ヤルノ・トゥルーリ
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F1での経歴 | |
国籍 | イタリア |
車番 | 8 |
所属チーム | トヨタ |
活動年数 | 1997 - |
過去の所属チーム | ミナルディ, プロスト, ジョーダン, ルノー |
出走回数 | 167 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 1 |
通算獲得ポイント | 175 |
表彰台(3位以内)回数 | 7 |
ポールポジション | 3 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 1997年オーストラリアGP |
初勝利 | 2004年モナコGP |
2006年順位 | 12位 (15ポイント) |
(記録は2006年第18戦終了時) | |
ヤルノ・トゥルーリ(Jarno Trulli, 1974年7月13日 - )はイタリア人のF1ドライバー。
目次 |
[編集] プロフィール
彼の両親はモータースポーツ・ファンで、ヤーノ・サーリネン(1973年にモンツァで事故死したフィンランドのロードレース・グランプリチャンピオン)にちなんで彼らの息子を命名した。このフィンランド風の名前は彼がグランプリデビューした当時イタリア人らしくないとしてある種の混乱を引き起こした。彼の父親の熱中は他の多くの成功したレーサー同様に彼を幼年時からカートレースへ参加させた。 F1デビュー当時はアイルトン・セナに顔立ちが似ていることが話題になったこともある(フジテレビの三宅正治アナがスターティンググリッドの紹介時にそう言ったこともある)。
[編集] F1デビュー以前
イタリアおよびヨーロッパカート・チャンピオンになった後、彼は1996年にドイツF3選手権チャンピオンとなった。そして同年のF3マカオグランプリ,トップ走行のラルフ・ファーマンがクラッシュしたため2位を走っていたトゥルーリがトップとなりゴール,誰もが彼の優勝かと思った.しかし赤旗ルールによりクラッシュしたファーマンが優勝者になり,納得のいかないままF3を終えることになる.
[編集] 1997年~1999年
ミナルディからF1デビュー。この時のチームメートである片山右京とは,以後も深い親交が続いている.そして7レースに出場後、カナダGPでクラッシュにより大怪我を負ったオリビエ・パニスに代わり、フランスGPよりプロストから参戦することとなった。オーストリアGPではレース中盤までトップ走行を見せるなど、印象的な活躍を見せたが、次戦ルクセンブルクGPからは復帰してきたパニスにシートを譲ることになる。この時、チームオーナーであり元ワールドチャンピォンであるアラン・プロストは,中野信治のシートに彼を座らせたいほど才能に惚れ込んでいた.この活躍により、翌1998年からのレギュラーシートを獲得することに成功。続く2シーズン同チームに所属することになるが、戦闘力に劣るマシンに苦闘を強いられる。この際、雨による混乱のレースとなった1999年のヨーロッパGPでは見事自身初の表彰台となる2位入賞を果たした。
[編集] 2000年
前年に引退したデイモン・ヒルに変わりジョーダンへ移籍(余談だが、デイモンはトゥルーリの才能を看破しており自身の後任に強く推薦した)。 モナコGP予選では見事フロントローを獲得するなど、予選における速さが際立つようになる。そして迎えた決勝では、トップのミハエル・シューマッハに離されながらも2位をキープしていたが、マシントラブルによりリタイアした(M・シューマッハもその後リタイアしたため、トゥルーリ初優勝の可能性もあった)。なおこの年、ルーキーであり後のチームメイトとなるジェンソン・バトンと幾度も接触(ほぼ全てジェンソン側に非がある)し、運のなさも露呈した。
[編集] 2001年
前年と同じくマシンの信頼性の低さに悩まされた。そして、同胞のジャンカルロ・フィジケラと入れ替わる形で2002年ルノーへ移籍することになる。
[編集] 2002年
前年と同様、期待を裏切られるシーズンとなった。ルノーが使用した111度のワイドバンク角エンジンのトラブルに悩まされ続けた。
[編集] 2003年
33ポイントを挙げ、ドイツGPでは移籍後初の表彰台に立った。
[編集] 2004年
モナコGPでF1初優勝を果たすなど、前半戦は好調であったが、徐々にチームとの関係が悪化すると共に成績も降下していく。モナコでの優勝の際にはルノーの会社マークにキスをしたことが話題になり、ルノー関係者からの評価も高かった。しかしフランスGPの最終ラップでルーベンス・バリチェロにパスされ表彰台を逃して以降、情勢が変化していった。こうした中、同年9月にトゥルーリはトヨタへの移籍を発表するに至るが、チームとの関係はますます悪化し、ついにイタリアGPを最後にチームを離脱することとなった。その後、トゥルーリは日本GPからはトヨタをドライブすることになった。
[編集] 2005年
マレーシアGPで2位に入賞し、このGP前にトゥルーリの友が亡くなっており、亡き友に捧げる2位となった。このときの天を仰ぐ彼の姿は感動的であった。その後のバーレーンGPで2位、スペインGPでは3位と相次いで表彰台を獲得、アメリカGPではトヨタ初のポールポジションを獲得するなど、チームメイトのラルフ・シューマッハとともに、開幕前の予想を覆す活躍を見せ、チーム初のコンストラクターズランキングの4位獲得に貢献した(アメリカGPの決勝では、チームメイトのラルフがミシュランタイヤのトラブルで大クラッシュをしてしまい、ミシュランユーザーがボイコットしたこともありリタイア)。
[編集] 2006年
トヨタ2年目となったが、出来上がったマシン「TF106」は成功作とはいえず、序盤から大苦戦することとなる。その結果,改良型TF106Bが導入されることになり、彼の得意とするモナコGPでは終盤3位を力走するまでになった。しかし表彰台を目前にしながらリタイアすることになり、フラストレーションのたまる結果となった。これを払拭したのが、アメリカGPだった。リアサスペンショントラブルから予選はほぼ最後尾となったが,ファン・パブロ・モントーヤの引き起こした多重クラッシュ、自身のオーバーテイクによって4位でゴール。またドイツGPでは、トヨタと2009年までの契約が発表された。
[編集] F1での年度別成績
(2006年第18戦終了時)
年 | 所属チーム | 獲得ポイント | ランキング | 決勝最高位・回数 | 表彰台回数 | *予選最高位・回数 |
---|---|---|---|---|---|---|
1997年 | ミナルディ / プロスト | 3 | 15位 | 4位・1回 | 0回 | 3位・1回 |
1998年 | プロスト | 1 | 17位 | 6位・1回 | 0回 | 10位・2回 |
1999年 | 7 | 11位 | 2位・1回 | 1回 | 7位・2回 | |
2000年 | ジョーダン | 6 | 10位 | 4位・1回 | 0回 | 2位・2回 |
2001年 | 12 | 9位 | 4位・2回 | 0回 | 4位・2回 | |
2002年 | ルノー | 9 | 8位 | 4位・2回 | 0回 | 6位・3回 |
2003年 | 33 | 8位 | 3位・1回 | 1回 | 2位・2回 | |
2004年 | ルノー / トヨタ | 46 | 6位 | 1位・1回 | 2回 | 1位・2回 |
2005年 | トヨタ | 43 | 7位 | 2位・2回 | 3回 | 1位・1回 |
2006年 | 15 | 12位 | 4位・1回 | 0回 | 4位・3回 |
*予選順位はペナルティなどを反映した決勝グリッド
[編集] 評価
彼の予選一発の速さはかなりのものである。トヨタ移籍後もチームメイトのラルフよりも比較的上位の予選グリッドからスタートすることが多い。しかし決勝になるとレースペースが落ち、彼は「フェアだがオーバーテイクしにくいドライバー」である事も相まって、しばしばレース中彼を先頭にした渋滞を巻き起こすことがある(しばしば、「トゥルーリ・トレイン」などと揶揄される)。モナコ市街地でのドライビングは、持ち前のスムースなドライビングスタイルと相まって、しばしば手がつけられない程のタイムを出す。だがメンタル面の脆さもあり、それがレース中のペースの乱高下につながっている。
[編集] その他
トゥルーリは鈴鹿サーキットのイタリア料理店を好んでいる。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
2006年シーズンのF1世界選手権を戦うチームと出走ドライバー | |||||||||||
M | RENAULT | M | McLAREN | B | FERRARI | B | TOYOTA | B | WILLIAMS | 使用タイヤ: M: ミシュラン B: ブリヂストン |
|
1 | アロンソ | 3 | ライコネン | 5 | M.シューマッハ | 7 | R.シューマッハ | 9 | ウェバー | ||
2 | フィジケラ | 4 | デ・ラ・ロサ | 6 | マッサ | 8 | トゥルーリ | 10 | ロズベルグ | ||
M | HONDA | M | RED BULL | M | BMW SAUBER | B | SPYKER MF1 | M | TORO ROSSO | B | SUPER AGURI |
11 | バリチェロ | 14 | クルサード | 16 | ハイドフェルド | 18 | モンテイロ | 20 | リウッツィ | 22 | 佐藤 |
12 | バトン | 15 | ドーンボス | 17 | クビサ | 19 | アルバース | 21 | スピード | 23 | 山本 |
井出 (スーパーアグリ-23・第1~4戦) / モントーヤ (マクラーレン-4・第1~10戦) モンタニー (スーパーアグリ-23・第5~11戦) / ヴィルヌーヴ(BMW-17・第1~12戦) クリエン (レッドブル-15・第1~15戦) |