斬首刑
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斬首刑(ざんしゅけい)とは、罪人の首を刃物等により胴体から切断する刑罰(死刑)である。無論、対象者は即死する。ただし、確認しようがないが「斬首されたのちもしばらくは意識がある」、「素早く斬首されるとほとんど痛みを感じずに即死する」などという説もある。古代から近代にかけて世界各国で行われていたが、現在、正式に刑罰として死刑の方法として採用されているのは、一部のイスラム諸国だけである。
[編集] 斬首刑の歴史
いつから斬首刑があったかは定かでないが、おそらく人類が鋭利な刃物を武器にした青銅器時代にはあったのかもしれない。古代中国の秦の始皇帝が10万人を斬首するなど、世界各国で行われていた。また、さまざまな方法が世界各国であり、江戸時代の日本の死罪、獄門の当番同心が日本刀の打刀を用いており、中世ヨーロッパでは両刃の斬首刀を用い、イギリスでは斧が用いられた。
斬首は火刑よりも苦痛が軽いとされており、死刑でも比較的軽い(生命が奪われることには変わらないが)刑罰とされていた。これはローマ帝国の時代であるが、イエス・キリストをはじめとするキリスト教徒は磔刑ないし動物刑が執行されたが、ローマ市民には斬首が行われていたことからもわかることである。そのため中世のイギリスでは、斬首されるのは貴族階級だけであった。
しかしながら、実際には執行者の腕前によっては1度で斬首することに失敗し、首が落ちるまで何度も斬りつけるなど、残酷な結果に終わる危険性が高かった。一例として、17世紀にイギリスのチャールズ2世の治世に反逆罪で斬首刑に処せられたモンマス公は、悪名高い死刑執行人ジャック・ケッチによって斬首されるはずであったが、何度も切断に失敗し、最終的には斧ではなくナイフで切断する不首尾に終わった。そのためフランス革命の際、ジョゼフ・ギヨタンによって「失敗のない人道的な死刑方法」としてギロチンの使用が提言されると、革命政府国民議会は1792年4月25日に採用を議決し、以後の処刑を全てこの機械によって行い、恐怖政治の象徴となった。さらにギロチンはドイツ国に輸出され、ナチス・ドイツ時代に盛んに使用されている。一方フランスであるが、死刑制度が廃止される1981年9月まで一貫してギロチンが用いられていた。
[編集] 斬首刑の現状
現在では、斬首刑があるのは死刑存置国でもイスラム諸国の一部に限られている。またサウジアラビアなどでは、公開で斬首刑が執行されている。(公開処刑)