ジャバウォックの詩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジャバウォックの詩(ジャバウォックのし、Jabberwocky)は、ルイス・キャロルの児童文学『鏡の国のアリス』で記述されたナンセンス詩である。『ジャバウォックの詩』は、英語で書かれた最も秀逸なナンセンス詩であると考えられている。
この詩では、ジャバウォックと呼ばれる正体不明の怪物が名前のない主人公によって打ち倒されるという出来事が、叙事詩のパロディによる形式で描写される。文中に出てくる単語の多くは、キャロルによって創作されたかばん語である。
目次 |
[編集] 『ジャバウォックの詩』
夕火 の刻、粘滑 なるトーヴ遥場 にありて回儀 い錐穿 つ。 総て弱ぼらしきはボロゴーヴ、 かくて郷遠 しラースのうずめき叫ばん。 『我が息子よ、ジャバウォックに用心あれ! 喰らいつく顎 、引き掴む鈎爪! ジャブジャブ鳥にも心配るべし、そして努 燻り狂えるバンダースナッチの傍に寄るべからず!』 ヴォーパルの剣 ぞ手に取りて尾揃 しき物探すこと永きに渉れり 憩う傍らにあるはタムタムの樹、 物想いに耽りて足を休めぬ。 かくて暴 なる想いに立ち止まりしその折、 両の眼 を炯々 と燃やしたるジャバウォック、 そよそよとタルジイの森移ろい抜けて、怒 めきずりつつもそこに迫り来たらん! 一、二! 一、二! 貫きて尚も貫く ヴォーパルの剣 が刻み刈り獲らん! ジャバウォックからは命を、勇士へは首を。 彼は意気踏々 たる凱旋のギャロップを踏む。 『さてもジャバウォックの討ち倒されしは真 なりや? 我が腕 に来たれ、赤射 の男子 よ! おお芳晴 らしき日よ! 花柳かな! 華麗かな!』 父は喜びにクスクスと鼻を鳴らせり。夕火 の刻、粘滑 なるトーヴ遥場 にありて回儀 い錐穿 つ。総 て弱ぼらしきはボロゴーヴ、 かくて郷遠 しラースのうずめき叫ばん。
[編集] 原詩
Twas brillig, and the slithy toves Did gyre and gimble in the wabe; All mimsy were the borogoves, And the mome raths outgrabe. Beware the Jabberwock, my son! The jaws that bite, the claws that catch! Beware the Jubjub bird, and shun The frumious Bandersnatch! He took his vorpal sword in hand: Long time the manxome foe he sought So rested he by the Tumtum tree, And stood awhile in thought. And as in uffish thought he stood, The Jabberwock, with eyes of flame, Came whiffling through the tulgey wood, And burbled as it came! One, two! One, two! And through and through The vorpal blade went snicker-snack! He left it dead, and with its head He went galumphing back. And hast thou slain the Jabberwock? Come to my arms, my beamish boy! O frabjous day! Callooh! Callay! He chortled in his joy. Twas brillig, and the slithy toves Did gyre and gimble in the wabe; All mimsy were the borogoves, And the mome raths outgrabe.
[編集] 用語解説
『ジャバウォックの詩』の中にある幾つかの英単語は、キャロル自身によって作成されたかばん語である。『鏡の国のアリス』の作中で、登場人物の一人ハンプティ・ダンプティは、詩の第一節にあるナンセンスな単語の語義を説明している。ルイス・キャロルは、それ以外のバージョンの説明も考案している。キャロルがいかにして彼独特の様々なかばん語を作り上げたかについての、キャロル本人の文章も含めた『ジャバウォックの詩』の詳細な分析は、『注釈・不思議の国のアリス』で与えられている。キャロルが『ジャバウォックの詩』で発案した“chortled”や“galumphing”等の幾つかの英単語は、現在の英語の中にも採用されている。英単語“jabberwocky”は、しばしば「ナンセンスな言葉」を指すのに使用される。
- バンダースナッチ(Bandersnatch)
- 獲物を捕らえる顎を備えた俊敏な生物。首を自在に伸ばす事が出来る(スナーク狩りの記述より)。
- ボロゴーヴ(Borogove)
- 羽毛を体中から突き出した貧弱で見栄えのしない鳥で、モップのような外見をしている。
- 夕火(あぶり)(Brillig)
- 午後4時。夕飯の支度に肉を火で炙り(broiling)始める時刻。
- 怒(ど)めきずる(Burbled)
- おそらくは「怒鳴る」(bleat)と「ざわめき」(murmur)と「さえずる」(warble)の混成語。(ルイス・キャロルの手紙に基づく)
- 燻(いぶ)り狂(くる)う(Frumious)
- 息巻き(fuming)怒り狂った(furious)様子(スナーク狩りの序文より)。
- 錐穿(きりうが)つ(Gimble)
- ねじ錐(gimlet)のように穴を穿つ。
- 回儀(まわりふるま)う(Gyre)
- 回転儀(gyroscope)のようにくるくると回転する(“Gyre”「還流」は、特に海洋の表層潮流の巨大な環状や螺旋状運動を意味する、1566年頃の実在する英単語)。
- ジャブジャブ(Jubjub)
- 一年中発情しているやけっぱちな鳥(スナーク狩りの記述より)。
- 弱(よわ)ぼらしい(Mimsy)
- 弱々しく(flimsy)みすぼらしい(miserable)様子。
- 郷遠(さととお)し(Mome)
- おそらくは「故郷を離れて遠し」(from home)を略した言葉。ラースが道に迷っている様子を表している。
- うずめき叫(さけ)ぶ(Outgrabe)
- うめき(bellow)とさえずり(whistle)の中間にあたり、間にくしゃみ(sneeze)のような物が混じっている行為。
- ラース(Rath)
- 緑色のブタの一種(後述する「原型と構成」の項目も参照せよ)。
- 粘滑(ねばらか)(Slithy)
- 滑らか(lithe)で粘っこい(Slimy)様子。
- トーヴ(Toves)
- タヌキとトカゲと栓抜きをかけ合わせた物。日時計の下に巣くう習性を持つ奇妙な生物。チーズを主食としている。
- 暴(ぼう)なる(Uffish)
- 乱暴(gruffish)なる声と、粗暴(roughish)なる態度と、横暴(huffish)なる気分である時の精神状態(ルイス・キャロルの手紙に基づく)
- 遥場(はるば)(Wabe)
- 日時計の周りにある芝生。日時計の前(way before)と後(way behind)の両側を越えて(way beyond)遥ばると続いているので、「遥場」(Wabe)と呼ばれる。
[編集] 造語の発音
『スナーク狩り』の序文で、キャロルは以下のように述べている:
“slithy toves”とは一体どのように発音するのかと、しばしば私に問い掛けられる質問に対する回答の機会を与えてください。“slithy(スライシー)”の中にある“i”は、“writhe(ライス:ねじ曲げる)”の中の“i”の様に長く発音します。そして、“toves(トーヴ)”の発音は“groves(グローブ:木立ち)”と韻を踏みます。また、“borogoves(ボロゴーヴ)”の中の最初の“o”は、“borrow(ボロー:借りる)”の最初の“o”の様に発音します。私は人々が“worry(ウォリー:憂う)”の中の“o”の音を当てようとして試みていると聞きました。これは人間的な曲解というものでしょう。
[編集] 原型と構成
『ジャバウォックの詩』の第1節は、本来はキャロルが自分の家族のために定期的に制作していた肉筆回覧誌『ミッシュマッシュ』"Mischmasch"で発表された作品である。この第1節は『古英語詩の断片』"Stanza of Anglo-Saxon Poetry."と題されていた。キャロルはまた、ハンプティ・ダンプティとは別の解釈による翻訳を幾つかの単語に施していた。例えば、「ラース(rath)」は燕と牡蠣を主食とする陸亀の一種であると記述されている。
1957年3月1日のタイムズ文芸書評と1962年のルイス・キャロル・ハンドブックにおいて、ロジャー・ランセリン・グリーンは、『ジャバウォックの詩』の第1節以外の部分は、古代ドイツのバラッド「巨人山脈の羊飼い」に触発されたのではないかと指摘している。この叙事詩の中で、若い羊飼いは怪物グリフィンを打ち倒す。このバラッドはアリスの物語が発表される数年前、1846年にルイス・キャロルの親族マネラ・ビュート・スメドレイによって英訳された。
『ジャバウォックの詩』の特に面白い点は、多数のナンセンスな単語を含んでいながらも、詩の構成は古典イギリス詩に完璧に一致しているところである。センテンスの構成は精密であり(逆に言えば、非英語による再現は困難である)、詩としての形式が観察でき(例えば、四行詩、押韻、弱強格等)、事件の流れの中にある何らかの「物語」が認識される。『鏡の国のアリス』でのアリスの言によれば「なぜかしら、頭がたくさんの気持ちで一杯になるみたい――なにがどうなってるのかも、さっぱり分からないのに!」という「物語」である。
[編集] 翻訳
スペイン語、ドイツ語、ラテン語、フランス語、イタリア語、チェコ語、ハンガリー語、ロシア語、ブルガリア語、日本語、ポーランド語、そしてエスペラントを含む多数の言語への翻訳によって、『ジャバウォックの詩』は全世界に知られている。
翻訳作業で注目すべきなのは、元詩に含まれる主要な単語の多くが、本来の意味を持たないキャロル独自の造語であるという点である。言語の翻訳に際して語形論へ払われる注意の中にあって、翻訳者による言葉の案出は、キャロルの元詩からの、同音異義語までも含めた最小のレーベンシュタイン距離を持つ、翻訳者自身の造語の作成のように見える。オリジナルの単語と翻訳された単語は辞書の中にある実在する単語のように対応しているが、必ずしも同様の意味を備えてはいない。しかしながら、元詩全体に含まれる本質は残されている。
日本語翻訳者による『ジャバウォックの詩』の日本語への訳文は、後述する外部リンクを参照せよ。
[編集] 関連作品
- 1977年にテリー・ギリアム監督の映画『ジャバーウォッキー』が公開された。この映画のポスターは彩色されたジャバウォックの挿絵を特徴としており、映画の最初にはジャバウォックの詩の第1節が読み上げられる。映画のプロットは、極めて緩やかに元詩の筋をなぞっている。
- 1999年、クライヴ・ノーランとオリヴァー・ウェイクマン (リック・ウェイクマンの息子) はジャバウォックの詩をベースにしたプログレッシブ・ロックのコンセプト・アルバム『ジャバーウォッキー』を製作した。
- 1905年から1907年にかけて、チャップマン・ホールは『ジャバウォック』の名を冠した子供向け雑誌を刊行した。
- 『ジャバウォッキー』と名付けられたテレビ番組とトランプ遊びが存在する。
- 1943年にヘンリー・カットナーにより、ルイス・パジェット名義で『ボロゴーブはミムジイ』と題されたSF短編がアスタウンディング誌に掲載され、後に複数のアンソロジーに再収録された。この小説では、実はジャバウォックの詩は、知的なエイリアンからの隠された意味を持つ連絡手段として位置付けられている。
- 1983年に放送されたアニメ『超時空世紀オーガス』の登場人物、ミムジィ・ラース、モーム、ジャビーらの名前は、ジャバウォックの詩から採られている。
- 漫画『ARMS』の主人公が持つ体内で反物質を創り出すナノマシンの名前はジャバウォックである。バンダースナッチと名付けられたナノマシンも登場する。
- アニメ『レジェンズ』に出てくる闇(ネクロム)の魔物の名前はジャバウォックである。
- vorpal swordという武器はその後ファンタジーRPGでしばしば引用される。原詩のイメージから「素早さ」「鋭さ」「特殊な対象への専用武器」を連想させる設定が多い。また何かしら不気味な印象を漂わせることがほとんどである。
[編集] 外部リンク
- 非英語への『ジャバウォックの詩』40種類の翻訳サイト
- その他の翻訳サイト
- 『鏡の国のアリス』言葉遊びの翻訳 (※日本語による第1節の各種訳)
[編集] 参考文献
- ちくま文庫『原典対照/ルイス・キャロル詩集』 ルイス・キャロル著/高橋康也・沢崎順之介訳 ISBN 4-480-02311-9