日本生命保険
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種類 | 相互会社 |
略称 | 日本生命、ニッセイ |
本社所在地 | 541-8501 大阪市中央区今橋三丁目5番12号 |
電話番号 | 06-6209-4500 |
本社所在地2 | 100-8288 東京都千代田区丸の内一丁目6番6号(東京本部) |
電話番号2 | 03-5533-1081 |
創業 | 1889年(明治22年)7月4日 |
設立 | 1947年(昭和22年)4月1日 |
代表者 | 岡本 圀衞(代表取締役社長) |
資本金・基金 | 7,500億円(基金総額) |
保険料等収入 | 4兆8,297億円(2005年度) |
総資産 | 46兆5,594億円(2005年度末) |
保有契約高 | 348兆2,781億円(2005年度末) |
SM比率 | 975.2%(2005年度末) |
従業員数 | 66,437名(うち内勤職員 10,754名) |
格付け | AA(R&I) AA-(フィッチ) A+(S&P) |
主要子会社 | ニッセイアセットマネジメント株式会社 新宿NSビル株式会社 大宮ソニックシティ株式会社 |
関係する人物 | 弘世現 |
外部リンク | www.nissay.co.jp |
日本生命保険相互会社(にほんせいめいほけんそうごがいしゃ;Nippon Life Insurance Company)は、1889年に日本で3番目の生命保険会社として設立され、現在は保有契約高、総資産などにおいて日本最大の生命保険事業を営む相互会社。本店ビル(1935年築、長谷部鋭吉設計)は、大阪府大阪市中央区今橋3丁目5番12号にある。本部機能は東京と大阪に分散しており、本店には保険契約管理のための事務、システム部門、東京都千代田区の「丸の内オアゾ」にある「東京本部」には、総務、企画部門や資産運用部門などが入っている。通称は日本生命・ニッセイ・NISSAYなど。1970年代にCMとして放送され、後にオムニバスCMにも収録された曲「もくせいの花」で有名(これはその後、1989年頃から数年間、ニッセイレディのCMの時に、歌詞と曲調をアレンジして放送されていた)。
目次 |
[編集] 沿革
1889年(明治22年)7月に滋賀県彦根で第百三十三国立銀行(現・滋賀銀行)の頭取をしていた弘世助三郎が関西の財界人に呼びかけて、社長に十代目鴻池善右衛門を据え、弘世や片岡直温らを取締役にして資本金30万円の有限責任日本生命保険会社として大阪に発足させた。保険料表を当時主流だったイギリスの保険会社のものを使わずに、日本人の死亡統計から作成したものを採用した。
1891年(明治24年)に株式会社(社名は日本生命保険株式会社)に改め、相互扶助の精神のもと1898年(明治31年)の第1回大決算において、日本で最初に契約者への利益配当を実施した。第二次世界大戦中に戦時統合として、富士生命保険・愛国生命保険と合併した。
戦後は金融機関再建整備法に基づき、1947年(昭和22年)に相互会社(社名は日本生命保険相互会社)として再出発した。高度経済成長期である1963年に東京日比谷に日生劇場を完成させた。また、1975年(昭和50年)には経営が困難となっていた琉球生命保険の全契約の包括移転を行い、事実上の救済合併を行った。
1987年に新契約高・収入保険料・保有契約高・総資産のすべてが世界第1位となった。1990年代以降はアメリカや中国へと進出を始めた。金融自由化の流れの中で、1996年にニッセイ損害保険を設立し、損保業界に進出した。
1990年代以降の景気低迷の流れの中で業務提携・経営統合をすすめた。三井海上火災保険・住友海上火災保険と提携、ニッセイ損害保険も同和火災海上保険と合併させニッセイ同和損害保険を設立し、解散した同和生命保険の全契約を引き取った。 社章はかつてに組み合い角に「生」だったが、四角に「N」という現社章が制定した。
[編集] 年表
- 1889年(明治22年) 前身の有限責任日本生命保険会社を創立
- 1891年(明治24年) 日本生命保険株式会社に改称
- 1898年(明治31年) 日本最初の契約者利益配当実施
- 1899年(明治32年) 保有契約高が日本で第1位となる
- 1940年(昭和15年) 日本最初の「利源別配当付普通保険」発売
- 1942年(昭和17年) 富士生命を包括移転
- 1945年(昭和20年) 愛国生命を包括移転
- 1947年(昭和22年) 日本生命保険相互会社として再発足
- 1975年(昭和50年) 琉球生命を包括移転
- 1991年(平成3年) ニッポン・ライフ・インシュアランス・カンパニー(米国日生)が営業開始
- 1996年(平成8年) ニッセイ損害保険(株)設立
- 1997年(平成9年) ニッポン・ライフ・インシュアランス・カンパニー・オブ・フィリピンズ(ニッセイフィリピンズ)設立
- 1998年(平成10年) ニッセイアセットマネジメント投信(株)設立(ニッセイ投信(株)とニッセイ投資顧問(株)が合併)
- 1999年(平成11年) ニッセイ保険口座スタート
- 1999年(平成11年) ニッセイ情報テクノロジー(株)設立
- 2000年(平成12年) 特別勘定運用部門を分社、投信投資顧問子会社と統合して「ニッセイアセットマネジメント(株)」と名称変更
- 2000年(平成12年) 特定目的会社(SPC)を使った証券化手法により基金を募集
- 2001年(平成13年) 同和火災海上保険(株)とニッセイ損害保険(株)が合併し、ニッセイ同和損害保険(株)設立
- 2001年(平成13年) 同和生命保険(株)より全契約の包括移転を受け、同社は解散。
- 2002年(平成14年) 特定目的会社(SPC)を使った公募証券化手法により基金を募集
- 2003年(平成15年) 広電日生人寿保険有限公司(広電日生)が営業開始
[編集] 機関投資家としての日本生命
- 日本最大の保険会社であると同時に、日本有数の機関投資家でもあり、不動産分野において所有延床面積では、三菱地所、三井不動産と並ぶ規模を誇る。
- 日本生命のメインバンクは三菱東京UFJ銀行(旧三和銀行)だが、その資本力、規模から実質的には「銀行系に属さない機関投資家」とみなされており、数多くの企業の筆頭株主を含む主要株主となっている。
- 放送局関連ではTBS、テレビ東京、毎日放送、朝日放送、テレビ大阪の主要株主になっている。
- 未上場企業の主要株主企業にはサントリーなどがある。
[編集] 関連企業
- ニッセイ同和損害保険
- ニッセイアセットマネジメント
- ニッセイ情報テクノロジー
- 日本生命東京保険代理社
- ニッセイリース
- ニッセイキャピタル
- ニッセイカードサービス
- ニッセイ基礎研究所
- ニッセイコンピュータ
- 日本マスタートラスト信託銀行
- ジャパンネット銀行
- 企業年金ビジネスサービス
- ヒガシ21
- ニッセイビジネスサービス
- ニッセイ商事
- 星光ビル管理
- 大星ビル管理
- 新星和不動産
- 星和ビジネスサポート
- 日生病院
- OCC
- 三岐鉄道
- センチュリー・リーシング・システム
ほか
[編集] CM
- 企業イメージCM
谷川俊太郎作の詩「愛する人のために」が使われている。
- 「セーフ編」
- 主にナイターシーズン(4月~9月)時に使用している。
- 「改札編」
- ナイターオフ(10月~1月)時や2004年のアテネオリンピック以降のオリンピック中継(ハイライト)でも流れている。
- 「柱編」
- 新春特番時に流れており、特にフジテレビやTBSテレビで3が日のゴールデンタイム(「スポーツマンNo.1決定戦」「新春かくし芸大会」「平成教育委員会・新春スペシャル」など)でも流れている。
- 「路面電車編」
- 2006年10月より開始。
[編集] 提供番組
- 世界一受けたい授業(日本テレビ系)
- ブロードキャスター(TBSテレビ系)
- 筑紫哲也NEWS23(同系・隔日月~金)
- すぽると!(フジテレビ系(隔日月~金・隔週土・毎週日))
- めざましテレビ(同系(隔日7:30ごろ「メディア見たもん勝ち」内))
[編集] その他
- Jリーグのオフィシャルスポンサーだったことがある。
- 2002 FIFAワールドカップのオフィシャルサプライヤー第1号。
- プロ野球セ・パ交流戦の冠スポンサー。
- 「世界バレー」(1998年・2006年(共に日本開催))の特別協賛社。
- 同じく日生の名前を使っている日生学園とは無関係である。
- 高杉良の小説「王国の崩壊」に出る「大日生命」のモデルとされる