東久邇宮内閣
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東久邇宮内閣(ひがしくにのみやないかく)は第43代内閣総理大臣東久邇宮稔彦王が組閣した内閣のことである。
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[編集] 概要
前代の鈴木貫太郎内閣は発足当初より終戦内閣として組閣されていたが、終戦後の事態収拾までは念頭に置いていなかった。これまで何度か国民及び軍人を強力に統制するために皇族であり現役の軍人であった東久邇宮内閣待望論が持ち出されたが、その度に内大臣木戸幸一に反対されてきた(東條内閣#概要を参照)。
しかし、昭和20年8月15日、戦争が終結すると、崩壊した政府秩序と中堅幹部が暴走しかねない軍(特に陸軍)をおさえるには皇族を持ち出すほかはなく、また、戦争にも負けたことだし、これ以上国家の事態が悪化するようなことはなかろうという読みから東久邇宮を推薦することとなった。
宮は皇族かつ軍人であるゆえに政治に近づくことを禁じられていたこと、政治経験のないことを理由として拒否するが、時局の説明を受け承諾、戦前から親交のあった近衛文麿を相談相手とすることで政治面の補佐を受けることになる。就任後の記者会見で、有名な「一億総懺悔」発言を行い、国民の失笑を買う。敗戦の責任を国民全体に転嫁することによって、天皇の責任を曖昧にしようとする意図であった。
戦時体制から平時体制復帰への過渡期にあり、憲法改正と国会再編及び総選挙、行政機構の建て直しなど課題は多かったが、当時の連合国は占領体制の意見もまとまっておらず、GHQからの指示も朝令暮改ぎみであり、政府は混乱することはなはだしかった。加えて、皇族であった宮と摂家であった近衛の浮世離れした政治感覚も、市井の国民の意識から乖離することが多く不評であった。
10月4日にGHQより発令された自由の指令と山崎巌内相をはじめとする内務省関係者の一斉罷免指令に対して反発するかたちで総辞職した。終戦内閣から再建内閣へのつなぎとしての役割しか持たない空疎な内閣であった。
歴代内閣で在任期間が最短であることは広く知られている。
在任; 1945年(昭和20年)8月17日~同10月9日 ※総辞職は10月5日。幣原内閣発足まで職務を執行した。
注:内閣総理大臣としての正式な表記は宮号を冠さない「内閣総理大臣 稔彦王」であり、官報にもそのように掲載された。
[編集] 省庁再編前
1945年8月17日~8月26日
[編集] 閣僚
- 重光葵(貴族院所属・無所属)
- 1945年8月17日~8月26日
- 津島寿一(貴族院所属・研究会)
- 1945年8月17日~8月26日
- 東久邇宮稔彦王(首相兼任・軍人:陸軍大将[陸士20期]・貴族院所属・無所属)
- 1945年8月17日~8月23日
- 下村定(軍人:陸軍大将[陸士20期])
- 1945年8月23日~8月26日
- 米内光政(軍人:海軍大将[海兵29期])(鈴木内閣から留任)
- 1945年8月17日~8月26日
- 岩田宙造(貴族院所属・同和会)
- 1945年8月17日~8月26日
- 千石興太郎(貴族院所属・無所属倶楽部)
- 1945年8月17日~8月26日
- 小日山直登(貴族院所属:無所属・実業家)(鈴木内閣から留任)
- 1945年8月17日~8月26日
- 重光葵(外相兼任・貴族院所属・無所属)
- 1945年8月17日~8月26日
- 松村謙三(文相兼任・衆議院議員・大日本政治会)
- 1945年8月17日~8月26日
- 緒方竹虎(貴族院所属・無所属)
- 1945年8月17日~8月26日
- 緒方竹虎(国務相兼任・貴族院所属・無所属)
- 1945年8月17日~8月26日
- 村瀬直養(貴族院所属・研究会)
- 1945年8月17日~8月26日
[編集] 政務次官
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[編集] 省庁再編後
1945年8月26日~10月9日
[編集] 閣僚
- 東久邇宮稔彦王(軍人:陸軍大将[陸士20期]・貴族院所属・無所属)
- 1945年8月26日~10月9日
- 山崎巌(官僚:内務省)
- 1945年8月26日~10月9日
- 津島寿一(貴族院所属・研究会)
- 1945年8月26日~10月9日
- 下村定(軍人:陸軍大将[陸士20期])
- 1945年8月26日~10月9日
- 米内光政(軍人:海軍大将[海兵29期])
- 1945年8月26日~10月9日
- 岩田宙造(貴族院所属・同和会)
- 1945年8月26日~10月9日
- 前田多門(貴族院所属・同成会)
- 1945年8月26日~10月9日
- 農林大臣 - 農商務省から再編
- 千石興太郎(貴族院所属・無所属倶楽部)
- 1945年8月26日~10月9日
- 商工大臣 - 農商務省から再編
- 中島知久平(衆議院議員・大日本政治会・実業家、中島飛行機創業者) - 軍需相から転じる
- 1945年8月26日~10月9日
- 小日山直登(貴族院所属:無所属・実業家)
- 1945年8月26日~10月9日
- 松村謙三(衆議院議員・大日本政治会)
- 1945年8月26日~10月9日
- 公爵近衛文麿(貴族院所属・火曜会)
- 1945年8月26日~10月9日
- 緒方竹虎(貴族院所属・無所属)
- 1945年8月26日~10月9日
- 小畑敏四郎(予備役陸軍中将[陸士16期])
- 1945年8月26日~10月9日
- 緒方竹虎(国務相兼任・貴族院所属・無所属)
- 1945年8月26日~10月9日
- 内閣副書記官長 - 1945年9月19日新設
- 高木惣吉(予備役海軍少将[海兵43期])
- 1945年9月19日~10月9日
- 村瀬直養(貴族院所属・研究会)
- 1945年8月26日~10月9日
[編集] 政務次官
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[編集] 外部リンク
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