サンティアゴ (チリ)
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サンティアゴ(Santiago)は南米の国、チリの首都で、人口は4,668,473人(都市圏では5,899,612人)。同国中央の盆地に位置し、最大の都市である。
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[編集] 気候
サンティアゴは地中海性気候で、夏(10月から3月)は比較的暖かく乾燥し、最高気温が35度まで上がる日もある。冬(6月から8月)は湿度が高く、普段は最高気温は15度くらいだが、低い日は0度近くまで下がる。年間降水量は約360㎜。
スモッグや大気汚染がひどく、冬の数ヶ月間は盆地であるサンティアゴに溜まることがある。政府は大気汚染を減らすために、重工業の工場を盆地から出ていくよう誘導したが、失敗に終わった。
[編集] 歴史
サンティアゴは、1541年2月12日にペドロ・デ・バルディビア(Pedro de Valdivia)によりサンティアゴ・デ・ヌエバ・エクストレマドゥラ(Santiago de Nueva Extremadura)という名前で建設された。起工式はウェレン・ヒル(Huelén Hill=後にサンタ・ルシア・ヒル(Santa Lucía Hill)と改称)で行われた。ヴァルディヴィアが都市建設においてサンティアゴの場所を選んだ理由は、穏やかな気候と防衛上の観点(マポチョ川が中央を横断する)にある。 最初の建築物は、インディアンの部族の一つピクンチェ族の人々の協力で作られた。マポチョ川の南部にある湿地は水が抜かれ、アラメダ(Alameda=現在はアベニダ・アラメダ・リベルタドール・ベルナルド・オヒギンス(Avenida Alameda Libertador Bernardo O'Higgins))という遊歩道に変えられた。
1810年から1818年の独立戦争の時には、市南西部であったマイプの戦いで若干の被害を受けた。その後1818年にサンティアゴは首都に指名された。1880年代は、チリ北部で硝酸塩肥料が産出され、国が繁栄したことにより、首都サンティアゴも発展した。1930年代には、サンティアゴの近代化が始まり、チリ各地から人々が集まり、人口も増加した。1985年に地震が発生し、中心部の歴史的建造物が破壊された。
[編集] 交通
[編集] 空港
サンティアゴの表玄関となる空港はアルトゥロ・メリノ・ベニテツ国際空港(Arturo Merino Benítez International Airport)で、南米では設備の整った空港である。
[編集] 長距離鉄道
サンティアゴの鉄道は、中央駅(Estación Central )からチリ中部のプエルト・モンット(Puerto Montt)などへ長距離列車が走っている。
[編集] 地下鉄
サンティアゴには、4路線の地下鉄(メトロ=Metro)があり、現在1号線、2号線の拡張が計画されている。比較的安全な交通手段として信頼されている。
[編集] タクシー
サンティアゴのタクシーは、通りで拾って乗ることができ、普通は黒いボディーに黄色い屋根をしている。他にコレクティボス(Colectivos)と呼ばれる乗り合いタクシーがあり、固定料金で決められた道を走る。
[編集] 行政区分
サンティアゴは、以下の32区(サンティアゴ州と一致)で構成される。各区には4年おきの選挙で選ばれる区長(スペイン語=alcalde)がいる。
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