爆笑オンエアバトル
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爆笑オンエアバトル(ばくしょうオンエアバトル)は、1999年3月27日よりNHK総合テレビで放送中のお笑いネタ番組。略称は「オンバト」「爆オン」など。 2002年頃に起こったお笑いブームのきっかけを作った番組のひとつとされる。
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[編集] 番組概要
若手芸人が漫才やコントなどを観客の前で披露し、面白いと評価されたネタだけが選ばれて放送される。つまりネタが面白くなければ放送されないという、自称「史上最もシビアなお笑い番組」である。
審査はゴルフボールを用いて行われる(別記)。この方式は2002年と2003年の『NHK紅白歌合戦』でも採用された。
2002年頃のお笑いブームが起きる前には、毎週放送される全国ネットのネタ見せ番組はこの『爆笑オンエアバトル』しかなかった。お笑いブームで人気を博した若手芸人を地道に育てた番組と評価されている。また、その実績を差し引いても、若手芸人にとって「オンバトに出たい」と言う意識は高い。
その理由には
- 自分たちのネタを全国に向けて披露できる。
- 審査員のジャッジペーパーで観客の反応を知ることが出来る。
- 番組側の若手芸人に対する姿勢が真摯。
などが挙げられる。
民放の場合、キー局でテレビ出演していても、地方局によっては放送日時が遅れたり放送されない場合もある。その点、当番組は全ての地域へ同じ時間に放送されるため、全国的な網羅性・リアルタイム性は高い。
2003年までに、番組の常連だったダンディ坂野、テツandトモ、はなわをはじめ多数の芸人がブレークし、番組の顔ぶれは華やかさを増した。しかし2004年4月から『オンエアバトル爆笑編』として隔週の放送となり、ブレークした芸人たちのほとんどは番組卒業となる。この時期は『エンタの神様』や『笑いの金メダル』など民放による「ネタ見せ番組」が増えたこともあって、存在意義が一時的に薄れた。ただ、2005年4月から再び毎週の放送に戻り、新たに出場したブレーク前の若手芸人たちの人気も出始め、かつての存在感を取り戻している。 このブレーク前の若手芸人に多くチャンスを与え、ブレークした芸人は売れ出したら卒業させるといった方式を評価する声は多い。
なお、上記の『オンエアバトル爆笑編』が隔週放送されていた2004年4月から2005年3月は、インディーズやストリートミュージシャンとして活動する歌手を対象にした『オンエアバトル熱唱編』が隔週で交互に放送されていた。2005年4月からは両番組とも独立し、『爆笑オンエアバトル』『熱唱オンエアバトル』とタイトルを変更した上で毎週放送となる(『熱唱オンエアバトル』は2006年3月に終了)。その他、詳しくは『熱唱オンエアバトル』の記事を参考の事。
放送開始当初からハイビジョンで制作されており、かつては『爆笑オンエアバトル パーフェクトライブ』(BShi、2000年12月~2002年3月)や、『真夜中の王国』(NHK-BS2)のコーナーの1つである『爆笑?オフエアバトル』でオフエアとなったネタも放送されていたが、どちらもすでに終了している。
番組初期の1999年には、ブッチャーブラザーズ、笑組など、ベテラン勢が若手に混じって出場。2000年には落語家も出場したが、いずれも一時期にとどまっている。
また、番組が開始した1999年はボキャブラブームの末期に重なり、その流れからキャブラーと呼ばれた芸人も数多く出場した。海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)も出場予定だったが、スケジュールの都合でキャンセルしたため出場はしていない。代わりに出たのがフォークダンスDE成子坂だった。
[編集] 審査方法・ルールなど
毎週10組(第1回、2回は12組→第18回まで11組)の芸人がネタ(5分以内)を披露し、一組終わるごとに、「オンエアしても良い」と思った一般審査員100人がゴルフボールをバケツに投入していく。最後(放送では編集され最初)にこのバケツの重さをデジタル秤で計測して順位を決し、上位5組(第1回、2回は7組→第18回まで6組)のネタのみがオンエアされる(5位が2組いた場合は、6組オンエアとなる)。
重さは「キロバトル」(KB)という番組独自の単位で表され、満点は545キロバトル(ますだおかだとタイムマシーン3号が達成)、500キロバトルを超えることをオーバー500という、無投票でもバケツ自体の重さがあるため85キロバトルとなる。なお、ボール1個が4.6キロバトルである。あわせて秤も4ごとの表示(85,89,93,…,537,541,545)となる。当初は秤の刻みが4単位でなかったため誤差(1キロバトル差でもオンエア)もあったが、現在そのようなことはない。ちなみに最高と最低の関係から、計算上ボール1個は約4.5キロバトルとなっている。85~545の間には実際は115の段階があるが、上記の通り4キロバトルごとに設定されているので、ひずみが生まれている。しかし、歴史上<中抜け>が記録されていないので、週によって同じ投票人数でも違うキロバトルが発生しているということになるが、詳細は不明である(記録上、ボール3個から各6,7個ずつごとに週によって4キロバトルずつずれが生じている)。なお、グレートチキンパワーズが2000年11月11日に無投票を経験したことがある(ただし当時のバケツの重さは93キロバトルだった)。現在では最も多くオーバー500を獲得しているのが、アンジャッシュ(8回。なお戦績は20戦17勝)である。一時期、年度内平均がオーバー500だった芸人はアンジャッシュ・パンクブーブー・タカアンドトシ・タイムマシーン3号である。ただし得点は会場の雰囲気、審査員の相性などに大きく左右されるため、高得点なら必ず面白いと一概に言えるものではない(逆に得点が低くても面白い場合もありうる)。特に地方大会では高得点が生まれる傾向が強い。満点も全て地方大会で生まれている。アンタッチャブルが北見で541キロバトルを記録したのは、その時アンタッチャブルが有名だったのもあり、そのため取れたという声もある。また、最多出場者が号泣の32回である。 なお近年は昔に比べてキロバトルの上昇傾向が見られる。特に2005年度はキロバトルのインフレがあった年であった。例を挙げれば5番6番が433KBで敗退し、東京収録でのオフエア最高KBを更新。ハレルヤ、号泣、ヴェートーベンが421KBで揃って敗退(この回が唯一、東京収録で400以上が8組出た)など。
ちなみに、計測機はX-GUN(現丁半コロコロ)の西尾秀隆が乗って計測不能で壊されたことがある。
2005年3月までは、ネタ時間が6分を過ぎると強制的に暗転となるルールであったが(ファンキーモンキークリニックが強制暗転を経験)、2005年4月放送分より5分を過ぎると強制暗転、即失格になり計量されないルールに変更になった(2006年9月現在、ルール変更後の失格者は2005年6月4日の放送のどーよ、2006年9月8日の放送のなすなかにしの2組。ちなみに2組ともネタ順は2番目であった)。
審査員はジャッジペーパーと呼ばれるものに、1組ごとに感想を書き入れる。オンエアされなかった芸人は、放送の最後に一言コメントが放送され、その際に画面下に字幕で感想の一部が紹介されるが、手厳しいものも多い。ジャッジペーパーは収録後、出場した芸人全組に100人分原本が渡される。
審査員は一般公募による登録制で、年齢・性別・これまでの審査回数などを考慮したうえで抽選で選ばれる。抽選倍率は年齢・性別などにより異なるが、おおむね2倍から10倍程度である。番組の特性上、女性の登録者が多いため審査員にはなりにくい。
地方収録の審査員・観覧者はその都度、別途に募集する(東京収録での登録審査員との関係はない)。
現在はおおむね隔週土曜日にみんなの広場ふれあいホールで2本撮りを行っている。 (『熱唱オンエアバトル』放送時は、昼に『熱唱オンエアバトル』、夜に『爆笑オンエアバトル』の収録が行われていた。また、『爆笑オンエアバトル』は年に数回地方で収録を実施するため、熱唱のみの収録になることもあった。また編成上の都合などによりふれあいホールでの収録でも『爆笑オンエアバトル』のみの収録の場合もあった。)
2000年-2003年は「テント○○ みんなの広場」(○○には年が入る)。それ以前(初期のころ)・スペシャル・追加収録、年度の切り替わり時期などはNHK放送センター内のスタジオで収録された。
ちなみに、最多キロバトルでのオフエア記録は2006年地方収録・福井でのパッション屋良と長崎でのスピードワゴンの461キロバトル(6位)である。
[編集] チャンピオン大会
この爆笑オンエアバトルでは、年に1度年間王者を決する為に『爆笑オンエアバトル チャンピオン大会』が催される。現行では、この大会までに年間4回以上(第7回は年間3回以上)オンエアされ、かつ年間の合計キロバトル数(規定回数以上オンエアされた場合得点のよかった4回分(第7回は3回))の上位20組の芸人に予選参加権がある。年度の頭は初登場が多く常連組は戦いやすいが、末になると4回のオンエアを目指す組が勢揃いして大接戦になることも多い。特に一度落ちた組が最終週近くで滑り込んで出場するのでチャンピオン大会並の豪華メンバーになる。
セミファイナル/準決勝はA組とB組の2つに分けそれぞれ10組/合計20組が参加し、上位5組ずつの合計10組がチャンピオン大会・決勝に参加できる。
ファイナルはこの10組に前回のチャンピオンが参加し計11組で対戦。チャンピオン大会での計量方式は、セミファイナルは通常の1組ずつの計量で行なうが、ファイナルは全組一斉計量で尚且つカウントダウン方式を採用。会場のお客さんの「0」の合図と共に11組が一斉に計量して、見事に一番多くのキロバトルを獲得した芸人が年間王者になると同時に、翌年のチャンピオン大会は予選免除の形になる。
ファイナル開始前と終了後に大会実行委員長のNHK歌謡・演芸部長へのチャンピオンベルトの返還と同氏から王者ベルトを受ける儀式がある。
第1回のチャンピオン大会はサマースペシャルという形で、1999年8月に放送。番組開始からの4ヶ月でオンエアを3回以上獲得した芸人の中から選出された10組(ますだおかだなどは出場していない)でネタを披露し上位3組を選出。その3組で決勝戦を行った。決勝戦では3組中1組しかボールを入れないルールだった。 第2回のチャンピオン大会も基本的には第1回とシステムは同じだが、オンエア回数と平均キロバトル上位20組から選出し、その他に予選があった(現在のセミファイナルと似ているが、レギュラーシーズンと同じく10組中上位5組しかオンエアされない)。
第2回チャンピオン大会では、最高で予選・本選・上位3組による決勝と3本もネタを用意しなければならなかったので、参戦する芸人たちも頭を悩ませたことは想像に難くない。その上、第1回から半年しか経過していないこともあり、余計に苦しませた。さらに、番組開始当初は「1年間で4勝が目標」というような条件などがなく出場間隔が1か月以内と短かっかたり2週連続で出場した場合も多かった(アンタッチャブルの2週連続出場・2週連続トップでオンエアという記録がある)等、現在と比べるとあまりに問題点が多かった。(このときのことを、2004年元日スペシャルとして5夜連続放送された過去のチャンピオン大会ファイナルの再放送の冒頭で、5代目チャンピオンのアンジャッシュは、「当時スタッフは芸人がネタを作るのにどれだけ大変か分かってなかったから『作ればいいじゃん』なんて簡単に言えた。」と語る)。
このためか、第3回チャンピオン大会からは予選はセミファイナルという形になり、上位3組の決勝は廃止された。第3回のみ過去の大会の出場経験無の組についてアドバンテージが与えられていたが、以降なくなり、純粋に年度内の得点の合計のみで争われる。最低6回(第7回は5回)ネタを披露しなければチャンピオンにはなれないが第6回チャンピオン大会より過去にオンエアされたネタをやってもいいことになった。
ちなみに、現在では年明け後のチャンピオン大会に向けてのラストスパート時などの例外を除きオンエアされた芸人は2か月以上オンエアされなくとも1か月は出場間隔が空けられている。ただし、芸人によって出場間隔の差が半年や1年以上など大きい場合もある。
チャンピオン大会は第3回大会までは全試合・東京で行っていたが、「東京ばかりでやっていたら面白さがなくなる」、「もっと大会らしくしようじゃないか」、「チャンピオン大会の興奮をぜひ、全国の皆さんにも」という視聴者の声に応えるべく、第4回大会から三大都市決戦システムを採用している。更に司会者がこのチャンピオン大会を最後に交代することもある。
チャンピオン大会は第4回大会より審査員が倍の200人になり、満票の場合も倍の1090キロバトルとなっている。
ちなみに最多キロバトルでの敗退記録は第5回チャンピオン大会のセミファイナルBブロックin福岡でペナルティが記録した842キロバトルである。
[編集] 歴代開催地(決戦場所)
- 第1-3回 全試合共に放送センター101スタジオ
- 第4回 セミファイナルA:大阪、セミファイナルB:東京、ファイナル:名古屋
- 第5回 セミファイナルA:大阪、セミファイナルB:福岡県福岡市、ファイナル:放送センター101スタジオ
- 第6回 セミファイナルA:福岡県北九州市、セミファイナルB:大阪、ファイナル:神奈川県伊勢原市
- 第7回 セミファイナルA:愛知県瀬戸市~愛・地球博開催記念~、セミファイナルB:広島県東広島市、ファイナル:放送センター101スタジオ
- 第8回 セミファイナルA: 北海道小樽市、セミファイナルB: 兵庫県明石市、ファイナル: 放送センター101スタジオ
- 第9回(予定) セミファイナルA: 広島県廿日市市、セミファイナルB: 愛知県稲沢市、ファイナル: 放送センター内スタジオ
(第3回大会までは全試合・東京決戦、第4回大会以降は3大都市決戦システムへ変更)
[編集] 歴代優勝者
- 第1回 東京・渋谷/DonDokoDon 309KB(3組中1組しかボールを入れない)
- 第2回 東京・渋谷/ルート33 353KB(3組中1組しかボールを入れない)
- 第3回 東京・渋谷/ルート33 461KB
- 第4回 愛知・名古屋/ハリガネロック 974KB
- 第5回 東京・渋谷/アンジャッシュ 850KB
- 第6回 神奈川・伊勢原/アンタッチャブル 954KB
- 第7回 東京・渋谷/タカアンドトシ 986KB
- 第8回 東京・渋谷/タカアンドトシ 946KB
- 現在、チャンピオン大会・歴代優勝コンビでの最多KB数は第7回大会のタカアンドトシで986KB。
(第3回までの最高キロバトルは通常の545KBだったが、第4回以降の最高キロバトルは倍の1090KBに変更。)
[編集] 歴代連覇達成コンビ
[編集] 大会進出者および結果
[編集] 第1回チャンピオン大会
予選の上位3組で最終決戦 |
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[編集] 第2回チャンピオン大会
本選の上位3組で最終決戦 |
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- 上位5組がそれぞれ本選進出。通常放送通り6位以下はオンエアされなかった。
[編集] 第3回チャンピオン大会(この年まで全試合・東京決戦)
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- 上位5組がファイナル進出
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[編集] 第4回チャンピオン大会(この年から三大都市決戦システムを採用)
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- 上位5組がファイナル進出
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[編集] 第5回チャンピオン大会
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- 上位5組がファイナル進出
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[編集] 第6回チャンピオン大会
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- 上位5組がファイナル進出
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[編集] 第7回チャンピオン大会
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- 上位5組がファイナル進出
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[編集] 第8回チャンピオン大会
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- 上位5組がファイナル進出
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[編集] 歴代司会者
いずれもNHKアナウンサー。後の第○期は担当したシーズン(チャンピオン大会も)。
- 伊藤雄彦(1999年3月27日 - 2000年3月25日) / 第1期 - 第2期
- 森下和哉(2000年4月1日 - 2002年4月6日) / 第3期 - 第4期
- 高山哲哉(2002年4月13日 - 2003年3月22日) / 第5期のみ
- 藤崎弘士(2003年4月4日 - 2005年3月26日) / 第6期 - 第7期
- 塚原愛(2005年4月2日 - )当番組、史上初の女性司会者 / 第8期 -
[編集] プラチナバトラー&ゴールドバトラー
2004年7月31日に放送された「サマースペシャル2004」において、プラチナバトラーおよびゴールドバトラーの2つの称号が新たに与えられることになった。これらの称号は番組への出場回数やオンエア回数に関連しているため、これらの称号を認定されるということは、爆笑オンエアバトルに深く関わりその歴史を築き上げた代表的な芸人であると言える。実際これらに認定されている芸人は爆笑オンエアバトルの黄金時代を築いた芸人ばかりである。
- プラチナバトラー
これまでにチャンピオン大会に出場し、チャンピオンになったことがある芸人に与えられる称号である。2004年度終了時点でプラチナバトラーは6組いる。(歴代優勝者の項参照)
- ゴールドバトラー
次の2つの条件のうちどちらか一方を満たしている芸人に与えられる称号である。
- 挑戦回数が15回以上であり、かつ、オンエア率(勝率)が7割5分以上である。
- オンエア回数が20回以上ある(20勝以上である)。
ただしどちらの場合も、解散や活動停止などしないで現在も同じグループで活動していることが大前提である。1.の条件についてはオンエア率がからんでくるため、どの時点で称号を与えるかによって変動する
2006年8月現在のゴールドバトラーは次の25組である(※印は認定後、条件を満たさなくなったが剥奪はされていない)
- タカアンドトシ(勝率1.000)18/18
- ますだおかだ(勝率1.000)17/17
- 陣内智則(勝率1.000)16/16
- アメリカザリガニ(勝率1.000)16/16
- アンタッチャブル(勝率0.909、20勝達成)20/22
- 江戸むらさき(勝率0.884、20勝達成)23/26
- いつもここから(勝率0.875)14/16
- テツandトモ(勝率0.869、20勝達成)20/23
- ホーム・チーム(勝率0.862、20勝達成)25/29
- アンジャッシュ(勝率0.850)17/20
- 三拍子(勝率0.850)17/20
- ダイノジ(勝率0.842)16/19
- ドランクドラゴン(勝率0.842)16/19
- キャン×キャン(勝率0.840、20勝達成)20/24
- $10(勝率0.812)13/16
- カンカラ(勝率0.777)14/18
- ラーメンズ(勝率0.764)13/17
- 博多華丸・大吉(勝率0.764)13/17
- 磁石(勝率0.764)13/17
- スピードワゴン(勝率0.750)15/20
- はなわ(勝率0.750)15/20
- ユリオカ超特Q(勝率0.740、20勝達成)20/27
- 田上よしえ(勝率0.739)17/23※
- 飛石連休(勝率0.720)18/25※
- 号泣(勝率0.625、20勝達成)20/32
2005年度終了時点でプラチナバトラーとゴールドバトラー両方の称号を持っているのは、アンジャッシュ、アンタッチャブル、タカアンドトシの3組である。
ちなみに今年度は、2006年9月22日の放送でハマカーンがオンエア率13/15となるのと、12月8日の放送でオジンオズボーンがオンエア率12/16となり、ゴールドバトラーの条件を満たした。
[編集] 特別番組
[編集] 夏冬特番
夏・冬休みにスペシャルが放送される。芸人がグループの枠を取り払って出演する合同コントがメインで、審査はない。常連組のお祭り的要素が強い。 冬は年により変わり、2003年はハリガネロック(当時のチャンピオン)がMCになり過去の映像を放送する蔵出しSP、2004年はチャンピオン大会の再放送に冒頭1分間アンジャッシュ(上と同じ)の解説を加えて放送。隔週になり回数の少なかった2005年は爆笑編・熱唱編を3夜連続で同時に放送する「冬の陣」を放送した。
[編集] 成人の日スペシャル
2006年1月9日には成人の日スペシャルとして、20時-21時58分(ニュース中断20時45分-21時15分)の2時間特別番組として放送され、爆笑オンエアバトルとしては番組史上初のゴールデンタイム進出となった。従来から成人の日にはNHKホールを会場にNHK青年の主張コンクール→NHK青春メッセージ(~2004年)→ライブジャム(2005年のみ)といった生放送番組を編成してきたが、それらの番組の企画終了に伴う代替企画として、「爆笑オンエアバトル・成人の日スペシャル」が放送された。もちろん司会は塚原愛アナウンサー。
第1部は、オンエアバトル卒業生5組(テツandトモ、ますだおかだ、長井秀和、陣内智則、アンジャッシュ)と、7代目チャンピオンのタカアンドトシが登場(出演順)。それぞれ、初期のネタやチャンピオン大会で披露したネタなどを再現した。
第2部では、将来有望な若手芸人12組(タイムマシーン3号、トータルテンボス、流れ星、イワイガワ、ハレルヤ、三拍子、火災報知器、ななめ45°、ハマカーン、超新塾、NON STYLE、パンクブーブー)がそれぞれ他のコンビとユニットを編成し合同コントに挑戦。2部のみタカアンドトシが司会で参加した。
視聴率は第1部が6.1%、第2部が4.1%(関東地区)。民放5局の裏番組にすべて二ケタを記録されるなどし苦戦した。特にフジテレビ系では「新春SMAPホリデースペシャル!」と銘打った企画が放送され、『草彅・おすぎとピーコの女子アナ2006大人の女になりたいのっ!スペシャル』が18.4%(関東地区)、『西遊記』が29.2%(同)と高い数字を記録した。
[編集] 番組テーマ曲
『オンエアバトル』の番組オリジナルテーマ曲はボブ佐久間作曲の物を使用しているが、それ以外にも、2003年10月より、オープニングの挑戦者の意気込み、エンディングのオンエアを逃した5組の敗戦の弁ででも新たに別楽曲が使用されている。なお、テーマ曲は『熱唱オンエアバトル』の出場経験バンドが担当した。以下の通り。
期間 | オープニング | エンディング | 備考 |
---|---|---|---|
2003年10月 - 2004年9月 | 番組オリジナル | 「君に幸あれ」 タオルズ |
2004年4月~『オンエアバトル』 (爆笑編・熱唱編)の全体で使用。 |
2004年10月 - 2005年3月 | 「猫の詩」 キャットフラメンコダンサーズ |
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2005年4月 - 9月 | 「Let's Dancing」 スマイルレンジャー |
「僕のヒーロー」 ヤドカリ |
ここから爆笑・熱唱で別楽曲となる。 OPの「Let's Dancing」は1年間通して使用。 EDは楽曲が異なるがヤドカリが1年間担当した。 |
2005年10月 - 2006年3月 | 「いい顔」 ヤドカリ |
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2006年4月 - | 番組オリジナル[1] | 「もっともっと」 三叉路 |
- ↑ 謎のホームページ サラリーマンNEOの「企業戦士社内スタントマン」で使用されるものと同じである。
[編集] 放送日時
- 1999年度 毎週土曜日24時25分~24時54分(第1回のみ24時25分~1時09分)
- 2000年度 毎週土曜日24時20分~24時49分
- 2001年度 毎週土曜日23時55分~24時24分
- 2002年度 毎週土曜日23時50分~24時19分
- 2003年度 毎週金曜日24時15分~24時44分
- 2004年度 隔週土曜日24時10分~24時39分
- 2005年度 毎週土曜日24時10分~24時39分
- 2006年度 毎週金曜日24時~24時29分
[編集] 番組の評価
[編集] プラス評価
- 多方面から非常に高い評価を得ている。若手であろうが、フリー(事務所無所属の芸人)であろうが出場の機会があり、(合格すれば)最長5分までオンエアされる。そのため毎年出場応募者数が増えている。
- 当番組の卒業生は「この番組のお陰」や「オンエアバトルで育ってきた」などコメントしている。(ますだおかだはこの番組に出ている芸人にちょっとやきもちをやいているらしい)
- 出場芸人の中には、初オンエアで感激のあまり泣いた者もいる。(スピードワゴン 小沢一敬、パラシュート部隊 斉藤 優)
- 明石家さんまは、当番組を高く評価している。ミュージシャンの福山雅治とWOWOWのCMで漫才コンビ結成し、当番組に出場をしたいとのこと。また、後輩芸人に『お前らが出なアカン番組は爆笑オンエアバトルや!』という名言も残している。
- 立川談志は、特別審査員として審査員の経験がある。本人も「これほど若手のチャンスのある番組はこれしかない」と語っている。
- ネプチューンの堀内健もネタ等で「何キロバトルかな?」とかをよく使う。
- 内海桂子は、この番組の熱心な視聴者として知られている。
- 松山千春は、「NHKの深夜にやってる若手が出る番組が好き」と某番組でコメントしている。
- ハイヒール・春風亭小朝・渡辺正行は、1999年12月18日の特別放送でコメントしている。いずれも高評価。
[編集] マイナス評価
- 細かい部分であるが、たまに「動きや顔によるボケがきちんと撮られていない」などカメラの撮り方についての指摘がある。
- 一般視聴者による審査で勝敗が決まり、しかも毎回審査員が異なるため審査にばらつきが発生しやすい。特に地方収録における審査員は審査員経験者が少ないためボールを転がしたい衝動や人気面、出身地や活動地(大阪、仙台、愛知、福岡、広島など)による地元びいきなどで審査が甘くなる傾向がある。このため東京での収録よりも平均キロバトルが高く400以上の高キロバトルオフエアも多く、インターネットの掲示板などで「地方大会はインフレが起こりやすい」と揶揄されている。
- スポーツ中継やドキュメンタリーなどの特別編成や事故などによる臨時ニュースが挿入されやすくなっており、深夜番組としては珍しく放送休止がゴールデンタイム並に多く、収録から2か月以上経って放送するという異例のケースがほぼ毎年ある(収録は例年、春から夏にかけて隔週で2本収録だが秋以降には帳尻あわせで月に一度になったり急遽追加されたりする)。このため、収録時に行った時事ネタが放送時には風化してしまったり、出場した芸人が放送前に解散、亡くなられた例や、チャンピオン大会出場に向けて大事な年間3~4勝目をかける芸人の多い秋から冬にかけての収録日がM-1グランプリやR-1ぐらんぷりなどの予選と重なる事もあるので、編成面での指摘もある。
- あまり知られていないが、ナレーションやテロップなどのミスがたまにある。通常回ではほとんどないがチャンピオン大会や事前番組でデータなどのミスが起こる事が多い(第7回チャンピオン大会では麒麟のチャンピオン大会出場回数が間違えられた。また、第8回チャンピオン大会の事前番組ではタカアンドトシの戦績や、タイムマシーン3号が満点を記録した放送回の日付が間違っていた)。