チベット民族
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チベット民族(チベットみんぞく)は、主としてユーラシア大陸中央部のチベット高原上に分布するモンゴロイド系の民族。チベット語では「プーリー」(bod rigs)と自称する。 「プー」はチベット、「リー」は種族、民族の意。現在「プーリー」は、包含する内実が相違する二つの用法で用いられている。
- 前近代以来用いられている伝統的な用法は、チベット本土の人々「プーパ」と、ブータン、ラダック、シッキム等の諸国の人々などをあわせた、チベット系の人々に対する総称。
- 中国の統治下で近年用いられ始めた用法は、中華人民共和国の国民を構成する「少数民族」の一つ「蔵族(ぞうぞく)」と等置されるチベット語の呼称。この「蔵族」は、中国が、国民を民族識別工作によって民族別に区分する際、チベット系の諸集団の多くを「蔵族」として「識別」することによって成立した概念で、こちらの用法では、チベット系の人々のうち、チャン族、ロパ族、メンパ族、トン人等として識別された集団や、ブータン、ラダック、シッキムなど中国の国民ではない人々は「プーリー゠蔵族」には含まれない。この「蔵族」は、「チャン族」、「ロパ族」とともに、「民族区域自治」政策に基づく「集住地域」の設定を認められる等、「中国の55の少数民族」の一つとしての法的地位を有する。中国政府が出版したりWeb上で公開する日本語の文章では、「チベット族」と称される場合が多い。
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[編集] 概要
チベット高原一体に分布し、シナ・チベット語族チベット・ビルマ語系のチベット語を用いる。7世紀、国王ソンツェンガムポの命によってインドに派遣されたトンミ・サムボータによって作られたという伝承を持つ独自の表音文字(チベット文字)を持つ。大多数が、8世紀に国教と定められた大乗仏教の信者であるが、近年では世俗化が進んでいる。またボン教やイスラームの信者もいる。
[編集] 分布
この民族は、ブータン、ネパール、インド、中国の4か国に分布する。ブータンはこの民族自身が樹立した唯一の国連加盟国で、他の3か国においては「少数民族」として分布しているが、伝統的な分布地域の大部分において、人口の多数派を占めている。この民族の分布地域の面積・人口とも、大部分が中国の統治下におかれている。この民族の唯一の独立国家ブータンは、歴史的にはチベットの辺境地方に位置し、政治・文化の中心ヤルンツァンポ河流域は、現在、中国が設置した行政単位「西蔵」地方の中枢を占める。人口は、四カ国で約600万人、ブータンで約60万人、中国の2000年の国勢調査「第五次人口普査」で「蔵族」として識別された数5,416,021人、亡命チベット人約15万人など。
[編集] ブータンにおける分布
ブータンの国土は、標高3500〜7000mの山地が占める北部と、中央部、インド平原に連なる南部からなるが、チベット系の人々は、主として中央部に居住し、南部地方ではネパール系住民が多数を占める。
[編集] 中国における分布
※「ランキョン」は自治の意 ※「シンチェン」は「省」、「クル」は「州」、ゾンは「県」に相当する行政単位。
- プー自治区(西蔵自治区) (bod rangs skyong ljongs, 西蔵自治区) の全域。
- 青海省(ツォゴン・シンチェン) (mtsho sngong zhing chen) の全域。東北部を除く省内全域に、「蔵族」の民族区域自治単位として、以下の諸州が設けられている(一部は他の民族と合同)。
- ゴロク蔵族自治州 (mgo log bod rigs rangs skyong khul, 果洛蔵族自治州)
- 海北蔵族自治州 (mtsho byang bod rigs rangs skyong khul)
- 海西モンゴル族蔵族自治州 (mtsho nub sog rigs bod rigs rangs skyong khul, 海西蒙古族蔵族自治州)
- 海南蔵族自治州 (mtsho lho bod rigs rangs skyong khul)
- 黄南蔵族自治州 (rma lho bod rigs rangs skyong khul)
- 玉樹蔵族自治州 (yus hru'u bod rigs rangs skyong khul)
- 四川省 (シトン・シンチェン、si khron zhin chen) では、同省の西半部を占める以下の各民族自治州、民族自治県とその近辺
- 甘粛省 (ケンスー・シンチェン, kan su'u zhin chen) では以下の民族自治州、民族自治県とその近辺
- 雲南省 (ユンネン・シンチェン, yun nan zhin chen)では、同省西北部に位置する以下の民族自治州とその近辺
- デチェン蔵族自治州 (bde chen bod rigs rangs skyong khul, 迪慶(てきけい)蔵族自治州)
[編集] ネパールにおける分布
- ドルポ地方
- ムスタン
[編集] インドにおける分布
[編集] 歴史
六世紀末から七世紀半ばにかけ、吐蕃王朝がチベット高原を統合、842年に王朝は崩壊したが、高原の住人たちは、王国の末裔としての意識、王国が国家事業として翻訳にとりくんだ仏典に依拠した仏教信仰などを紐帯として、一国の民としての連帯感を保ち続けた。
その後、チベット仏教の拡大と共に、ダライ・ラマを指導者に戴く政教一致国家に変貌していく。
中華人民共和国成立後、毛沢東はダライ・ラマと北京で会談したが、無神論を強要した。1951年、中国人民解放軍がチベットのうち、まだガンデンポタンのもとで中国の支配から自立していた西蔵に侵攻。十七ヶ条協定を締結、中国の領土の一部と位置付ける。中国は、農奴の状態にあったチベット族を解放したと胸を張った。チベットには、多数の漢民族を移住させ、西蔵自治区の区都ラサは、既に漢族が多数派の状態にあると、チベット亡命政府は主張している(中国政府統計によるとラサ人口の八割が蔵族)。2006年7月1日、青蔵鉄道が開通し、漢民族のチベット流入はさらに拍車がかかるものと思われる。
中国人による支配を嫌ったチベット族は、ヒマラヤを越えて北インド・ムスリに脱出し、ダラムサラにチベット亡命政府を樹立すると共に、チベット人学校を設立し、民族文化の継承に努めている。日本にも、東京・新宿にダライ・ラマ亡命政府日本代表部を開設している。
[編集] 関連項目
カテゴリ: チベットの歴史 | アジアの民族 | 中華人民共和国の民族