CLASSICISTRANIERI HOME PAGE - YOUTUBE CHANNEL
SITEMAP
Audiobooks by Valerio Di Stefano: Single Download - Complete Download [TAR] [WIM] [ZIP] [RAR] - Alphabetical Download  [TAR] [WIM] [ZIP] [RAR] - Download Instructions

Make a donation: IBAN: IT36M0708677020000000008016 - BIC/SWIFT:  ICRAITRRU60 - VALERIO DI STEFANO or
Privacy Policy Cookie Policy Terms and Conditions
佐久間信盛 - Wikipedia

佐久間信盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

佐久間信盛 凡例
時代 戦国時代安土桃山時代
生誕 1527年大永7年)
死没 1581年8月21日天正9年7月22日
寛政重修諸家譜では1582年(天正10年)
別名 右衛門尉
戒名 (法名) 宗祐
墓所 京都紫野大徳寺高東院
主君 織田信長
氏族 佐久間氏
父母 父 佐久間信晴
兄弟 信盛, 信辰, 僧明嶽
信栄(正勝), 某(兵衛介), 信実,
安見右近大夫妻, 福島掃部頭正頼室,
佐々氏

佐久間 信盛(さくま のぶもり、大永7年(1527年) - 天正9年7月22日1581年8月21日)))は、安土桃山時代武将織田信長の家臣。佐久間氏の当主。出羽介、右衛門尉。子に佐久間信栄、甥に佐久間盛政佐久間安政柴田勝政佐久間勝之がいる。

目次

[編集] 生涯

尾張国に生まれ、織田信秀に仕える。幼少の信長に重臣としてつけられ、信秀死後の家督相続問題でも一貫して信長に与し、織田信行謀反の際も信長方の武将として戦った。その功により以後家臣団の筆頭格として扱われ、「退き佐久間」(殿軍の指揮を得意としたことに由来)といわれた。信長に従って各地を転戦し織田家の主だった合戦には全て参戦、近江六角氏との戦いで戦功をあげ、伊勢長島越前での対一向宗戦でも活躍した。1571年11月には知行地として近江の栗太郡を与えられている。

元亀3年(1572年)の三方ヶ原の戦いでは、平手汎秀と共に3000の兵を率い、徳川家康8000の援軍に赴くも、信盛は27000の武田軍を目の当たりにし、ほとんど戦わずして退却。同じ援軍の将であった汎秀は家康軍と共に戦い戦死している。

天正元年(1573年)8月、戦場から離脱する朝倉義景軍の追撃を怠った織田家臣団の面々は、信長の叱責を受ける。その際信盛は涙を流しながら「そうは言われましても我々のような優秀な家臣団をお持ちにはなれますまい」と弁明し、信長の怒りに油を注いだ(『信長公記』)

天正4年(1576年)には、本願寺攻略戦の指揮官である塙直政の戦死を受け、後任として対本願寺戦の指揮官に就任、畿内7ヶ国の与力をつけられた信盛配下の軍団は、当時の織田家中で最大規模であったが、本願寺の熾烈な抵抗もあって戦線は膠着した。天正8年(1580年)、信長自らが朝廷を動かし本願寺と和睦して、10年続いた戦に終止符を打った。

同年8月、信長から19ヶ条にわたる折檻状を突きつけられ、信盛は嫡男・佐久間信栄と共に高野山に追放された。 その後高野山すら在住を許されずにさらに南に移動、佐久間家の郎党も次々に信盛親子を見捨てて去っていった。『信長公記』はこの間の佐久間親子の凋落をあわれみをもって記している。

天正9年(1581年)7月大和国十津川にて死去した。享年55。法名は洞無桂巌または宗佑。

[編集] 信長による19ヶ条の折檻状

一、佐久間信盛・信栄親子ともども天王寺に五年間在城しながら何ら功績もあげていない。  世間では不審に思っており、自分にも思い当たることがあり口惜しい思いをしている。

一、何ら功績もあげていない信盛らの気持ちを推し量るに石山本願寺を大敵と考え、戦もせず、調略もせず、ただ城の守りを堅めておれば、幾年かもすればゆくゆく信長の威光によって引き下がるであろうという見通しだったのか。  武者道というものはそういうものではない。 勝敗の機を見極め一戦を遂げれば、信長にとっても佐久間親子にとっても本意なことであのに、一方的な思慮で持久戦に固辞し続けたことは分別もなく浅はかなことである。

一、明智光秀の働きはめざましく天下に面目をほどこし、羽柴秀吉の功労も比類なし。  池田恒興は少禄の身であるが摂津花隈を時間も掛けず攻略し天下に名誉を施した。  これを以て奮起を発し一廉の働きをすべきであろう。

一、柴田勝家もこれらの働きを聞いて、越前一国を領有しながら手柄がなくては評判も悪かろうと気遣いし、この春加賀へ侵攻し平定した。

一、武力に不甲斐ない者は謀略などをこらし、相足らぬ所を報告し意見を聞きに来るのに、五年間それすらない。

一、信盛の与力・保田知宗の書状では本願寺に籠もる一揆衆を倒せば他の小城の一揆衆もおおかた退散するであろうろあり、信盛親子も連判している。 今まで一度もそうした報告もないのにこうした書状を送ってくるというのは、自分のくるしい立場をかわすためあれこれ理由を付け言い訳しているのではないか。

一、信盛は家中に於いては特別な待遇を受けている。  三河・尾張・近江大和河内和泉に、根来衆を加えれば紀伊にもと七ヶ国から与力をあたえられている。  これに自身の配下を加えれば、どんな一戦を遂げようともこれほど落ち度を取ることはない。

一、水野信元死後の刈谷を与えておいたので家臣も増えたかと思えばそうではない。  水野の旧臣を追放しておきながら、跡目を新たに設けるでもなく。  結局、追放した水野の旧臣の知行を信盛の直轄としてしまうのは言語道断。

一、山崎の地も同様で信長の声かかりの者まで追放してしまう有様。  これも先の刈谷と同じである。

一、譜代の家臣に知行を加増してやったり与力を与えたり、新規に召し抱えたりしているなら未だいいがそれも無い。  ただ自身の蓄えを肥やすのみであり、天下の面目を失ってしまった。  これは高麗・南蛮の国まで隠れもないことである。

一、先年、朝倉をうち破ったとき、戦機の見通しが悪いとしかったところものともせず、結局自身の正当性を吹聴し、あまつさえその場を立ち破るに至って信長も面目を失った。 その口程もなくここに在陣し続けていまの働きの程は前代未聞である。

一、甚九郎(信栄)の罪状を書き並べればきりがない。

一、大まかに言えば、第一に欲深く、気むずかしく、良い人を抱えようともしない。  その上、いい加減な働きをすれば、行き着くところ親子共々武者の道を心得ていないからこのような事になる。

一、与力を専ら使役し、他への取り次ぎや戦事にはこの与力で軍役を済まし自身の家臣を使わない。  領地をただ遊ばせ無駄にしている。

一、信盛の与力や家臣たちまで信栄に遠慮している。自身の思慮を自慢し穏やかなふりをしても綿の中に針を隠し立てたような怖い扱いをするのでこの様になった。

一、信長の代になり30年間奉公し信盛の活躍は比類なしと言われるような働きは一度もない。

一、信長の生涯の内、勝利を失ったのは先年三方が原へ援軍を使わした時で、勝ち負けの習いはあるのは仕方ない。  しかし、家康のこともあり、おくれをとったとしても兄弟・身内やしかるべき譜代衆が討死でもしていればその甲斐あって運良く戦死を免れたと人々も不審には思わなかっただろうに、一人も死者をだしていない。  あまつさえ、もう一人の援軍の将・平手汎秀を見殺しにして平然とした顔をしていることを以てしても、その思慮無きこと紛れもない。

一、こうなればどこかの敵をたいらげ、汚名を濯いだ上帰参するか、どこかで討死するしかない。

一、親子共々頭をまるめ、高野山にでも隠遁し連々と赦しを乞うのが当然であろう。

[編集] 信盛への評価

[編集] 非難

  • 石山合戦が長期に及んだ点は、中国攻めにおける秀吉のように信長に対策を求める事もなく、陣中で茶会三昧の所業は無為の証左に他ならない。
  • また三方ヶ原の戦いの際の信盛の「戦意喪失」の末の逃亡は、真正面から戦闘をした家康や平手汎秀らの武士としての姿勢とは程遠いものがあった。
  • 我侭三昧やっておいて「私は職責を果たしている」と言い切れるものでは無く、朝倉攻めの際の弁明は過去の功績に胡座をかいた上での驕りと断じざるを得ない。
  • 息子の信栄の不行状も父の驕りを見て育ったからのものであり、信盛の責任である。
  • このような人物に重責を任せられないのは今も昔も同じである。折檻状は信盛の誤りを的確に批判しつつも、信盛に対して再起を促す内容ともいえ、再度功績を挙げ挽回するという道を選ばずに高野山行きを選択し零落したのは信盛自身の狭量の問題である。

[編集] 擁護

  • 石山合戦の際に討伐に4年もかかった件については相手に鉄砲が多く力攻めが無理であり調略のきかない本願寺勢であること、海上封鎖ができず海から本願寺に兵糧を運びこめたことを考えれば致し方ないといえる。また荒木村重の謀反が示すように、当時の畿内情勢は決して織田家にとって磐石の状態ではなかった。
  • 三方ヶ原の戦で味方を見殺しにした点についてはむしろあの状況で野戦に打って出た家康の状況判断に非がある。信盛が死んだ場合対武田戦・本願寺戦の指揮をとる人物がいなくなり戦線に混乱を招く恐れがあったことを考えれば、戦わずして逃げたことは最善とはいえなくても許容範囲である。(現に信盛の前任、塙直政が戦死したときに本願寺戦線が崩壊し、織田家そのものが崩壊しかけた。また、金ヶ崎の退き陣で信長自身が同様の行為をし、後年長久手の戦い堀秀政も同様の行為をしているが、批判の対象とされてないことも考慮すべきである。)
  • 朝倉攻めで口答えしたについては、信盛が家来の長老格であるためその場を取り繕おうとしたのだろうとも考えられる。主君にいきすぎがあればそれを諌めることは家来の務めである。確かに信長にとって出すぎたまねには違いない。ただ、追放の理由としては弱すぎる。
  • 家来を養わないことについては、信盛が勘定ができ必要以上の家臣を雇わなかったということだから高級幹部としてはむしろ美徳である。
  • 信栄の行状が悪いことについても、たしかに親や一族の長としての責任は大きいが、信盛が職責を果たしている以上、追放の理由になるほどの問題とはいえない。
  • こう考えると、折檻状の内容では追放の理由としては弱く、また、信盛自身に謀反の兆候があった証拠もないから、信長がそのような評価を下したとすれば信盛の運がなかった、あるいは信長の内心に理由があったと言うしかない。信盛の死後まもなく信栄の帰参が許されたのも信長が自身の評価の誤りを自覚してたからともいえる。

[編集] 資料による検証

佐久間氏の武功を記録した佐久間軍記には、この追放について「だれかの讒言でもあったのではないか」という意味のことが書かれており、この書が成立した江戸初期でもそのような見方が存在していたことが伺える。

また、寛政重修諸家譜信栄(正勝)の項には

明智光秀が讒により父信盛とともに高野山にのがる。信盛死するののち、右府其咎なきことを知て後悔し、正勝をゆるして城介信忠に附属せしむ。

とある。

Static Wikipedia 2008 (no images)

aa - ab - af - ak - als - am - an - ang - ar - arc - as - ast - av - ay - az - ba - bar - bat_smg - bcl - be - be_x_old - bg - bh - bi - bm - bn - bo - bpy - br - bs - bug - bxr - ca - cbk_zam - cdo - ce - ceb - ch - cho - chr - chy - co - cr - crh - cs - csb - cu - cv - cy - da - de - diq - dsb - dv - dz - ee - el - eml - en - eo - es - et - eu - ext - fa - ff - fi - fiu_vro - fj - fo - fr - frp - fur - fy - ga - gan - gd - gl - glk - gn - got - gu - gv - ha - hak - haw - he - hi - hif - ho - hr - hsb - ht - hu - hy - hz - ia - id - ie - ig - ii - ik - ilo - io - is - it - iu - ja - jbo - jv - ka - kaa - kab - kg - ki - kj - kk - kl - km - kn - ko - kr - ks - ksh - ku - kv - kw - ky - la - lad - lb - lbe - lg - li - lij - lmo - ln - lo - lt - lv - map_bms - mdf - mg - mh - mi - mk - ml - mn - mo - mr - mt - mus - my - myv - mzn - na - nah - nap - nds - nds_nl - ne - new - ng - nl - nn - no - nov - nrm - nv - ny - oc - om - or - os - pa - pag - pam - pap - pdc - pi - pih - pl - pms - ps - pt - qu - quality - rm - rmy - rn - ro - roa_rup - roa_tara - ru - rw - sa - sah - sc - scn - sco - sd - se - sg - sh - si - simple - sk - sl - sm - sn - so - sr - srn - ss - st - stq - su - sv - sw - szl - ta - te - tet - tg - th - ti - tk - tl - tlh - tn - to - tpi - tr - ts - tt - tum - tw - ty - udm - ug - uk - ur - uz - ve - vec - vi - vls - vo - wa - war - wo - wuu - xal - xh - yi - yo - za - zea - zh - zh_classical - zh_min_nan - zh_yue - zu -

Static Wikipedia 2007 (no images)

aa - ab - af - ak - als - am - an - ang - ar - arc - as - ast - av - ay - az - ba - bar - bat_smg - bcl - be - be_x_old - bg - bh - bi - bm - bn - bo - bpy - br - bs - bug - bxr - ca - cbk_zam - cdo - ce - ceb - ch - cho - chr - chy - co - cr - crh - cs - csb - cu - cv - cy - da - de - diq - dsb - dv - dz - ee - el - eml - en - eo - es - et - eu - ext - fa - ff - fi - fiu_vro - fj - fo - fr - frp - fur - fy - ga - gan - gd - gl - glk - gn - got - gu - gv - ha - hak - haw - he - hi - hif - ho - hr - hsb - ht - hu - hy - hz - ia - id - ie - ig - ii - ik - ilo - io - is - it - iu - ja - jbo - jv - ka - kaa - kab - kg - ki - kj - kk - kl - km - kn - ko - kr - ks - ksh - ku - kv - kw - ky - la - lad - lb - lbe - lg - li - lij - lmo - ln - lo - lt - lv - map_bms - mdf - mg - mh - mi - mk - ml - mn - mo - mr - mt - mus - my - myv - mzn - na - nah - nap - nds - nds_nl - ne - new - ng - nl - nn - no - nov - nrm - nv - ny - oc - om - or - os - pa - pag - pam - pap - pdc - pi - pih - pl - pms - ps - pt - qu - quality - rm - rmy - rn - ro - roa_rup - roa_tara - ru - rw - sa - sah - sc - scn - sco - sd - se - sg - sh - si - simple - sk - sl - sm - sn - so - sr - srn - ss - st - stq - su - sv - sw - szl - ta - te - tet - tg - th - ti - tk - tl - tlh - tn - to - tpi - tr - ts - tt - tum - tw - ty - udm - ug - uk - ur - uz - ve - vec - vi - vls - vo - wa - war - wo - wuu - xal - xh - yi - yo - za - zea - zh - zh_classical - zh_min_nan - zh_yue - zu -

Static Wikipedia 2006 (no images)

aa - ab - af - ak - als - am - an - ang - ar - arc - as - ast - av - ay - az - ba - bar - bat_smg - bcl - be - be_x_old - bg - bh - bi - bm - bn - bo - bpy - br - bs - bug - bxr - ca - cbk_zam - cdo - ce - ceb - ch - cho - chr - chy - co - cr - crh - cs - csb - cu - cv - cy - da - de - diq - dsb - dv - dz - ee - el - eml - eo - es - et - eu - ext - fa - ff - fi - fiu_vro - fj - fo - fr - frp - fur - fy - ga - gan - gd - gl - glk - gn - got - gu - gv - ha - hak - haw - he - hi - hif - ho - hr - hsb - ht - hu - hy - hz - ia - id - ie - ig - ii - ik - ilo - io - is - it - iu - ja - jbo - jv - ka - kaa - kab - kg - ki - kj - kk - kl - km - kn - ko - kr - ks - ksh - ku - kv - kw - ky - la - lad - lb - lbe - lg - li - lij - lmo - ln - lo - lt - lv - map_bms - mdf - mg - mh - mi - mk - ml - mn - mo - mr - mt - mus - my - myv - mzn - na - nah - nap - nds - nds_nl - ne - new - ng - nl - nn - no - nov - nrm - nv - ny - oc - om - or - os - pa - pag - pam - pap - pdc - pi - pih - pl - pms - ps - pt - qu - quality - rm - rmy - rn - ro - roa_rup - roa_tara - ru - rw - sa - sah - sc - scn - sco - sd - se - sg - sh - si - simple - sk - sl - sm - sn - so - sr - srn - ss - st - stq - su - sv - sw - szl - ta - te - tet - tg - th - ti - tk - tl - tlh - tn - to - tpi - tr - ts - tt - tum - tw - ty - udm - ug - uk - ur - uz - ve - vec - vi - vls - vo - wa - war - wo - wuu - xal - xh - yi - yo - za - zea - zh - zh_classical - zh_min_nan - zh_yue - zu -

Sub-domains

CDRoms - Magnatune - Librivox - Liber Liber - Encyclopaedia Britannica - Project Gutenberg - Wikipedia 2008 - Wikipedia 2007 - Wikipedia 2006 -

Other Domains

https://www.classicistranieri.it - https://www.ebooksgratis.com - https://www.gutenbergaustralia.com - https://www.englishwikipedia.com - https://www.wikipediazim.com - https://www.wikisourcezim.com - https://www.projectgutenberg.net - https://www.projectgutenberg.es - https://www.radioascolto.com - https://www.debitoformtivo.it - https://www.wikipediaforschools.org - https://www.projectgutenbergzim.com