大分県立大分上野丘高等学校
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大分県立大分上野丘高等学校 | |
過去の名称 | 大分県立大分中学校 大分県立大分第一高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校(県立) |
設置者 | 大分県 |
設立年月日 | 1886年(明治18年) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制の課程 |
単位制・学年制 | 学年制による教育 |
学科 | 普通科 |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒870-0835 |
大分県大分市上野丘2丁目10番1号 | |
北緯33度13分16秒東経131度36分41秒 | |
電話番号 | 097-543-6249 |
FAX番号 | 097-546-5400 |
外部リンク | 公式サイト |
大分県立大分上野丘高等学校(おおいたけんりつ おおいたうえのがおかこうとうがっこう)は、大分県大分市にある高等学校である。たまに「上野ヶ丘」と間違えられるが、正確には「ヶ」の字は入らない。通称「上高(うえこう)」。
大分県下で最も長い歴史を持つ高校で、開校120周年を迎えた。大分県内では他校を圧倒する抜群の進学実績を誇る高校であり、非常に人気が高い状態が長年続いている。この高校の一挙一動が県内の他の高校に大きな影響を与えているといっても過言ではない。
2006年10月26日(木)に必修科目とされている地歴の科目を大学受験の為に履修させていない事が明らかになった。学校側は謝罪し、放課後や冬休みで補っていくとコメントしている。
目次 |
[編集] 概要
基本的に自由な校風である。ただし学習面に関しては課題や補習などで割と生徒は拘束される。 学校行事・部活動は特に力を入れておらず、受験一直線的な校風である。ただ文武両道に励んでいる生徒も存在している。
2006年度からは、「朝学習」が始まり、生徒は7時40分に登校し、7時45分から8時25分の間の40分間授業が行われるようになった。いわゆる「0限」である。
2005年から学食が廃止され、学校外の業者が弁当・パンを売りに来ている。また、校内には自動販売機が設置されている。
中庭が大変美しく、昼休みに各部・同好会によるイベントがよく行われるが、現在は校舎の耐震工事中のため使用できなくなっている。
[編集] 服装・所持品など
男子の制服は典型的な学生服。女子の冬服は白ソックスに典型的なセーラー服。夏服は独特の水色をしたセーラー服である。夏服は結構人気。2006年度からは基本的に服装検査は実施されないこととなったが、学期の初めと終わり、衣替えの時期は実施されている。数年前、制服改変の動きがあったがOBの反対でなくなった。
携帯電話に関しては、放課後塾に通う生徒も多い為、持ち込みは可となっている。ただし、学校敷地内での利用は不可であり、万が一学校内での使用が発覚した場合は一週間没収される。
[編集] 沿革
- 1948年(昭和23年)4月1日 学制改革により、大分中学校、第一高等女学校、第二高等女学校、碩南中学校の4校を廃止し、新たに大分県立大分第一高等学校を設置。
- 1951年(昭和26年)4月1日 高校再編成により、校名を大分県立大分上野丘高等学校と改称。
- 1985年(昭和60年)10月6日 創立100周年記念式典挙行。
- 1995年(平成7年)3月8日 第3通学区における単独選抜入試実施。
- 1995年(平成7年)10月4日 創立110周年記念式典挙行。
- 2005年(平成17年)10月7日 創立120周年記念式典挙行。
[編集] 教育方針
[編集] 進学状況
進学実績は大分の他の高校を圧倒し、東大をはじめ、京大、早稲田、慶應、同志社などの名門大学に毎年多くの生徒を輩出している。九州地方の高校ということもあり、九州大学の志望者が多いのが特徴であり、九州大学の合格者数は全国でも上位に食い込む。
高校の進路指導自体、国立志向が大変強いため毎年多くの生徒が国立大学を希望する。そのため滑り止めで私立大学を受験し合格しても、そこへは進学しない生徒も多い。ただし、早稲田、慶応、同志社などの難関私大には入学する生徒が多い。
[編集] 学校行事
- 4月 入学式
- 9月 丘友祭 - 上野丘の一大行事。文化祭と体育祭を合同で行う
- 11月 修学旅行(2年)
- 3月 卒業式
[編集] 丘友祭
毎年9月に3日間をかけて上高の大イベントである丘友祭が行われる。前半2日が文化祭。後半1日が体育祭である。
[編集] 文化祭
1,2年生各クラスが一つ出し物をする事になっている。ただし出店などは禁止。他にバンド演奏、中庭祭等が盛り上がる。
- 中庭祭
中庭祭とは上高伝統の行事で、代表的な催し物が希望の運動部の1年が全校の前で3年を笑わせるというものである。その部の3年の元キャプテンが椅子に座り、口に水を含む。1年には5分程度の時間が与えられ、その間にあらゆる手段を使い3年を笑わせる。3年が笑って水を吹けば1年の勝ちとなり、1年が3年にバケツ一杯の水をぶっかけることができる。逆に3年が勝った場合は1年に罰ゲームを与えることができ、その罰ゲームの内容は大抵水をかけ返すか頭を坊主にさせる等である。そのようなオチから基本的に男子部が多い。
笑わせる内容だが、下ネタは御法度とされている。軽いもので面白ければセーフだが、酷い内容であると、生徒会から処分が下される。2001年度文化祭において、サッカー部がブリーフ的なものを使用して際どいネタをやり、それ以降生徒会の審査の目も厳しくなった。
[編集] 体育祭
一般的な競技が中心で名物競技などはない。淡々と進行し、13時ごろには終わってしまう。文化祭に比べると、生徒の体育祭にかける意欲は低く、練習も入退場の練習が本番までに2回あるだけで、競技そのものの練習は無くぶっつけ本番である。むしろ体育的行事ではクラスマッチが盛り上がる。
[編集] その他の学校行事
- クラスマッチ
毎学期の期末テスト終了後に開かれるスポーツ大会である。学年別であり、丸1日かけて行われる。競技はバスケットボール、サッカー、バレーボール、ソフトボール)の4つになる事がほとんどである。普段の勉強から開放され、思いっきり体を動かせるという事もあり、上高生には非常に人気のある行事であり、体育祭より盛り上がる。1週間ほど前から練習をするクラスも多い。クラスマッチを期にクラスが団結していく事が多い。
- 上野の森クリーンアップ大作戦
毎年1,2回行われる。内容は上野丘高校周辺の清掃である。雨天中止。
[編集] その他特記事項
日曜日は通信制高校の通学日の校舎として使用され、調整が大変になるため基本的に行事は行われない。但し、通信制の授業に影響の少ない模試は行われることがある。それでも教室数の関係から全学年が一斉に日曜に模試をすることはない。
[編集] 生徒会活動・部活動など
文化部の活動は非常に盛んであり、毎回あらゆる部門で表彰される生徒が多い一方、運動部の活動はあまり盛んではない。実際学校もあまり力を入れておらず、2年生の生徒で運動部の加入率はわずか4割程度である。
大分舞鶴高校は推薦生を大量に入学させることから、ラグビー、カヌー、ハンドボール部が全国レベルの活動をしており、文武両道といったイメージが強い。それに比べ上野丘高校はどうしても受験一辺倒の学校というイメージを持たれてしまうため、人気に影響があると言われている。ただし、上野丘高校も創立120周年を迎え、朝学習がスタートするなど、これからの動向に注目されている。
[編集] 通学手段など
- 最寄駅
JR古国府駅(久大線)から徒歩5分。JR大分駅から徒歩15分、同駅前から大分バス・上野行きで上野丘高校前下車すぐ。
[編集] 著名な卒業生
[編集] 政治
- 平松守彦(元大分県知事) - 一村一品運動
- 衛藤晟一(前衆議院議員)
- 麻生良方(昭和期の無産政党指導者・衆議院議員)
- 麻生久(昭和期の政治家・労働運動家、戦前の無産政党代表的指導者) - 麻生良方は長男
- 後藤文夫(元参議院議員・貴族院議員、大政翼賛会副総裁、内務省警保局長 / 戦前「新官僚」とされた)
- 一万田尚登(日本銀行総裁、「法王」と呼ばれた)
- 永野茂門(元参議院議員、元法務大臣)
[編集] 経済界
- 尾野徹(地域ネット「コアラ」社長)
- 田代和(大阪近鉄バファローズ元オーナー)
[編集] 教育
[編集] 文化
- 野上弥生子(作家)
- 赤瀬川隼(作家)
- 野溝七生子(作家)
- 林房雄(作家・評論家)
- 樋口裕一 (作家)-「頭のいい人、悪い人の話し方」著者
- 久留島武彦(児童文学作家) - 童謡『夕やけ小やけ』の作詞も手掛ける
- 吉丸一昌(作詞家)
- 梶原徹也(ミュージシャン) - 元・ブルーハーツドラム
- 石丸謙二郎(俳優)-世界の車窓からナレーション
- 宮崎美子(女優) - 途中で熊本県立熊本高等学校へ編入
- 山本政志(映画監督)
- 衛藤ヒロユキ(漫画家) - 「魔法陣グルグル」作者
- 原靖(大分トリニータ強化部長)
- 友永丈市(ミッドウェー海戦・最後の空母・飛龍飛行隊長)
- 岩下保太郎(海軍軍人・海軍少将)
[編集] アナウンサー
[編集] スポーツ
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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