に締結された不戦条約(戰爭抛棄に關する條約、パリ不戦条約)の中で、禁止されるべき「戦争」から留保されると解された。そして、第二次世界大戦後の1945年(昭和20年)10月に発効した国際連合憲章(国連憲章)では、第51条に「個別的又は集団的自衛の固有の権利」が明記された。
[編集] 国連憲章における自衛権
国際連合憲章51条は次のように定める。
- 第五十一条 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
このように、自衛権は国家の「固有の権利」と規定される。ただ、国際連合加盟国による集団安全保障体制の下では、その権利の行使は、国際連合安全保障理事会(国連安保理)の措置がとられるまでの時限的な権利とされている(なお憲章第7章参照)。
[編集] 自衛権行使の要件と効果
自衛権の行使に当たっては、「ウェブスター見解」において表明された自衛権正当化の要件である「即座に、圧倒的で、手段選択の余地がない」ことを基礎に、その発動と限界に関する要件が次の3つにまとめられている。
- 急迫不正の侵害があること(急迫性、違法性)
- 他にこれを排除して、国を防衛する手段がないこと(必要性)
- 必要な限度にとどめること(相当性、均衡性)
この要件に基づいて発動された自衛権の行使により、他国の法益を侵害したとしても、その違法性は阻却され、損害賠償等の責任は発生しない。
また、19世紀以来の国際慣習法の下、この三要件が満たされるならば、機先を制して武力を行使する「先制的自衛権」の行使も正当化されると解された。しかし、国連憲章では「武力攻撃が発生した場合」と規定されることから、この要件を厳格に解して、認められないとする見解も有力である。
[編集] 個別的自衛権と集団的自衛権
個別的自衛権とは、他国からの武力攻撃に対し、実力をもってこれを阻止・排除する権利である。社会契約説によれば、国家の主権は個人の自然権の集合であり、個人の自然権には「生存する」という権利が最も基本的なものとして含まれている。そのため、国家にも生存する権利が自然権として存在することは、論を俟たない。このように、自然法上の自己保存権として説かれることがある。また、制裁戦争とともに、正しい原因に基づく戦争の根拠ともされた(正戦論)。
集団的自衛権は、自国と密接な関係にある他国に対して第三者による武力攻撃があった場合に、自国が直接に攻撃されていなくても、第三者による武力攻撃を実力をもって阻止・排除する権利である。
ここで、自衛権に対比される正当防衛権については、刑法36条に次のように規定される。
- (正当防衛)
- 第三十六条 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。
この規定に即して解するならば、「自己」の権利を防衛するための権利が「個別的自衛権」となり、「他人」の権利を防衛するための権利が「集団的自衛権」となる。
集団的自衛権については、本来的な自衛権ではなく、国連憲章において初めて明記された概念である。もっとも、これに先立って「共同防衛」あるいは「共同防衛権」の理解が確立していたと考えられることから、これを元に集団的自衛権が成立したものと解される。
[編集] 日本における自衛権
[編集] 自衛権の存在
- 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
- 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
政府解釈によれば、9条1項は「独立国家に固有の自衛権までも否定する趣旨のものではなく、自衛のための必要最小限度の武力を行使することは認められているところである」と解し、2項に定める「戦力」の不保持も、「自衛のための必要最小限度の実力を保持することまで禁止する趣旨のものではない」とする。最高裁判所の判例も同様の見解を採り、自衛権留保説が一般に有力な見解となっている。もっとも、徹底した平和主義の立場から、自衛権も放棄しているとする見解もある(非武装中立論など)。
[編集] 自衛権の意義
政府答弁によれば、憲法上の自衛権と国際法上の自衛権は、必ずしも合致させなければならないものではなく、日本が国家として保持する自衛権は、国内法たる日本国憲法の解釈に基づくものであるとする。
また、「憲法9条の下において認められる自衛権の発動としての武力の行使については、次の三要件に該当する場合に限られる」とし、「これらの三要件に該当しているか否かの判断は、政府が行うことになる」としている。
- 我が国に対する急迫不正の侵害があること
- これを排除するために他の適当な手段がないこと
- 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
なお、「自衛隊法76条の規定に基づく防衛出動は、内閣総理大臣が外部から武力攻撃(外部からの武力攻撃のおそれのある場合を含む。)に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合に命ずるものであり、その要件は、自衛権発動の三要件と同じものではない」とする。これは、防衛出動は「武力攻撃のおそれ」の段階でできるのに対し、自衛権の発動は三要件に該当した場合であることを指している。
[編集] 自衛権の発動
日本における自衛権の発動に関しては、専守防衛の概念が用いられる。専守防衛とは、「(個別的)自衛権の中でも必要最小限度」とほぼ同じ意味であり、「相手から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使し、その防衛力行使の態様も自衛のための必要最小限度にとどめ、また保持する防衛力も自衛のための必要最小限度のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢」をいうとされる。
[編集] 先制的自衛権
侵害未発生段階、武力攻撃が発生するに先立つ段階での先制攻撃は、自衛権発動の三要件を満たさないため、この段階での先制攻撃は違憲違法となる。ただし、個々の戦闘の段階では、満たす場合もあるとされる。
この点、侵略戦争における敵基地の先制攻撃と自衛を目的とした他に回避手段のない場合の先制的な攻撃とは区別されるべきだという議論がある。
[編集] 武力攻撃予測事態
2003年(平成15年)に公布された武力攻撃事態法では、「武力攻撃事態」とその前段階である「武力攻撃予測事態」を定め、それぞれの事態における対処方針を定めた。
- 武力攻撃事態:武力攻撃が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態(同法2条2号)
- 武力攻撃予測事態:武力攻撃事態には至っていないが、事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態(同3号)
同法では、「武力攻撃予測事態」においては、「武力攻撃の発生が回避されるようにしなければならない。」と定め、「武力攻撃事態」においては、「武力攻撃の発生に備えるとともに、武力攻撃が発生した場合には、これを排除しつつ、その速やかな終結を図らなければならない。」と定める。ただし、「武力攻撃が発生した場合」においてこれを排除するに当たっても、「武力の行使は、事態に応じ合理的に必要と判断される限度においてなされなければならない。」と定めた。
また、「武力攻撃予測事態」において自衛権を発動する要件は、前述の三要件と同じく、(1)我が国に対する急迫不正の侵害があること、(2)これを排除するために他の適当な手段がないこと、(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきことであると、政府答弁で明らかにされた。
[編集] 武力攻撃以外の主権侵害行為に対する自衛権行使の是非
自衛権をめぐる議論の中には、武力攻撃ではない、即ち主権侵害即ち経済封鎖その他の非武力による侵害行為に対して自衛権の行使は可能かどうかという議論がある。これについて政府は非武力攻撃に対しても自衛権の行使が必ずしも禁じられているわけではないという答弁をしている。1954年の第19回国会参議院外務委員会における審議においては、当時の外務省高橋通敏条約局長が武力攻撃以外の自衛権はありえないのではないかという質問に「必ずしもそうではない」とした上で第51条は自衛権行使の要件を必ずしも武力攻撃に限定していないとしている。「51条は武力攻撃でございます。ところが、そうでない軽微な権利侵害や武力行使がある場合に、必要最小限度の範囲内で、それにつり合って武力の行使が行われる…そういう場合もあるかと考えます」と答弁している。
また、1998年第43回国会衆議院日米安全保障条約特別委員会における新ガイドライン策定をめぐる国会審議の中で橋本龍太郎首相は「(国連憲章第51条は)武力攻撃以外の侵害に対して自衛権の行使を排除するという趣旨であるとは解しておりません」と答弁している。さらに同じく高村正彦外相も「政府は従来より、国連憲章第51条は、自衛権の発動が認められるのは武力攻撃が発生した場合である旨、規定しているが、武力攻撃に至らない武力の行使に対し、自衛権の行使として必要最小限の範囲内で武力を行使することは、認められており、このことを国連憲章が排除しているものではない…」と答弁している。あくまで政府解釈であって憲法学上にはそもそも日本国憲法第9条そのものの解釈が大きく分かれているところであり、当問題についても、憲法並びに自衛権をめぐる議論の中では様々な指摘がなされているところである。
[編集] 自衛権行使の地理的範囲
自衛権行使の地理的範囲については、日本の領域に限られるものではなく、自衛権行使に必要な限度において、公海・公空にも及ぶとする。さらに、外国からの急迫不正の侵略により、日本が滅亡の危機にある場合において、他に自衛の方法がないときには、敵基地を攻撃することも許されるとする。ただし、その場合であっても、敵基地に対して先制攻撃を加えることは、「必要最小限度」を超えるものとされる。
これは、1956年(昭和31年)に、鳩山一郎首相の答弁と船田中防衛庁長官の答弁の食い違いが問題となった際、「食い違いはない」として示した政府見解の基本認識を踏襲するものである。
- 「たとえば誘導弾等による攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛権の範囲に含まれ」、「他に防御の手段があるにもかかわらず、侵略国の領域内の基地をたたくことが防御上便宜であるというだけの場合を予想し、そういう場合に安易にその基地を攻撃するのは、自衛の範囲には入らない」(第24国会衆議院内閣委員会、昭和31年2月29日)と答弁した船田中防衛庁長官の政府答弁
なお、周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律(周辺事態法)では、「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」を「周辺事態」と定義し、自衛隊が「後方地域」において後方地域支援、後方地域捜索救助活動などの対応措置をとることができると定めた。この「後方地域」で対応措置を行っている際に自衛隊が武力攻撃を受けた場合、自衛権を行使する場面となり得る。そのため、「後方地域」の意義、およびその認定について議論された。
- 後方地域:我が国領域並びに現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる我が国周辺の公海(海洋法に関する国際連合条約に規定する排他的経済水域を含む。)及びその上空の範囲をいう(法3条1項3号)。
[編集] 在外邦人保護のための自衛隊派遣
武力行使の目的で自衛隊を他国の領域に派遣するいわゆる「海外派兵」は、「自衛のための必要最小限度」を超えるものであって、憲法上許されない。これに対して、外国にいる日本人の生命、財産、身体の安全が害されているとき、この日本人を避難させる目的で自衛隊の船舶・航空機等を用いることは、武力行使を目的としない警察的・平和的活動であり、憲法上の問題は生じないとされる。自衛隊法100条の8は「外務大臣から外国における災害、騒乱その他の緊急事態に際して生命又は身体の保護を要する邦人の輸送の依頼があつた場合」に、防衛庁長官は、邦人を輸送するため、自衛隊の航空機・船舶等を派遣できると定める。
1979年11月に起きたイラン人における米国大使館襲撃事件において、日本が在外邦人を保護する目的で領域外において自衛権を行使することは可能であるかという議論がなされた。このとき、米軍はイランの在外邦人保護のために自衛権を行使したことから、日本でも問題となりアメリカの正当性について審議がなされた。このときのアメリカの主張は「イランによる米国大使館への武力攻撃の犠牲になった米国の国民を救出することを目的とした自衛の固有の権利の行使」というものであった。このことについて、国会質問としても取り上げられたが外務省によれば「一国の国民が外国にありまして急迫不正な侵害を受けたような場合、そして当該国がそれらの安全についてとうていそれを確保する能力を失ってしまうか…むしろ、進んでそういうことを行わないような時は当該国にある国民を救出し得ることは一般的国際法の問題として正当化され得るものである」という見解を示している
[編集] 公海上の自衛権行使の是非
島国である日本の防衛については、自衛権が同国の水域以外の公海についても及ぶのかどうか、憲法の自衛権解釈をめぐってしばしば議論になるが、1991年3月13日の衆議院安全保障特別委員会において、公海上で日本人の生命、身体、財産が他国の行為によって危殆に瀕しているという場合、その保護のために自衛権を行使できる場合があるのかという質問に対して、小松一郎外務省法規課長は「国際法の問題に限っていえば、公海上における公私の船舶、航空機が攻撃を受けた場合、国際法上の問題と致しまして原則として自国は個別的自衛権の行使としてその攻撃を排除し得る立場にある」と答弁しており、政府答弁としては公海上の自衛権行使の要件は否定していない。
[編集] 集団的自衛権
集団的自衛権とは、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力を持って阻止する権利」とされる。国連憲章51条は、国家が「個別的又は集団的自衛の固有の権利」を有すると定める。政府解釈では、国連憲章の上からは、日本も主権国家であることから「当然集団的自衛権を持っている」とし、ただ、日本の自衛権は憲法上の制限に従って行われ、自衛権の行使は必要最小限度の範囲にとどまるべきものであるため、「集団的自衛権を行使することは…憲法上許されない」とする。これは、憲法が国の最高法規であり、国際法に優位するという立場を前提とすることによる。
日本は、アメリカとの間に日米安全保障条約を結び、日米同盟関係を形成している。このため、具体的には、アメリカによる自衛権の行使に伴って、日本が自衛権を行使する場面が集団的自衛権の行使となるのではないか、問題となった。1990年代の冷戦終結後、また、2001年のアメリカ同時多発テロ事件以後、アメリカからの要請により、安全保障分野における日本の役割拡大が図られる中で、集団的自衛権と個別的自衛権の境界に関する議論が盛んに行われた。
[編集] 参考文献
- 田岡良一『国際法上の自衛権』(勁草書房)
- 横田喜三郎『自衛権』(有斐閣)
- 筒井若水『自衛権』(有斐閣)
- 小林宏晨『自衛の論理』(泰流社)
- 安田寛/西岡朗/宮澤浩一/井田良/大場昭/小林宏晨『自衛権再考』(知識社)
- 佐瀬昌盛『集団的自衛権』(PHP新書)